先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

コシャマイン慰霊祭 6日に上ノ国・夷王山山頂で

2024-07-04 | アイヌ民族関連

神田幸 有料記事

北海道新聞2024年7月3日 19:01

 【上ノ国】毎年恒例の「コシャマイン慰霊祭」(実行委主催)が6日、町内の夷王山山頂で開かれる。アイヌ民族式の儀式で平和への祈りをささげる。

 同慰霊祭は、1457年のコシャマインの戦いで亡くなったアイヌ民族や和人を供養するため1993年から実施しており、今年で31回目。当日は午後1~3時にカムイノミ(神への祈り)とイチャルパ(先祖供養の儀式)などを行う。

 同日午後5時~6時半には、町内大留の上ノ国天の川プラザで交流会を開く。・・・・・

 問い合わせは事務局の佐藤さん、電話070・5550・1273へ。

※「イチャルパ」のルは小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1033250/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美しい! 北見・美里洞窟公開始まる

2024-07-04 | アイヌ民族関連

水野薫 有料記事

北海道新聞2024年7月3日 18:09(7月3日 18:14更新)

洞窟内、石灰岩の質感で歴史を感じながらひんやりとした涼しさを味わえる=2日(星野雄飛撮影、魚眼レンズ使用)

 北見市内の仁頃山の中腹にある「美里洞窟」(美里)で、今季の公開が始まった。道内で最初に確認された鍾乳洞遺跡で、猛暑の中でも冷たい空気が楽しめる。

 公開は10月31日まで。発掘調査によって、アイヌ文化期、縄文時代に加え、後期旧石器時代の石のやじりや土器の一部などが見つかっている。オホーツクの人々が一時的に滞在するキャンプ場として使われたとみられる。

・・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1033178/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ウポポイ オルシペ>92 開業4周年 13日から「ウポポイ祭」 各地の踊り体感、料理も

2024-07-04 | アイヌ民族関連

有料記事

北海道新聞2024年7月3日 9:50

様似町の伝承者、熊谷カネさん(右)と筆者との打ち合わせの様子。ヤムオハウ(冷たい汁もの)のほか、シト(団子)も作りました

 ウポポイは12日で開業4周年を迎え、13~15日に「ウポポイ祭2024」を企画しています。

 目玉の一つは「各地の踊りを体感しよう!」。各地域で伝承保存活動をしている保存会のみなさんを1日2団体、3日間で計6団体お呼びして、地域に伝わるアイヌ古式舞踊を披露していただきます。通常の古式舞踊の披露とは違い、特別な見せ方や来場者も参加可能な舞踊体験もあります。各地域に継承されてきた歌や踊り、特色、衣服(着物)の違いなどを見るのも楽しいかもしれません。

 そして、もう一つの目玉イベントは「各地の伝統料理を食べてみよう!」です。・・・・・・

・・・・・・・

<文・荒田このみ(ニヌム)=企画調整部企画調整課>

 ◆「ヤムオハウ」の「ム」、「ニヌム」の「ム」は小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1032993/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌの先住権 豪州で学んだ浦幌町のアイヌの人たちは(動画)

2024-07-04 | アイヌ民族関連

NHK 07月03日 19時54分

先日、放送した北海道道では、アイヌの「先住権」について取り上げ、浦幌町のアイヌ民族の団体がオーストラリアを訪れ、先住民たちと交流する姿を紹介しました。現地での様子や団体のメンバーの思いなどを番組では、お伝えできなかった映像を交えてご紹介します。

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20240703/7000068181.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌが愛した装身具 鮮やかガラス玉、交易で入手 大川遺跡(北海道余市町) 【発掘された日本列島2024 千葉県立中央博物館 7月15日まで】(下)

2024-07-04 | アイヌ民族関連

千葉日報2024年7月3日 05:00 | 有料記事

 日本を代表するウイスキー造りの聖地として著名な北海道余市町。天然の良港として栄えた余市湾の中央部には大川遺跡と呼ばれる大きな遺跡が所在します。ここからは縄文時代から近世アイヌ文化期までのお墓が複数見つかっており、長い時間をかけて形成された墓地を中心とした遺跡です。お墓の中には死者が身に着けていた装身具や様々な副葬品が供えられており、各地との交易の存在をうかがわせる北海道以外の地域からもたらされた器物も発見されています。

 今回の展示では、お墓から出土した多種多様な遺物を展 ・・・
【残り 501文字】

https://www.chibanippo.co.jp/news/local/1244662


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

artscape編集部が選ぶ!夏休み親子・キッズプログラム2024(東日本編) 一部抜粋

2024-07-04 | アイヌ民族関連

artscape編集部2024年07月03日

artscape編集部がピックアップした夏休みの親子・キッズに特におすすめの展覧会やワークショップを2回に分けてご紹介します。前編は東日本の現在公開されている情報を掲載しました。後編は7月後半に西日本の情報をお知らせします。事前申し込みが必須なところも多くありますので、お出かけ前にぜひ公式サイトで最新情報をご確認ください。
このページのほかに、「ミュージアム検索」で検索していただくと、お近くの美術館でのイベント情報等が見つかるかもしれません。ぜひチェックしてみてください。(artscape編集部)

ファミリー向けプログラム 「ポン劇場」

イベント
カムイとアイヌのつながり、昔のくらしや今のくらしを紙芝居を通して楽しくわかりやすく紹介します。[ウェブサイトより]

日時|2024/4/1~10/31  11:30/14:30(所要時間15分)
会場|ウポポイ 伝統的コタン(北海道)
定員|20名
参加費|無料(入場料に含む)
申し込み方法など詳細|https://ainu-upopoy.jp/program/ポン劇場-g/

・・・・・・

https://artscape.jp/article/16213/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾先住民 文化再興へ

2024-07-04 | 先住民族関連

読売新聞 2024/07/03 05:00

衣装や刺繍 制作に生かす

 台湾の先住民・ 平埔へいほ 族の青年組織が6月25~27日、天理大付属天理参考館(天理市)を訪れ、同館が収蔵する平埔族の民族衣装や 刺繍ししゅう 作品の調査をした。伝統文化を再興しようと、先祖が残した刺繍を学び、新たな制作に結びつけるのが目的という。(関口和哉)

これまでに復元した民族衣装を身に着けるメンバー(天理市で)

平埔族 天理参考館で調査

 平埔族は、台湾西部の平野部に暮らしていた先住民グループの総称。17世紀後半以降、大陸から移住してきた漢民族の影響を受け、独自の言語や生活文化が大きく変容し、ほとんど失われてしまったという。

台湾では1980年代からの民主化に伴い、先住民の伝統文化を保護するようになり、平埔族の人々もわずかに残った言語や習慣、生活文化を通して、自らの帰属意識を探ろうとする動きを活発にしている。

 同館は台湾人収集家の20世紀前半のコレクションを中心に、衣装や装飾品、生活用具など約330点を1960~82年に収集。日台屈指の収蔵数を誇る。

 2011年に図録を作成し、13年には台湾で開かれた展覧会で一部が展示されたことなどから、台湾でも大規模な収蔵品の存在が知られるようになり、今回の調査につながった。

 来日したのは、平埔族のうちマカタオ族とタイヴォアン族の25~43歳の刺繍工芸職人ら男女計5人。滞在した3日間、午前9時から午後4時まで、自分たちに関連する収蔵品約150点について、一つ一つ写真を撮ったり、素材や色、技法などを調べたりした。

 刺繍は絹糸や麻糸を使って花や動物、幾何学の文様をあしらっており、カラフルな色遣い。断片だが、衣装のどの位置の装飾なのか、わかる状態だという。

 一行の代表、 陳以箴ちんいしん さん(33)は「私たちの集落にも刺繍は20~30点しか残っていない。保存状態がよく、これほど豊富な資料が得られたのは幸い。今後一つ一つどの民族のものかも調べ、伝統文化の復元につなげたい」と語る。

 天理参考館の早坂文吉学芸員は「具体的な成果はまだ聞いていないが、一定の成果があったようで喜ばしい。館の資料が活用され、文化の復興に貢献できるのは光栄だ」と話している。

https://www.yomiuri.co.jp/local/nara/news/20240703-OYTNT50027/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾東部地震/日本のクラフトコーラ業者、地震被害の花蓮に売り上げの一部を寄付/台湾

2024-07-04 | 先住民族関連

中央フォーカス台湾 2024/07/03 17:56

日本で販売した「花蓮の馬告コーラ」の売り上げを花蓮県に寄付した伊良(いよし)コーラの小林隆英代表(左)。右は同県の徐榛蔚県長

(花蓮中央社)クラフトコーラを手掛ける伊良(いよし)コーラの小林隆英代表が3日、花蓮県政府を訪れ、台湾東部沖で4月に起きた地震により被災した同県に日本で販売したチャリティー商品の売り上げを寄付した他、花蓮県政府消防局に対して主力商品のコーラ150缶を寄贈した。

県政府によると、小林代表は地震の被害を受けた花蓮に何かできないかと思っていた際、台湾原住民(先住民)族が使う香辛料でレモンやコショウなどの香りがするアオモジの実「馬告」(マーガオ)と出会い、花蓮産の馬告を原材料としたクラフトコーラのシロップ「花蓮の馬告コーラ」を開発。日本で300本限定で販売していた。

県政府に寄付したのは、馬告コーラの経費を除く売り上げ計67万3762円。復興支援に使われる。

徐榛蔚(じょしんい)県長は小林代表に感謝状を手渡し、花蓮の人々を代表して感謝を伝えた。

(張祈/編集:齊藤啓介)

https://japan.focustaiwan.tw/society/202407030008


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハカの中のハカを舞う ~JAPAN XV 対マオリ・オールブラックス第2戦を前に~

2024-07-04 | 先住民族関連

JSPORTS7/1(月) 16:50

エスニシティー。祖先、血縁、生活の様式や習慣、もちろん言語、あるいは信仰などにおける「わたしたちは同じ集団だ」という意識のことである。

いきなり学校の講義みたいで恐縮だが、いまマオリ・オールブラックスが来日しているので許してほしい。あの破壊的で清冽でもあるハカの中のハカ、ティマタンガを舞う黒いジャージィの「集団」は世にまれな「エスニシティーにもとづくスポーツの代表チーム」なのである。

ニュージーランドの先住民族であるマオリの系図をたどり認められた者が選考の対象となる。ちなみに今回のセレクターには、ジャパンの前HC(ヘッドコーチ)のジェイミー・ジョセフの名もあった。

JAPAN XVとの初戦は、スクラムをうまく組めず(桜の3番、為房慶次朗の大奮闘!)、反則を重ねながら、要所を締めて、36ー10の勝利を収めた。

自陣深くの守りで粘り、JAPAN XVがそこで勝負をかけたいモールを自由にさせず、敵陣の奥まで侵入するとスコアをものにして帰る。ここというところのスピードが格別だった。トライを狙うや、いきなりボールを速く動かす。それはパスだけでなく密集内や周辺でも同じだ。人間がひしめいていても、拾う、手渡す、いきなりのドライブ、楕円球はそこにじっとしない。

「JAPAN」は対イングランドから引き続き、速攻を仕掛けて防御を崩すもゴールラインをなかなか越えられなかった。「超速」を掲げる総攻撃に傾注する分、惜しくも得点できず一転、守勢に立つとすでに力は削られている。

赤白ならぬグレーとホワイトの収穫は「まだアマチュア」(エディー・ジョーンズHC)の15番、矢崎由高である。早稲田大学2年。再三のラン、なにより何度も球をさわる積極性で劣勢に未来を示した。

初キャップのイングランド戦では図太い走りを披露しながら、つなぎ切れなかったり、球を失うシーンもあった。昨年のワールドカップの4強が相手なのだから当然だ。よくやったけれど、なにもかもうまく運んだわけではなく、失敗にも学んだ。

1週間後。あえて次の言葉を用いるなら「ただちに挽回の機会」を与えられた。若者の成長に欠かせぬ働きかけである。ここは64歳のHCの経験ゆえの鋭さだ。あいだをあけずに、すぐまた先発させる。それが当たった。

今週末6日の第2戦では両陣営、ことにジャパンの学習能力が問われる。魂のマオリ・オールブラックスの魂のキャプテン、現地報道で日本のクラブへの入団も報じられる、背番号7のビリー・ハーモンは苦しんだスクラムについて母国のメディアに本音を述べている。

「彼ら(JAPAN XV)は我々よりも低かった、結果、考えていたようにはスクラムを武器にできずペナルティーを奪うこともできなかった。次の試合に向けた練習の課題となる」(RNZ)

日本代表のエディー・ジョーンズHCは敗戦後の記者会見で話した。

「集団のスピードを上げつつ選択肢を持つことが大切」

イメージを極端に遂行することは強化の過程に必要である。だが「胸に桜をつけている以上、勝たなくてはならない」(同)。土曜夜の豊田スタジアムでは均衡の微調整があるのかもしれない。 

マオリのラグビーに戻る。現代社会において、いまだ「エスニシティ―の代表」が認められ、いっそう尊重されている。ニュージーランドのラグビー史における先住民族の存在の重さが根底にはある。

1888年6月。「ニュージーランド・ネイティブ」代表がオーストラリア、英国、アイルランドへの長い長い旅に出た。ネイティブ、すなわちマオリの21人にパケハ(白人)4人が加わった。実に14カ月で107試合。78勝6分23敗。対代表では、アイルランドに勝ち、ウェールズとイングランドに惜敗した。これが南半球の主要チームによる最初の北半球へのツアーである。

4名の白人についてはニュージーランドに生まれたのだから「ネイティブ」の定義に収まるとされた。ただし手元の『THE ENCYCLOPEDIA OF NEW ZEALAND RUGBY』には「我々の調査では4人のうちのふたりはイングランド生まれで幼少期に移住」とていねいに記されており、これは御愛嬌。

正式に「ニュージーランド・マオリ代表」が結成されるのは1910年、以後、おもに来征の各国と観客をわかせるゲームを繰り広げてきた。1965年にフランスを5ー3で破る。81年には南アフリカ代表スプリングボクスと12ー12の引き分け。2005年にはブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズを19ー13で退けた。その有名なゲームには今回の日本遠征のHC、ロス・フィリポが背番号4で出場している。過去、アイルランド、スコットランド、イングランドからも白星を奪った。

他方、負のヒストリーも存在する。南アフリカの政府・協会筋より「ツアーにくるオールブラックスから有色人種を外してほしい」と水面下で求められて、1928、48、60年の同国への遠征に「オールホワイトのオールブラックス」で臨んだ。表向きは「安全」を理由に挙げた。2010年になってニュージーランド協会は「除外したマオリの選手」へ正式に謝罪した。

最後にかの有名なジャージィとマオリの関係について。1893年4月27日、ニュージーランド代表のオーストラリア遠征を前に、協会創立後初の会議が催され、主将に任命されたトム・エリソン、正しくはトーマス・ランギワヒア・エリソンが「黒のジャージィ、胸に銀のシダ」のユニフォームの採用を提案した。スポーツ界のもっとも成功した愛称のひとつ「オールブラックス」はかくして生まれる。

優れたFWであったトム・エリソンは1888年のネイティブの大ツアーにも加わっていた。先住民族としてニュージーランドで最初に弁護士資格を得た人物とされる。1902年には当時の画期的な技術書『The Art Of Rugby Football』を世に出した。かつてリコーブラックラムズに所属したタマティ・エリソンは子孫にあたる。

以下、本コラム筆者の余談。確か35年前、ニュージーランド北島のロトルアのラグビー用品ショップで「マオリ・オールブラックス(当時の呼称はニュージーランド・マオリ)」のジャージィを購入した。すると、きっとマオリなのだろう年配のレジ係の男性が泣いた。「観光客はみなオールブラックスを買うのに、あなたは」と言った気もするし、無言だったかもしれない。ともかく本当に涙を流した。長くスポーツを書いたり話したりしてきて、なのに白熱の決勝より、あの午後の店内に差し込む柔かな光をよく思い出す。 

1976年、南アフリカの黒人の観客に歓迎されるマオリの英雄、シド・ゴーイング。『THE ENCYCLOPEDIA OF WORLD RUGBY』より。

藤島 大

https://news.yahoo.co.jp/articles/b8f702b926b40d517fc7f2887cdf326c2a667dfb


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原爆の街を描いた『リッチランド』が日本公開される意義 “他者を知る”ことから始める一歩

2024-07-04 | 先住民族関連

リアルサウンド 2024.07.03 18:00 文=杉本穂高

原爆を点でなく線で捉える

 本作の重要なポイントは、原爆という事象を歴史の「点」ではなく、長く続く「線」として捉えている点にある。アイリーン・ルスティック監督の言葉を借りると「原爆をコンディション(状態)」として描き出そうという姿勢を持っているのだ。

 原爆は、ただの威力の大きい爆弾ではない。その被害は何十年、何百年、何千年、あるいは何万年にも渡る深刻な被曝や土壌汚染をもたらす。『オッペンハイマー』が描くことのなかった核の汚染被害に目を向けている点でも、本作はノーランの映画を補完する効果を持っている。

 その姿勢を明確にするためか、本作のファーストシーンは土壌汚染の浄化作業の現場から始まる。「ここは何億年後でも使えないかもしれない」という言葉に、核がもたらす不可逆の被害は、まさに一過性のものではなく「状態」となってしまうことの恐ろしさが宿っている。

 そしてこの映画は、ハンフォード・サイトとリッチランドの土地は元々、先住民族のものであったことを伝えることも忘れていない。土壌汚染によって返すことのできない土地となってしまった事実とともに、本来の所有者から、祖先から受け継がれてきた大地をアメリカ政府が奪い取ったという事実もまた「状態」と化してしまっていることをも描き出している。アメリカ国内にも、原爆で甚大な被害を被った民族がいたということ。20世紀のアメリカの繁栄の中、不可視化され続けてきた不都合な事実に本作はカメラを向けている。

日本人はこの映画をどう観るべきなのか

 この映画に映っている人々は、日本人にとって「もう一方の当事国の人々」という他者である。本作が貴重なのは、そんな人々のリアルな姿を冷静に見る機会を与えてくれることにある。

 中には、日本人にとって不快な言葉もある。しかし、何か物事を前進させようと思うのならば、他者を知ることから始めるしかない。

 実際に映画の中で、そんなリッチランドの人々という他者との対話を試みる日本人が登場する。広島出身で原爆サバイバーの祖父を持つアーティスト、川野ゆきよ氏がこの町を訪れ、「正直に言って居心地が良くない」と語りながらも彼女は、他者との対話を止めない。

 彼女の言葉を静かに聞く町の人々は、少なくとも他者の言葉を聞く姿勢を持っている。

 この映画を日本で観るということは、そのように他者の言葉を受け取る姿勢を持つということだと筆者は思う。他者の言葉を聞くことで、私たちはこれまでとは異なる視点を持つことができるようになる。被爆国である日本から決して出てこない言葉がこの映画にはたくさんある。他者を学ぶことができる貴重な機会を本作はもたらしてくれる。

 映画は最後に川野氏のインスタレーションアートを映しだす。祖母の残した布を川野氏の髪の毛で編んで原爆をかたどったこのアート作品を、真下から見上げるショットで映画は幕を閉じる。

 思えば、落下する原爆を下から見上げた映像というものは見たことがない。原爆の映像は、遠くから撮られたキノコ雲か、それを落とす戦闘機から見下ろす映像か、運ばれていく爆弾を横から見つめたものくらいだ。原爆を見上げられる位置にいた人々はみな吹き飛んでいるのだから、そんな映像が残るはずもないからだ。

 疑似的に原爆を再現したアート作品とはいえ、この映画は生きている人類が体験したことのない視点を最後に提供している。他者を知ることは、異なる視点を獲得するということでもある。この映画の姿勢を象徴する、見事な締めくくりだ。

■公開情報
『リッチランド』
7月6日(土)より、シアター・イメージフォーラムほかにて全国順次公開
監督:アイリーン・ルスティック
撮影:ヘルキ・フランツェン
編集:アイリーン・ルスティック
音響デザイン:メイル・コスタ・コルバート
エグゼクティブ・プロデューサー:ドーン・ボンダー、ダニエル・J・チャルフェン、マーシー・ワイズマン
プロデューサー:アイリーン・ルスティック、サラ・アーシャンボー
製作:コムソモール・フィルムズ
配給:ノンデライコ
2023/アメリカ/93分/カラー/5.1ch/DCP
©2023 KOMSOMOL FILMS LLC

杉本穂高

https://realsound.jp/movie/2024/07/post-1707805_2.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松浦武四郎のキャラクター描いたマンホールのふたのお披露目(津)

2024-07-04 | アイヌ民族関連

NHK 07/03 19:03

松阪市出身の探検家で、北海道の名付け親として知られる松浦武四郎をモチーフにしたマスコットキャラクターが描かれたマンホールのふたが3日、お披露目されました。

マンホールのふたは、武四郎の出身地の松阪市小野江町にある松浦武四郎記念館が3日で開館30周年を迎えたのを記念して制作されました。

3日に記念館で開かれたお披露目の式典には、地元の小野江小学校の6年生約40人が参加し、カウントダウンにあわせてマンホールのふたを覆っていた白い布が取り外され、お披露目されました。

マンホールのふたには、松浦武四郎をモチーフにしたマスコットキャラクター、「たけちゃん」と、三重県と北海道の地図が描かれているほか、アイヌ文様もあしらわれています。

松阪市上下水道総務課の森川照章課長は「マンホールのふたを見に来てもらい、下水道も身近に感じてもらえたらいいです」と話しています。

マンホールのふたは7月9日まで記念館の中で展示され、8月には小野江小学校近くの歩道のマンホールに設置されるということです。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/k/tsu/20240703/3070013209.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾東部沖地震3カ月 花蓮の太魯閣渓谷、年末に一部再開も…観光復興の道のり長く

2024-07-04 | 先住民族関連

産経新聞2024/7/3 17:06

商店のシャッターが閉まったままの景勝地、太魯閣渓谷の入り口=6月28日、台湾・花蓮県(西見由章撮影)

死者18人、行方不明者3人を出した台湾東部沖地震の発生から3日で3カ月を迎えた。被災地の東部、花蓮県では景勝地の太魯閣(タロコ)渓谷が閉鎖され、主要産業の観光が大きな打撃を受けている。年末には渓谷の一部が再開放される見通しで、客足に回復の兆しもあるが、復興の道のりは長そうだ。

GDP6割が観光関連

6月下旬、太魯閣渓谷の入り口を訪れると、観光客向け商店は軒並みシャッターが下りていた。茶葉店を営む劉美鳳(りゅうびほう)さん(48)は「ここは先住民の装飾品や(軽食の)トウモロコシなどを売る店があったけど、みな出ていった。客が来ないから仕方ない」とあきらめ顔だ。

人影がほとんどない中、切り立つ断崖絶壁を眺めていたのは夫と新婚旅行中のフィリピン人、ディナさん(33)。「渓谷の中に入れず残念だけど景色は楽しめた。再開されたらまた来たい」と話した。

渓谷の内部は、山上から崩れ落ちた土砂が歩道を埋めたままの場所もあり、地震の爪痕が生々しく残る。

観光客向けチャーター車運転手の郝坤城(かくこんじょう)さん(46)は「地震後は次々と予約が取り消され、毎日が休みだった。ただ5月以降は海岸などを訪れる客が少しずつ増えてきた」と前を向く。

花蓮県ではホテルや飲食店といった観光関連の産業が域内総生産(GDP)の6割を占める。その〝大黒柱〟である太魯閣渓谷について、県政府(県庁)観光企画課の黄繻寛(こうしゅかん)課長は、12月にも一部エリアが再開放されるとの見通しを明らかにした。ただ完全復旧には7年かかるとの予測もあるという。

https://www.sankei.com/article/20240703-LRREI5W77JNSLCJNV3PFSPRJ6E/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アートとグルメを堪能するなら青森がアツい! Penおすすすめの青森旅【青森市編】

2024-07-04 | アイヌ民族関連

Pen 7/3(水) 7:04

いま、アート好きのあいだで人気の観光スポットとして注目を集めている青森県。4月13日から9月1日まで、県内初となる『AOMORIGOKAN アートフェス 2024』が開催されている。本記事では、必見の展示とともに、旬の青森を感じられるグルメスポットなどをエリア別に解説していく。

【写真】青森県内の5つの美術館とアートセンターが「つらなりのはらっぱ」というテーマのもと展覧会やプロジェクトを展開する、『AOMORIGOKAN アートフェス 2024』が開催中。

『AOMORIGOKAN アートフェス 2024』とは

豊かな自然に恵まれ、伝統ある祭りや暮らしの手仕事、食など独自の文化が古くから伝わる青森県。その魅力をアートとともに再発見するアートフェスティバルが開催されている。青森県内の5つの美術館とアートセンターが、「つらなりのはらっぱ」というテーマのもと、ディスカッションを重ねて企画を練り上げた展覧会やプロジェクトを展開中だ。また共通企画として、栗林隆の体験型作品『元気炉』が各館を巡回する。

人間・動物・植物などの多様な訪問者たちが思い思いの活動を繰り広げる「はらっぱ」のように、そこには新しい風景が立ち上がり、子どもも大人も新鮮な何かに出会うことができるはずだ。各地で行われる夏祭りをはじめ、最も活気のある季節を迎える青森で、美術や工芸、建築 自然、食が緩やかに共振するアート巡りの旅を体験してほしい。

1.青森県立美術館

東京駅7時32分、新青森駅10時52分着の新幹線に乗り、地元のバスに乗り継いで、まずは、青森県立美術館へ。

世界遺産にも選ばれた日本最大級の縄文集落跡・三内丸山遺跡に埋蔵された縄文のエネルギーを糧に建設された青森県立美術館。隣接する発掘現場から発想を得た、トレンチ(壕)とホワイトキューブからなる斬新な建物は建築家・青木淳の設計によるもの。地面が幾何学的に切り込まれ、真っ白な「ホワイトキューブ」の展示室と、土の床や壁が露出する隙間の「土」の展示室が対立しながら共存する、強度の高い空間だ。

また、菊地敦己デザインの「青い木が集まり森になる」という成長を表すシンボルマークやサインといった洗練されたVI(ヴィジュアル・アイデンティティ)や、ミナ・ペルホネンデザインの制服など、洗練されたVI(ヴィジュアル・アイデンティティ)も見どころだ。

館所蔵のコレクションには、青森県を代表する版画家・棟方志功や、現代美術家・奈良美智、「ウルトラマン」シリーズで知られる彫刻家で特撮美術監督の成田亨など、青森の風土が産んだ作家たちが名を連ねる。さらにマルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の舞台背景画を展示するアレコホールなど、特徴的な空間を活かした音楽や舞踏、演劇などの舞台芸術活動やナイトミュージアムを展開している。

青森県立美術館の見どころ1 『かさなりとまじわり』

開催中のメイン企画『かさなりとまじわり』展では、美術館を設計した青木淳氏が提唱した「原っぱ」論を出発点に、展示室のみならずコミュニティギャラリーやワークショップエリア、屋外ヤードなども活用。それぞれの空間を「原っぱ」に見立て、館内外のいたるところでアートを発見・鑑賞・体験できる場を設け、美術館全体に大きな「つらなり」を生み出そうとしている。さらに、美術館を構成する各空間が「かさなり」ながら作品がインストールされることで、青森の自然と人間の「まじわり」、死んだものと生きているものの「まじわり」、現代社会のありようとこれから未来を切り拓いていく人たちとの「まじわり」の諸相を浮かび上がらせる。

なかでも特に重厚な展示が展開されているのが、世界的に活躍し近年鬼籍に入った2人の作家―原口典之と吉田克朗の青森との関連性をベースに、時間と空間の「かさなり」と「まじわり」のインスタレーションを構築したエリアだ。20世紀の美術を牽引した骨太な表現と、混迷する現代を生きる作家のエネルギーが交錯する磁場に圧倒される。

青森県立美術館の見どころ2 美術館のシンボルの屋外彫刻

青森県立美術館を訪れたからには、当館のシンボルである奈良美智の2点の屋外彫刻に詣でることをお薦めしたい。美術館西側の屋外空間に常設された高さ約8.5mの犬の立体作品『あおもり犬』と、美術館南側の敷地にある高さ約6mのブロンズ像『Miss Forest/森の子』は、ともに目を閉じて沈思黙考し、そこに辿り着いた人々の心をも鎮静させてくれる。

7月13日(土)からは『鴻池朋子展 メディシン・インフラ』も開催される。東日本大震災以降、旅をしながら野外の技法を習得し、ときには土木工事や縫いものをメディアに「絵」を描いてきた鴻池。昨年スタートした『メディシン・インフラ(薬の道)』は、鴻池が東北各地を巡り、縁のあった場所に自作を展示保管してもらう長期的なプロジェクトだ。作家自身の身体性のリアリティを拠り所に展開された「場」に観客の身体が晒され、アートの持つ効用がメディシン(薬草)のように豊かに染み渡るはずだ。

青森県立美術館の見どころ3 café 4匹の猫

広い館内をまわった後は、館内のcafé 4匹の猫でランチ。白を貴重にし、開放的な大きな窓が印象的だ。メニューは青森県のブランド鶏「あべどり」を使ったカレーやベーグル、青森県産牛を使用したカレーやピラフなど青森県産の食材を主役にしたものが人気。現在、『AOMORIGOKAN アートフェス 2024』の限定カフェメニューも展開しているので、そちらもあわせてチェックしよう。

青森県立美術館

青森県青森市安田近野185

TEL:017-783-3000

2.青森公立大学 国際芸術センター青森

2001年に開館した青森公立大学 国際芸術センター青森(ACAC)は、八甲田山麓のダイナミックな自然と特徴的な建築が生み出す環境を活かし、現代芸術の多様なプログラムを発信するアートセンターとして活動している。作家が館に滞在しながら制作するアーティスト・イン・レジデンスのプログラム、展覧会、教育普及を3つの柱に、ジャンルを問わない展覧会やトーク、ワークショップなどを開催してきた。

世界的な建築家・安藤忠雄による建築は、周囲の豊かな自然環境を生かすため、起伏に富んだ地形を壊さないように配慮し、建物を森に埋没させる「見えない建築」をテーマにデザインされた。谷沿いに橋が架かるようなイメージの直線型の創作棟と宿泊棟、さらにギャラリーや円形の屋外ステージを備えた馬蹄型の展示棟の3棟から構成されている。春から秋にかけては、敷地内に点在する20 数点の野外彫刻を鑑賞しながら森の散策も楽しむことができる。

青森公立大学 国際芸術センター青森の見どころ1 出自を異にする作家たちの滞在制作とその思考

国際芸術センター青森(ACAC)のメイン企画の展覧会は、『currents / undercurrents -いま、めくるめく流れは出会って』。滞在制作した展覧会の参加作家7名と青森ゆかりの3名、青森市教育委員会所蔵のアイヌの衣服(後期のみ展示)によるグループ展だ。世界各地から表現者が集うこの場所で行われる本展では2つのキーワードを掲げる。「current」は、「現在」という意味を持つ一方で、海流や気流など、ある一定の方向に動く水や空気、電流などの変わり続ける流れを示す。また、「undercurrent」は、表面上の流れの下にある目に見え難い流れや暗示を意味する。これらの言葉を手がかりに、場所とかかわり合いながら表現をつむぎ出す国内外のアーティスト、そして青森ゆかりの表現が本展に集う。

作家たちの生まれた場所、定住する場所、訪れた場所、これから行く場所はさまざまで、展示を追うごとに、彼らの境遇があまりに異なることに気付かされる。同時に、いずれの作家もこの青森の自然豊かな里山に辿り着き、厳しい自然環境や独特の歴史とかかわり、思考を深めながら、それぞれの創作に取り組んでいることに胸を打たれる。

青森公立大学 国際芸術センター青森

青森県青森市合子沢152-6

TEL:017-764-5200

3.ウィーン菓子 シュトラウス

1日の締めくくりは、青森駅から徒歩10分のアーケード街にある「ウィーン菓子 シュトラウス」へ。ウィーン菓子 シュトラウスは、1893年創業の老舗和菓子店「甘精堂本店」に併設された洋菓子店。甘精堂本店の5代目社長である故・三浦祐一さんが、オーストリアで7年間修業を積み、当時まだ日本で取得している人が少なかったオーストリアの国家公認菓子職人の最高位である資格「コンディトア・マイスター」を取得。帰国後、1987年に同店の2階にカフェをオープンさせた。 40年近く経ったいまも、三浦さんの秘伝のレシピが受け継がれ、まるで現地のような空間の中で、オーストリアの伝統的なスイーツが楽しめる。

いちばんの人気は、本場オーストリアのつくり方や味を忠実に再現した「ザッハートルテ」。使用するチョコレートは、大理石の上で温度調整をしながら丁寧にテンパリングしているので、見た目の美しさはもちろん口溶けも豊か。生地にサンドしたアプリコットジャムの酸味が、濃厚なチョコレートフォンダンの甘みをより一層引き立てている。

ウィーン菓子 シュトラウス

青森県青森市新町1-13-21

TEL:017-722-1661

番外編 Penがお薦めする、青森を堪能できる宿2選

2泊以上の長期滞在をするのなら、ローカルな魅力を味わえる個性的な宿へ。番外編では、青森ならではのグルメや体験ができる2件をご紹介。美術館からは少し離れるが、無料のシャトルバスや県内ではお手頃な価格の往復貸切タクシーも出ているので、利用してみて欲しい。

星野リゾート 奥入瀬渓流ホテル

奥入瀬渓流沿いに立つ唯一のリゾートホテルとして知られる、「星野リゾート 奥入瀬渓流ホテル」。「渓流スローライフ」をコンセプトに渓流が目の前に広がる露天風呂や、奥入瀬渓流を巡るワークショップなど、自然を通じて心から満たされる滞在ができるホテルとして、連日国内外から多くの観光客が訪れている。

奥入瀬の美しい景観はもちろんだが、岡本太郎の作品である2つの巨大暖炉に注目して欲しい。東館にある『大暖炉「森の神話」』はラウンジに、『大暖炉 「河神」』は無料のカフェコーナーになっているので、人が少ない朝と深夜、静まり返った暖炉でドリンクを飲みながらじっくり旅の疲れを癒してみては。

星野リゾート 奥入瀬渓流ホテル

⻘森県十和田市大字奥瀬字栃久保231

TEL:050-3134-8094

旅の宿斉川@黒石市

旅の宿斉川は、黒石市の東側、八甲田連峰の東に位置する黒石温泉郷に位置する自然豊かな温泉宿。板留温泉の源泉掛け流しで、希望があれば貸切温泉に入ることもできる。十和田や八戸エリアからもアクセスがいいのもうれしい。旅館周辺には紅葉の名所で有名な「中野もみじ山」「津軽こけし館」「津軽伝承工芸館」など、すべて徒歩で行けるので、時間が許す限り散策してみては。

黒石市周辺は、青森県内でも山菜の種類が豊富なことでも有名。女将の斉川蘭子さんは、美容師時代に留学したニューヨークでの先進的なヴィーガン食に感銘を受けたことをきっかけに、青森県ならではの野菜を中心にした伝統食の魅力を再発見。この宿でも積極的に菜食メニューを取り入れることにしたという。

ダイニングにはカウンターが併設されており、食後は女将が選曲したジャズが流れるムーディーな照明のバーがオープンする。お酒もユニークなものが多く、青森県産の日本酒、シードル、ブランデーなど、青森を代表する酒蔵や蒸留所のお酒を中心にラインアップされている。アート好きな女将・蘭子さんと語らいながら、お酒を飲むのが楽しいひと時。

「アーティストや、アート好きな人の交流の場になれば」と語る蘭子さん。

近い将来、隣の土地に宿泊施設を増設してアーティストたちのアトリエをオープンさせる予定なのだそう。新たに計画中の新館にも足を運んでみたい。

旅の宿斉川

青森県黒石市板留字宮下8-1

TEL:0172‐54-8308

文:住吉智恵、Pen編集部 写真:溝口拓

https://news.yahoo.co.jp/articles/f16914e5a364c3c5bcfc4b3ee7611874cdba6427


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする