北海道新聞2024年12月31日 10:00
第2次世界大戦中、多くのアイヌ民族が暮らした平取村(現日高管内平取町)の山間部。灯火管制が敷かれた暗い民家に大人たちが集まり、自作のどぶろくを片手にひっそりと宴会を始めた。誰かがアイヌ語でウエペケㇾ(民話)を語り始める。ヤイサマ(即興歌)を歌う老人もいた。
「心地よい節回しを、今も覚えてる」。同町の川奈野一信さん(90)は、約80年を経ても当時の情景が目に浮かぶ。
大人たちはアイヌ語を使い、祖母は口元にアイヌ民族伝統のシヌイェ(入れ墨)を入れていた。家の周りにはカムイ(神)をまつるヌサ(祭壇)があり、カムイノミ(神に祈る儀式)も日常的だった。
2025年は戦後80年の節目の年になります。記者が遺族や戦没者のゆかりの場所などを訪ね、戦争とは何かを考えるシリーズ「記者がたどる戦争」の特別編として、「アイヌ民族と戦争」について掘り下げます。初回はすべての方に全文公開しています。
戦時下でも、銃後のアイヌ民族は食や住空間などで独自の文化の中を生きていた。
戦時中も「家の中は自由だった」と語る宇梶静江さん
日高管内浦河町出身の宇梶静江さん(91)は戦時中、ウバユリやギョウジャニンニクなどアイヌ民族の伝統食材を保存食にし、野草や動物の内臓を薬に使ったと語る。
食料や物資が不足した時代だからこそ「もらった命は無駄なく使う」というアイヌ民族の先人の教えが生きた。
「物がない中、アイヌの知識で工夫していたね。家の中は自由だったから」
「家の中は」―。その言葉が意味するものは何なのか。記者の問いに、宇梶さんは「警察は絶えずアイヌを見張っていた。窮屈な生活だった」と答えた。戦時中、宇梶さんの兄が和人の青年らといさかいになり、警察に捕らえられたこともあったという。
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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1104746/