先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

■ 豊浦町教委がカムイチャシ史跡のミニチュアを作製

2010-12-14 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2010年12月10日(金)朝刊】

 豊浦町教育委員会は、礼文華にある町文化財・カムイチャシ史跡のミニチュア模型を作った。11日に中央公民館で開く公民館まつりでお披露目する。
 カムイチャシとはアイヌ語で「神の・砦(とりで)」の意味で、大岸と礼文華のほぼ中間に位置する海岸線に突き出た小さな岬。海上30メートルの断崖に囲まれ、祭場や見張り台としての役割を担っていたと考えられている。
 このほど文化庁の文化審議会が、アイヌ民族の文化的背景と結び付く名所的・学術的価値の高い景勝地群「ピリカノカ」への追加を答申。町教委が国指定名勝の“内定”を記念し、臨時職員で町郷土史研究会員の福田茂夫さんに作製を依頼していた。
 スケールは600分の1。航空写真などの資料を参考に発泡スチロールや廃材、紙粘土、枝などを使って精巧に仕上げられており、福田さんは「上空からのぞいたカムイチャシを再現したかった。ぜひ実際に足を運んでもらいたい」と期待している。
 公民館まつりでは、同模型が豊浦歴史探訪コーナーで60点余りの資料とともに展示されるほか、午前10時から絵本の読み聞かせ、科学実験教室、工作体験、活ホタテ即売会などが行われる。
(菅原啓)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2010/12/10/20101210m_07.html

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【浦河】愛称は「沙流ユーカラ街道」 日高町の国道237号

2010-12-14 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2010年 12/9)

日高町富川―宮下の国道237号の愛称が「沙流ユーカラ街道」に決まった。名付け親は、苫小牧市の高石富生さん(51)。愛称は公募し、日高地域国道愛称活性化会議(委員長・酒井芳秀新ひだか町長)が選んだ。
国道235号(優駿浪漫街道)と274号(石勝樹海ロード)を結ぶ日高、平取両町にまたがる約60キロ。アイヌ文化を育む沙流川や初夏の新緑、秋の紅葉など自然豊かな景観を楽しむことができる。
 名称を、10月から募集し、279点の応募があった。事前投票と愛称活性化会議幹事会で9点まで絞り込み、8日に浦河町で開いた会議で、「沙流ユーカラ街道」を選んだ。
 愛称活性化会議は、沙流ユーカラ街道のロゴマークも作る。こちらも公募することにしている。
http://www.tomamin.co.jp/2010s/s10120903.html

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■ 白老でアイヌ文化フェス、名誉町民高橋氏の記念講演も

2010-12-14 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2010年12月9日(木)朝刊】

 アイヌ文化の普及を狙いにした「アイヌ文化フェスティバル」が23日、白老町中央公民館で開かれる。アイヌ民族への医療活動に尽力し、白老町第一号の名誉町民となった高橋房次医師(1882~1960)の没後50周年記念として、講演や展示が行われる。子ども向けの人形劇、古式舞踊など多彩なプログラムが用意されている。入場は無料。
 主催はアイヌ文化振興・研究推進機構、同実行委員会。講演の講師はノンフィクション作家、川嶋康男さん(札幌市)。演題は「人間高橋房次の魅力を語る―『いのちのしずく』を書いたわけ」。展示は、室蘭出身の写真家、故掛川源一郎氏による房次の表情や家族の写真二十数点を中心に、直筆の論文、所蔵の文献など。
 子どもたちにアイヌ文化に触れてもらおうと人形劇を上演する。札幌市こどもの劇場やまびこ座による「金のひしゃく銀のひしゃく」。
 ステージ部門はこのほか、伝統儀式カムイノミ、アイヌ民族博物館や白老民族芸能保存会などによる古式舞踊、伝統工芸品が当たる抽選会が行われる。
 講堂前のホールでは、「コタンのシュバイツアー高橋房次展」のほか、白老で上演した演劇「房次物語」のビデオ放映、伝統工芸品の展示・実演、伝統的生活空間(イオル)再生事業紹介、知里幸恵に関するパネル展など。来場者全員にアイヌの伝統楽器ムックリがプレゼントされる。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2010/12/09/20101209m_08.html

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干したサケののれん 白老で保存食「サッチェプ」づくり

2010-12-14 | アイヌ民族関連
(朝日新聞 2010年12月9日)

 白老町のアイヌ民族博物館で、サケの伝統的な保存食「サッチェプ」づくりが始まっている。寒さと共にサケの身が熟成され、うまみが増すという。同博物館の冬の風物詩となっており、干したサケの前で写真に納まる観光客の姿があった。
 白老沖で捕獲されたサケを塩漬けして水で塩ぬきし、2匹の尾をひもで結びつり下げる。ヨモギの枝で腹部を広げ、丸太にぶら下げて2月下旬ごろまで寒風にさらすという。その後、アイヌ民族の伝統の家「チセ」の天井につるし、いろりの煙で薫製に。5月上旬ごろにできあがる。
 「サッチェプ」はアイヌ語で干し魚の意味。酒のつまみやお茶漬けにしたり、チャーハンの具にしたりしてもおいしく、同博物館のおみやげ品としても人気があるという。
http://mytown.asahi.com/areanews/hokkaido/HOK201012080006.html

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文化座:沖縄戦描いた公演・代表の佐々木愛 少数派の視点で心の結びつき表現

2010-12-14 | アイヌ民族関連
(毎日新聞 2010年12月8日 東京夕刊)

 アイヌと沖縄の視点から戦争を描く「銀の滴降る降るまわりに-首里1945-」(杉浦久幸作、黒岩亮演出)を劇団文化座が10~23日、東京・池袋の東京芸術劇場小ホール2で上演する。劇団代表で女優の佐々木愛は「マイノリティーであるアイヌと沖縄の青年の心の結びつきを描きたい」と話す。
 1944年、日本軍に徴用され兵舎兼炊事所となっている首里郊外の与那城家で、炊事班の富田(梅田崇)はアイヌであることから差別され、同じく徴用された沖縄出身の中里(春稀貴裕)といがみ合う。そんななか米軍が上陸し、炊事兵たちも緊張感に包まれる。
 「貫いているテーマは命の重さは同じだということ」と佐々木。戦争と日本人にこだわり、沖縄を何度か舞台で取り上げてきた劇団ならではの視点だ。
 戦時下に劇団を創設した佐佐木隆、鈴木光枝を両親に持つ。45年6月、旧満州(現中国東北部)に渡って巡演した劇団は8月に終戦を迎え、その後1年間、抑留生活を送る。戦争体験が「世の中の時流におもねらない」劇団の芯を作り上げたという。「父は『新しいものはあした古くなる』と言っていた。足元を見つめる大切さを教えられました」
 問い合わせは03・3828・2216へ。【濱田元子】
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20101208dde012200050000c.html

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知里幸恵の「手帳」 伝記作家の遺族が寄贈 感性伝わる資料

2010-12-13 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 12/08 14:35)

 【登別】アイヌ164件神謡集の著者知里幸恵(1903~22年)が17歳ごろに使っていた手帳のコピーが、札幌に住む伝記作家の遺族から知里幸恵銀のしずく記念館に寄贈された。母校の記念式典で述べた祝辞の文案や、詩の一節などが書き留めてあり、同記念館は「幸恵の感性を知る資料。展示の充実につながる」と喜んでいる。
 幸恵の伝記を執筆した故藤本英夫さんの遺族が5日に寄贈した。現物は行方不明で、手帳を開いた形で30枚の紙に複写されていた。
 17歳の幸恵が母校豊栄尋常小学校(旭川)の開校10周年式典で述べた祝辞の文案は6ページにわたる。「日々の小事めぐりめぐりてわれらが懐かしき本校は」と始まり、式典出席の喜びを「何に例えんこのうれしさ。ただ感激のみ」と書き記している。
 外国人女性の詩を書き留めたページもある。「私が死んだら深く葬ってください。(中略)私のあわれな遺骸が春を感じるといけませんから」。書き留めた真意は不明だが、横山むつみ館長は「生き返ることを拒んでいるとも読め、興味深い」と語る。
 このほか、明治の詩人土井晩翠の詩の引用や、「魚のキャベツ巻」など料理のレシピとみられる記述もあった。横山館長は「コピーでも当時の幸恵さんの考えなどを紹介できる意義は大きい」と話し、年内にも展示したい考えだ。(井上雄一)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/263693.html

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(11) 郷土の先人に学ぶ志

2010-12-13 | アイヌ民族関連
(2010年12月8日 読売新聞)

12月3日、盛岡市は朝から激しい雨だった。市立厨川(くりやがわ)小学校の6年生は、計画していた「先人ウォーク」を泣く泣く延期し、この日に掲げて歩くはずだった「立志隊」と書かれたのぼりを囲んだ。
 「天気のいい日に改めて行きましょう。立志の丘で何を叫ぶかを心の中で考えておいてね」と、千葉美保教諭(43)が子どもたちに語りかけた。
 2007年に始まった「先人ウォーク」は、郷土の偉人について学ぶ6年の総合学習の総仕上げで、今ではすっかり同小の名物行事になっている。先人の足跡をたどりながら盛岡市内を約5キロ・メートル歩き、最後に先人記念館の脇にある「立志の丘」で、自分の夢や目標を叫ぶ。太平洋戦争の終結に力を注いだ元首相、米内光政が少年のころ、岩手山に向かって大声で叫び、自らを鼓舞したという逸話にちなむ。
 盛岡は、歴史的に偉人を多く輩出した土地柄だ。米内のほか、「平民宰相」と呼ばれた原敬、「武士道」を著した新渡戸稲造、歌人の石川啄木、アイヌの「ユーカラ」研究に半生を注いだ金田一京助が代表的な「先人」だ。市は小中学校向けの副読本やカレンダーを作って「先人教育」に力を入れている。
 厨川小では、子どもたちが人生について考える機会につなげている。
 「先人」にも、若き日の失敗や葛藤が必ずある。「単に聖人君子として受け止めたのでは子どもたちの心に残りにくい」と考えた千葉教諭は、調べ学習が進んだ段階で、「何かマイナスポイントなかった?」と問いかけた。
 すると、石川啄木のカンニング事件など失敗談が次々にあがった。「最初は成績が悪かった」「甘えん坊だった」。子どもたちは、遠い存在だった先人をぐっと身近に感じた上で「人一倍努力した」「強い意志を持っていた」などと、現状に安住しない志の尊さに気付いた。
 最後の振り返りでは、自分の調べた先人への思い入れをグループで語り合った。振り返り用のワークシートにはあえて「生き方」という言葉は使わなかったが、子どもたちは先人から学んだ姿勢を自分に引き寄せ、自然に「自分はこんな生き方をしたい」という言葉が出てきた。
 「人を幸せにできる人間になりたい!」「悔いの残らない生き方をするぞ!」。シートの最後に力強く記されていた子どもたちの誓いは、先人の背中をしっかりと見据えていた。(片山圭子、写真も)

 ◎先人に学んだこと(振り返りシートから)▼原敬 努力し、最後まであきらめなかった。人に信用される生き方をしたい。▼石川啄木 他人を思う心、貧しさに負けない強い心があった。純粋な心を持って信頼されるようになりたい。▼新渡戸稲造 勉強は楽しんでやればいいのだと思った。▼金田一京助 自分もいろいろなことに挑戦して、みんなを勇気づけたい。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20101208-OYT8T00215.htm

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【白老】湖わたる風が味付け アイヌ民族博物館でサケの寒干し

2010-12-13 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2010年 12/7)

 白老町のアイヌ民族博物館で、サケの寒干しが始まった。アイヌ民族の保存食「サッチェプ」(サケの薫製)になる。その数約3500匹。チセ(家屋)の軒先や寒干し用の丸太にサケが並ぶ白老の冬の風物詩だ。
 サケはすべて白老沖で水揚げした。内臓を取り除き、塩漬けしたサケを、ポロト湖をわたる寒風にさらす。2011年3月まで干した後、チセの梁(はり)につるし、いろりの煙でいぶしていく。
 博物館で人気の土産商品。4月下旬の大型連休からお目見えする。
http://www.tomamin.co.jp/2010s/s10120702.html

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鈴木宗男前衆院議員 出頭前にインタビュー

2010-12-13 | アイヌ民族関連
(朝日新聞 2010年12月07日)

■鈴木宗男前衆院議員収監
 新党大地代表の鈴木宗男氏(62)が6日、東京高検に出頭し、収監された。北海道開発局の工事や林野庁の行政処分をめぐる事件で、受託収賄やあっせん収賄罪など四つの罪に問われ、懲役2年の実刑と追徴金1100万円の有罪判決が確定したためだ。鈴木氏は出頭前、「真実、事実が明らかにならなかったことが残念」と報道陣に語った。
   ◇
■統一選に公認を擁立
■鈴木精神 生き続ける
 鈴木氏は収監前、朝日新聞の取材に応じ、収監後の党運営に自信を見せ、来春の統一地方選に大地公認の地方議員を擁立する意向も示した。

 ――無罪を主張していましたが
 今後も無罪を訴え続ける。私にやましいところはない。裁判所は密室での圧力で誘導した調書を採用し、公判廷での私の証言は信用しなかった。再審請求も考えている。

 ――新党大地の態勢は
 代表にとどまることが決まった。淡々と責任を果たしていく。代表代行には、浅野貴博・衆院議員がついた。北方領土問題やアイヌ民族の権利回復問題にしっかり取り組んでくれるはずだ。

 ――収監後の党運営にはどうかかわりますか
 手紙もあれば、事務所の人の面会もある。弁護士はいつでも接見できる。いかようにも対応できる。

 ――来春には、統一地方選や知事選もあります
 網走や釧路など、大地から出したいという声がある。可能性のあるところには立てたい。これまで様々な新党が起こったが、いずれも3年以内に消滅した。大地は誕生して丸5年、北海道の地域政党としてしっかり根を張っているという自信を持っている。

 ――刑期を終えてからは
 色んな所から話はあるだろうが、選挙民の声があり、もう一度、ということになれば頑張る。私は生涯政治家。鈴木精神は生き続ける。
(聞き手・古賀大己)
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001012070006

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【決断の日本史】(60)1457年5月14日 コシャマインと戦った武田信広

2010-12-13 | アイヌ民族関連
(MSN産経ニュース 2010.12.7 07:40

北海道にもあった戦国時代
 武田信玄や上杉謙信、織田信長らが覇を競った戦国時代。列島の各地で激しい合戦が繰り返された。その影響は本州ばかりか、北海道にまで及んでいたことが、近年の研究で明らかにされつつある。
 康正(こうしょう)3(1457)年だから、戦国の世の始まりを告げる「応仁の乱」が勃発する10年前である。この年、道南の渡島半島で、アイヌの頭目コシャマインに率いられた集団が決起した。「渡党(わたりとう)」と呼ばれる、本州から渡ってきた人々との間で起きた衝突がきっかけだった。
 渡党は半島の各地に築いた城館に拠(よ)って戦ったが、次第に押されていった。それを救ったのが若狭国(福井県西部)守護の一族と伝えられる武田信広だった。この年5月14日、渡党の武士たちを指揮してアイヌと戦い、勝利した。
 渡党の多くは、信広のような事情を抱えていた。南北朝の内乱などを通じて本貫(ほんがん)地を追われ、新天地を求めて蝦夷(えぞ)地にやってきたのである。彼らはアイヌから特産品の獣皮や昆布(こんぶ)を仕入れ、コメや鉄製品などを供給する武装商人だった。信広の郷里である若狭と蝦夷地は、古くから日本海の交易で結ばれていることで知られる。
 信広が築いた山城跡の発掘と整備が進んでいる。檜山(ひやま)郡上(かみ)ノ国町にある上之国勝山館(かつやまだて)跡(国史跡)である。大澗(おおま)湾を望む高台からは、空堀や土塁などの防御施設とともに屋敷跡や墓、中国製の陶磁器などが発掘されている。本州の戦国城郭に比べ、規模の雄大さはさすがに北海道だ。
 信広の末裔(まつえい)は松前(まつまえ)(松前郡松前町)を本拠として松前氏を名乗り、豊臣秀吉や徳川家康によって蝦夷地の支配を任された。江戸時代を通じて蝦夷地唯一の大名として、明治維新を迎えたのである。 (渡部裕明)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101207/acd1012070741001-n1.htm

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沖縄戦舞台に描く アイヌとの出会い 10日から東京で上演

2010-12-13 | アイヌ民族関連
(琉球新報 2010年12月6日)

 【東京】沖縄戦に動員された最北の民「アイヌ」と最南の沖縄の民との出会いを通して「共生」の意味を描く演劇「銀の滴 降る降る まわりに―首里1945―」が10日から豊島区の東京芸術劇場で上演される。劇団文化座代表で女優の佐々木愛さんが、数々の沖縄作品の中で初めてアイヌとの交流を描く。南北の青年が違いを克服しつつ友情を育むが、描かれるのは1945年4月まで。その後どうなったのか、余韻を残し沖縄戦、戦争の意味を問い掛ける。
 糸満市真栄平にある「南北之塔」が「作品の出発点になった」と、佐々木さんは話す。「タクシー運転手の方も場所を知らないほどだった。ぽつんとある塔に心を打たれた」
 塔の側面にはアイヌ語で「キムンウタリ」(山の同胞)と刻まれる。「沖縄戦でのアイヌの存在を知らない人も多く、伝えたい。作品は戦争と人間、共生、命が柱」と、劇を貫くテーマを説明する。
 劇中のエピソードに、出自を隠すアイヌの青年が、ウチナーグチで会話する祖母と孫の姿に心動かされる場面がある。
 差別されかねないアイヌ語の継承を避けて年寄りとの付き合いを断った自らの成長との違いを実感し、青年は北海道に帰ったら誇りを持ってアイヌとして生きると誓う。大地に育まれた言語の尊さをさりげなく伝える。アイヌの視点を取り入れて臨む今作品について「今は労力も使わずスマートに切り抜ける生き方がもてはやされるけど、諦めないで粘り腰のある沖縄の人々の姿に、私たちも勇気づけられる。そしてアイヌの復権に頑張る人たち、沖縄をも勇気づけられればと思っている」。
 文化の違いを理解し合い、多くの思いを生みだしつつも霧消させる戦争の意味を問う。
 公演などの問い合わせは劇団文化座(電話)03(3828)2216。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-170942-storytopic-1.html

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アイヌの青年が沖縄戦体験 劇団文化座が「銀の滴」上演

2010-12-13 | アイヌ民族関連
(朝日新聞 2010年12月5日10時13分)

 「戦争と日本人」を見つめる演劇を上演し続けている劇団文化座が、10~23日、東京・池袋の東京芸術劇場小ホール2で、新作「銀の滴 降る降る まわりに 首里1945」(杉浦久幸作、黒岩亮演出)を上演する。
 舞台は1944~45年の沖縄。炊事兵として働くアイヌの青年(梅田崇)と現地徴用された沖縄の青年(春稀貴裕)の対立と交流を通して、「ある沖縄戦」を描く。劇団代表で企画者である佐々木愛は、地元の「おばあ」役で出演する。題名は「アイヌ神謡集」から引いた。
 5500円、高校生以下2750円。電話03・3828・2216(劇団)。
http://www.asahi.com/showbiz/stage/theater/TKY201012030399.html

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アイヌ文化演奏や舞踊で 白老・民族博物館が横浜で道外初移動展

2010-12-13 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 12/04 13:47)

 【白老】胆振管内白老町のアイヌ民族博物館は10日、道外初開催となる移動博物館事業「アイヌミュージアムフェアイン横浜」を横浜市南公会堂で開く。古式舞踊や伝統楽器の演奏を通してアイヌ文化に対する理解を広めたい考えだ。
 町などでつくる「アイヌ文化とともに地域再生推進協議会」の主催。国や道の補助を受け、昨年度から函館市や後志管内ニセコ町などで開いた。今回はアイヌ文化に触れる機会が少ない道外での開催を決めた。同フェアは2部構成で、午後4時からの第1部は博物館の体験プログラムの紹介やムックリ演奏体験を行う。午後6時からの第2部は村木美幸副館長が講話「アイヌの歴史と文化…現在」を行うほか、古式舞踊を披露し、神に祈りをささげるカムイノミや、イヨマンテリムセ(クマの霊送りの踊り)などを見てもらう。
 同協議会は「アイヌ文化に対する理解を広げ、将来は関東圏の学校の修学旅行誘致などにつなげたい」としている。(阿部里子)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/263134.html

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恵庭の魅力 愛好家が光 6市民グループ、夢創館で「探訪展」

2010-12-13 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 12/04 13:46)

 【恵庭】恵庭市内の自然や文化、歴史を探究する6市民グループによる「えにわ探訪展」が、島松仲町の夢創館で開かれている。河岸にすむカワセミや、縄文の美を伝えるカリンバ遺跡、さまざまな滝や古跡が点在する恵庭岳周辺の森の見どころなど、恵庭の魅力をたっぷり紹介している。
 真ん丸の黒い瞳と、宝石のような青緑色の羽毛。「恵庭カワセミの会」は、小魚を口にくわえる姿など、生き生きとしたカワセミの写真を出展した。
 川が多い恵庭は、餌となる小魚が豊富な上、営巣する河岸の土壁やヒナが身を隠す林もある。多くは春に南から来て子育てをするが、湧き水周辺では越冬もするという。会員の前田一哉さんは「市街地近くで間近に見られる場所は道内でもそう多くない」と話す。
 「カリンバの会」は、遺跡の出土品を模倣した土器や、縄文後期の人々の生活を想像して作った赤い麻の衣装を展示。「産業と文化の遺産を考える会・恵庭」は、恵庭渓谷に点在する12の滝それぞれの美しい写真や、かつて木材を運んだ森林鉄道、アイヌ民族の儀式の場など、深林に隠れている人々の足跡を論文形式で紹介した。
 これらの見どころも含め、ウオーキングやフットパス愛好者の3団体は、市内の散策コースや催しを紹介。中でも茂漁川に咲く梅花藻が見られるコースは人気という。
 入場無料。5日まで。(山田芳祥子)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/263129.html

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生死の悲哀を超えて 口承文芸の世界 小説に 津島佑子さん(作家)

2010-12-13 | アイヌ民族関連
(東京新聞 2010年12月4日)

中央アジアのキルギスには「マナス」という、英雄を歌った大叙事詩がある。遊牧文化を生きてきた人たちが、はるか昔から語り継いできた口承文芸だ。作家の津島佑子さん(63)は、伝承の残る地を訪ね歩き、小説『黄金の夢の歌』(講談社)をまとめた。
 壁には、マナスの一場面を描いたタペストリーやポスター、机には中国東北地方で買ったシラカバ細工。東京都内の自宅を訪ねると離れの仕事部屋に、旅の余韻がたくさん残っていた。異郷の品々が同居する空間は、作品のなかで「夢の歌」と呼ばれている叙事詩の世界の続きを感じさせる。
 アイヌ民族のユーカラや、新疆ウイグルのオイラト族に伝わるジャンガル、モンゴルなどで歌われているゲゼル…男の子が英雄となって活躍する叙事詩は、ユーラシア大陸の各地に存在する。小説では、津島さん自身を映す主人公の「あなた」が、各地の「夢の歌」に思いをはせ、キルギスや、中国の少数民族・オロチョンが住む村などを旅する。
「父が北の人間なので、自分の半分は北方の血。だからユーカラに、ずっと興味がありました。調べているうちに、シベリアやユーラシアのほうまで広がりがあることが分かって、マナスにも行き着いた。自分の耳で聞きたいという思いが、だんだん膨らんできたんです」
 旅のお供は、亡き親友の弟ウルビュさん、現地の運転手チャリクさん、通訳の女性チョルポン嬢たち。静かな文体で綴(つづ)られる回想から、ウルビュさんが五十歳を過ぎて初めて父になること、二十四歳のチョルポン嬢が結婚に焦っていることなど、それぞれの人生の物語が、少しずつ見えてくる。「旅人も、現地で生きる人も、それぞれに人生の時間を背負っている。それは決して極楽のようなおもしろおかしいものじゃない。けれどある時を共有して、一緒に歩む。その瞬間を大事にしたいんです」
 「夢の歌」のはるかな歴史や、それが伝わるユーラシアの広がりと、対照をなすささやかな個人の営み。大きな哀しみも、小さな悩みも、あくまで淡々と描かれる。
「いろんな人の話を聞いたので、ソ連崩壊のことなんかをドラマチックに書くこともできたでしょうね。けれど、一人一人の重い人生を、日本人が好みそうな物語に作っていくと、何かを失ってしまうような気がした。ゆがんだものになってしまいそうな。分かったふりをするのは、とてもいやらしいことだと思ったので、深入りしないよう、しないように書いたんです」
 <トット、トット、タン、ト>-作中で、繰り返し登場するマナスのリズム。それに乗って折り重なる登場人物たちの人生は、それ自体が、大きな叙事詩の一部のように見えてくる。
 「あなた」が、マナスを訪ねる旅で探しているのは、幼いままで亡くした息子の面影だ。同じ喪失の体験がある作者自身の姿と重なる。これまでの作品でも、繰り返し家族を喪(うしな)う主人公を描き、哀しみを超えた境地を追求し続けてきた。
「私たちが時間を生きるというのは、哀しみを背負うこと。でも『夢の歌』では、死んでしまった命も、これから生まれる命も、いま生きている命も、超越して、みんな一緒になっている。想像すると、死ぬのが怖くなくなるし、生きるのもそんなにつらくなくなるでしょう。昔の人たちは、そういう世界を生きていたんじゃないかな」
 父・太宰治を亡くしたのは一歳のとき。母子家庭で育った経験が、家族とは何か、母性とは何かというテーマにも結び付いてきた。「父のことは何にも覚えていないので、端的に言って、父性というものが、分からなかった。だからこそ、物心ついたときからの課題でもあったんですね。一方で私には、母子関係のほうが現実に強くのしかかっていたので、そちらをずっとやってきました」
 だが今作では、旅を共にする男性の姿を通して「父として生きること」をじっくり見つめている。「だんだんタブーの領域ではなくなったというのかな。すべて超えたというわけではないけれど。『夢の歌』の男の子たちの面影を見ることで、父性についても書きやすかったですね」
 長年のテーマを結実させ、「自分にとって重い意味のあるものになった」というこの旅の記録は、今後の創作にも、力を与えそうだ。「文学は、生きている時間ばっかり追っていても、どんどん衰弱していく。テクスト主義ではない口承文芸には、別の生命力がある。想像力の働き方が違う。書くことに迷ったときには、『夢の歌』が、いつも待っていてくれるんじゃないかと思うんです」
  (中村陽子)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/doyou/CK2010120402000180.html

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