北海道新聞年12月31日 10:00
記者が「千島アイヌ」の存在を知ったのは、2023年春までの根室支局勤務時代だった。「根室市歴史と自然の資料館」を取材する中で、その数奇な運命を知った。彼らが育んできた独自の文化や歴史が、第2次世界大戦を経て途絶えたことも。
千島アイヌの写真があると聞いて市立函館博物館を訪ねた。職員が何重もの包装を解いて取り出し、見せてくれた写真は、1878年(明治11年)に千島列島最北端のシュムシュ島で撮影されたものだった。ロシア風の洋装の人がいる一方で、帯留めや短刀など民族伝統の物品も身につけている人もいる。
千島列島北部に住んでいた時代の千島アイヌ。ロシア風の洋装を着ている人がいる一方で、帯留めや短刀など千島アイヌ伝統の物品も身につけている(市立函館博物館所蔵)
千島アイヌは、千島列島北部のパラムシル島やシュムシュ島などを拠点に、島々を転々と移動しながら暮らした。生業はラッコやアザラシなどの海獣狩り。主に山の生物や魚を食料としていた北海道アイヌと異なる文化を形成していた。ロシアと交易し、アイヌ民族の神々以外にロシア正教も信仰した。
2025年は戦後80年の節目の年になります。記者が遺族や戦没者のゆかりの場所などを訪ね、戦争とは何かを考えるシリーズ「記者がたどる戦争」の特別編として、「アイヌ民族と戦争」について掘り下げます。初回はすべての方に全文公開しています。
その暮らしは、日本とロシアの帝国主義によって一変する。両国は1875年に樺太・千島交換条約を締結。千島列島を手に入れた日本は84年、食料の輸送が困難などとして97人の千島アイヌを北千島から約千キロ南の色丹島に強制移住させた。・・・・・・