読売新聞 2025/02/02 05:20
時には暴風雪待ちもあり、まさに人体実験ゾーンだった。負けるもんか。それだけだった。――――「高倉健 最期の手記」(「文芸春秋」2015年1月号)
強風に巻き上げられた雪が絶え間なく顔に吹きつけて、息もできない。さっそく洗礼を受けた。
1902年(明治35年)1月、旧陸軍青森歩兵第5連隊210人、弘前歩兵第31連隊37人が別ルートで八甲田山を目指した。第5連隊は救助後の経過不良を含めて199人が死亡。77年の映画「八甲田山」は、雪中行軍遭難事件が題材の新田次郎の小説「八甲田山死の 彷ほう徨こう 」を原作としている。主演の高倉健は俳優人生を懸けて「白い地獄」の再現に挑んだ。極限の風と雪を描くには、同じ気象条件下でなければならなかった。過酷な撮影現場からは脱走者も出たという。
遭難場所近くに犠牲者を弔う「幸畑陸軍墓地」、教訓を伝える「八甲田山雪中行軍遭難資料館」が併設されている。雪中行軍の研究家、加藤幹春さん(74)は部隊の行動や指揮系統にくわしい元自衛官でもあり、ボランティアガイドとして来館者を墓地に案内する。人物像などが脚色された小説や映画が、史実と混同されていると指摘する。
「こいつが一番悪いんだ」
ある墓標を指し、遭難原因について自説を述べる人もいる。加藤さんは黙って耳を傾け、最後にこう問いかけるという。「今はたくさんの食料も、暖かい服も、携帯電話もある。しかしながら、なぜ冬山遭難がなくならないのでしょう。ここには、映画の登場人物は誰も眠っていないですよ」
第31連隊の間山仁助伍長の孫、弘前市の間山元喜さん(75)は自衛隊を退官後、祖父が歩いた約100キロの行程を4日かけて再現した。天候が穏やかな3月で最新装備にもかかわらず、想定外の事態に見舞われた。ほぼ全滅した第5連隊と、犠牲を出さずに踏破した第31連隊の比較には否定的で、雪中行軍の成否も「結果論にすぎない」と言う。
「冬山だけはいくら綿密に計画しても天候の急変で大きく違ってくる。なんぼ頑張っても、まね(ダメな)ものは、まね(ダメだ)」
行軍の想定は、酷寒地が陣地となる対ロシア戦だった。遺訓を受けた耐雪、耐寒の戦術は、2年後に開戦した日露戦争に生かされた。
雪煙の先に、冬の風物詩の樹氷。山の神を守る番人のように、人を寄せつけない威容を放っていた。
高倉健 (たかくら・けん)
1931~2014年。福岡県出身。明治大学を卒業後、東映に第2期ニューフェースとして入社。厳冬の青森で長期ロケを行った「八甲田山」(森谷司郎監督、橋本忍脚本)は、第5連隊の遭難と、土地に詳しい道案内人を雇い、八甲田越えを達成した第31連隊を描いた。第31連隊の雪中行軍指揮官を演じ、「幸福の黄色いハンカチ」の演技と合わせて第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した。遺作の「あなたへ」まで生涯に205本の映画に出演。1998年に紫綬褒章。2013年に文化勲章。
文・木村直子
写真・田中秀敏
悲劇の場 山岳スキー聖地に
雪中行軍から6年後の1908年(明治41年)、青森営林局庁舎として落成した市森林博物館は、往時の面影を残す洋風建築として映画のロケ地となった。幕僚ら臨席の下、第5連隊、第31連隊の雪中行軍の実施が決まる「第4旅団司令部」として登場する。
当時、雪上移動で兵士の履物は主にわら靴だった。事件は国際社会にも衝撃を与え、北欧ノルウェーなどがスキー板を日本に送った。ただ、実用的に乗りこなす技術までは伝わらず、装備としてスキーが本格普及するまで、しばらく時間がかかった。
123年前の悲劇の現場も今や、バックカントリースキーの聖地になっている。八甲田山系の 田た茂も萢やち 岳(1324メートル)山頂を結ぶ「八甲田ロープウェー」では索道と並行した林間コースが人気で、冬場は乗客の多くがスキーヤーやスノーボーダーだ。インバウンド(訪日客)も目立ち、ゴンドラ内で韓国語、中国語、英語が飛び交う。10年近く通うというオーストラリア人男性に八甲田山の魅力をたずねると、「北海道の雪質に近いパウダースノーと雪の多さ。これ以上人が増えたら困るから、他の人に存在を教えたくない」とにんまり。もっとも 急きゅう峻しゅん で非圧雪のコースは中上級者か、ガイド同伴でないと難しいだろう。
ロープウェーは強風による運休もしばしば。運営会社の菊池智明事業部長(59)は「1月は毎日吹雪のようなもの。『乗れたらラッキー』くらいの気持ちの余裕を持って来ていただければ」と大まじめに語る。視界良好な日は陸奥湾、まさかり形の下北半島を望めるという。
下りで山麓に戻ると、山岳スキーで滑走してきたオージーと再び遭遇した。
「雪は膝というより、腰か胸近くまで深くて大変だったよ。でも最高だね」
白い息をはきながら、少年のような笑顔を見せた。
●ルート 羽田空港から青森空港まで約1時間20分。空港から車で八甲田ロープウェーなどまで各40~50分。
●問い合わせ 八甲田山雪中行軍遭難資料館=(電)017・728・7063、八甲田ロープウェー=(電)017・738・0343(管理区域外の滑走は入山届が必要)
[味]のし餅寒ざらしした菓子
「干し餅」は、のし餅を1か月以上寒ざらしして自然乾燥させた郷土菓子だ。青森市のはとや製菓((電)017・738・3500)では県産もち米にこだわり、寒ざらしした後にフリーズドライ製法で生産。そのままか、バターを塗って、サッとあぶってかじる。冬場の保存食や農繁期の間食だけではなく、茶席の干菓子としても愛された。餅は腹持ちがよく、雪中行軍隊も携帯食としている。
遭難捜索隊に雪への適応力を見込まれたアイヌ民族の人たちが北海道から招集された。地元民もためらう難所の駒込川で腰まで水につかり、多くの遺体発見に尽くした。菓子皿としてアイヌコタン(集落)で求めた円盆を合わせた=写真=。干し餅と、おおらかなアイヌの伝統文様が意外な調和を見せた。
ひとこと…「除雪」観光資源に
旅の帰路。降雪で青森空港も一面真っ白だったが、羽田行きJAL便は30分遅れで無事離陸した。冬季は空港除雪隊がフル稼働し、除雪風景が観光資源になっているという。耐雪の知恵に感心する一方、今季は大雪による「雪害」が相次ぐ。謙虚に、したたかに。自然と折り合いをつける姿勢が試されている。