台風7号は近畿地方を中心に大暴れですが・・、3日前・・、
雲が浮かんでいるのが、目に留まりました。
(23/08/12撮影)
大きい船は灯台の方向に、小さい船は離れる様に進んでいました。
足元には、終わりかけたムシトリナデシコ(虫取撫子)の花。
台風7号は近畿地方を中心に大暴れですが・・、3日前・・、
雲が浮かんでいるのが、目に留まりました。
(23/08/12撮影)
大きい船は灯台の方向に、小さい船は離れる様に進んでいました。
足元には、終わりかけたムシトリナデシコ(虫取撫子)の花。
「四国八十八景」なるものがあるそうですが、「こけむしろに」行ってきました。
(23/08/09撮影)
キレンゲショウマ(黄蓮華升麻)。
この花、何だっけ?
あいにく、カフェが閉まっていたのが残念でした。
帰り道、「ふたみシーサイド公園」に立ち寄ると、デイゴの花が残っていました。
庭で、スベリヒユが咲き出していました。
(23/08/05撮影)
畑では、この日もキジバトが食事に来ていました。
この日、庭に来ていたのは、ハンミョウ。
(23/08/06撮影)
この日は、近寄って来てくれました。
(23/08/10撮影)
墓の様子を見に行くと、クマゼミが賑やかでした。
(23/08/05撮影)
アブラゼミもいました。
クヌギの葉には、クヌギハマルタマフシ。
参道横では、クサギの花が咲き出していました。
《物語の始めに、三沢兵馬という少し偏屈な老人が東京・東小金井に所有する、中国の伝統的家屋建築の「四合院造り」という印象的な家が登場する。十文字の通路を有する方形の中庭を囲んで東西南北四棟があり、そのうちの一棟に間借りする二九歳の金井綾乃が牽引役となって物語は進んでいく。
綾乃の実家は滋賀県近江八幡市、かつての中山道の宿場町武佐宿の武佐。ある日実家の母から、祖母・徳子の九〇歳を祝う「晩餐会」の知らせが届く。祖母が計画した一世一代の晩餐会を背景に、金井家の家族やその周辺の人々に丁寧に光が当てられ、一人一人の生命の煌きらめきが物語に映し出されてゆく。中でも徳子おばあちゃんが一六歳の日に下したある決意が語られる場面は、固かた唾ずをのむ緊迫感が走る。
久しぶりに家族たちが顔を合わせる前夜祭。そして大団円の晩餐会には、どんな物語が用意されているのか。・・》
《よき時、それはかつての栄光ではなく、光あふれる未来のこと。》
金井家の家族やその周辺の人々、そして三沢兵馬の家族の未来・・、戦争時代の想像しづらい生き方があり、今でもありそうな親子関係もあり・・、この著者の作品は、また読んでみたいと思います。
夏野菜の収穫に行くと、キュウリの葉にいたのは、イチジクキンウワバ(?)
(23/08/04撮影)
庭でも、高砂百合が咲き出していました。
電線にいるのは何鳥と思って撮ったら・・、碍子でした。
(つづき)
夜は疲れてしまっているお年頃なので・・、早朝、大通公園を歩きました。
「札幌夏まつり・札幌大通りビアガーデン」・・、 兵どもが夢の跡。
(23/08/03撮影)
以下省略して、テレビ塔。
小樽は降ったり止んだり・・、ここでも中国語が飛び交っていました。
小樽運河。
メルヘン交差点付近。
鮭ホコ。
千歳では中国語の案内があって、「そうなんだ・・」と思いました。
羽田への便は、インターハイ関連もあって満席・発着遅れ。
羽田でスカイツリー。
乗継便は、機体変更があり、満席・座席変更・発着遅れが発生したけど・・、帰宅出来ました。
(おしまい)
(つづき)
ファーム富田は大変な人出で、中国語・韓国語が飛び交っていました。
ラベンダーは刈り取られた後でした。
(23/08/02撮影)
その時、富良野線を列車が走りました。
大雪山系は雲の中でした。(残雪の様に見えるのは、十勝岳の噴火痕?)
花畑。
少し離れた場所に行ってみると、品種違いのラベンダー(?)が咲いていました。
岩見沢SAで休憩、
馬がいました。
そして、札幌に到着。
メジャーなホテルの部屋に入ると、バスルームドアに穴・・、フロントに連絡すると、「偶にあります。部屋変えましょうか?」・・。
夕食はフリー、札幌の事を知らないので、ガイドさんが紹介してくれた中からスープカレー店に行きました。
(つづく)
(つづき)
旭川駅前のホテル最上階レストランでの昼食は、ツアーの昼食には珍しいポークシチューでした。
(23/08/02撮影)
そのフロアーに手書きのガイドマップ。
美瑛(ビエイ)町では、親子の木、
ケンとメリーの木。
ホップ栽培。
「フラワーランドかみふらの」でのメロン食べ放題・・、若くないので、3個でやめときました。
その後は、花畑へ。
ウエディングの前撮りをしていました。
(つづく)
(つづき)
大雪山層雲峡に向かいます。
銀河の滝。
(23/08/02撮影)
右の尖った岩は「不動岩」、滝によって動いて見えるけど「不動」と言う事らしい。
流星の滝。
落ちた滝水が流れるのは、石狩川?
車窓から峡谷。
(つづく)
(つづき)
北海道の朝は早い・・、そして、網走の朝は、肌寒さを感じました。
鳥が飛び回る網走湖の朝、
(23/08/02撮影)
湖の上はツバメが多かったが、周りの樹々にはこの鳥もよく来ていました。
車窓から宿の出発、
スズメも見送りに出てきました。
西に向かう途中、「道の駅 おんねゆ温泉」で休憩、
大きい時計塔がありました。
(つづく)
(つづき)
オシンコシンの滝。
Wikiによれば《名前の由来はアイヌ語で「川下にエゾマツが群生するところ」を意味する「オ・シュンク・ウㇱ」から転じた。ちなみに滝がかかる川「チャラッセナイ」の由来は、同じくアイヌ語で「チャラチャラ音をさせる川」からである。》
(23/08/01撮影)
休憩+買い物タイム時、オホーツク海に出て知床半島方面を望む。
宿は、網走湖湖畔でした。
宿では、ベトナム人の他にスリランカ人も働いていました。
(つづく)
(つづき)
出航して少しして知床岬方向。
(23/08/01撮影)
知床連山、羅臼岳から硫黄山まで1枚にはいるようになりました。
硫黄山から流れてくるカムイワッカの滝。
Wikiによれば「カムイワッカ湯の滝の約1km下流に、カムイワッカ川の水が直接、オホーツク海に落下するカムイワッカの滝がある。落差は約30m。幅広の姿形を持つ。こちらは陸路で近づくことは困難であり、ウトロ港から運航される遊覧船から見ることができる。標高は40メートル。
落水が硫黄などを含む強い酸性であるため、河口付近は岩場に藻がほとんど生えず、化学反応で海水がエメラルドグリーンになっている。秘境の知床を代表する滝の1つであり、かつて滝のそばで硫黄を採掘していた小屋跡が現在もその柱を残している。」
まだ半島の先までは遠いがここで反転して帰途に・・、その時の知床岬方向。
オホーツク海。
この後、ヒグマが居るとの船内放送があったが、見つけられず。
着岸した観光船。
近くには、オオセグロカモメ(大背黒鴎)?がいっぱいいました。
(つづく)
(つづき)
清里町での昼食、エアコンではなく大型扇風機が働いていました。
「天に続く道」、
(23/08/01撮影)
直角に交差する「海に続く道」もなかなかでした。
知床五湖、高架木道を歩きます。
知床連山がすぐそば(右端が羅臼岳)。
一湖の向こうは、知床半島。
エゾ鹿がいました。
高架木道の他に地上遊歩道もあるようですが、「ヒグマの出没等で閉鎖されることがあります」との事。
(つづく)
(つづき)
摩周湖から進むと屈斜路湖。
(23/08/01撮影)
オホーツク海そばまで進むと、濤沸湖(とうふつこ)、その向こうは藻琴山(もことやま)?
そして、小清水原生花園に到着。
オホーツク海の向こうは知床半島。
陸側には、雲に隠れた斜里岳(たぶん)。
沿って走る釧網本線(せんもうほんせん)。
そばでは、ハマナスの実が赤くなって来ていました。
(つづく)