サイエンス的なエッセイ「飛ばないトカゲ」を読んでいたら興味を引く話題が3つあったので書き留めておこう。いずれも「目」に関係のあるお話ばかり。
1 お尻に目(34頁)
インドではベンガルトラが保護されており、生息状況は改善したが近隣の住人たちがトラに襲われることが激増した。そこで保護区の近くで仕事をするときは後頭部に「お面」を付けるという方法でトラの被害を減らしているという。
トラ以外にもライオンやヒョウも背後から獲物を襲う、つまり待ち伏せタイプの狩りをするので、「後ろにも目があるぞ」というわけだ。
ボツワナのオカバンゴ・デルタ地帯では家畜の牛がよく襲われる。そこで牛のお尻に大きな目を描くことを思いつき大々的な実験が行なわれた。
683頭の牛のお尻に目を描き、別の543頭には「クロス=×印」だけ、残りの835頭には何もしなかった。
その結果、目を描かれた牛は1頭も襲われず、クロスだけ描かれた牛は4頭襲われ、処理なしの牛は15頭襲われた。
つまり「お尻に目」は待ち伏せタイプの背後から襲う肉食獣には効果的なことがハッキリした。
以上のとおりだが、自分にも思い当たる節がある。
以前のこと、家の前にポリ袋に容れた「生ごみ」を出していたところ数羽のカラスにつつかれたことがあった。
現場に行くと、すぐに逃げて近くの電柱の上に止まりこちらが立ち去るのをじっと待っている、で、ジロリと視線を電柱の上に向けると、その瞬間に浮足だって一斉にざわざわと羽ばたきをした。
あれ~、カラスでも人間の視線を意識しているんだな(笑)。
2 目(99頁)
友人に会った瞬間、具合が悪そうだなと思う時がある。実は、何が原因でそう思うのか、さらには正確に判断できるかどうかはこれまで明らかにされていなかった。
で、スウェーデンでは19~34歳の健康な参加者22人を集め、何と彼らに注射をして実験をした。
半分にあたる11人には一時的に炎症反応を引き起こし、本人が具合が悪いと感じる程度の細菌の「内毒素の入った液体」を注射し、残りの半数には単なる「生理食塩水」を注射した。
効果の現れる2時間後に彼らの顔写真を撮り、1枚づつ5秒間だけ参加者に見せて健康に見えるかどうかを評価してもらったところ、81%の確率で具合の悪い人を当てた。
その判断の重要な根拠となったのは「目がとろんとしていて、顔色が悪い」だった。
以上のとおりだが、これまで顔色の良し悪しが健康の判断基準になるのは承知していたが、「目の焦点が定まらず、とろんとしている」は文字通り盲点でしたね。
「視線の強さ」はどうやら健康の証のようですよ(笑)。
3 メガネは知性の一部か(201頁)
メガネをかけている人がはたして知性のある人が多いのかどうか、これはかなり興味のあるテーマですね。巷にはメガネ人間が氾濫していますから(笑)。
アメリカでは、たしか「女性とメガネをかけた人間を殴ると後始末がたいへんだ」というジョークがありましたっけ。
本書によるとメガネと知性の関係を調べるために12人の男性と12人の女性の顔写真を用意し、それぞれメガネ無しのグループとメガネ有りのグループに分けた。
つまり、「同じ顔」でメガネをかけた顔と、かけてない顔をそれぞれグループ分けして、参加者に「どのくらい知性的に見えますか」と質問したところ、明らかに「メガネあり」が「メガネ無し」よりも高得点となった。
人の発明品であるメガネは1286年に登場する。つまりこのおよそ700年の間に、メガネをかけた顔と知性とを結びつける傾向が、書物や絵画といった文化的なツールによって生まれたのだろうと推察できる。
そこで、今度は「4歳児」と「6歳児」の子供を対象にした実験が行われたところ、「6歳児」の子供は「メガネありが知性的」を有意に選んだが、「4歳児」にはそのような偏りは無かった。
たった2歳の違いでそういう偏りが出ることに驚きだが、名探偵「コナン」の主人公が「メガネをかけているせいかな」という落ちがあった。
ちなみに私は50年以上のメガネ派です(笑)。
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前回からの続きです。
左チャンネルのSPボックスは元のまま、右チャンネルのボックスは前回の既述どおり新たな仕組みを施して耳を澄ませたところ、右側の方が圧倒的に良かった。
音が明るい、響きが豊かで屈託がない、それぞれの楽器に深い奥行感が出てきた、低音域の量感が増えた感じがする、など期待以上の成果に驚いた。
たった1枚の小さなビニールを底板に敷くだけでこれだけ変わるのだからオーディオの闇は果てしなく深い(笑)。
小躍りしながら、ためらうことなく左チャンネルについても同様の作業に取り掛かって無事終了。
その日は終日、いろんな曲目を聴きまくりながら「ええ音やなあ・・」とご機嫌。これが「バラ色の人生」というやつだろうか(笑)。
で、翌9日(土)の早朝のこと、およそ1か月ぶりにオーディオ仲間の「Y」さんのご尊顔を仰ぎたくなった。
「AXIOM80を弄ったところ、どうやら満足できる状態です。聴きにお見えになりませんか」
「ハイ、それではいつもの13時半ごろに伺います」
「Y」さんには我が家のシステムに変化が起きたときは必ずといっていいほど来ていただいてアドバイスをいただいている。
もちろん、まるっきり鵜呑みにするわけではないが、冷静な第三者の視点からのご意見はハッとさせられることが多い。
で、実際にお見えになるとなると、できる限り最高の状態に整えておきたいので、さっそく大分市郊外の「DIY」店に走って箱の内部の重しとなる「鉄筋」を買った。クルマで45分ぐらいかな。
長~い2本の鉄筋を30cmおきに切ってもらった。1回の切断料が50円なり(笑)。これらを左右のボックスの底部に四方均等に敷き詰めた。そして既存の「水入りのダンベル」はボックスの上に置くことにした。
何しろ板の厚さが「1.5cm」の軽い箱だから、それなりの重さにした方がボックス全体の振動のためにはいいと思っている。
作業がぎりぎりに間に合って、13時半きっかりにYさんがお見えになった。
Yさんは大きな高齢者保養施設の理事長さんであり、立場上の慣れもあるのだろうか、一切の忖度なしに「歯に衣」を着せずストレートに発言される。
正直言ってカチンとくることもあるが、それ以上にメリットの方が大きい(笑)。
「明らかに(音が)変わりましたね。以前と比べて焦点がピタリと合ってる感じです。一段とレベルアップした感じですが、インシュレーターの効果もあるんじゃないですか」と初めから好評。
お気に入りの「AXIOM80」にはいつも好意的な見方をされるが、今回はさらに輪をかけた感じ。
せっかくの機会だからと、駆動するアンプを3台順次取り代えていった。
アンプとスピーカーは持ちつ持たれつの関係だが、AXIOM80はアンプ次第でガラッと音が変わる。言い換えるとアンプの選り好みが激しい。
初めが「2A3シングル」次いで「6AR6シングル」(三極管接続)、そして最後が「071シングル」(SRPP回路)。
いずれもインターステージトランス無しのアンプである。私見だがAXIOM80のハイスピードに対応するためには「インター・・」は無い方がいい気がしている。
その結果、Yさんの好みの順番は「071」「6AR6」「2A3」となった。つまり尻上がりに評価が上昇したことになる。
「071があればもうほかのアンプは要らないんじゃないですか」というほどの惚れ込みようだった。
「アメリカの出力管の系譜は「71A→45→50→2A3」となっており、よりパワーが増していっていますが、音の質感とスピードでは71Aが一番かもしれませんね」と申し上げたことだった。
また、71A系といっても当時はメーカーが乱立していて多種多様、その中でも「071」は「171」(トリタン・フィラメント)と双璧とされる真空管だから能力を存分に発揮した可能性もある。
夏場は窓を開け放すことが多いので、やや低音域が弱い「071」はここしばらく控えに回っていたのだが、このたびのSPボックスの改造によって低音域の不満も見事に解消し再び「檜舞台」へと躍り出た感じ、かな。
この日は二人して3時間ほど、クラシックからジャズ、ポピュラー、歌謡曲までいろんな音楽ソースをみっちり聴き耽ったが、いっさい破綻を見せることがなかった。
「これでもう満足、何も言うことはない」という雰囲気が漂った(笑)。
最後に、プリアンプを当初の「マランツ7型」(出力管は13D3)から「安井式」(これも出力管は13D3)へと取り代えてみた。
前者はあまりにも超繊細なので短時間の試聴向き、その一方、後者は「線が太くてゆとり」があり長時間の試聴向きとのこと。
お客さんを唸らせるとしたら「マランツ7型」かな(笑)。
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「没頭できる趣味があると人生が楽しくなる」とは、よく耳にする言葉だが、オーディオの楽しみっていったい何だろうと思うことがある。
大雑把に一括りにすれば「音のグレードアップを求めて人それぞれに創意工夫を凝らす」ということになるのだろうが、我が家の場合「電源」「ケーブル」「真空管」をはじめ各種機器のブラッシュアップや交換など枚挙に暇がないほどだが、中でも一番楽しいのは比較的簡単な対応で音の変化が大きい「スピーカー回り」を弄ることに尽きるような気がしている。
もちろん、スピーカーは精密な箱の製作がネックになっていて専門メーカーの域に達するのは至難の業だが、幸か不幸か「グッドマン」(英国)はタンノイなんかと違って箱を製作しなかった。
そのために悲喜交々の状況が至る所で展開されるわけだが、我が家も例外ではない。
「グッドマン」の「AXIOM80」をはじめとして様々な試行錯誤を繰り返すこと数知れず、その都度悲哀を噛みしめてきたがこのほどメル友「T」さん(東海地方)さんの「パッシブラジエーター」の記事に大いに触発されて「ダメ元」でチャレンジしてみることにした。
はじめに「パッシブラジエーターって何?」にお答えしておこう。
パッシブラジエーターとは、スピーカーユニットから電磁気回路を取り除いたもので、スピーカー筐体内の空気振動を利用して動作させるスピーカーユニットのことをいいます。
通常のスピーカーユニットは電気信号により振動板を駆動させ、音声出力を行います。その際にスピーカー筐体内で空気振動が発生します。その空気振動を利用してスピーカーユニットを動作させる仕組みがパッシブラジエーター方式です。
パッシブラジエータユニットは一定の周波数で共振し、主に低音域の増幅・補強を行うことで迫力のある重低音を表現できます。小型の筐体でも低音が響く高音質サウンドを楽しめることから、小型のポータブルスピーカーなどで採用されています。
というわけです(笑)。
さて、肝心の「パッシブラジエーター」に何を使うか「T」さんに相談したところ「軽いものほどFoが高くなりますので、ビニール1枚から出発されることをお薦めします」。
「善は急げ」とばかり「100均」に駆け込んで材料をそろえた。
木枠の2つはビニールを貼りつけるもの、そのビニールは大き目のポリ袋から適当にカットして使う、そして「ダンベル」は水を入れると1Kgになるので「重し」代わりに使ってみよう。〆て1000円ぐらいだから不首尾でも実害は無いのと同じかな(笑)。
さっそく、カッターナイフや両面テープなどを使ってビニールの貼り付け終了。
そして、自作のSPボックスの下半身を露出させた。
25xm四方の穴の上に「重し」と「パッシブラジエーター」代わりに取り付けていた「AXIOM150マークⅡ」(口径30cm)を外して、準備していたビニールを被せた。
今となってはこのダンベルは好ましくなかった。容積がかさばらず、重たい「鉄筋」みたいなものを四方に置いた方が良かったみたい。まあ、応急措置だね、これは。
簡単そうな作業のように思えたが実際に取り掛かってみると想定外がいろいろあって、1時間ほどかかった。
実験なので、右チャンネルだけこの作業を行い、左チャンネルは元通りのまま音を出してみよう。
右側と左側から同時に音が出てくるので、どちらが好ましいか瞬時にわかるので大いに助かる。
薄っぺらな、たった1枚のビニールごときでどのように音が変わるか、まさに興味津々で興奮の極みである。
ワクワク、ドキドキしながら耳を傾けてみるとアッと驚いた!!!
以下続く。
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早いものでブログを始めてからもう16年目を迎えている。記事の数も今日(7月8日現在)で2,810件に達した。
自分でいうのも何だが「継続は力なり」ですか、とはいえ肝心の内容の方はイマイチかな~(笑)。
その昔、とあるメル友さんから「文章はまあまあだけど内容は大したことない」と一刀両断にされたことがあった。
たしかに、物事を深~く掘り下げて考えるタイプではないし、はっきり言ってそういう能力もない、で、記事の内容の方もオーディオから音楽、読書、独り言までいろいろだが、やはり、広く浅くの傾向は否めない。
せめて中心となる「オーディオ」記事ぐらいは、もっとしっかりしたいところだけど、この世界には「極めて研究熱心な先達がいて、上には上がある」ことを十分承知している。
で、こんなに沢山のオーディオ記事(1,400件あまり)を恐れ気もなく投稿するなんて何とも厚かましい限りだが、「音の仕組み」にはたとえば「ケーブルによる音の違い」など変化指数が多すぎて理論的にはっきりと解明されていない事柄が多いし、各人毎の感性も大きく左右するので、素人にちょっと毛の生えた程度の自分でもこの世界で跳梁跋扈出来るんだろうと分析している。
言い換えると「リアリティ優先」のもとに実際に体験したり見聞したことを単に「現象面」だけをとらえて投稿しているだけなので後で振り返ってみると、実は「あんなことを書いたけれど、今考えると間違いだったなあ」と思う記事がいくつもある。
「あなたの記事は以前書いたものと矛盾していますよ」という指摘があっても“ちっともおかしくない”が、それがまったく無いというのはどうしたことか(笑)。
賢明な読者の方々はおそらく「どうせ読み流しだ、細かいことを言ってもキリがない。指摘するのも面倒くさいし~。」と、メディア・リテラシーを存分に発揮されているに違いないと睨んでいる。
さて、前置きが随分長くなったがそういう「過去記事とのジレンマ(板ばさみ)」の代表的な実例を挙げてみよう。
登場するのは気難しいSPユニット「AXIOM80」だ。
ちなみに、このところ「AXIOM80」関係の記事となるとアクセス数がガクッと落ちることに気付いている。
「またか!」と、うんざりする向きが多いみたいだけど、な~に構うものか、他人の思惑なんてどうでもよろし(笑)。
それはさておき、この「AXIOM80」の鳴らし方についてはこれまで散々試してきた。
ウェストミンスターの箱に容れてみたり、復刻版を低音域専用に使って「AXIOM80」をダブルで鳴らしてみたり、挙句の果てには「究極の使い方」として箱に容れずに「裸」で鳴らしてみたり。
その都度「これが最高!」といった書き方をしてきたので、今となっては恥じ入るばかり(笑)。
一例として、この「裸鳴らし」について実例を挙げてみよう。稀に見るとても熱心な方である。
解説文がこれ。
「私が高校生の頃、AXIOM80を使われていた瀬川冬樹氏がAXIOM80を絶賛されていた記事を読み、親にねだってこのSPを購入しました、もちろん、BOXもヤマハ製の指定箱でした。
SP鳴らしは、車の運転と同じで腕がいることを自覚されました。カローラは誰でも運転できますが、チューニングされたレーシングカーはそれなりの腕がないことにはその性能が発揮できません。
AXIOM80はカローラではなくチューニングされたレーシングカーに近いSPだったと今では思ってます。WEなどのSPもしかりだと思います。無謀にも、この高校生は免許を取ったばかりなのに、レーシンガカーを運転しようとしたのです。
AXIOM80は非常にならしにくいスピーカーと言われおりますが、それは超軽量コーン紙が鳴らすハイスピードな音と絶対的に出ない低音にあると思います。
ヴァイオリンを鳴らしたらこのスピーカーの右に出るものはない!言われる名器ですが、逆にジャズはまずならないといわれます。
数多くのSPBOXを試してみましたが鳴らしきることはできませんでした。そこで例えばアルテックの515のような、これまた軽量のコーン紙による低音ユニットを使い、でもこれも低音が出ないことで有名ですが、B&Wのノーチラスのように低音を補正すればと考え、80は弱いところを捨て、20μFぐらいのコンデンサーで低音を切って使ったところ、すべてのジャンルで素晴らしい音楽が聴けるようになりました。
その時の80は写真のようにマグネット部分でユニットを固定するという方法です。515はネットワークなしの出しっぱなしです。
私が所有する80はかなり古いオリジナルの80ですが,すべてこの写真のようにサブコーンが光っているタイプです。ただ友人がこれまた古い80を7本ぐらい持ってますが,サブコーンが光ってないとか、7本全部が違うタイプですので80はよく見ると本当に種類があるのだということが実感されます。私は光っているタイプこそ間違いなくオリジナルだと思いますが光ってないタイプも存在します。
スピーカーボックスは必要悪といわれますが、事実、ほとんどのスピーカーはバッフルもつけずに裸で鳴らすと、素晴らしい音がします。
しかしそれに気を良くしてちょっとでもバッフルを付けて鳴らすと、あれっというほど普通の音になってしまいます。このようなことは今まで何度もありましたが、それでも裸で鳴らした時、それぞれの良さはさらに発揮されるようです。
その考えからこのようにマグネットでユニットを支えるという方法を考えたつもりでしたが、この方法ははるか90年も前にWE社が使っていたことを知った時、先人の知恵の素晴らしさを知りました。」
以上のとおりだが、際立った個性を持つAXIOM80は幾多の人たちを惑わせつつ、様々なドラマを演出してくれるようで、もはや一介のオーディオ機器という立場を越えて、まるで血と肉が通っている生き物のような存在感を見せてくれる。
で、こういう数奇な体験を経て我が家での現時点での「落ち着き様」は次のとおり。
★ AXIOM80を「薄い板の箱」に収めて「ふっくら」と鳴らす。本格的な低音は、はなっから期待しない。
★ 事実、音楽ソースの8割方は駆動する「アンプ」にもよるがこれで十分聴ける。またブルックナーやオペラを聴くときはサブウーファー(100ヘルツ以下)を併用する。
以上のとおり、過去記事とは全く違う「鳴らし方」に少なからず良心の呵責を覚えている毎日だが(笑)、つい最近の「メル友」さん(東海地方)の記事によりヒントを得たのでさっそく新たな実験に取り組んでみた。
以下、続く。
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本書の副題に「最大の臓器が身体と心の内を映し出す」とある。
そういえば、私たちは相手と対面するときに無意識のうちに顔色やしぐさなどから、会話に役立つ情報を得ようとしていることに気付く。
たとえば「久しぶりに会ったけど肌の色艶が良さそうなので元気そうだな」とか、瞬時に判断したりするのはどなたにも覚えがあると思う。
で、おおむね健康状態が皮膚に反映するので、ゆめゆめ無視できない臓器といえるが、本書の102頁に「皮膚は聞いている」という項目立てがあった。
「耳が聞く」のなら当たり前だが、「皮膚が聞く」とはどういうこと?
ちょっと長くなるが引用してみよう。
「寒くなったり、耳に息を吹きかけられたり、撫でられたりすると鳥肌が立ちます。この現象を「立毛」と読んでいます。立毛が起こるといつもは寝ている毛が垂直に立ち、毛を取り巻いている皮膚の層が盛り上がって反り返ります。
毛包の奥にも小さな筋肉が存在するからです。この筋肉は立毛筋と呼ばれ、自律神経によりコントロールされています。そのため私たちの意思ではコントロール不可能です。
鳥肌が立つと同時に寒気が走ります。理由は鳥肌が立つことで皮膚の表面積は拡大し、熱発生と発汗が促され、汗が蒸発する際に体温が奪われるからです。~中略~
感動的な恋愛映画を観たり、素晴らしい音楽を聴いたりしても鳥肌が立ちます。その理由はまだ完全には明らかにされていません。胎児期に皮膚と神経系は同じ外胚葉から形成されるため両者は密接につながっています。それが理由の一つであることは間違いないでしょう。
黒板にチョークで文字を書いたり、爪で発泡スチロールを引っかいたりするときに出るキ~ッという音を聴いても鳥肌が立ちます。鳥肌の研究者はキ~ッという音の周波数が、母親を亡くした動物の子供の泣き声の周波数とほぼ同じであることが、鳥肌が立つ理由ではないかと考えています。
また、陶器の皿をフォークやナイフでこすった時に出るギ~ッという音を聞いても鳥肌が立ちます。この音は進化の過程で危険な状況と結びつき、危険を知らせる合図となったため、鳥肌を立たせるのではないかと言われています。要するに音は私たちの心と皮膚に大きく作用するようです。
科学者はさらなる発見をしました。何と、皮膚は音を聞くことができるのです。少なくとも毛の生えた脚にはそれができます。脚は話しかけられると、皮膚と体毛が微妙に刺激され、風を感じます。
ある実験で被験者は遮音性のヘッドホンが脚にあてがわれたにもかかわらず、脚の感覚だけで音の大きさを判断することが出来ました。また、脚だけでなく首筋や手も空気の流れから音を聞き分けられることがわかっています。
さらには、毛の生えた脚は脱毛した脚より聴力が高いこともわかりました。ということは男性の脚の方が優れた聴力を持っているということです。それなら女性は脚の脱毛をしない方がいいでしょう。男性の言葉にもっと耳を傾けてあげられるからです。一方、男性は女性にすすめられても脱毛しないことが多いのですが、それにも根拠があったのです。」
とまあ、以上のとおりだがこの学説を素直に受け止めるとすれば、音楽を聴くときはできるだけ肌の露出を多くする方がいいということになる。
なぜなら、耳以外の皮膚でも音を感知しているので音の情報量が多くなるから。
で、夏は普通「半そで半ズボン姿」で音楽を聴くので冬よりも音が良く聴こえるはずだが、はたしてどうなんだろう。
皆さまはどう思われますか。
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かなり以前のブログで投稿したように「整流管」を「274B → 83V(刻印)」へ、「前段管」を「デフォレ471B」への交換でようやく「気に入った音」を出してくれたこのアンプ。
どんな名演奏も、そしてどんなに気に入った音でも「脳はマンネリを嫌う」ので、ときどきは代えてやらないとね~、で、久しぶりの出番(笑)。
ついでにスピーカーも代えて相性の良さそうなSPユニット「トライアクショム」(グッドマン)を引っ張り出して聴いてみた。
軽量のマグネット、軽くて薄いコーン紙とあいまって、口径30cmなのに音が重たくならないのが気に入っている。
そして、この際とばかり出力管を「1988年製」から「1967年製」に右チャンネルだけ代えてみた。
実はこの「1967年製」は10年ほど前に専門家から「片方のWE300B真空管がもう寿命のようです。「ゲッター」も非常に薄くなっています。余命わずかといったところでしょう。」との非情な宣告をいただいたいわくつきの球。
註 「ゲッター」というのは真空管内のガラス面に張り付いている鏡面状の灰銀色をしたもので、その働きはガス分子と反応・結合して壁面に吸着させ、空間から除去するものでガス分子をゲット(捕獲)するという働きから出た言葉。これが薄くなったり白くなったりすると管内の真空度が保てなくなるので寿命となる。
お金のことを持ち出すのはけっして本意ではないが、ショックの大きさを知っていただくためにあえて記載すると、いまから50年以上も前に製造されたWE300B(オールド)は、程度にもよるが今となっては20万円以上(1本)はするはず。
また、それ以上に困るのが程度のいいものが非常に手に入りにくいこと。
もちろんオークションという手もあるが画像からではとても状態の判断が難しいし、こういう貴重な真空管を顔の見えない人から求めるのはまさに「蛮勇」という言葉がふさわしい。
とはいえ、先日のブログでも述べたように性能とお値段がきちんと見合っているかとなると「?」だが、この場合は別問題としておこう。
で、改めて左チャンネルの「1988年製」と右チャンネルの「1967年製」とを聴き比べてみると、やはり違いますね。明らかに後者の方が渋くて落ち着いている。まるで百戦錬磨の老練な役者みたい、かな(笑)。
改めて、長寿命との定評があるこの真空管の粘り腰に感心しながら、おそらく専門家からアンプの改造時に真空管に負担をかけないように適正なプレート電圧の設定などの見直しをきちんとしていただいた効果なのだろうと感謝していたが、いきなり事件は起こった。
昨日(4日)のこと、ウォーキングに出かけるまでに時間に余裕があったので録画番組でも観ていこうかとスイッチを入れた途端に、右チャンネルのスピーカーからガサゴソと大きめの雑音が出てきた。
「何じゃこりゃあ~?」
真っ先に浮かんだのは「ついに寿命が来たか!」という絶望感。右チャンネルの300Bは、「余命わずか」と指摘された該当球なのである。
念のためこの300Bを左チャンネルと入れ替えてみると、やはり右チャンネルから同じように雑音がする。ということは、出力管の故障ではなかった。
ああ、良かった!
高価な300Bのご臨終に立ち会わなくて済んだのでまずはひと安心。
次の疑いはSPユニットの故障だ。ネジを開けて取り出すのも面倒だなあ。
そこで、こういうときのために購入したSPユニットの出番である。
SPコードを繋ぎかえて試聴してみると、やはり右側のSPから雑音がするのでこれで二つ目の安心。
結局、犯人はプリアンプ(マランツ7型)の初段管だった。ミニチュア管で銘柄は「シーメンス」。ドイツ屈指の総合電機メーカーである。
ちなみに、大学の工学部機械科を卒業した甥っ子から聞いた話だが工作機械を作る工作機械(マザーマシン)の工作精度ではいまだにドイツ製が幅を利かしているという。
この球は長期間使用した覚えもないし、ドイツ製の真空管は丈夫という先入感があったので盲点を突かれた印象だが、やれやれ、一番安上りの故障で済んだのはまったくの僥倖だった。
それにしても不測の事態が起きたときに、いつも最悪のケースから順番に考えるクセがついたタイプの人間は、あまり心臓によろしくないのでおそらく長生きは無理でしょうよ。
とはいっても、もうかなり長生きしてるんだけどね(笑)。
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先日の新聞に掲載されていた記事がこれ。
ストラディバリウスといえば周知のとおり数あるヴァイオリンの中でも王様的な存在だが、つい先日のブログでも「20億6千万円」で落札された記事を話題にしたばかり。
ただし、この種のネタは旧くて新しいテーマとしてこれまでも度々提起されている。
その理由は「何億円もするヴァイオリンが、はたしてそれに見合う音を出しているのか?」の一点に尽きる。
いわば「藝術的な価値をコスト意識で割り切れるのか」というわけで、結論の出しようがない不毛の議論を性懲りも無く何度も何度も~(笑)。
この新聞記事では演奏者の正体が明かされていないところがポイントで、たとえば一流の演奏者が弾くのと二流の演奏者が弾くのとではいかなる名器であっても違った響きを出すのが当たり前だから随分と無茶な話のようにも思える。
ちなみに、ずっと以前に「名器ストラディバリウスの真価とは」と題して投稿したことがある。
音楽は「音」で成り立っているが、ご承知のとおりその「音」というのは物体の振動によって発生し、空気の振動として伝わっていく。
楽譜は読めなくても、せめて音響の原理ぐらいは理解しておこうと思って(今更、何だ!)読んでみたのが次の本。
「よく分かる音響の基本と仕組み」
音の正体、聴覚の仕組み、など興味深い項目について分りやすく解説されていた。それに頁のところどころにはさんである”コラム”も面白い。193頁に以下のコラムがあった。
ヴァイオリンの世界では「ストラディバリウス」や「ガルネリ」といったいわゆる「名器」がとてつもない値段で取引されている。中には10億円以上のものがある。こういった神格化された名器の音は、はたしてその値段にふさわしいものだろうか。
きちんとした聴き比べ実験が試みられている。ストラディバリウス(数億円)、プレッセンダ(数千万円)、中級品(50万円)、低級品(5万円)の4種類のグレードのヴァイオリンが使われた。
一流の演奏家による演奏を録音し、被験者に何度も聴かしてそれぞれの音の特徴を覚えさせる。そして、音だけ聴かせてどの楽器かを回答させた。その結果、ストラディバリウスの正答率は53%だった。あまり高い正答率とはいえないが、全然分らないというものでもない。少なくとも「中級品」「低級品」と間違えることは少なかった。
「音の伸びがいい」「音の厚みがある」ことがストラディバリウスと判断する手がかりだったという。
ところがである。同じ被験者で生演奏で同じ実験をしたところ、正答率は22%に下がってしまった。これはほぼ偶然にあたる確率である。演奏者の素晴らしい演奏に聴き入ってしまい聴き比べがおろそかになってしまったのだろうか?名器の秘密に迫るのは難しそうだ。
以上のような内容だったが、この話、オーディオ的にみて実に興味深いものを含んでいるように思う。
電気回路を通した音では聴き分けられたものが、生の音では聴き分けられなかったいうのがポイント。
このことは目の前でじかに聴く音の瑞々しさ、生々しさは楽器のグレードの差でさえも簡単にカバーしてしまうことを示唆している。
したがって、オーディオにはあまり熱を入れず生の演奏会を重視する人たちがいるという理由もなんだか分るような気がする。
さて、ストラディバリウスの真価は果たしてこの程度のものだろうか。
日本の女流ヴァイオリニスト千住真理子さんがストラディバリウスの中でも名品とされる「デュランティ」を手に入れられた経緯は、テレビの特集番組や著書「千住家にストラディバリが来た日」に詳しい。
テレビの映像で、彼女が「デュランティ」を手にしたときの上気してほんのりと頬に紅がさした顔がいまだに目に焼き付いて離れない。
千住さんによると、凡庸のヴァイオリンとはまったく響きが違い、いつまでも弾いていたいという気持ちにさせるそうである。
やはり、プロの演奏家にしか真価が分らないのが名器の秘密なのだろうか、なんて思っていたところ、逆に「ストラディヴァリは神話に過ぎない」とバッサリ一刀両断している本に出会った。
「贋作・盗作 音楽夜話」(2010.5.10)
著者の「玉木宏樹」氏は東京芸大の器楽科(ヴァイオリン)を卒業されて現在は音楽関係の仕事をされている方。
本書は表題からもお分かりのとおり、音楽の裏話を面白おかしく綴った本だが、その57頁から75頁まで「ヴァイオリンの贋作1~3」の中でこう述べてある。
「ではストラディヴァリは本当に名器なのでしょうか?私の結論から申し上げましょう。それは神話でしかありません。値段が高いからいい音がするわけではなく、300年も経った楽器はそろそろ寿命が近づいています」
「ヴァイオリンの高値構造というのは一部の海外悪徳業者と輸入代理店によってデッチ上げられたものですが、ヴァイオリニストというものは悲しいことに最初から自分独自の判断力を持つことを放棄させられています」
「ヴァイオリニストにとっての名器とはいちばん自分の身体にフィットして楽に音の出るものと決まっているはずなのに、その前にまずお金で判断してしまうのです」といった調子。
以上のとおりだが、芸術家としての千住さんの話もご尤もだと思うし、玉木さんのドライな説もなかなか説得力があり、どちらに妥当性があるのか結論を出すのがなかなか難しいが、この問題は冒頭に述べた「芸術的価値とコスト意識」に帰するようで、つまるところ当の本人の価値観に任せればそれで良し!
50年以上オーディオに悪戦苦闘していると、いろんな方面から情報が入ってくる。
それぞれに貴重な実例として参考にさせてもらっているが、まったく“鵜呑み”というわけにもいかず最終的な機器の取捨選択はひとえに自分にかかっている。
そもそも空気の振動を音楽に変換する「脳」は個人ごとにそれぞれ違うし、リスニングルームの大きさや形状によっても音は千変万化するので、最終的には現場のケースバイケースでの判断に委ねられる。
たとえばテレビを観ながら大きな空間の中で音が鳴っていると、その響きについ「うっとり」としてしまう。こんな空間なら大がかりなオーディオシステムなんて不要だな~、その一方で部屋が小さくなればなるほど質のいいシステムが必要になるようだ。
部屋の大きさとシステムのレベルは「反比例」する、言い換えると「(女性の)色の白さは七難隠す → 部屋の大きさは七難隠す」(笑)。
で、そういう状況の中で揺るがぬ信念のもとに的確な判断が下せるといいのだが、現実にはそうもいかない。
本音を言わせてもらうと、昔からあまり自分の耳に全幅の信頼を置いているわけではない。
そういう意味では永遠に「ストレイ シープ」なのである。そういうときに最終的に頼りにしているのがオーディオ機器の「ブランド」となる。
どなたにも衣食住の全般にわたって、「これさえ使っていればひとまず安心」という「信頼のブランド」が何かあるに違いないが、趣味のオーディオもその例に漏れない。
端的に言えば性能と精神安定剤が両立したようなものかな。
自分が長年にわたって使ってきた中で実例を挙げると、スピーカー、真空管などを含めて強く印象に残っているものといえば、イギリス勢では「グッドマン」「STC」「GEC」「ムラード」でこれらの銘柄はすべてハズレがなくて満足のいくものばかりだった。そういえば、いずれも相当古い年代のものばかり!
アメリカ勢では言わずと知れた「WE」(ウェスタン)、「RCA」がそう。
ほかにも自分が知らないだけで沢山の信頼のブランドがあるのだろうが、現時点では以上に尽きる。
で、主要な論点はここからである(笑)。
つい先日のこと、古典管の泰山北斗とされる方と次のような会話をしたので紹介させてもらおう。
「現在スピーカーにAXIOM80を常用しています。音声信号に対するハイスピードぶりを堪能していますが、ようやくこのハイスピードに対応できる真空管が限られていることに気づきましたよ。
たとえば「71A」や「6AR6」に比べてプレートの大きな真空管、つまりWE300BやPP5/400などの音が何だか間延びするような感じなんですよね。有名ブランドといってもやはり最後は適材適所であまりあてにできませんね」
「そうなんです。WE300Bなんて業者をはじめとした関係者が儲かるために作り上げた虚像ですよ。たしかに悪くはない真空管ですがとてもお値段ほどの価値はありません。あなたもそう思うでしょう!」
という内容だった。
とはいえ、こういうことは実際に使って体験してみないとわからないことも事実。
たとえば、我が家でも小型の真空管を使っているうちに、有名ブランドの真空管ならもっと「いい音」がするに違いないと思い込んで、WE300BやPP5/400が欲しくなり購入するのは必然の流れだったといえよう。
そして、使っているうちに有名ブランドといってもけっして万能ではないことに気づき、ようやく適材適所という難題に突き当たる・・。
皆様のオーデイオは適材適所になってますか~、まさかブランドを盲信しているわけではありませんよね。
まったく「要らん世話」ですが(笑)。
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本書の22頁に「ぼくの一日の過ごし方」というのがあった。
5:00 起床→ヨガ 5:30 瞑想 6:00 原稿を書くか、ブログを書く 7:00 掃除 → シャワー → 洗濯 → 朝食 → お弁当づくり 8:00 日記を書く → 英語を話す → ニュースやSNS 9:10 パワーアップ(戦略的二度寝) 9:30 図書館に出勤 11:30 昼食 14:30 図書館から退社 15:00 パワーアップ 15:30 ジムに行く 17:30 スーパーで買い物、メールを返信 SNS 18:00 夕食後、映画を見る 21:00 ヨガマットを出しストレッチ 21:30 就寝
他人の1日の過ごし方を知っても、別にどうってこともないのだが、気になったのが図書館への「出勤」と「退社」という表現。
自分の場合、現役を退いてから図書館の存在意義は格別なものになっており、県立図書館、地元の図書館、隣町の図書館の3か所に亘って暇さえあれば「本の匂い」を嗅ぎに行っているが、まるで会社に行くような気分なのがピッタリ一致している。
ただし、無給なのが残念!(笑)
次いで気になったのが「ヨガマット」。
一昨年(2020年)の11月ごろから歩くと腰から臀部にかけて何といえない痛みが走るようになって、10分毎ぐらいに休憩を繰り返す始末。
青くなって整形外科に駆け込むと「脊柱管狭窄症」と診断された。「手術しないと治りませんよ」と宣告されたが、手術は嫌だなあ・・。失敗したら一生「車椅子」の可能性もある。
で、ネットで調べた「狭窄」対策のストレッチと自分なりの工夫を加えて地道に2か月ほど繰り返していたら何と次第に快方に向かったのだからうれしくなる。どうやら軽症だったみたいだ。
今では1時間ウォーキングでもまったく休憩を要しないほどに回復。
それ以来、毎日のように早朝のストレッチを続けているが、丁度マットが冬用だったので「オールシーズン」用を調達せねばと気になっていたところだった。
そこで、以前「ブルーレイ」(パナソニック)の購入先の「○○」にポイントが貯まっていたので、「26日」(日)に注文したところ、その翌日(27日)の夕方には到着したのに驚いた。
早っ!
たしかに、「スピード対応」だった! しかも送料無料。
こんな風だと、やたらにお金のかかる「店舗」を構える必要性があるんだろうかという気になる。
で、肝心のマットの方だが売れ筋ランキングの上位に入っていたのがこれ。
厚さ8mmの代物だったが、安かったのでポイントですべて賄えたのはありがたい。
これを契機に、これからは朝晩のストレッチを欠かさないように「習慣化」しようっと~(笑)。