かなり昔の話だが「企業は人なり」という言葉をよく聞かされたものだった。
その言わんとする意味は次のとおり。
「経営の神様と讃えられた松下氏は、折に触れて「企業は人なり」と説いていました。 つまり、「事業は人を中心として発展していくものであり、その成否は適切な人を得るかどうかにかかっているといってもいいだろう」と語り、「やり方しだい、考え方しだいで、その持てる力をいくらでも引き出し、発揮させることもできる」と言うのです。
まあ、一言でいえば「人材育成の重要性」を説いたものだが、現代ともなると「AI」を使いこなす方向へと比重がかかり、もはや「死語化」しているように思えるが、ふと「音は人なり」という言葉が脳裡に浮かんでしまった。
というのも、先日の「オーデイオ愛好家のネットワークづくり」に関して横浜在住の「K」さんから次のメールをいただいたことにある。
「旅行ついでにaudio試聴」アイディアは良いと思いますが、人と人との相性はオーディオの世界も同じ、ここが難しそうと感じます。」
なるほど・・と思い、次のように返信した。
「人と人との相性は盲点でした。たしかに・・。いちばん読みづらいのが人間の心理状態ですからね。旅先で不快な思いをするぐらいなら訪問しない方がマシ・・、分かる気がします。
自惚れ混じりながら、わりかし自分は常識派と思ってますが、♪人生いろいろ、男もいろいろ♪・・ですかね~(笑)」
で、「音は人なり」について少し分け入ってみよう。
もちろん仮定の話だが「ネットワークづくり」において、「他人に聴かせてもいい」と、自ら進んで登録するぐらいの方だから相当の自信家には違いない。
ただし、それが表(態度)に出るかどうか・・。
最初から「どうだ! メチャいい音だろうが」と異論を挟ませない態度で出てこられたら、それがたとえ「いい音」であったとしても、少し怯みますよね、いや怯むどころか反発する方だっていることだろう(笑)。
で、所詮は電気回路を通した音に「生の音」の再現性は無理なんだから、いくばしかの謙虚さが必要だし、その謙虚さがその人が鳴らす音に滲み出てくる・・、というわけで「音は人なり」。
我が家で英国系サウンドを愛する理由の一つがここにある・・、おっと何も自慢しているわけではないですからね(笑)。
穏やかで控えめ、しゃしゃり出てくるような様子が微塵も無く、大向こうを唸らせる様子もない・・、それかといって噛めば噛むほど味が出てくるし、過去の幾多の失敗や悔いを「そうかそうか」と慰めてくれるような音・・。
私はそういう音を出したい(笑)。
というわけで、一事が万事である。
「音の交流=人生の交流」だとして、その人が出す音の背景に複雑な人生観が横たわっているとすると、迂闊に他人には聴かせられない、という見方も成り立つ。
たとえて言えば、赤の他人から蔵書を覗き込まれるようなもの・・かな(笑)。
そういえば、「音楽&オーディオ」の先達だった「五味康佑」さんが「単に音とはいえ他人に聴かせるのは怖いことだ」と述べられていたことを思い出した。
お互いに異文化を背負った人間同士の交流って何だか難しそう・・、とりわけKさんみたいにナイーブな方もいらっしゃるし~(笑)。
とはいいながら、その一方では「何も難しく考える必要はないだろう、たかが音だぞ!」という方もおられるだろうし~。
皆様のご意見をぜひ拝聴したいですね。
さいごに、今回のブログはいつもより2倍も時間がかかりました、すこし理屈っぽかったかなあ~(笑)。
積極的にクリック →