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「アイヌ神謡集」中国語訳を刊行 北大大学院の馬さん 「少数民族の言語守りたい」

2025-01-06 | アイヌ民族関連

渡辺愛梨 会員限定記事

北海道新聞2025年1月5日 19:35(1月5日 23:57更新)

アイヌ神謡集の中国語訳を完成させた北大大学院の研究員馬長城さん

 北大大学院の中国人研究員馬長城(まちょうじょう)さん(38)が、アイヌ文化の伝承者、知里幸恵(1903~22年)がつづった「アイヌ神謡集」の中国語訳を刊行した。中国の少数民族の言語を守りたいと言語学を学ぶ馬さん。「民族の生活や言葉がなくなる悲しみを記した幸恵の思いを、母国につなぎたい」。全文の翻訳に取り組み、5年がかりで念願の出版にこぎつけた。

 馬さんは中国河南省で生まれ、現地の大学の日本語学科を卒業後、日本企業の子会社で通訳として勤務。その中で、中国の少数言語が失われつつあることに強い危機感を感じ、アイヌ語を通じて少数言語を研究したいと2015年に来日し、北大大学院で言語学を学んでいる。

 研究を進める中でアイヌ神謡集と出合い、アイヌ文化を守る決意をつづった幸恵の序文に強く共感した。故郷の少数言語の現状に通じるものを感じ、19年に翻訳を始めた。

 馬さんは日本語で記された序文のほか、アイヌ語をローマ字で記した13編の物語を和訳からではなく、直接中国語に翻訳することに挑戦。・・・・・・

・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1107611/


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ジャヤプラ摂政政府の努力は、先住民族のパプア人のMSME俳優の数を増やす

2025-01-06 | 先住民族関連

VOI 06 Januari 2025, 01:20

ジャヤプラ・ハリヤント・リージェンシー協同組合・零細・中小企業事務所長(ドク。間)

パプア - パプア州ジャヤプラリージェンシー政府は、特にその領土内の先住民族のパプア人(OAP)からのMSME俳優の数を増やすことを目標としています。2024年のデータによると、犯人の数はまだ5,800人で記録されています。

日曜日、仙谷のジャヤプラ・ハリヤント・リージェンシーの協同組合と零細・中小企業事務所の責任者は、比較地域のMSME俳優は60:40だったと述べた。

「ジャヤプラ・リージェンシー、特にセンタニ、東センタニ、ワイブなどの都市部のMSMEアクターは、依然としてOAP以外の人々によって支配されています」と彼は言いました。

ハリヤント氏によると、これは彼の党がMSMEセクターをOAPに奨励し続けるための記録です。

「トレーニングと事業資本は、2024年または前年と同様に、今年も与えられています」と彼は言いました。

彼は、2025年に実施された戦略は、正常に運営され、育成されたMSME俳優に資本援助を提供すると説明しました。

「私たちは、ビジネスが正常に運営されているOAP MSMEアクターに焦点を当てますが、うまくいっていない人にはサポートがなく、彼らの評価になります」と彼は言いました。

彼は、起業家精神向上トレーニングは、管理に焦点を当てたまま行われていると付け加えました。

「私たちは、ジャヤプラリージェンシーの19の地区からすべてのMSME俳優の管理能力を強化し、彼らが従事するビジネスが成長し、成長し続けることができるようにします」と彼は言いました。

https://voi.id/ja/keizai/448327


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「インディアン=白人の敵」が覆った瞬間とは?“神”ジョン・フォードから紐解く〈赦し〉の西部劇史

2025-01-06 | 先住民族関連

2025年01月05日 17時00分BANGER!!!

『西部開拓史(リバイバル版)』『シャイアン』パンフレット(筆者私物)

■ジョン・フォード監督の死から52年

アイルランド系アメリカ人として、映画草創期の1910年代から半世紀以上現役として活躍し、“西部劇”というジャンルを築き上げたジョン・フォード監督。――アカデミー監督賞を史上最多の4回(『男の敵』[1935年]、『怒りの葡萄』[1940年]、『わが谷は緑なりき』[1941年]、『静かなる男』[1952年])受賞したフォードの個人史は、そのままハリウッド映画産業界の歴史であり、かつ西部劇というジャンルの辿った道筋の歴史でもある。 ジョン・フォードが亡くなったのは1973年で、今から52年も前になるが、筆者はその時のことを今でもよく覚えていて、亡くなった際の新聞記事もとってある。遠い日本の一映画ファンの小学生ですら偉大な映画監督が亡くなったことを知っていたくらいに、ジョン・フォードの名前は特別なものだったのだ。

Maine International Film Festival

チャンネル登録者数 1810人

John Ford | 125 Years

今から3年前、スティーヴン・スピルバーグ監督の自伝的作品『フェイブルマンズ』(2022年)が公開された時、実際に若干21歳でユニヴァーサル映画と契約したスピルバーグが、スタジオで最晩年のジョン・フォード監督(演じていたのはデイヴィッド・リンチ監督だった!)と出会ってアドバイスを受けたエピソードが描かれていて感慨深かった。 そのスピルバーグが、新作に取り組んでいて行き詰った時に必ず観る映画の一本として挙げているのが、フォードの『捜索者』(1956年)なのだという。

■なぜ『捜索者』は最も偉大な西部劇とみなされるようになったのか?

ジョン・フォードの代表的西部劇としては、『駅馬車』(1939年)、『荒野の決闘』(1946年)、『黄色いリボン』(1949年)、『リバティ・バランスを射った男』(1962年)と枚挙にいとまがないが、今日では『捜索者』こそ彼の最高傑作だという評価が一般的。“今日では”というのは、つまり初公開当時の評価は高くなかったということだが、それは通常、西部劇というジャンルでは主人公はあくまでもヒーローであり、襲い掛かってくるインディアンや、悪党どもからヒロインを護り、町の平和を守る立場であるのに対して、『捜索者』はまったく異なっていたから。

同作でジョン・ウェインが演じる主人公はインディアンに対する偏見に凝り固まった男で、インディアンたちに兄一家が殺され、年頃の姪と幼い姪の二人が拉致されたために追跡の旅に出る。もちろん、表向きは二人の姪の奪還だが、途中で年頃の姪はレイプされた上に惨殺死体となっていた。一緒に捜索の旅をしていたその姪の婚約者の青年や、兄一家に育てられたインディアンと白人の混血児の青年にも途中まで姪の死体を自分の手で埋葬したことを告げずに、もう一人の幼い姪を探す旅を続けた理由は、インディアンたちの手で育てられ、おそらく妻にさせられた姪は、インディアンと性的に交わったことで最早白人ではなくなったから、自分の手で殺すべきだと考えていたからだ。 ビリー・ザ・キッドやジェシー・ジェームズのような無法者を主人公とした映画は沢山あったものの、彼らはそれなりに魅力的な人物として描かれてきたのに対し、本作の様に復讐の念に凝り固まった、いわばアンチ・ヒーローが主人公である西部劇はそれまでになかった。……だからこそ、『捜索者』はある意味で西部劇のアンチテーゼとして時代を経るにしたがって評価が高まってきたのだ。

■テレビ時代到来、画面の大型化を目指した『西部開拓史』

『捜索者』は、ラストに復讐から“赦し”へと意外な転換を見せることで、そういった全ての想いを乗り越えて西部が開拓されていったのだというフォードの立ち位置を示していた。 その6年後に製作された『西部開拓史』(1962年)は、テレビに客を奪われた映画界が画面の大型化で生き残りを図っていた時代に、シネラマ劇映画第1作として製作された超大作。物語は5部構成で、ある一家の親子三代にわたるドラマだが、その第3話「南北戦争」をフォードが監督している。

第1話の主人公カップル、ジェームズ・スチュワートとキャロル・ベイカーの息子ジョージ・ペバードが、父を追って北軍に入隊。そこで南軍の脱走兵ラス・タンブリンにそそのかされて自分も脱走兵になりかかるものの、たまたま二人で北軍のグラント将軍(ハリー・モーガン)、シャーマン将軍(ジョン・ウェイン)に遭遇し、ラス・タンブリンがグラント将軍を撃とうとしたのを阻止する……という筋だ。

『ウェスト・サイド物語』(1961年)で知られる新世代の俳優で、『イージー・ライダー』(1969年)を作ったデニス・ホッパーのマブダチ。後のヴェトナム反戦運動などと繋がる人物で、つまりジョン・ウェインのような旧世代のハリウッド・スターが体現していた古き良き時代の西部劇が危機に瀕していることを象徴するようなエピソードだった。実際、ウェインはその後『11人のカウボーイ』(1972年)でニューシネマ世代の俳優ブルース・ダーンに背中から撃たれて映画の途中で死んでしまう。 ちなみに<シネラマ方式>とは、元々は同期させた3本のフィルムで別々に撮られた映像を3台の映写機で写すもので、『西部開拓史』は65ミリ・フィルムで撮影した映像を3分割してスタンダードサイズ3本のフィルムに焼き付ける方式。繋ぎ目がどうしても目立つのが難点で、画面構成上、人物が繋ぎ目に来ないように調整する必要があった。公開はシネラマ上映設備のあるテアトル東京、大阪のOS劇場などに限られ、テアトル東京などは1階席の前の方に座ると首を廻さないと画面の端から端まで見えなかった。

■“インディアン”を敵として描けなくなった?『シャイアン』で請うた“赦し”とは

『西部開拓史』で狙撃されかかったグラント将軍(後に合衆国第18代大統領となる)役は、当初は名優スペンサー・トレイシーが演じる予定だったものの都合で降板し、トレイシーは代わりにナレーションを担当した。そのトレイシーを尊敬していたことで知られるのが第4話「鉄道」でインディアンたちの意向を無視して大陸横断鉄道の敷設工事を進める悪役を演じたリチャード・ウィドマーク。……そして、ジョン・フォードが最晩年に監督したのが、そのウィドマークを主人公とした『シャイアン』(1964年)だった。フォードはその後にもう一本、女優たちばかりで西部劇スターが一人も出ない『荒野の女たち』(1966年)を撮り、それが遺作となった。

『シャイアン』は、ある意味でフォードがそれまでずっと撮り続けて来た西部劇を否定するような内容だった。――つまり、『駅馬車』で主人公たちを襲い、『捜索者』で主人公の兄一家を惨殺するなど、白人主人公にとっての敵としてしか描かれなかったインディアン側に寄り添って描いた作品なのだ。

ウィドマークが演じるのは、合衆国政府によって居留地に強制移住されられたインディアンたちに同情的な主人公だが、故郷の地に帰ろうとしたインディアンたちを討伐しなくてはならなくなる。……このストーリーは、ある意味でジョン・フォードが人生の晩年になって辿り着いた、アメリカ先住民族に対する声明であり、彼らを繰り返し“敵”として描いてきたことへの赦しを請う内容だと言えよう。

ちなみに本作では、興行的価値を担保する意味で、本筋とは別に有名な保安官ワイアット・アープ役でジェームズ・スチュアート、その相棒ドク・ホリデイ役にアーサー・ケネディという主演級スターが出ているのだが、1977年12月にフジテレビで放送された時には、何とその二人の登場シーンが丸ごとカットされてしまったのには心底びっくりした。

■フォード亡き後の西部劇

さて、フォードが『シャイアン』で予言したように、その後のハリウッドでは先住民族(インディアンと呼ぶことすら政治的に正しくなくなった)を敵として描くことはタブーとなった。そして、シャイアン族を虐殺する白人を“悪”として描いた『ソルジャー・ブルー』(1970年)や、シャイアン族に育てられた白人男性の数奇な運命を描いた『小さな巨人』(1970年)のようなアメリカン・ニューシネマ期のアンチ西部劇を経て、白人と先住民族の和解と友情を描いたケヴィン・コスナー監督主演の『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1990年)、先住民族側が主人公の『ラスト・オブ・モヒカン』(1992年)、『ジェロニモ』(1993年)へと様変わりしていったことはご承知の通りだ。 文:谷川建司 『西部開拓史』『シャイアン』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2025年1月放送

Warner Bros. Rewind

チャンネル登録者数 30.9万人

Cheyenne Autumn - Trailer #1

https://news.nifty.com/article/entame/movie/12287-3708070/


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「西馬音内」←この地名なんて読む?

2025-01-06 | アイヌ民族関連

Jタウン調査隊 2025.01.05 07:10

日本全国にいくつもある「難読地名」。思いもよらぬ読み方をする場所も......。

今回、出題する地名は、秋田県のこの場所だ。

西馬音内

正解は......

しもない

秋田県羽後町の地名。由来にはいくつか説があるが、アイヌ語で「ニシパ・ウン・ナイ」という「和人がいた沢」か「頭目がいた沢」という意味といわれている。

https://j-town.net/2025/01/05364495.html?p=all


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SNSで魅了!かわいいアザラシ愛してやまない「アザラー」が急増中 ハンドメイド雑貨や保護施設観光も人気に 冬の北海道に殺到【2025年注目】

2025-01-06 | アイヌ民族関連

FNN シリーズでお伝えしている「2025年注目の○○」。

今回は北海道から。

【画像】アザラシ愛してやまない 「アザラー」が急増中

「アザラー」が急増中

北海道で見ることができる野生のアザラシ。

今、かわいいアザラシを愛してやまない人たち、人呼んで「アザラー」が急増中だ。

2024年12月中旬、冬期営業を開始した北海道のおたる水族館。

人気のアザラシを写真に収めようと多くの客がカメラを構えている。

彼らの正体は。

「アザラーです」(大阪から)

時は1990年代。

街にあふれたのは歌手の安室奈美恵さんに憧れたアムラーと呼ばれる人たち。

あれから30年、アザラーとは一体?

「アザラーはアザラシを愛してやまない(人のこと)。(Q:近年増えている?)増えていると思う。SNSを通じて投稿が増えてきたのが一番の要因と思う」(おたる水族館 濱夏樹さん)

SNSを通じてアザラシに魅了される人が急増中。

2025年注目のアザラー、その人生を見つめる。

流木でアザラシ作るアーティスト 移住した町でアザラシにハートを射抜かれる

2024年3月、利尻山を臨む海岸で流木を集めていたのはアーティストのぴすぴすさんだ。

幌延町に住むぴすぴすさんが作るアートとは?

「アザラシを作っている。こんな感じです」(ぴすぴすさん)

流木から生まれたアザラシだ。

ぴすぴすさんの作品は1つ3500円ほど。

ハンドメイドのイベントでは完売するほどの人気を誇る。

彼女もまた、アザラシを愛してやまないアザラーだ。

「道北に来て野生のアザラシがいることを知り本当に感動した。本当にいるんだと驚いた」(ぴすぴすさん)

2020年、夫婦で引っ越してきた幌延町で初めて野生のアザラシを目にし、その姿に心を射抜かれた。

それ以来、野生のアザラシを撮影しようと北海道各地に足を運ぶ日々が続いている。

ついには流木でアザラシを作り始め、アザラシのアートを生業にするほど、アザラシ漬けの生活を送るようになった。

「アザラシとは人生を変えてくれた動物。1つの動物に夢中になったのは初めてだ」(ぴすぴすさん)

1/5(日) 9:02配信

冬のアザラシ保護施設もアザラーの“聖地”に

続いては、冬には流氷観光で賑わうオホーツクの紋別市。

「見てください、観光案内所にアザラシがいますよ!かわいい」(安野陽介ディレクター)

出迎えてくれたのは紋別市のご当地キャラクター「紋太くん」。

腹巻をしたおじさん風のアザラシだ。

紋別市では野生のアザラシを見ることができ、市民には身近な存在となっている。

「とっかりセンターという施設があり、アザラーの聖地となっている」(紋別観光案内所 阿藤光平さん)

紋別市中心部から車で約10分のところにある「オホーツクとっかりセンター」。

「いきなりですよ、かわいいアザラシがこんなにも!」(安野ディレクター)

“とっかり”とはアイヌ語でアザラシのこと。

ここは傷ついたアザラシを保護し、野生に返すことを目的とした施設で、現在20頭以上が保護されているが、観光施設としての側面もある。

「アザラーです。自分でハンドサインを出すのは初めてで、すごく貴重な経験になった」(兵庫県から)

新婚旅行の目的の1つとして訪れたという夫婦。

まさに全国のアザラーが憧れる聖地だ。

奈良県出身で勤務4年目の飼育員、原瑞葵さん。

「元々アザラシのキャラクターがすごく好きで、そこからアザラシ自体に興味を持った。アザラシに特化した飼育員になりたくてここの求人が出ないかと毎日検索していた」(とっかりセンター 原瑞葵さん)

大学では水産学部に通いアザラシの研究もしていたという、まさに生粋のアザラーだ。

「(Q:寒くてもアザラーの客が来るんですね?)全然来ます。むしろ雪とアザラシの組み合わせがアザラーの人には響く。SNSを通して毎日アザラシたちの動画や写真を載せているので(来てくれる)」(原さん)

全国のアザラーたちを引き寄せているのは、やはりSNSの影響だ。

100万回以上の再生数に及ぶ動画も少なくない。

原さん、かつては見る側だったアザラシたちの動画を、今では配信する側となった。

アザラー飼育員の原さんにとって、アザラシとは?

「生きていく上で必要不可欠な存在。今年はよりアザラシの魅力を伝え、新しいアザラーをたくさん増やしていきたい」(原さん)

https://news.yahoo.co.jp/articles/0193a6ff4a5a8bdc6afc870aa9ef243c0676623b


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