日曜美術館を見ていたら、挾土 秀平(はさど しゅうへい)が取り上げられていて、 薩摩硫黄島を訪問する場面が流れていました。
そして、その島は「鬼界ヶ島と推定される島の一つ」との事。
半世紀ほど前、喜界島に行った時、俊寛が流された島と理解していましたが・・、
Wikiによれば「俊寛が流された鬼界ヶ島の場所については、鹿児島県鹿児島郡三島村の硫黄島、大島郡喜界町の喜界島など諸説ありはっきりしていない。なお、硫黄島にはかつて俊寛旧邸宅跡の碑が残されており、喜界島には俊寛の墓と銅像が、長崎県長崎市の伊王島にも墓がある。ひそかに島を脱出したという説も多く、阿久根市や出水市、佐賀県佐賀市などにも俊寛に関する言い伝えが残っている。」
「鬼界ヶ島(きかいがしま)とは、平安時代末期の1177年(治承元年)の鹿ケ谷の陰謀により、俊寛、平康頼、藤原成経が流罪にされた島。「鬼界島」は南の遠国の島を指す一般名詞でもあり、古代以降、日本の南端と西端の地として長い間認識されていた。広義には南島諸島の総称として用いられ、鎌倉時代以後は十二島として薩摩国河辺郡に属した。」
ゲゲゲの鬼太郎が西洋妖怪軍団を迎え撃った鬼界島も喜界島だと思っていたが・・。
薩摩硫黄島・・、行ってみたい気もするが・・。