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【映画大賞】山田杏奈、助演女優賞に至る1年で大きな変化を感じた2つの取材機会/ロング版

2025-01-01 | アイヌ民族関連

 

日刊スポーツ1/1(水)5:00

日刊スポーツ映画大賞助演女優賞の山田杏奈

第37回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞(日刊スポーツ新聞社主催、石原音楽出版社協賛)の各賞が、先月27日の配信番組および28日付の紙面で発表されました。動画や紙面でお届けできなかった受賞者、受賞作関係者のインタビューでの喜びの声を、あらためてお届けします。

   ◇   ◇   ◇

山田杏奈(23)は、助演女優賞の受賞を直接伝えた場で、開口一番「改めて、評価してくれる人がいるんだと、すごく自信になった」と口にした。その時、ふと頭に浮かんだのが、山田に大きな変化を感じた、2つの取材機会だった。

1つは、23年12月20日に都内で行われた映画「ゴールデンカムイ」(久保茂昭監督)の完成報告会だった。登壇した山田は、演じたアイヌの少女アシ■パ(■は小さいリ)の役作りについて語った。「意識したことは、考えの根底には何があるんだろうと。文化的なものを、とにかく学んだ」と、監修の中川裕氏からアイヌ語のセリフと文化から指導を受けたと振り返った。弓の達人という設定だったが、アクションはほぼ未経験で「弓も家に持って帰って、おうちのカーテンに向けて、撃って練習しました」と明かし、照れ笑いを浮かべた。

もう1つの取材機会が、24年1月10日に都内で行われた「ゴールデンカムイ」の完成披露試写会だった。アシ■パは、野田サトル氏の原作漫画でも人気キャラクターで、変顔が1つのウリでもあった。司会から変顔をどう作ったかと聞かれると「自分じゃ見られないので、カメラで自分の顔を撮り、漫画の原作と比べながら…白目をむいた変顔が多い。スマホの中には変顔が、いっぱいあります」と笑いながら明かした。

18年「ミスミソウ」で映画に初主演した山田は、19年「小さな恋のうた」でヨコハマ映画祭最優秀新人賞、23年「山女」でTAMA映画賞最優秀新進女優賞を受賞。映画の世界で着実にステップアップしていく中、映画記者として取材する機会は少なくはなかったが、トークを聞いている中で山田の周りに壁のような、何かを常に感じていた。

作品や役どころについては、どこまでも真っすぐに、誠実に語る。その一方で、役ではない人間・山田杏奈の部分を見せる瞬間は、極めて少なかった。「私は芝居で語れば良い」。そんな言外の思いが、にじみ出ているように感じた。作家性の高い映画の舞台あいさつにおいては、話も専門性が高くなるため、山田自身の表情は、ますます見えにくくなった。そうした声は、映画関係者の間にもあった。

そんな山田が「ゴールデンカムイ」の2つのイベントで、それまでとは全くと言って良いほど違う顔を見せた。エンターテインメントの世界に生きる者として、自分自身をも表に出していこうという、覚悟のような思いが見えた。そう感じたことを率直に伝えると、山田はうなずいた。

「本当におっしゃっていただいたとおり、あそこまでの規模感(の映画への出演)は初めてだったので。もちろん、責任みたいなものは必然的にあるのかなと思いつつ、何よりそこまでの大きな役に私を使ってくれた、製作陣への感謝というか、しっかりその人達が私にして良かったと思っていただけるようなような、お芝居であったり、い方をしたいなと思ったのは大きいですね」

「い方」という山田の言葉が、聞いていて胸の中にストンと落ちた。そのい方を大きく変えたのが「ゴールデンカムイ」とともに受賞対象作となった「正体」だ。演じた酒井舞は、ケアホームで働く普通の女性で、恋心を抱いた同僚を撮影した動画を配信したことで、その同僚が殺人事件の容疑者として死刑判決を受け、逃走を続ける鏑木慶一(横浜流星)だと発覚してしまうが、無実を信じるという役どころだった。

「藤井組に参加したいという気持ちが、すごく大きくて」と、出演を熱望した藤井道人監督(38)から向き合った際、役について説明を受けた。「自分が決めたことから逃げたり、軽はずみに行動してしまったり…普通の若者である彼女が、視聴者から見て一番、近い存在になると思う」。10歳から芸能界で生き「普通に働いたこともない」山田にとって、役作りは「仕事をしてるってどういう感じなんだろう」などと模索から始まった。

その中で、市井に生きる同年代の女性を役として生きるにあたり、自身のチャームポイントであり、世の中から支持を集める「目力」を、役作りの中で自然と降ろしていった。「数年前に、お芝居の先生から『目力とかは、切り売りしていかなければならないものだから。どんどん消費されていくものだから』と言ってもらっていた。舞を演じた時は、別にそこまで考えていたわけではなかったんですけど、自分が得意なところだけでやっちゃダメっていうのは、ずっとあって」

藤井監督からのアドバイスを受け、自ら模索していく中で生まれた舞というキャラクターは、終盤で「正体」という作品を、観客の心により引き寄せる大きな力となった。(後編に続く)【村上幸将】

◆山田杏奈(やまだ・あんな)2001年(平13)1月8日生まれ、埼玉県出身。11年「ちゃおガールオーディション」でグランプリを獲得し、芸能界入り。16年「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」で映画デビュー。19年「小さな恋のうた」でヨコハマ映画祭最優秀新人賞、23年「山女」でTAMA映画賞最優秀新進女優賞。特技は習字。159センチ、血液型A。

◆ゴールデンカムイ 北海道で砂金採りに明け暮れていた杉元佐一(山■(■は崎の大が立の下の横棒なし)賢人)は、アイヌ民族から強奪された金塊の存在を知る。そんな時、ヒグマの襲撃を受けた杉元をアイヌの少女アシ■パ(山田)が救う。アシ■パも父親の敵を討つため、杉元と金塊を追う。

◆正体 凶悪な殺人事件の容疑者として逮捕され、死刑判決を受けた鏑木(横浜流星)が脱走した。刑事・又貫(山田孝之)は鏑木が潜伏先で出会った舞(山田)らを取り調べるが、彼女らが語る鏑木は別人のようだった。顔や姿を変え、逃走を続ける真相を探る。

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/nikkangeinou/entertainment/f-et-tp1-250101-202412300001196


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GHQに訴えた民族の窮状 便せん15枚の思い 報道センター・武藤里美(32)<戦禍とアイヌ民族>⑤

2025-01-01 | アイヌ民族関連

武藤里美 有料記事

2024年12月31日 10:00

 少し黄ばんだB5判の便箋15枚に、アイヌ民族の窮状を訴える言葉がびっしりと並んでいた。

 「生活水準ガ和人ト稍々(やや)併行スルモノ約二割程度デ、(中略)一般和人ト比較シテハ其水準ニ甚ダシキ径庭(けいてい)(隔たり)アリ、如何(いか)ニ悲惨ナ生活ニ放棄セラレアルカ」

 1946年の発足から間もない「北海道アイヌ協会」が連合国軍総司令部(GHQ)に宛てた嘆願書の原文とされる原稿。手書きの文章には、何度も推敲(すいこう)を重ねた跡が残っていた。

 2025年は戦後80年の節目の年になります。記者が遺族や戦没者のゆかりの場所などを訪ね、戦争とは何かを考えるシリーズ「記者がたどる戦争」の特別編として、「アイヌ民族と戦争」について掘り下げます。初回はすべての方に全文公開しています。

①勇敢な日本兵に 「平等」の名のもと差別は闇の中

②沖縄に刻まれた戦時の絆 慰霊塔に宿る平和の祈り

③2度の強制移住で絶えた歴史 日ロが壊した千島の生活

④文化継承に壁 社会の「目」に見張られて

 原稿は現在、胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」に保管されている。

「アイヌ民族は戦後の新しい日本にいちるの望みをかけ、日本を占領していたGHQに生活実態を訴えたのだろう」。国立アイヌ民族博物館(白老町)の田村将人資料情報室長(樺太アイヌ近代史)はそう分析する。

 第2次世界大戦直後の混乱期、日本全体が貧困にあえぐ中、和人以上に困窮したアイヌ民族は多かった。「現金がなく、まきと交換で食料を手に入れた」などの証言が多く残っている。

 戦後30年近くたった72年の北海道庁の調査でも、アイヌ民族の生活保護率は居住市町村の平均の6.6倍だった。

 なぜそこまで厳しい生活を強いられたのか。

 明治政府はアイヌ民族が生業としていた川でのサケ漁を禁じ、1899年(明治32年)施行の北海道旧土人保護法下で農民化を進めた。しかしアイヌ民族に払い下げられた1戸当たりの農地は和人の半分以下で、多くは痩せた土地だった。農業だけで生活できず、和人に土地を安価で貸し出す人が後を絶たなかった。

 さらに政府は1946年、地主から強制的に農地を買収し、小作農家に売り渡す農地改革を開始。生活苦から農地を和人に貸していたアイヌ民族も「地主」とみなされた。道の調べでは、同法でアイヌ民族に払い下げられた農地の約4割が買収対象になった。

 戦前に生活を支えたサケ漁を禁じられ、戦後はわずかな農地まで奪われたアイヌ民族。窮状を打開するため、さまざまな方法でGHQに近づこうとした。

 ・・・・・・・

祖父・宮本イカシマトクさんがGHQを訪れた際の写真を手に、祖父の願いについて思いをはせる大須賀るえ子さん。写真の右から3番目に、アイヌ民族の衣装をまとった宮本さんが写っている

・・・・・・

 「アイヌ民族の先人が願ったささやかな幸せや平等な社会は、まだ達成されていない」

武藤里美

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1104755/


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文化継承に壁 社会の「目」に見張られて 報道センター・武藤里美(32)<戦禍とアイヌ民族>④

2025-01-01 | アイヌ民族関連

武藤里美 有料記事

北海道新聞2024年12月31日 10:00

 第2次世界大戦中、多くのアイヌ民族が暮らした平取村(現日高管内平取町)の山間部。灯火管制が敷かれた暗い民家に大人たちが集まり、自作のどぶろくを片手にひっそりと宴会を始めた。誰かがアイヌ語でウエペケㇾ(民話)を語り始める。ヤイサマ(即興歌)を歌う老人もいた。

 「心地よい節回しを、今も覚えてる」。同町の川奈野一信さん(90)は、約80年を経ても当時の情景が目に浮かぶ。

 大人たちはアイヌ語を使い、祖母は口元にアイヌ民族伝統のシヌイェ(入れ墨)を入れていた。家の周りにはカムイ(神)をまつるヌサ(祭壇)があり、カムイノミ(神に祈る儀式)も日常的だった。

 2025年は戦後80年の節目の年になります。記者が遺族や戦没者のゆかりの場所などを訪ね、戦争とは何かを考えるシリーズ「記者がたどる戦争」の特別編として、「アイヌ民族と戦争」について掘り下げます。初回はすべての方に全文公開しています。

①勇敢な日本兵に 「平等」の名のもと差別は闇の中

②沖縄に刻まれた戦時の絆 慰霊塔に宿る平和の祈り

③2度の強制移住で絶えた歴史 日ロが壊した千島の生活

⑤GHQに訴えた民族の窮状 便せん15枚の思い

 戦時下でも、銃後のアイヌ民族は食や住空間などで独自の文化の中を生きていた。

戦時中も「家の中は自由だった」と語る宇梶静江さん

 日高管内浦河町出身の宇梶静江さん(91)は戦時中、ウバユリやギョウジャニンニクなどアイヌ民族の伝統食材を保存食にし、野草や動物の内臓を薬に使ったと語る。

 食料や物資が不足した時代だからこそ「もらった命は無駄なく使う」というアイヌ民族の先人の教えが生きた。

 「物がない中、アイヌの知識で工夫していたね。家の中は自由だったから」

 「家の中は」―。その言葉が意味するものは何なのか。記者の問いに、宇梶さんは「警察は絶えずアイヌを見張っていた。窮屈な生活だった」と答えた。戦時中、宇梶さんの兄が和人の青年らといさかいになり、警察に捕らえられたこともあったという。

・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1104746/

 


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2度の強制移住で絶えた歴史 日ロが壊した千島の生活 報道センター・武藤里美(32)<戦禍とアイヌ民族>③

2025-01-01 | アイヌ民族関連

武藤里美 有料記事

北海道新聞年12月31日 10:00

 記者が「千島アイヌ」の存在を知ったのは、2023年春までの根室支局勤務時代だった。「根室市歴史と自然の資料館」を取材する中で、その数奇な運命を知った。彼らが育んできた独自の文化や歴史が、第2次世界大戦を経て途絶えたことも。

 千島アイヌの写真があると聞いて市立函館博物館を訪ねた。職員が何重もの包装を解いて取り出し、見せてくれた写真は、1878年(明治11年)に千島列島最北端のシュムシュ島で撮影されたものだった。ロシア風の洋装の人がいる一方で、帯留めや短刀など民族伝統の物品も身につけている人もいる。

千島列島北部に住んでいた時代の千島アイヌ。ロシア風の洋装を着ている人がいる一方で、帯留めや短刀など千島アイヌ伝統の物品も身につけている(市立函館博物館所蔵)

 千島アイヌは、千島列島北部のパラムシル島やシュムシュ島などを拠点に、島々を転々と移動しながら暮らした。生業はラッコやアザラシなどの海獣狩り。主に山の生物や魚を食料としていた北海道アイヌと異なる文化を形成していた。ロシアと交易し、アイヌ民族の神々以外にロシア正教も信仰した。

 2025年は戦後80年の節目の年になります。記者が遺族や戦没者のゆかりの場所などを訪ね、戦争とは何かを考えるシリーズ「記者がたどる戦争」の特別編として、「アイヌ民族と戦争」について掘り下げます。初回はすべての方に全文公開しています。

①勇敢な日本兵に 「平等」の名のもと差別は闇の中

②沖縄に刻まれた戦時の絆 慰霊塔に宿る平和の祈り

④文化継承に壁 社会の「目」に見張られて

⑤GHQに訴えた民族の窮状 便せん15枚の思い

 その暮らしは、日本とロシアの帝国主義によって一変する。両国は1875年に樺太・千島交換条約を締結。千島列島を手に入れた日本は84年、食料の輸送が困難などとして97人の千島アイヌを北千島から約千キロ南の色丹島に強制移住させた。・・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1104745/


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沖縄に刻まれた戦時の絆 慰霊塔に宿る平和の祈り 報道センター・武藤里美(32)<戦禍とアイヌ民族>②

2025-01-01 | アイヌ民族関連

武藤里美 有料記事

北海道新聞2024年12月31日 10:00(12月31日 11:37更新)

 強い日差しを遮る木々の下にその慰霊塔はあった。沖縄戦最後の激戦地、沖縄県糸満市の真栄平(まえひら)地区に立つ「南北之塔」。側面にアイヌ語で山の友を意味する「キムンウタリ」の文字が刻まれている。

沖縄県糸満市にある「南北之塔」。塔の側面には「キムンウタリ」の文字が刻まれている

 なぜ沖縄の慰霊塔にアイヌ語が刻まれたのか。碑文にも、2023年発行の糸満市史の村落資料にも説明はない。

 過去の新聞に手がかりがあった。戦後、塔建設のため奔走していた真栄平の人々に資金を援助したのが、現在の釧路管内弟子屈町出身のアイヌ民族・弟子豊治(てし・とよじ)さんだった。記者はその足跡を追うため、同町へ向かった。

 2025年は戦後80年の節目の年になります。記者が遺族や戦没者のゆかりの場所などを訪ね、戦争とは何かを考えるシリーズ「記者がたどる戦争」の特別編として、「アイヌ民族と戦争」について掘り下げます。初回はすべての方に全文公開しています。

①勇敢な日本兵に 「平等」の名のもと差別は闇の中

③2度の強制移住で絶えた歴史 日ロが壊した千島の生活

④文化継承に壁 社会の「目」に見張られて

⑤GHQに訴えた民族の窮状 便せん15枚の思い

 弟子さんは1994年に71歳で亡くなっていた。妻の桂子さん(81)は「夫は沖縄で、戦争で子どもを失った女性にお世話になったとよく話していた」と語った。

 弟子さんは戦時中、真栄平郊外に駐屯する部隊にいた。水くみのため真栄平に通ううち、集落の人々と親交を持った。

 弟子さんは女性の息子である仲吉喜行(なかよし・きこう)さん(故人)と兄弟のように仲が良かった。戦死したのは仲吉さんの兄で、弟子さんに面影が似ていた。

・・・・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1104743/


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勇敢な日本兵に 「平等」の名のもと差別は闇の中 報道センター・武藤里美(32)<戦禍とアイヌ民族>①

2025-01-01 | アイヌ民族関連

 

武藤里美

北海道新聞2024年12月31日 10:00(1月1日 0:00更新)

 1940年(昭和15年)ごろ、銃弾が飛び交う旧満州(現中国東北地方)の戦場。旧日本軍の先頭に、アイヌ民族の青年が立っていた。

 「突っ込むぞ、ついてこい!」。弾が頭や肩をかすめてもひるまず進む。軍服の中にはお守りとして、自らこしらえた10センチほどの祭具「イナウ」(木幣)をひそめていた。

 青年は秋辺福太郎さん=1996年死去=。満州などで5年間、「勇敢な日本兵」として戦った人だ。

 2025年は戦後80年の節目の年になります。記者が遺族や戦没者のゆかりの場所などを訪ね、戦争とは何かを考えるシリーズ「記者がたどる戦争」の特別編として、「アイヌ民族と戦争」について掘り下げます。初回はすべての方に全文公開しています。

②沖縄に刻まれた戦時の絆 慰霊塔に宿る平和の祈り

③2度の強制移住で絶えた歴史 日ロが壊した千島の生活

④文化継承に壁 社会の「目」に見張られて

⑤GHQに訴えた民族の窮状 便せん15枚の思い

 第2次世界大戦でどれだけのアイヌ民族が徴兵され、亡くなったのか。2025年の戦後80年を前に、アイヌ民族を取材してきた記者は、国や北海道庁に照会したが、記録はなく、関連の公文書もほとんどなかった。

 「つらそうな父の姿が、幼心に焼き付いている」。わずかな情報をたどる中、取材に応じてくれたのが、秋辺さんの長女・鈴木紀美代さん(77)=釧路市=だった。

父秋辺福太郎さんの思い出を語る鈴木紀美代さん(大島拓人撮影)

 秋辺さんも手記は残さなかった。戦場のことを普段話すこともなかった。ただ酒に酔った時だけ、親しい友人や家族を前にぽつぽつと過去の記憶を語った。戦場で先頭に立つ姿も本人が漏らしたものだった。

 秋辺さんは1916年(大正5年)、現在の釧路市で生まれた。アイヌ民族への深刻な差別が横行していた時代だった。

 秋辺さんの親友だった大場昭蔵さん(92)=札幌市=が証言した。「秋辺さんも幼いころから過酷な差別を受けていた」

 出自を理由にののしられ、石をぶつけられ、穴に落とされた―。大場さんの前で酔うと、秋辺さんは当時の記憶がよみがえり怒鳴り声を上げることもあった。

 アイヌ民族は1871年(明治4年)の戸籍法制定で、和人と同じ「平民」に編入された。日本政府は教育の場で日本語の使用を徹底。川でのサケ漁や女性の入れ墨といった風習を禁じるなど同化政策を進めた。

 北海道全域で徴兵が始まったのは1898年。この年を境にアイヌ民族も日本兵として戦争に巻き込まれていく。

 記者には疑問があった。アイヌ民族の人々は、自らを差別してきた和人と共に戦うことにためらいはなかったのか。

 秋辺さんが入隊したのは1937年、20歳の時だった。「隊長の理解があり、俺は助かった。感謝している」

 大場さんによると、秋辺さんはそう語っていた。アイヌ民族としてたくわえたひげも「伸ばしたままでよい」と特別に認められていた。

(写真)秋辺福太郎さん

 部隊内ではアイヌ民族や和人の区別なく仲間意識が強かったという。鈴木さんは父親が戦友を思い、涙を流す姿を覚えている。

 ただ、いくら仲間意識が強く、仲間が倒れる姿を目にしたとはいえ、なぜ秋辺さんは危険な最前線に立ち続けたのか。記者の疑問に、鈴木さんは長い沈黙のあと答えた。

 「父はアイヌであることに誇りを持っていた。子どものころのつらい経験から『誰にも負けたくない』と強い気持ちで戦ったのではないか」

 国立民族学博物館(大阪府)のマーク・ウィンチェスター助教(アイヌ近現代思想史)も「アイヌ民族は、差別を乗り越えるために軍隊で奮闘したのだろう」と指摘する。

 日本は周辺国や地域を併合していく中で、「一君万民」(※1)を掲げた。ウィンチェスター助教は「国が『平等な臣民』としてアイヌを徴兵することで、戦場で頑張れば和人と対等になれるという夢を抱かせた」と語った。兵士の確保が最重要で、軍隊内でアイヌ民族を排除するような動きは起きにくかった。

 実際、従軍したアイヌ民族の証言には「軍隊内の方が平等だった」との声が複数残る。日高管内平取町の木村二三夫さん(75)も、戦時中に徴兵された父・一夫さん=92年に死去=について「差別された話は全くしていなかった」と振り返る。

 軍隊の中で奮闘するマイノリティーは、アイヌ民族に限らない。第2次世界大戦後期に米兵として「極めて勇敢に戦った」(日本外務省)とされる日系人の第442連隊(※2)の例もある。

 ゆがんだ「平等」をかけ声に、マイノリティーを取り込んでいく戦時の軍隊。そこに本当に差別はなかったのか。

 秋辺さんの三女・遠藤絹江さん(74)の言葉が心に引っかかった。

 「差別を受けても、隠したこともあったと思う」

■過酷な差別、実態は不明

 ミズナラに囲まれた公園に隣接する名寄市北国博物館。その一角に、名寄で長年暮らしたアイヌ民族・北風磯吉さん(1880~1969年)の功績を伝えるスペースがある。

 1904年(明治37年)開戦の日露戦争で活躍した郷土の偉人。展示ケースの中には、武功抜群の者に贈られる「金鵄(きんし)勲章」や各種賞状、愛用のたばこ入れなどが並ぶ。

 危険を伴う伝令役を志願するなど、北風さんの武勇伝は事欠かない。日露戦争直後には「勇敢なる旧土人」(05年の北海タイムス)、「アイヌの勇士」(12年発行の書籍)などと持ち上げられ、少年誌にも登場した。

 なぜ、そこまで脚光を浴びたのか。

 北海道博物館の小川正人学芸副館長(教育史)によると、日露戦争はアイヌ民族を徴兵した初めての大規模な対外戦争だった。政府はアイヌ民族を「マイノリティーを包摂した大日本帝国のイメージを宣伝する要素として取り上げることもあった」という。

 だが第2次世界大戦が始まる頃には、北風さんはアイヌ民族というより、日露戦争で陸軍を率いた乃木希典大将との絆が印象的に描かれた。

 アイヌ民族として日本のために戦ったと紹介されていたはずが、今度は和人同様に「忠君愛国」の人物として強調されるようになった。北国博物館の鈴木邦輝元館長(70)は「時代に合わせて都合よく使われてしまった」と話す。

(写真)アイヌ民族の軍隊での活躍を報じる当時の新聞記事(小葉松隆撮影)

 第2次世界大戦末期には、アイヌ民族の活躍が新聞などで紹介される機会も少なくなった。政府が「平等な臣民」として徴兵を進め、珍しい存在ではなくなった結果だが、軍隊内で「平等」は実現していたのか。

 そんな疑問を抱き始めていた矢先、1冊の本を見つけた。

 表題は「あるアイヌの生涯」。かつて千歳市に住んでいたアイヌ民族の中本俊二さんが94年に出版した自伝だ。

 中本さんは21年(大正10年)に千歳で生まれ、42年(昭和17年)に樺太・ポロナイスク(敷香)に駐屯していた部隊の所属となった。

 「君は土人ということで間違いないか」

 自伝によると、中本さんは配属直後に中隊長からそう尋ねられた。これをきっかけに、同期から「アイヌのくせに生意気だ」「アイヌ野郎」などとののしられるようになった。

 上官の暴力や同期の嫌がらせは日常的だった。幹部候補生の試験に合格しても、差別はやまなかった。手記にはこんな嘆きがつづられていた。

 「他民族、ことにアイヌを軽蔑する誤った考えが(和人の)身に深く染み込んでしまっている」

 千歳アイヌ協会によると、中本さんの所在は現在分からず、自伝の存在も協会内では知られていなかった。

 同協会の中村吉雄会長(75)は記者から受け取った中本さんの自伝を初めて読み、「軍隊の中でも和人はアイヌを人としてみていない」と憤った。その上で、「中本さんは『アイヌは劣った民族』というレッテルを貼らせないよう頑張ったのだろう」と、厳しい差別にさらされた中本さんの心中を思いやった。

 アイヌ民族が軍隊で勇敢に戦ったという記録は数多く残っている。一方、記者が軍隊内の差別に関する証言を確認できたのは、中本さんらごく少数だった。

 道博物館の小川学芸副館長は、軍隊内に差別はなかったとする証言は尊重すべきだと話す一方、「実際には何らかの差別や偏見があったが、軍隊での奮闘を通してそれをはね返したと認識している場合もあっただろう」とも分析する。

 軍隊内での差別に関する証言が少ないのはなぜか。小川副館長がその理由のひとつを指摘した。「無配慮に『どんな差別を受けたのか』と尋ねてくることへの拒否感として、あえて語らなかったことも十分あるだろう。実際の厳しい状況への想像力が必要だ」。アイヌ民族は差別される存在だという聞き手の一方的な思い込みは多くの人を傷つけてきた。

 無意識の差別や偏見に基づく「マイクロアグレッション(小さな攻撃やけなし)」の問題は現在も解消されていない。

 政府の同化政策によって、徴兵された人数も戦死者数も分からなくなったアイヌ民族。さらに差別という人権侵害のリスクに日常的にさらされる中、多くの人は歴史の暗部を語ろうとしなかったのではないか。

 アイヌ民族はあの戦禍をどう生きたのか。記録や証言の少ない難しい取材になるのを覚悟の上で、実相に迫りたいと思った。

 ※1 一君万民 天皇の超越的な権威のもと、そのほかの人々に身分差がなく、みな平等という主張。大政翼賛会の結成理念にも掲げられ、挙国一致体制を進めるスローガンの一つとなった。

 ※2 米軍第442連隊 1943年(昭和18年)、米国への忠誠心を示すために約4500人の日系米国人の志願兵で結成された。3分の2はハワイ出身、残る3分の1は家族が強制収容所に送られた米本土出身者で、45年5月まで欧州戦線の激戦地での戦闘に参加した。

 むとう・さとみ 茨城県出身。2015年4月に入社。本社編集本部、旭川報道部、根室支局を経て、23年3月から本社報道センター

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1104733/

 


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「北大とアイヌ」に関する認識調査アンケート 「北大創基150周年を考える」

2025-01-01 | アイヌ民族関連

北海道大学新聞 2024年12月31日 高野 鉄平 

北海道大学新聞(北大新聞)では北大構成員の、「北大とアイヌ」の関係性の周知状況について調べています。北大に所属・在籍する全ての学部・部局の方を対象としたアンケートです。回答所要時間は3分ほどですのでご協力のほどよろしくお願いいたします。
いただいた回答は近日公開予定の記事「【検証】北大『創基150周年』を考える」の執筆に、個人を特定しない形で用いさせていただきます。

このGoogle Formからご回答ください。(北大構成員を対象としたアンケートです)

(作成:高野)

https://www.hokudaishinbun.com/2024/12/31/9521/


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『ゴールデンカムイ』アシㇼパを徹底考察!新しい時代を生きる彼女に望みたいこと

2025-01-01 | アイヌ民族関連

武将ジャパン 2024/12/31

原作漫画に始まりアニメから実写版映画、そしてドラマへ。

今なお数多のファンを喜ばせている『ゴールデンカムイ』ですが、その中で杉元佐一と並んで最も重要なキャラクターといえばアシㇼパでしょう。

実写版では山田杏奈さんが演じるアイヌの少女。

物語上では1月1日が誕生日となっています。

この魅力的なヒロインについて考察すると同時に、彼女にまつわるモヤモヤの正体を考えて参りましょう。

『ゴールデンカムイ』22巻表紙(→amazon

ヒグマを倒す小柄なアイヌの少女

『ゴールデンカムイ』は日露戦争から戻った和人の元軍人である杉元佐一と、アシㇼパが出会うところから話が勢いよく進み始めます。

アシㇼパの登場シーンは、これ以上のインパクトはないと思えるほど鮮やかさ。

凶暴なヒグマ相手に戦う杉元の前にあらわれると冷静に矢を射かけ、二人で協力してヒグマを倒すと、アシㇼパは「シサム(和人)にしてはなかなかやる」と杉元を認めるのです。

杉元から刺青人皮について聞いたアシㇼパは、自分のアチャ(父)も、刺青人皮をめぐる争いの中で命を落としたと語ります。

二人は手を組み、刺青人皮を集め、金塊を見つけることを契約し、冒険が始まるのです。

この場面は映像化されるとアクションもキレキレ! ヒグマも迫力満点です。

しかし、その動きだけでなく、アシㇼパというヒロインがいかに斬新な登場をしているのか、改めて考えてみたいところです。

ジェンダー規範を超えるヒロイン

アシㇼパと、他のアイヌ女性を比較してみましょう。

頭部につけたアシㇼパのマタンプㇱには刺繍が入っています。

しかし、女性は入っておりません。刺繍入りのマタンプㇱを女性が日常的に着用するのは、明治時代後期になってからのことです。

アシㇼパの口の周りには、他のアイヌ女性と異なり、シヌイェ(刺青)が施されておりません。

本人の口から新しい女だから入れないと語られています。明治政府が禁止した風習であるからには、アシㇼパは素直に従ったようにも思えます。

しかし、シヌイェをしていないと結婚できないとされていたことをふまえると、ジェンダー規範への反抗にも思えます。

そしてアシㇼパを語る上でなんといっても欠かせないのが、弓矢です。

『ゴールデンカムイ』アシㇼパさんはなぜアイヌの弓矢にこだわるのか

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アイヌでは男性が狩猟を行うとされています。女性でありながら弓矢を装備し、ヒグマを倒すアシㇼパは個性的で、やはりジェンダー規範を破っていると思えます。

これはアイヌだけのことでもありません。近年の調査ではハンターの比率における男女比は、そこまで大きく差がないと判明してきました。

時代が下り、ジェンダー規範を当てはめた結果、歴史があやまって認識されていたのです。

「男が狩猟、女は採集」という古い規範踏み越えつつ、アシㇼパは物語に登場しました。

◆9000年前に女性ハンター、「男は狩り、女は採集」覆す発見(→link

物語が進んでいくと、アシㇼパがこうなったのは、父の教育方針ゆえだったと明かされます。そこで杉元はこう嘆くのです。

アシㇼパはアイヌのために戦うジャンヌ・ダルクなのか!――と。

実は初登場時からアシㇼパは、ただの少女にとどまらぬ要素がいくつもありました。アイヌ文化に馴染まなければこの謎は解きにくく、杉元同様、多くの読者も罠にかかる仕掛けとも言えます。

アシㇼパさんと杉元が「ヒンナヒンナ」をする旅路に溢れる誠意

『ゴールデンカムイ』の展開は、アシㇼパの扱いによって大きく区切ることができます。

前半部は、杉元とアシㇼパ、それに白石を加えたトリオが基本となります。

刺青人皮争奪がプロットの根幹としてあるものの、印象的であるのは北海道を旅して周り、そこでアイヌ独自のご当地グルメを楽しむ姿です。

殺戮に手を染めてきた凶悪犯罪者と命のやりとりをしつつも、どこま牧歌的に思える旅路が続いてゆきます。アシㇼパが見せてくるアイヌの知恵、特に食に関するものは本作を決定づけるものといえます。

食文化ひとつとっても、アイヌと和人は前提からして大きく異なります。

和人は、仏教の影響が食生活に大きな影響をあたえています。人間にとって益獣と見做された動物は、命を奪ってはならないとして、口にしなくなりました。

農耕に用いる牛馬。朝の訪れを告げる鶏がこれに該当します。

アイヌの場合、むしろカムイとして矢にあたりに来ると考えられる。

動物を殺して食べることを残酷だとみなすわけではない。むしろ欠かせぬ営みでした。

こうした考え方を、和人は真摯に考えてきたかどうか。

アイヌのヒロイン像として、アシㇼパとナコルルを比較してみましょう。

1990年代に大ヒットした格闘ゲーム『サムライスピリッツ』シリーズに登場するキャラクターです。

「大自然のおしおきよ」

そんな決め台詞があるナコルル。彼女のいるステージの背景には、ヒグマを含めた野生動物がいます。

アイヌはヒグマの幼獣は飼育するものの、成獣をそうすることはありません。あの描き方は、動物と触れ合い心を通い合わせるディズニープリンセスのような像をナコルルに反映しているように思えました。

現代の自然保護や動物愛護活動と混同しているような造型に見えたのです。

一方でアシㇼパは、ヒグマに矢を放つ。野生動物を撲殺し食べる。一線を画し、より正確に描かれたアイヌ像といえました。

動物の肉を、アシㇼパと杉元が変顔をしながら食べる。「ヒンナヒンナ」というアシㇼパが食事時に発するセリフは、この作品の象徴となりました。

そのせいか、読者の間では誤解が広まってしまっています。

「ヒンナヒンナ」は食事の際だけにいう言い回しでもありません。

映画版では誤解を招かないように、アシㇼパの家独自の風習と説明がなされておりました。

そんな幸せで牧歌的な世界観は、アシㇼパが彼女の父であるアチャと再会する網走監獄編で転換点を迎えます。

樺太で現実と向き合い、覚醒を促される

アチャ(父)は死んだものとアシㇼパは理解していました。

そのアチャことウイルクが生存し、顔の皮を剥ぎ、網走監獄で生存していると確認されるところが、作品の重要な折り返し地点です。

このとき、ウイルクの同志であったキロランケの策略により、彼は尾形の狙撃により殺害されます。その場にいた杉元も撃たれ、アシㇼパはキロランケによって、樺太へと連れ去られました。

コンビであったアシㇼパと杉元のしばしの別れが訪れます。杉元は先遣隊を率い、樺太でアシㇼパ奪還に挑むことになるのです。

この樺太編では、アシㇼパのルーツが明かされます。

アシㇼパは、父であるウイルクと同じ青い瞳をしています。

ウイルクの父はポーランド人で、樺太に囚人としていたころ、樺太アイヌ女性との間に子が生まれました。それがウイルクのルーツでした。

アシㇼパというヒロインは、歴史の中で生まれた存在であることが樺太編でわかります。まさにこの時代、この地理の中で生まれた存在であると。

日本の近代史は、イギリスとロシアの展開する【グレート・ゲーム】に巻き込まれながら展開してゆきました。

アジア進出をめぐるこの二大国は、多くの国と地域を巻き込みつつ、覇権闘争を繰り広げ、ついには極東へ到達します。この大国の争いはチェスにたとえられ、【グレート・ゲーム】と呼ばれました。

徳川幕府はこのことを認識しており、幕閣はイギリスか、ロシアか、どちらかを選ぶことは危険だと認識していました。ヒグマと獅子はどちらがマシか、そう問いかけるほどナンセンスだとわかっていたのです。

そこで、消去法でフランスに接近することとなります。

一方で幕閣官僚ほど老成していない志士たちは、倒幕というイギリスの投げた餌に食いつきます。

イギリス商人は南北戦争終結で余った武器を倒幕を狙う勢力に売りつけ、イギリス留学させ、自国の戦略へ取り込みをはかる。長州藩の維新志士たちは松下村塾出身であることを誇りとしてきました。

しかし、実際には吉田松陰の教えを受けたあと、イギリスで学識を上書きされていることも確かなのです。

植民地支配のノウハウとして、支配地の若きエリートを、支配する側の国に留学させることがあげられます。

生麦事件】のあと、イギリスは江戸総攻撃を計画したことすらあります。

しかし、そうするまでもない。自国の息のかかったテロリストを扇動し、クーデターを起こす。こうして傀儡政権を打ち立てた方が安く済む。その結論に至ったのです。

かくしてイギリスは極東の日本を取り込むことに成功。

明治維新のあと、政府はパークスの顔色をうかがうような状況となりました。まんまとロシア牽制に成功したのです。

愛弟子として日本を握ったイギリスとしては、ロシアを刺激しないようにしたい。

そうなったとき、ある島が紛争の種として浮上しました。

樺太です。

田沼意次が政治を担った【田沼時代】、幕府は北方にも目線を注ぎました。松前藩とアイヌを経由した貿易に力を入れるだけでなく、対ロシアを見据え、蝦夷地と樺太警備に注力したのです。

そのあと田沼意次の失脚、ナポレオン戦争によりロシアの南下がおさまったことなどから、こうした政策は棚上げとなります。

それでも樺太は日本領だという認識は幕府にはあり、明治政府も引き継ぎます。

ところがそこへイギリスが割り込み、ロシアを刺激しないためにもロシア領にするよう迫ります。

近代国家成立とともに、北の島には国境線が引かれてゆきました。しかし、島に暮らす人々にとって、国家同士のゲームなど何の関係もありません。

理不尽な政治により迫害され、消されていってしまう。そんなウイルクやキロランケが抱いた焦燥感は、樺太という島に上陸することで見えてきます。

そんな大国間の政治的な駆け引きがあればこそ、青い目を持つウイルクは生まれました。彼の運命は【グレート・ゲーム】の中で生まれていたのです。

樺太編あたりから、困惑する読者もいたものです。

「北海道でヒンナヒンナしている姿が楽しかったのになぁ」

そんなぼやきもありました。

確かに樺太編以降、ギャグや軽いノリは健在であるものの、テーマがあまりに重くなっていったことは確かです。

鶴見は父への憎悪を娘にぶつけてくる

樺太編のラストで、アシㇼパは杉元と再会を果たします。

この二人に白石を加えた三人組は再起動。

そしてアシㇼパと杉元二度目の契約を結び、金塊争奪戦へ向かってゆくのでした。

杉元と再会したものの、アシㇼパは揺れ動いているようにも思えます。

樺太編ラストで命を落としたキロランケは、アイヌのために戦うようにアシㇼパを導いてきました。

父であるウイルクも、アシㇼパをそう育て上げてきたことが樺太編の回想からわかります。そのことを彼女は認識したのです。

樺太編では、ウイルクと鶴見の因縁も明かされてゆきました。

ウイルクは、諜報員としてロシアに潜入していた鶴見と出会っていました。そして鶴見の妻子をあやまって殺していたのです。

鶴見の狙いとは、金塊ではなく妻子の復讐ではないか? そう示されてゆきます。

樺太編のあと、アシㇼパは、北海道アイヌの少女としてだけではなく、親世代に翻弄され、鶴見に怒りをぶつけられる姿が見えてきます。

金塊争奪戦の後半は、命を落とす人物も増えてゆき、シリアスな展開へ向かってゆきます。

鶴見はアシㇼパに対し、父ウイルクの凶行を暴露します。アイヌたちを殺戮し、金塊を埋めた怪物こそがお前の父親なのだと、ウイルクから剥ぎ取った顔の皮を被った鶴見はアシㇼパにつきつけるのでした。

彼女が未来を選ぶとき

ゴールデンカムイ』の登場人物の中でも、アシㇼパは若い部類に入ります。

杉元はじめ、日露戦争経験者が己の過去と向き合うことが多い中で、彼女は未来をどう選ぶのか、そのことが突き付けられていると言えます。

アシㇼパがどの未来を選ぶのか?

ウィルクやキロランケが望んだように、アイヌの未来のために闘争を選ぶのか?

ウィルクとキロランケの同志であったソフィアは、死の間際にアシㇼパが自由に選ぶようにと託しています。

革命をめざした闘士として生きてきたソフィアは、自分の選んだ道では掴み取れなかったものが何か、わかっていたのかもしれません。

『ゴールデンカムイ』の最終決戦は、争奪戦参加者たちが金塊でなく、自分の欲望と向き合うことになります。

尾形は、自ら手にかけた,最悪の弟である勇作の亡霊と向き合う。

土方は、近藤勇ら新選組の幻の中へと向かってゆく。

鶴見は妻子の死。

こうした過去と向き合う人物が退場を迎えるのに対し、未来を掴もうとする人物には道が拓けています。

鯉登は、月島を鶴見から奪い返すことに全力を注ぐ。

そしてアシㇼパと杉元は、互いがいかに大事か確認しあい、ともに歩む覚悟を確認する。

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そうして大団円を迎え、白石は別の道を歩むものの、アシㇼパと杉元は幸せな未来を迎えたように思えます。

北海道で暮らす二人。きっと「ヒンナヒンナ」と言い合い、幸せな生活を送っているのだろうと思わせるところで、この大長編は終わります。

ただ、これでスッキリしないこともまた、確かなのです。

『ゴールデンカムイ』の最終盤から結末にかけての展開は賛否両論でした。

モヤモヤする。すっきりしない。竜頭蛇尾。そんな不満も聞こえてきましたし、私も実は首を捻った読者の一人です。

実はあの結末で、触れられていない人物と地域があります。

樺太です。

樺太はウイルクとキロランケの懸念が的中してしまいます。樺太に残ったチカパシとエノノカの運命は悲痛極まりないものがあります。

アシㇼパはあくまで北海道アイヌであることを選び取り、その中のハッピーエンドに歩んで行ったように思える。ある意味、父・ウイルクから受け継いだ樺太は一切引き継がなかったともみなせなくもないのです。

そんなすっきりしなかった読者であることをふまえ、アシㇼパというヒロインの意味を再度考えたいのです。

それは大団円なのだろうか?

背が伸びたアシㇼパと、杉元が笑いながら北海道の森の中を歩いてゆく――。

金塊争奪戦の最中に手にした北海道の土地権利書を、土方歳三の戦友である榎本武揚に託したことで、国立公園として保全される土地は守り抜くことができた。

受け継がれたアイヌの伝統や工芸品も、現在まで残されている。

これもアシㇼパや杉元、アイヌと和民族が手に手をとり合って協力した結果である。そう導く結末を迎えます。

これまでアイヌを大きく扱う作品となれば、差別や「滅びゆく存在」という、和人の偏見ありきの暗い描写も多いものでした。

そこから抜け出す意味では、あの明るい結末が挑戦的で斬新で意義があることは理解できます。

ただ、これには無理があります。

まず、榎本武揚は信頼できるのか?

土方歳三と箱館戦争で戦い、かつ明治政府に権限を持つ人といえば、消去法で榎本になるとは思います。しかし、彼が土方との関係をそこまで大切にし、アイヌの権利を守るために動くとは思えないのが厳しいところです。

榎本にとって、明治政府において懇意にしていたのは薩摩閥の黒田清隆です。榎本の器量を惜しみ、坊主頭になってまで助命嘆願をしたのが黒田でした。

この友愛を美談として片付けてよいものかどうか。黒田の対アイヌへの態度は、日本史に残る政治家の中でも最低に入ります。移住がスムーズでないからと、武力まで用いてアイヌを追い立てたのが黒田です。

その黒田の右腕であった榎本に、そんな大事な権利書を託してよいのでしょうか?

ここで榎本は信頼できる政治家として、伊藤博文と西園寺公望の名をあげます。この二人も、アイヌの未来を託せるかどうか、難しいところではあります。

そもそも明治政府は信頼できるのか?

江戸時代から、和人はアイヌとの契約を守らないものとされてきました。アイヌは字すら書けないと侮り、誤魔化す和人は多いものでした。

そのあとの明治政府も、アイヌとの約束を反故にしています。そういう政府が秘密裏に出てきた権利書を真面目に扱うとは思えないのです。

結末で権利書が起こした結果として、国立公園や国定公園の保護もあげられます。

アイヌ文化が和人とアイヌの協力で守られたともされます。

ただ、文化保全がアイヌをとりまく問題のすべてかと言われると、決してそうではありません。

ウィルクやキロランケがこの結末を知って、果たして納得できるのかどうか。

一応、アシㇼパがアイヌの権利を守ったように導かれてはいるものの、どうにも苦しいものに思えます。

現在、インターネット上では連日アイヌへの差別投稿がみられます。そんな問題を扱うとき、枕詞のようにこう語られることが多いものです。

ウポポイや『ゴールデンカムイ』のヒットにより、アイヌ文化は身近になったものの……

◆アイヌの人々に対する偏見や差別をなくそう(→link

◆【第168回】アイヌ民族差別の背景には何がある?(→link

『純粋なアイヌってまだいるんですか?』“自覚なき差別”“無知の偏見”といわれるマイクロアグレッションとは?差別と闘うアイヌ民族の苦悩

https://www.youtube.com/watch?v=fHXuKPDzI3A&t=4s

確かに『ゴールデンカムイ』によって、アイヌ文化が身近になったとは思います。

ただし、それがアイヌの権利向上や差別解消とつながるかというと、それはまた別の話です。

アイヌへの関心が高まると同時に、ヘイト言説も増しているのが現実社会です。

もしもアシㇼパや、ウイルクや、キロランケが現代にいて、スマートフォン越しにそんなヘイトを目にしたら、彼らはどう思い、行動するのでしょうか。

その姿や投稿を見て、杉元ら和人たち、そして私たちはどう思い、行動するのでしょうか。

漫画にそこまで期待してどうするのかと言われればそうです。ハッピーエンドを貫きたい作品としてはありなのだと思えます。

ただ、そこに2010年代から2020年代にかけて発表された作品としての限界点はどうしても感じてしまうのです。

アシㇼパは過去の作品と比較すれば、格段に進歩しています。

1990年代に一世を風靡した『サムライスピリッツ』シリーズのナコルルと比較すれば、考証が格段に進歩しています。

先住民キャラクターでいえば、ディズニー映画にもなった『ポカホンタス』ほどご都合主義ではありません。2020年代ともなれば、『ポカホンタス』の再現だけは、最低限回避すべき先住民描写の代表格といえます。

そうしたハードルはクリアしたキャラクターがアシㇼパであるといえます。マジョリティによって都合がよいだけの「マジカル・アイヌ」はもう古いのです。

『ゴールデンカムイ』そのものも、アシㇼパも、素晴らしい描き方だとは思います。

ただ、世界と原住民を取り巻く価値観が変わりゆく速度が、速まってきているとも思えるのです。

そのあたりの懸念を考えてみましょう。

『ゴールデンカムイ』は参考文献も多く、極めて真摯に取材を重ねており、考証は確かなものがあります。

ただ、関連作品のスタッフや商品化において、配慮が不足しているのではないかと思うこともしばしばあります。

アイヌ関連ではありませんが、第七師団をモチーフとしたアパレルグッズが販売中止となったことがあります。配慮不足でしょう。

ファンダムでは、アシㇼパの和名について議論が発生したこともありました。和名はあくまで和人の都合で強要されたものであり、それはアイデンティティの侵害であることは考えたいものです。

作品から何も学べていないのか。私がそう悲しくなってしまうのは、『ゴールデンカムイ』ファンがアイヌルーツの方を執拗に攻撃する様を見る時です。

作品への愛が暴走するにせよ、そのことは作品の意義を全く理解していないと示すことでもあります。

白石が犬とひっかけてアシㇼパをからかった際、杉元がどうしたか思い出して欲しい。

そして実写化において議論となったのが、アシㇼパはじめ、アイヌ役はアイヌルーツが演じるかどうかということでした。

これは役者の機会均等といった要素もあります。海外と日本の状況の違いもあります。

ただ、時代が変化しつつあることをふまえますと、ルーツは一致させたほうが作品としての寿命は長くなったのではないかと思えなくもありません。

アシㇼパは少女です。オーディションでルーツの一致する子役を選ぶこともできたのではないかと私は思います。

たとえばディズニー映画実写版『モアナと伝説の海』は、ルーツの一致する役者が選ばれています。

海外ほど日本ではこうしたルーツ一致を重視してこなかったものの、2024年朝の連続テレビ小説『虎に翼』で画期的な試みがありました。

朝鮮からの留学生には、韓国から日本にきた役者のハ・ヨンスさん。そして朝鮮人(当時の呼び方による)の兄弟役には、朝鮮学校卒業生である許秀哲さんと成田瑛基さんが起用されました。

2018年朝の連続テレビ小説『まんぷく』では、ヒロイン夫が台湾出身の華僑である設定が「普通の日本人が馴染めるように」という配慮のもとで改変されました。

それから十年経たぬうちにここまで進歩したのです。

あのドラマについて、私は放送当時から差別的で話にならないと感じていました。

しかしその思いを吐露すると、かえってお堅い変人扱いされることもしばしばあり、うんざりさせられたものです。

それが2024年ともなれば、前述したように『虎に翼』は積極的に、日本にいた朝鮮人(当時の呼び方による)差別を描いているのですから、時代は変わるものなのです。

ルーツに配慮したた作品が増え、それに見る側も慣れてゆくと、ルーツが一致しないキャスティングは古く見えてしまうことになりかねません。

私自身、そうした経験はあります。

2016年公開の映画『ドクター・ストレンジ』を楽しく見ました。

しかし、今になってみると、原作でアジア人であったエンシェント・ワンを、なぜ白人のティルダ・スウィントンが演じたのだろうかと思ってしまい、見返す気には到底なれません。

理屈でなく、感情でもう、あえて見る必要もないリストに入れてしまう。これが価値観の進化なのかと我ながら驚いています。

ポリコレだのなんだの、反発する意見が多いことはわかります。

ただ、一人のファンとして、作品そのものの寿命を長くするためにも、現状にとどまらず、一歩先をゆく先進性を発揮していただきたいと思ってしまいます。

新しい時代を生きる彼女」はこれからも続くと信じて

それを踏まえまして、もう一度、権利書を手にしたアシㇼパの選択を考えてみましょう。

ウィルクやキロランケは、アイヌの権利を守るためにはテロリズムや武装蜂起も辞さない思考のもとで戦い抜いていました。

アシㇼパはそれを踏襲せず、権利書を用いて政府といわば「水面下の取引」をして、カムイの住む土地を守ったという設定にされています。正面切って交渉していません。

正史としてアシㇼパの交渉を描けないフィクションとしては、そこが限界なのだろうとは思います。

しかし、結局アシㇼパは、否定したようでウィルクとキロランケの路線を取ったように思えます。

アジア・太平洋戦争後、新たなる憲法のもと、アイヌ女性であるアシㇼパも被選挙権を得ました。

ならば、彼女には政治家として、アイヌの権利闘争に立ち上がるという道はあります。

政治家とまではゆかずとも、実在する活動家のように、水面下ではなく表立って立ち上がることもできたはずです。

杉元はアシㇼパをジャンヌ・ダルクのようにしたくはないと語っています。アシㇼパにとって大事な杉元への配慮ゆえに立ち上がらず、北海道のコタンで静かに暮らしたという考えもあるでしょう。

しかし、こう考えてくると、何かモヤモヤしませんか?

当然のことながら、そんなアシㇼパは見たくないという反発は想像できます。

あるいは、いくらなんでも杉元にそこまで気遣うのだとすれば、あのいきいきとしたアシㇼパは台無しではないかと思うかもしれません。

そのモヤモヤの正体を、一人一人考えることが大事だと私は思うのです。

かわいらしい少女は受け入れる。でも、権利だなんだとわめく大人の女には嫌悪感が滲む。そう思うのだとすれば、それは差別ありきかもしれません。

声高に権利を訴える相手が苦手だという意識があるとすれば、そこにも何か偏見があるのかもしれない。

そもそも和人が、あるべきアイヌ像を規定するのは余計なお世話ですよね。

何度でも繰り返します。

『ゴールデンカムイ』も、アシㇼパも、素晴らしい。

しかし、未来には発表当時の限界があったとみなされることでしょう。

ラストで杉元と並んで歩く姿で終わるというのは、当時の限界がある。いま読むと古さを感じる。そう評されるかと思います。

あるいは実写ドラマではラストが変わっているか。野田先生自身が続編を描くことだって考えられるのです。

それは悪いことだと私は思いません。

アイヌを取り巻く環境、和人の価値観が変われば、そうしたことは起こり得ます。

私は、良い方向でそんな変化が起こる未来を、一人の読者として待ち望んでいます。

https://bushoojapan.com/historybook/goldenkamuy/2024/12/31/185352


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墓碑銘2024(一部抜粋)

2025-01-01 | アイヌ民族関連

十勝毎日新聞2024/12/31 13:36

 十勝の各界で力を振るい、地域や各分野の発展に尽力した人が、今年も惜しまれながら鬼籍に入った。大みそかに「墓碑銘」を刻み、各氏が残した功績を振り返る。

アイヌ遺骨返還実現
差間正樹さん
ラポロアイヌネイション会長
2月6日死去 73歳

 浦幌町生まれ。浦幌厚内小、帯広第一中、函館ラ・サール高、北大水産学部卒。20代後半で十勝に戻り、実家で漁業に従事した。2011年から浦幌町議を2期務め、初の一般質問ではアイヌの衣装で臨んだ。
 旧浦幌アイヌ協会時代から会長を長年務め、北大や東大、札医大を相手にした遺骨返還訴訟では中心となって活動。大学側の遺骨返還で和解が成立、浦幌から持ち出されたことが判明しているアイヌの遺骨全ての返還を実現した。
 20年にはアイヌ民族が経済活動として河川でサケを捕獲するのは「先住権」だとして国と道を相手取り、札幌地裁に提訴した。
 遺骨は本人の遺志で、浦幌墓園に再埋葬された祖先の遺骨のそばに納められた。

https://kachimai.jp/article/index.php?no=623671


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写真特集:写真で振り返る2024年、気候変動がもたらした壊滅的な影響

2025-01-01 | 先住民族関連

CNN 2024.12.31 Tue posted at 16:44 JST

パナマのガーディ・シュグダブ島は建物で覆われている。この島は先住民族グナ族が住む約50の島のうちの一つだが、海面上昇のため、島民は政府が建設した本土の新しい家屋に移り住んでいる=5月10日/Matias Delacroix/AP

 

(写真)スウェーデンのスカールに住むサーミ族はトナカイを飼育している。北極圏の温暖化は地球の他の地域よりも4倍近い速さで進行するため、サーミ族は自分たちの土地と生活様式を守るため戦っている/Sarah Tilotta/CNN

https://www.cnn.co.jp/photo/35227039-8.html


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ATR/BPNのヌスロン・ワヒド大臣:土地部門のPNBPは2024年に2.9兆ルピアに達する

2025-01-01 | 先住民族関連

VOI 31 Desember 2024, 16:37

ジャカルタ-農地空間計画大臣/国土庁(ATR / BPN)の長であるヌスロンワヒドは、2024年の土地サービスからの非課税国家歳入(PNBP)の価値が2.9兆ルピアに達したことを明らかにしました。

Nusron氏は、2024年だけでも、ATR / BPN省が電子証明書の発行を含む800万のサービスを一般に提供していると述べた。

「その後、今年のPNBPは800万から2.9兆ルピアです」と、12月31日火曜日にアンタラが引用したジャカルタでのメディア集会でヌスロンは述べました。

土地サービスの約84%は、土地情報サービス、扶養権、権利移転によって支配されています。

2023年12月の発売以来、ATR / BPN省は3,192,663もの電子証明書を発行しました。電子証明書の発行は、インドネシア全土の486の土地事務所で行われています。

発行された電子証明書の数は、国家の目から見て合法的な土地の権利の証明を保持することの安全性と利便性のために、電子証明書に対する国民の関心が高まり続けていることを証明しています。

この電子証明書は、ATR / BPN省の公共サービスの変革の一形態としてその実施が引き続き奨励されているものの1つです。

ATR / BPN省は、提供されるすべてのサービスのうち、コミュニティと州の経済も改善しており、これは2024年に発行された電子扶養権の価値から見ることができ、882.7兆ルピアに達しました。

資産の合法化において、ATR / BPN省の主な任務の1つは、個々のコミュニティが所有する土地、先住民族が所有する慣習的な土地、ワクフの土地、礼拝所など、土地を登録および認証することです。

今年、ATR / BPN省は9,171,555区画の土地を登録することに成功し、3,605,520区画の指定土地がありました。

この成果は、土地区画の登録におけるATR / BPN省の成功を果たします。2024年に1億2,000万区画の土地が登録されるという当初の目標から、登録された土地区画の数は1億2,090万区画であり、9,530万区画の土地が2024年末までに登録されているという全国的な数字で成功裏に達成されました。

一方、ATR / BPN省は、インドネシアの多くの地域で慣習的な土地登録にも成功しています。今年、ATR / BPN省は、120万平方メートルの面積を持つ33の慣習的な土地を登録しました。

さらに、ATR / BPN省は、2021年から2024年にかけて16の州で実施された慣習的な土地の目録作成と識別に成功しました。これらの結果から、約380万ヘクタールの面積をカバーする慣習的な土地があると推定されています。

一方、ワクフの土地と礼拝所の登録に関連して、ATR / BPN省は全国で268,865区画の土地を登録しており、2024年には少なくとも15,093区画の土地が登録されています。

ヌスロン大臣のリーダーシップの下、ATR / BPN省は、例外なく、waqfの土地と礼拝所の登録をさらに最適化します。

https://voi.id/ja/keizai/447192


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世界は2025年の新年を迎える

2025-01-01 | 先住民族関連

VIETNAM.VN 31/12/2024

世界各国は華やかな花火大会とともに賑わいを見せながら、2025年の新年を次々と迎えます。

AP通信によると、タイ南部諸国 ベンディン 2025年0月1日午前1時(ベトナム時間2025月18日午後31時)にニュージーランドで深夜の鐘が鳴ると同時に、12年を最初に迎える場所となる。

ニュージーランド最大の都市であるオークランドでは、オークランドの先住民族の 2025 年の新年を祝う花火や光のショーを見るために、何千人もの人々が中心部に集まったり、市内の火山地帯に登ったりします。

1時間後、オーストラリアでは伝統的な花火を鑑賞するためにXNUMX万人以上がシドニー港に集まると予想されている。英国のポップスター、ロビー・ウィリアムズが先導して歌い、アボリジニの儀式やパフォーマンスがこの土地の最初の人々を讃えます。

アジアでは日本が最初に 2025 年を迎えることになりますが、この島国にとっては大きな祝日でもあります。旧暦の2025年はアトタイの年でもあるため、日本のお店ではこの干支に合わせたマスコットが販売されています。

旧正月を祝う他のアジア諸国では、旧暦に従って少し遅れてティテットを祝います。

韓国では、2025月179日に29人が死亡した務安市での済州航空墜落事故を受けて国家喪の期間に入っているため、12年を迎えるための活動が縮小または中止されている。

一方、インドネシアの首都ジャカルタでは、800機のドローンによるドローンショーを含む華やかな花火大会が開催され、その後ホテルで真夜中へのカウントダウンが行われる。

パリは、伝統的なカウントダウン フェスティバルと有名なシャンゼリゼ通りでの壮大な花火大会で 2024 年を締めくくります。 (写真提供:AP通信)

米国ニューヨーク市のタイムズスクエアでは、2025 年に遡る伝統の一環として、有名なボールドロップをテストし、1907 年の数字、光、数千個のクリスタルを調べました。今年の祝賀会ではパフォーマンスが行われます。 âmnhạc TLC、ジョナス・ブラザーズ、リタ・オラ、ソフィー・エリス=ベクスターなどの有名な歌手によるものです。

一方、ラスベガスは、毎年恒例の2024分間の花火ショーがラスベガス・ストリップで開催される予定で340.000年に別れを告げる予定で、XNUMX万人が市内最大のXNUMXつのカジノの屋上から打ち上げられる花火を鑑賞すると予想されている。

フランスの首都パリは、伝統的なカウントダウンフェスティバルと有名なシャンゼリゼ通りでの壮大な花火大会で 2024 年を締めくくります。

ロンドンでは、水曜日にテムズ川沿いで花火大会が開催され、水曜日には10.000万人のパフォーマーが参加する市内中心部をパレードすることで新年を迎える。新年の花火大会は、ロンドンアイの歌をバックに、ビッグベンと国会議事堂の川を渡ったところにある大観覧車で行われます。 会議 アン。
出典: https://giadinh.suckhoedoisong.vn/the-gioi-don-nam-moi-2025-172241231200912449.htm

https://www.vietnam.vn/ja/the-gioi-don-nam-moi-2025/


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チャンアン景観複合体 - 世界遺産の価値が集まる

2025-01-01 | 先住民族関連

 

VIETNAM.VN 31/12/2024

「屋外地質博物館」と呼ばれる世界文化自然遺産チャンアン景観複合体(ニンビン)は、多くの歴史文化、生物多様性を含むユニークで美しい自然景観を有するだけでなく、特に世界的に優れた価値を備えています。地質学、地形学の価値、自然界の魔法、神秘、雄大さ... 伝統文化の創造 先住民族の独特の特徴と信念。

2021 年国家観光年 - ホアルーに向けて、 ニンビン 「千年の古都、ホアルー」をテーマにしたチャンアンフェスティバル - セントクイミンダイブオンフェスティバルは、トランの習慣と伝統の中で保存され、保存され、美しい伝統的な文化的価値を確認するものです。住民は、遺産を保存し、将来の世代に伝えるために遺産を結び付ける機会です...

チャンアン景観複合体は、地質学と地形学の観点から傑出した世界的価値を持っています

貴重な資料の世界的な宝庫

チャンアンの景勝地は、25 年 6 月 2014 日に国連科学教育文化機関 (ユネスコ) によって世界文化自然遺産に登録され、東南アジア初の複合遺産の先駆者となりました。

チャンアンの遺産は東南アジアやその他の地域でも傑出しています 世界、この場所には豊富な考古学的証拠があり、主にカタツムリの殻、貝殻、動物の骨、陶器、石器、台所の床、縄陶器、そして人間の遺体がほぼ元の状態で保存されています。これは、少なくとも最後の氷河期以降、30.000 年以上続いた重要な環境変化に対する先史時代の人類の適応を示す貴重な文書の宝庫です。この間、彼らは地球の歴史の中で最も極端な地理的および気候的変化を経験しました。さらに、寺院、塔、宮殿などの歴史的文化遺物も、多くの考古学的文書を補完し、統合することに貢献しています。

チャンアン景観複合体は、世界の石灰岩のカルストタワー景観の中でも最も顕著な代表であり、地球規模で同等のものはなく、長期的なカルスト進化プロセスの最終段階についての証拠は地球上の他のどこよりも明確です。多雨の熱帯モンスーン気候条件は、カルスト化が発達し、場所によっては独特の景観を生み出すのに適しています。チャンアンには、カルスト丘、カルストタワー、陥没穴、盆地、沼地、水が流れる洞窟、地下の川や堆積物のある洞窟、鍾乳石などの超自然現象や息を呑むような風景を含む独特の地質学的特徴があります。

多くの古典的なカルスト地形を含む現代の景観にとって、科学的に非常に重要な特徴は、鐘形の峰、円錐形、壮観なカルスト塔、そして都市の壁のような鋭い山の尾根でつながった遷移カルスト山脈の存在です。洞窟によって接続されたさまざまな形の谷、中央部の地下河川、またはチャンアン石灰岩山塊の端にある開いた谷の存在。レッドリバーデルタの形成中に堆積した砂丘の隣に、独立したカルストタワーがあります。

チャンアン風光明媚な複合施設の管理委員会のディレクターであるブイ・ベト・タン氏は、チャンアンは人々と環境の間の相互作用プロセスによって特徴付けられており、このプロセスの景観適応と変化について学ぶための貴重な世界的資源であると述べた。環境変化の条件。

「チャンアンは、地球上のどの場所よりも湿潤な熱帯環境における地形の進化の段階を明確に示しており、世界の一流の地質学的および地形学的科学者によって高く評価されている傑出した世界的な地質学的重要性を持っています。さらに良いことに、ここは自然林がまだ成長し発展しており、景観を覆い、カルスト地域で活動する自然のプロセスが将来的に成長し続け、より多くの生物多様性を発展させることができるのです」とブイ・ベト・タン氏は述べた。

遺産をつなぐ

2021 年も、ニンビンは光栄なことに継続します Chínhphủ、文化スポーツ観光省は国家観光年の開催地を選択しました。 2021 年国家観光年プログラムには、ニンビン省で 38 の活動が組織され、全国 104 の省と都市から 27 の対応活動が実施されます。

ニンビン省が主催する 2021 年国家観光年プログラムの枠組み内の主要な活動の XNUMX つとして、チャンアン祭り (セント クイ ミン ダイ ヴォン祭りとしても知られています) はニンビン省地域で開催される伝統的な祭りです。 観光 チャンアンの生態系はチャンアン風光明媚な複合施設に属します。

伝説によれば、聖クイ・ミン・ダイ・ヴォンは、聖者として列聖された4人の将軍(聖タン・ビエン、聖カオ・ソン、聖クイ・ミン)の18兄弟のうちのXNUMX人であり、ソン・ナム峠を守る功績があった(XNUMX人のうちのXNUMX人)。ホアル トゥ タウンの町々)は、フン ドゥエ ヴオン王(つまり第 XNUMX 代フン王)の治世中に国を保護しました。諸王朝の王によって任命された「至高の神」であり、各地の人々に崇拝され、民間信仰により各地で村の氏神となっている。

チャンアン祭りは、伝統的な文化的価値観を促進し、そのルーツに向かう人々や観光客のニーズに応え、伝統的な儀式を通じて、平穏な生活、良い雨、良い風、豊作への願いと祈りを表現します。同時に、歴史的な古都ホアルー、数千年にわたる文明について祖国と国への誇りと愛を呼び起こし続け、ホアルーの独特な文化的価値の保存、保存、発展におけるコミュニティの意識の向上に貢献します。特にチャンアン祭りとチャンアン景観複合施設全体の卓越した世界的価値は、持続可能な観光開発を促進します。

世界中の多くの国での新型コロナウイルス感染症の複雑な流行状況を踏まえ、19年チャンアンフェスティバル組織委員会は疫病予防対策を厳格に実施しています。フェスティバルに参加するすべての国民と観光客は、指示に厳密に従う必要があります。 首相 流行の予防と制御における政府。 5Kのメッセージを実践する 保健省: ツアー中は常にマスクを着用し、定期的に手指を消毒し、必要以外に大人数で集まらないようにし、安全な距離を保ち、必ず申告してください 医療の 法令に従って。

出典: https://baotainguyenmoitruong.vn/quan-the-danh-thang-trang-an-hoi-tu-gia-tri-di-san-toan-cau-323346.html

https://www.vietnam.vn/ja/quan-the-danh-thang-trang-an-hoi-tu-gia-tri-di-san-toan-cau/


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