先住民族関連ニュース

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猟の道具、衣服展示 県立博物館、アイヌ工芸品展始まる

2018-11-26 | アイヌ民族関連
秋田魁新報 2018年11月25日 掲載

 アイヌ工芸品展「キムンカムイとアイヌ―春夏秋冬」が24日、秋田市金足の県立博物館で始まった。アイヌ民族がクマ猟で使った道具や祭りで着た衣服など約270点が季節ごとのコーナーに展示されている。来年1月23日まで。
 同館とアイヌ民族文化財団(北海道)の共催。同財団はアイヌ文化の周知のため全国各地で工芸品展を開いている。本県での開催は初めて。
 キムンカムイはアイヌ語で「山にいる神」を意味するヒグマを指し、アイヌにとって特別な存在だった。春から夏のコーナーには、ヒグマ猟のためにトリカブトの毒を矢尻に塗った弓矢やヒグマの毛皮で作った小物入れ、防水性が高いとされるサケやマスの魚皮で作られた靴なども展示。冬のコーナーには、アイヌが普段着た樹皮繊維製の衣服のほか、「イヨマンテ」と呼ばれるクマの霊送りの儀式の衣装や本州との交易を示す漆器などが並んだ。
(全文 885 文字 / 残り 513 文字)
https://www.sakigake.jp/news/article/20181125AK0004/

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安井謙太郎、山本涼介、森田美勇人が語る、総移動距離3,300km『ニート・ニート・ニート』の撮影秘話

2018-11-26 | アイヌ民族関連
Movie Walker / 2018年11月25日 11時0分

ジャニーズJr.の安井謙太郎が映画初主演を務めた青春ロードムービー『ニート・ニート・ニート』が、11月23日より公開中だ。総移動距離3,300kmという過酷な北海道ロケを共にしたのは、『旅猫リポート』(公開中)の山本涼介や、同じジャニーズJr.の森田美勇人。安井たち3人を直撃し、楽しかったという北海道ロケを振り返ってもらった。
主人公は、女性絡みのトラブルを抱える無職の青年・レンチ(安井謙太郎)で、彼が失業中の同級生・タカシ(山本涼介)と、同じく同級生でひきこもりのキノブー(森田美勇人)を強引に連れ出し、北海道へ向かう。旅の途中では、謎の少女・月子(灯敦生)も合流。それぞれが旅先での出会いを通して成長していく。
原作は、02年のデビュー作「太陽がイッパイいっぱい」で、第8回⼩説新潮長編新人賞を受賞した三羽省吾の同名小説。北海道の苫⼩牧市、札幌市、稚内市、阿寒湖のアイヌコタン、留萌市、清⽔町、帯広市、新得町、えりも町などでロケを敢行した。
■ 安井謙太郎のリーダーシップを山本涼介や森田美勇人が絶賛
安井と森田は、共にジャニーズJr.のユニット、Love-tuneのメンバーだが、北海道での過酷なロケを経て、山本ともすっかり意気投合した様子。レンチは、タカシやキノブーを引っ張っていくパワフルな役どころだ。
ーー個性溢れるキャラクターの3人でしたが、現場での関係性は、いかがでしたか?
森田「わりと役柄そのままの関係性だった気がします」。
山本「そうですね。現場でも似たような感じで、安井くんが引っ張ってくれました」。
安井「いや、僕が実際に引っ張ったのは、銭湯へ行く時くらいです(笑)。僕は『今日、銭湯に行きたいです』と言う係。クランクインする前からすでに3人で仲良く話せていたので、そのまま現場に入ることができました。
やっぱりヤマモン(山本)は、現場の経験があるからすごいなと思いました。監督から言われたこともすぐに理解してやれるから。しっちゃかめっちゃかになっても、常に自分を保っているぶれなさ加減が、タカシに通じるものがありました。僕は普段アイドルをやっていて、今回、お芝居の世界におじゃましたから『失礼があってはダメだぞ』という気持ちがありましたし」。
森田「確かに、僕もそういう気持ちはありました」。
■ 安井謙太郎たちがパンイチでハチと格闘したシーンがカット!?
ーー安井さんは、初主演のプレッシャーをどう受け止めましたか?
安井「プレッシャーはあまりなかったです。最初に主演と聞いた時は、ドッキリかと思いました(笑)。主演という感覚があまりないまま現場に入ったのが良かったのかもしれない。共演者にメンバーの森田もいたし、同世代の俳優が多く、スタッフさんやキャストの方々も『安井、頼むぞ!』的なプレッシャーをかけてくるような人はいなかったので」。
ーー森田さんや山本さんは、主演としての安井さんをどう見ていましたか?
森田「今回は映画の現場でしたが、安井くんはLove-tuneの安井謙太郎として活動している時と、なに1つ変わったところがなくて、テンションもそのままでした。もともと人と接することが得意なタイプだと思うので、僕がフォローしたほうがいいような場面もまったくなかったです」。
山本「現場では、僕は2人とアイドルではなく役者として接していたので、特に緊張したり、やりづらさを感じたりすることもなかったです。でも、ロケが終わったあと、Love-tuneのコンサートに行かせてもらったんですが、その時は2人ともしっかりアイドルで、『全然違う!』と驚きました」。
ーー北海道のロケで印象に残ったエピソードを聞かせてください。
山本「ハチと戦いながらパンイチで走り回ったシーンを撮影したけれど、本編を観たら入ってなかったんです(笑)」。
森田「確かになかった!朝5時に、パンイチで草むらを走ったのに…」。
安井「ああ!めっちゃ思い出しました。確かにない(笑)」。
そう言いながら大笑いする3人。和気あいあいとしたクロストークからも、仲の良さがうかがえる。
ーー森田さんや山本さんは、安井さんの座長ぶりについてどう思われましたか?
森田「座長っぽかったです。というか、普通にいつもの安井謙太郎でした。責任感もあったし」。
安井「嘘?本当に?」。
山本「安井くんは、現場でもスタッフさんと一番話していました。場の空気を良くしてくれていたのが安井くんで、そういうところが座長っぽかったです。しっかり現場をまとめてくれていた感じです」。
安井「いやいや。本当に現場が楽しかったんです。3人で裸のつきあいもできましたし(笑)。周りの人がいてくれたからこそ、思い切ってできました」。(Movie Walker・取材・文/山崎 伸子)
https://news.infoseek.co.jp/article/moviewalker_169832/

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<北海道>アイヌ伝統舞踊で初めて地域の踊りを一つの舞台に(動画)

2018-11-25 | アイヌ民族関連
HTB北海道テレビ11/24(土) 17:50配信

 東京オリンピックパラリンピックでの発信も期待されています。地域ごとに違うアイヌ民族の舞踊や歌を一つに集めた舞台が、24日から釧路市の鳥取ドームで開かれています。
 このイベントは2年後の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、日本の文化を発信するプロジェクトの一環として開かれました。アイヌ民族の舞踊は地域ごとに違いがあり、今回、初めて阿寒、平取、旭川の3つの地域の特徴を一つの舞台に取り入れました。舞台を演出した秋辺日出男さんは「ほかの地域の者が踊るとなると、ゼロから練習するのはなかなか難しかった。オリンピックに向けていい手ごたえとして残っている」と話しています。この舞台は25日午後1時からも上演され、会場では伝統楽器ムックリの制作やアイヌ料理のブースも設けられます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181124-00000007-htbv-hok

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ヒュー・コータッツィさん(元駐日英国大使)8月14日死去 94歳 バチェラー研究にも貢献

2018-11-25 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/24 17:00
 「趣味は日本」を公言するほどの親日家。初来日から70年以上にわたって日英関係の強化に尽くし、日本の国内事情にも精通していた。
 その日本通ぶりが発揮されたのが、離任翌年の1985年。道内各地で64年間にわたる布教やアイヌ民族への支援活動を行い、44年に母国で亡くなった英国人宣教師ジョン・バチェラーの遺品を英国内で見つけた。
 自身の別荘があった村に、遺品を詰めたトランクを受け継ぐバチェラーの縁者がたまたま住んでいたことから発見に至ったが、もとよりバチェラーの功績を知らなくては素通りしてしまう状況だ。
 しかも、来札の折、バチェラー関連の著作があった高校教員、仁多見(にたみ)巌さんに自分から面会を求めるほどの行動力を発揮。仁多見さんは、中にあったバチェラーの口述による「自伝」が未発表なことを確認し、91年、「異境の使徒 英人ジョン・バチラー伝」の出版にこぎ着けた。
 英国中部のセドバーグ生まれ。第2次大戦中に空軍に入隊し、日本語通訳の訓練を受けた。終戦直後、進駐軍としてシンガポールから日本へ。東京や広島を訪ねて戦禍に胸を痛め、外交官に転じた。80年から84年まで駐日大使を務めた。
 回顧録によると任期中、最も大変だったのは82年秋、サッチャー首相(故人)の訪日。夕食会後、首相に呼ばれ、なぜ日本車の対英輸出に強硬に歯止めをかけないのか―と深夜まで問い詰められ、帰宅後、妻に「明日、辞表を出さなくてはならないだろう」と告げたと明かしている。事情通だけに板挟みになることも多かったのかもしれない。(編集委員 小坂洋右)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/251333

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「喜界語」消滅危機 保存継承に挑む関学大教授ら

2018-11-25 | アイヌ民族関連
神戸新聞NEXT2018/11/24 14:00
鹿児島県の奄美群島・喜界島に残る言語で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「消滅の可能性がある」とする喜界語を保存・継承するプロジェクトに、関西学院大の教授らが挑んでいる。喜界語は現地でも戦後徐々に使われなくなり、今も話せるのはおおむね70代以上に限られる。25日に取り組みの一環として、“ネーティブ”の高齢者から指導を受けた地元の小学生6人が喜界語に翻訳した狂言を披露する。
 言語学が専門の本田盛教授(67)と、今西祐介専任講師(34)=ともに総合政策学部。世界には現在、約6千の言語があるとされるが、ユネスコは2009年、約2500言語が「消滅の危機にある」と発表した。言語と方言は区別されておらず、日本ではアイヌ語など8言語がリスト入りした。喜界語も、奄美大島や徳之島の言葉と合わせ「奄美語」として挙げられた。
 喜界島は淡路島の約10分の1の面積に約7千人が暮らし、高齢化率は35%を超える。本田教授は妻のルーツが喜界島で、今西講師と14年から毎年現地を訪れ、フィールドワークに取り組む。高齢者約10人から発音や文法、単語などを聞き取り、口の動きが分かるよう映像にも残してきた。
 「調べるほどに面白い」と2人。例えば「いんがー」という言葉は、最初の「い」を少し喉をすぼめて発音すれば「犬」を指すが、頭にアクセントを付けると「男」の意味になる。目的語を示す「を」を使わないなど独特な文法があり、焼酎は「せ」、ご飯は「むん」など固有の単語も多い。
 4月に小学生たちに伝えるプロジェクトを開始。地元の喜界島言語文化保存会の協力を得て、狂言の有名な曲目「附子」を喜界語に翻訳した。高齢者が発音を教え、所作は京都から講師を招いた。25日は大勢の住民の前で成果を披露する。
     ◆
 喜界語など地域に固有の言語や方言が戦後あまり使われなくなった背景には、「高度成長期の集団就職も影響している」と本田教授は指摘する。独特な言葉遣いは時に差別の対象となり「使ってはいけないもの」「恥ずかしいもの」との意識が広がったという。このため、各地で標準語の使用が推奨された。
 ただ、本田教授は「人に多様性があるように、言語にも多様性が大切」と強調。今西講師も「言語は一度途絶えると取り返しがつかない。地元の言葉だからこそ理解できる文化や歴史もある」とする。
 喜界語も話者の高齢化が進み、継承に残された時間が課題となる。そんな中、道で会った高齢者に覚えたての喜界語であいさつする子どもが出るなど「島全体で良い効果が生まれつつある」と2人は手応えを語る。今後も住民とともに、次代に引き継ぐ取り組みを続けるつもりだ。(田中陽一)
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201811/0011848038.shtml

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慶大元教授、アイヌ遺骨無断保管し「全て返却」

2018-11-24 | アイヌ民族関連
読売新聞 2018年11月23日 19時55分
 北海道釧路市が保管するアイヌ民族の遺骨を研究目的で預かった慶応大教授(昨年3月に定年退職)が、2016年以降の市からの再三にわたる返却要請に応じず、今年2月まで無断で保管していたことがわかった。元教授はこの間、同大の調査にも事実と異なる説明をしていたという。
 市や同大によると、元教授は文学部人類学研究室に所属していた。市は1992~96年、遺骨の特徴についての分析などを依頼し、計6体を預けたという。
 市は2016年3月に返却を求め、元教授は同年12月に5体を返す一方、1体については「歯の状態を詳細に調べるため1か月ほど待ってほしい」と拒否。ところが1か月が経過した後も、市からの要請に応じず、慶応大の調査にも「全て返却した」と事実と異なる報告を行っていた。
 今年2月、アイヌ関係者からの相談が北海道大を通じて慶応大にあり、元教授が自宅で遺骨を保管していたことが判明。その後、市に返却されたという。
 元教授の一連の行動について、文部科学省学術機関課の担当者は取材に「アイヌ民族の人たちの信頼を損ねる研究者としてあるまじき行為だ」と批判した。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20181123-OYT1T50096.html

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アイヌ文化 自然体で伝える 白老の山道さん 「まず身近に感じて」

2018-11-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/23 05:00
 2020年、胆振管内白老町にアイヌ文化の復興拠点「民族共生象徴空間」がオープンします。準備を進める公益財団法人アイヌ民族文化財団(札幌)の職員で「週刊じぶん」紙面サポーターの山道陽輪(ようまる)さん(29)=同町=は、アイヌ民族の家庭に育ちました。文化を継ぐ仕事に誇りを持ちつつも、長女(9)と長男(2)には「教えてと言われたら、伝えよう」と自然体です。子育て世代は差別や偏見の実感があまりなく、アイヌ文化に興味を持つ人も多いよう。家族で北海道の貴重な財産について学び、子どもたちへ伝える機会かもしれません。
 山道さんは日高管内平取町出身。22歳から3年間、同財団の前身のアイヌ文化振興・研究推進機構が白老町内で行った「伝承者育成事業」の2期生として、アイヌ語などを学びました。その後は白老のアイヌ民族博物館(今年3月閉館)に勤務。今は財団の白老事務所で「象徴空間」の体験プログラム作りをしています。
 9人のきょうだいとともに親からアイヌの言葉や作法を教わり、カムイノミなどの儀式にも参加してきました。「他の家と違う」とは感じましたが「差別などの経験がなかったので、アイヌ文化と距離を置くこともなかった」と振り返ります。
 子どもたちと妻亜耶乃(あやの)さん(33)と住んで8年目になる白老は、若いアイヌ民族も多い土地。10月には、町内で家族とアイヌ文化体験イベントへ参加しました。
 昼食はサケを使った伝統食。「いただきます」と言った後、山道さんだけが箸を両手で数回、顔の前でささげ持つ作法をしました。亜耶乃さんは「子どもにやりなさいとは言っていませんが、時々まねしますよ」と言い、会話には「みそ汁」と「オハウ(汁物)」という言葉が交じります。
 山道さんは家でアイヌ料理に腕を振るい、イベントなどで一緒にアイヌ舞踊を鑑賞した子どもたちから「ユーチューブでも見たい」とせがまれるそうですが、何が何でも文化を継承させようとは思いません。「いい思い出があれば、いずれもっと知ろうと思うはずです」
 他のサポーターからは「アイヌ文化に興味はあるけれど、接する機会が少ない」という声が数多く寄せられました。ある女性は「道民だから知る必要はあると思うけれど、日頃意識することがなく、関心を持ちにくい」と本音を明かします。
 山道さんは「機会が少なければ、親しみが薄いのは当然。それでも知りたいという気持ちはうれしいし、そんな場をつくっていきたい」と力を込めます。「特別視せず、まずは身近なものだと感じてほしい。悲しい歴史や文化が衰退しかけたことを知るのは、それからでいい」と話しています。
 <記者のひとこと>函館で過ごした子ども時代、「うちの学校にはアイヌ民族が何人もいる」と人づてに聞きました。でも漠然と「話題にするのは気の毒」だと感じていました。その対応が正しいのか、周りの人はどう思っていたのかを深く考えないまま育った私は、紙面サポーターの皆さん以上に接する機会も、関心も持たずに来たのだと反省しています。アイヌ民族の存在を、他の道民も意識の中に根付かせなくてはならない。取材を通し、強く思っています。(大野日出明)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/250921

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(社説)タトゥーと社会 多様な視点を大切に

2018-11-24 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2018年11月24日05時00分
 文化や風習への評価は時代や場所によって移ろう。同じ時期、地域に暮らす人々の間でも好き嫌いは分かれる。
 タトゥー(刺青〈いれずみ〉)は、そんな例のひとつと言えるだろう。
 ニュージーランドのマオリをはじめ、伝統文化として受け継ぐ先住民族が世界各地にいる。日本でも古代に慣行があったとみられ、近世まで北海道のアイヌ民族や琉球(沖縄)などの女性の儀礼だった。半面、江戸時代には罪人の目印ともなり、明治期に入って取り締まりが強化され、戦後は映画などを通じて暴力団を連想させる否定的な印象が定着した。
 そのタトゥーについて考えるきっかけとなる判決が今月、大阪高裁であった。医師免許がないのに客にタトゥーを施したとして医師法違反の罪に問われた30歳の男性に、逆転無罪が言い渡された。
 タトゥーは装飾的、美術的な意義がある社会的な習俗という実態があり、医療を目的とする行為ではない――。判決はこう述べ、「タトゥー施術業は正当な職業活動」と指摘した。
 兵庫県警が10年に彫り師を初めて医師法違反で逮捕して以来、警察は暴力団摘発に同法を適用。彫り師は暴力団関係者以外も含めて罰金を命じられてきた。今回の初の高裁判断はその流れに待ったをかけ、芸術性にひかれて彫り師になった男性の主張を認めた。
 公衆浴場などでは「入れ墨」のある人の入場を断る掲示が広く見られる。暴力団関係者を受け入れないという、社会の決意を示す取り組みの一つだ。
 一方、外国人との間でトラブルが起きている。先住民族のほか、ファッションなどの理由で施す人が多いためだ。
 観光庁の3年前の調査では、約600の宿泊施設のうち「入れ墨」のある人の入浴を断る所が過半数だったが、断らない施設も約3割あり、条件つきで認める施設は1割強だった。
 大分県別府市の温泉施設を紹介するパンフレットは、家族風呂など個室なら受け入れる所を含め、入浴の可否を「○」「×」「△」で示す。訪日客が急増するなか、誤解や摩擦を防ごうと各地で試行錯誤が続く。
 自己表現としてタトゥーを楽しむ人は日本人でも増えているようだ。ただ、タトゥーには感染症や健康被害の恐れがある。その周知や予防のための態勢づくりも急がねばならない。
 入れ墨、刺青、タトゥー。どう向き合っていくか、多様な視点を大切にしながら議論を重ねていきたい。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13782909.html

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遺骨 慶応大から22年ぶり返還(動画)

2018-11-23 | アイヌ民族関連
NHK 11月22日 12時15分

釧路市の研究機関が、研究目的として慶応大学に貸し出していたアイヌ民族の遺骨が、22年ぶりに返還されていたことがわかりました。
文化財の保護や活用に取り組む釧路市埋蔵文化財調査センターは、所蔵するアイヌ民族の遺骨を研究目的として慶応大学に貸し出していました。
センターは研究が終わったはずだとして遺骨の返還を求め、これまでに貸し出した6体のうち大半が戻っていましたが、頭の骨など1体の一部は引き続き研究の必要があるとして返還されていませんでした。
遺骨は、今は定年退職している当時の教授が自宅で保管していましたが、ことしになって大学の学部が事態を把握し、遺骨はことし2月、22年ぶりに返還されたということです。
これについて地元への遺骨の返還を求めていた阿寒アイヌ協会の廣野洋会長は、「遺骨を物としか思っていない感じがした。戻ってきた遺骨の地元での慰霊を検討したい」と話しています。
また慶応大学広報室は、「関係者に迷惑と心配をかけたことをおわびします」とコメントしています。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20181122/0005855.html?fbclid=IwAR1M5K-UAB9CjY76rSis4E7kIi-OqG_3ZZE1M-D-9-clpLgi-BzXDVZKKDM

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アイヌ遺骨20年ぶり返還 慶応大、釧路市に6体

2018-11-23 | アイヌ民族関連
産経新聞 2018.11.22 20:47
 北海道釧路市が所有し、慶応大に研究目的で貸与、その後返還を求めていたアイヌの遺骨6体が今年2月までに、二十数年ぶりに返還されていたことが22日、分かった。
 釧路市によると、遺骨は旧阿寒町(現釧路市)と同市内で1963年と92年に発掘され、92年と96年に釧路市が慶応大文学部に分析を依頼した。
 2016年に大学側は市の要請で6体を返還。同大の元教授が「研究を続けたい、すぐに返す」と、うち1体の頭部や下顎の骨を自宅に保管し続けた。慶応大は昨年、国の調査に元教授の報告通り「全て返還した」と回答したが、その後、元教授の保管を把握し、今年2月に返還、関係者に謝罪した。
 元教授が大学内に保管していた人骨は他にも100体以上あり、慶応大はアイヌの遺骨がないかを調査している。慶応大学広報室は「確認が不徹底でご迷惑をおかけした」としている。
https://www.sankei.com/life/news/181122/lif1811220060-n1.html


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アイヌ施策 新交付金検討 政府が地域や産業振興に /北海道

2018-11-23 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2018年11月22日 地方版
 菅義偉官房長官は19日の記者会見で、アイヌの人々が多く住む地域の振興や産業振興に向け、新たな交付金制度の創設を検討していることを明らかにした。「総合的な取り組みを推進するために必要だと考える」とした。
 政府はアイヌ民族支援の新法制定を目指しており、アイヌ施策を進めるための交付金制度は新法制定と合わせ…
この記事は有料記事です。
残り227文字(全文378文字)
https://mainichi.jp/articles/20181122/ddl/k01/010/061000c

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慶大がアイヌ遺骨20年保管 釧路市貸与の6体 返還遅れ謝罪

2018-11-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/22 05:00
 【釧路】アイヌ民族の遺骨が主に研究目的で全国の大学で保管されている問題で、慶応大に釧路市から遺骨6体が貸与され、20年以上にわたり同大で保管されていたことが21日、分かった。同大は今年2月までに全ての返還を終え、地元関係者に謝罪した。文部科学省が2017年時点に公表した調査では全国12大学で1676体を保管していることが判明しているが、同大はこのリストから漏れていた。
 慶応大や釧路市によると、6体は釧路市や旧釧路管内阿寒町(現釧路市)の遺跡で発掘され、いずれも釧路市が慶応大の元教授に分析を依頼した。うち5体は1992年、1体は96年に預けられ、同大日吉キャンパス(横浜市)にある元教授の研究室で保管されていた。
 慶応大は2015年に遺骨が保管されていることを把握。文科省の調査に対し、16年10月の回答期限までに6体分あることを報告した。その後、元教授に返還を求め、17年1月に元教授から返還が完了したと報告があったため、同月、文科省に対し、既に保管している遺骨がないことを報告した。
 だが、その後も1体の頭部を元教授が自宅で保管し続けていたことが分かり、今年2月に返還。8月に慶応大と文科省、釧路市、元教授が、発掘地の地元の阿寒アイヌ協会を訪れ、遺骨の一部の返還が遅れたことを謝罪した。現在、遺骨は釧路市埋蔵文化財調査センターで保管されている。
 慶応大広報室は「ご遺骨の保管状況の確認が不徹底で返還が遅れたことをおわびする」と文書で回答。文科省は「(遺骨の)尊厳について考えると、一体的に返還するのが望ましかった」(学術機関課)としている。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/250598

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アイヌの遺骨、20年ぶりに返還

2018-11-23 | アイヌ民族関連
共同通信2018年11月22日 / 19:30 /
 北海道釧路市が所有し、慶応大に研究目的で貸与、その後返還を求めていたアイヌの遺骨6体が今年2月までに、二十数年ぶりに返還されていたことが22日、分かった。
 釧路市によると、遺骨は旧阿寒町(現釧路市)と同市内で1963年と92年に発掘され、92年と96年に釧路市が慶応大文学部に分析を依頼した。
 2016年に大学側は市の要請で6体を返還。同大の元教授が「研究を続けたい、すぐに返す」と、うち1体の頭部や下顎の骨を自宅に保管し続けた。慶応大は昨年、国の調査に元教授の報告通り「全て返還」と回答したが、その後、元教授の保管を把握し、今年2月に返還、関係者に謝罪した。
https://jp.reuters.com/sponsored/article/hamilton-with-nobutaka-murao-movement

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インドの禁じられた島・北センチネルに上陸した米国人、文明を拒む先住民に殺害される

2018-11-23 | 先住民族関連
buzzfeed news 2018/11/22 12:46
ベンガル湾に浮かぶ島で、石器時代の暮らしを続ける人々に近づいた米国人が殺害された。
Yoshihiro Kando 貫洞 欣寛 BuzzFeed News Editor, Japan
インド東部アンダマン・ニコバル諸島で、外部からの接触を拒絶する先住民族が暮らす北センチネル島に上陸した米国人の男性(27)が、殺害された。先住民族に殺されたと見られる。インドの地元紙などが伝えた。
先住民族を保護するため、北センチネル島は上陸が禁じられている。
地元紙アンダマン・シーカなどによると、男性は11月中旬、別の島の漁師を雇って、北センチネル島に近づいたという。
北センチネル島には狩猟採集の生活様式を続ける先住民族センチネル人が暮らしている。だが、その人口や暮らしぶりは、はっきりと分かっていない。
世界で最も孤立した民族
センチネル人は外部からの接触を強く拒絶しており、世界でほとんど最後とみられる、現代文明と接触しない民族だ。
近づくと弓矢などで攻撃してくるため、かつて一帯を植民地として支配した英国や現在のインド政府も、島に上陸できない。2011年の国勢調査で、センチネル人の人口は「15人」とされているが、これも推測に過ぎない。

アンダマン・ニコバル諸島に暮らす別の先住民ジャラワ人。島々は長く孤立してきたため、古くからの文化が維持されてきた。
インド紙インディアン・エクスプレスによると、2004年のインド洋津波で一帯が大きな被害を受けた際、インド政府は実態調査と救援のためヘリコプターを飛ばしたが、弓矢が飛んできたため、それ以上の接近を断念したという。
2006年には、島の近くに停泊した漁船で寝ていた漁師2人が殺害された。
周辺の島とは言語が異なるため、センチネル人とコミュニケーションを取る方法もないという。
政府は上陸を禁止
地元行政当局は2015年、島の先住民とこれ以上接触せず、文化や生活に干渉しないことを表明。刑法などインドの国内法を先住民に適用することも断念した。
インド海軍は島の周囲3海里(約5.5キロ)を航行禁止とし、観光客らが島に近づかないようにしている。
一方、インターネットなどを通じて情報が広まっているため、不用意に上陸する人が出る事態も懸念されていた。
アンダマン・シーカによると、米国人の男性は11月14日、漁師5人を雇って島に上陸した。贈り物としてはさみや安全ピン、サッカーボールなどを持っていったという。
同紙は男性が「キリスト教の布教を目的としていた」としているが、地元警察幹部は別のインドメディアに「冒険に向かった」としており、上陸の理由ははっきりしない。
11月16日夜、沖合で待機していた漁船に泳いで戻り、「島に残る」と伝え、13ページの日誌を残して再び島に向かったという。日誌には「何人かは親切で、何人かは非常に攻撃的だった」「私は丁寧に接しているのに、なぜ彼らはこうも怒っていて攻撃的なのか理解できない」と記されていたという。
遺体の回収も困難
17日朝、先住民らが男性の遺体を浜に埋めているのを漁師らが目撃し、殺害されたことが分かった。警察も近づけないため、遺体の回収が難しい状況が続いているという。
人口12億人を超え、ヒマラヤ山脈から熱帯の島まで広大な国土を持つインドには言語や信仰が異なる数多くの先住民族が暮らしている。
インド政府は先住民族を保護することを憲法でうたっており、公務員採用や大学入試などでの優先政策を採っている。705の民族・部族の計約1億人(2011年国勢調査)が、優先の対象となっている。
https://www.buzzfeed.com/jp/yoshihirokando/andaman-st

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アメリカ人観光客が「絶滅の危機に瀕した謎の部族」に弓矢で撃たれ殺される事件が発生

2018-11-23 | 先住民族関連
ライブドアニュース 2018年11月22日 12時0分 GIGAZINE(ギガジン)
テクノロジーやインターネットが発達した現代でも、世界の中には文明との接触を持たない部族がいくつも存在しています。そんな文明から隔離された、インド洋に浮かぶ離島に住む部族に接触を試みたアメリカ人観光客の男性が、「弓矢で撃たれて殺されてしまう」という事件が発生したと報じられました。
American 'killed in India by endangered Andamans tribe' - BBC News
https://www.bbc.com/news/world-asia-india-46286215
インド洋東部・ベンガル湾内に位置する北センチネル島には、「センチネル族」と呼ばれる文明から隔離された先住民族が50~150人ほど住んでいるとされています。今もなお狩猟採集生活を送っていると見られるセンチネル族は外部との接触を拒絶しており、インド政府も干渉しない方針を示している「謎の部族」です。

そんなセンチネル族に接触を試みた27歳のアメリカ人観光客であるJohn Allen Chau氏は、北センチネル島に運んでもらうように地元の漁民に依頼しました。長らく文明から隔離されていたセンチネル族と接触することは、センチネル族が抵抗力を持たない病原菌に感染させてしまうおそれがあるため違法な行為です。しかし、地元ジャーナリストのSubir Bhaumik氏によるとChau氏は以前にも4、5回地元の漁民に依頼し、違法に北センチネル島に渡っていたと警察が発表しているとのこと。
2018年11月14日にChau氏と漁民らは北センチネル島への上陸を試みましたが、この時は失敗に終わりました。そして2日後の11月16日、再び北センチネル島への上陸を決行。Chau氏はセンチネル族との接触に成功しましたが、部族によって弓矢で撃たれてしまいました。Chau氏を連れて行った漁民によると、「Chau氏は撃たれた後もしばらく歩いていた」とのことですが、部族がChau氏の首に縄をかけて引きずりだしたのを見て、漁民たちは恐怖に陥ってその場から逃げ出したとしています。
地元メディアによるとChau氏は「先住民族にキリスト教を布教するため」に北センチネル島へ渡ったとされていますが、SNS上でChau氏は自身のことを「熱心な冒険家」として紹介していました。Chau氏の遺体は11月20日に北センチネル島の海岸で発見されましたが、北センチネル島へ近づくこと自体に大きな危険が伴うため、記事作成時点ではChau氏の遺体は回収されていません。
インド政府によると、センチネル族は数万年にわたって外部との大きな接触を持っておらず、外部の人々が一般的に持っている病原菌に対しての抵抗力がない可能性もあります。そのためセンチネル族との接触は法律で禁じられている他、2017年からは遠くから島を撮影して写真やビデオに残すことも違法となっており、最大で3年の懲役が科せられるとのこと。
Bhaumik氏は「センチネル族の人口は非常に少なく、お金の使い方すら知りません。あらゆる種類の接触は違法です」と語っており、今回の事件でChau氏を北センチネル島へ連れて行った7人の漁民も逮捕されています。今回の事件が文明社会で起きればれっきとした殺人事件ですが、文明から隔離された部族による殺人は警察にとっては非常に難しいケースであり、「センチネル人を逮捕することはできません」とBhaumik氏は述べています。
センチネル族は2004年に起きたスマトラ島沖地震による津波で大きな被害を受けたとされており、この時はパトロール中の海軍ヘリコプターが住民の安否を確認するために島の上空へ近づいたとのこと。すると、住民が視認できるあたりまで近づいたところで、住民がヘリコプターに対して弓矢を放って攻撃してきたそうです。さらに2006年には北センチネル島で違法に漁をしていた2人の地元漁師が部族によって殺害されるなど、センチネル族は外部の文明に対して敵対的な行動をとっています。
また、センチネル族はセンチネル語という言語で話すそうですが、島外にセンチネル語を理解できる人は存在していません。センチネル族と接触した人はほとんどが殺害されるか、そうでなくても短い接触時間しか得られないためにセンチネル語を解読することもできないとのこと。
ロンドンに本拠を置いて原住民を保護する活動を行っている「Survival International」は、マンハッタン島ほどの大きさの島に住むセンチネル族を保護するキャンペーンを行っています。グループ代表を務めるStephen Corry氏は、「センチネル族の人々は繰り返し文明との接触を拒絶しており、私たちが接触しないことが彼らの望みです。このような事件は決して引き起こされてはなりません」と述べています。
http://news.livedoor.com/article/detail/15632839/

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