野菜栽培も、年々世話が面倒になり・・、今年から、空豆の植付を止める事にしました。
そして、苗の植付も・・、収穫後の扱いが楽と感じている白菜だけにしようと思っています。
と言う事で、早生・中生3種✕2個の植付をしました。
(24/09/27撮影)
その後、虫よけのネットを掛け、イノシシ避けのオマジナイの支柱を立てました。
1週間前に播種した種物も、今の所順調です。
大根
小松菜
蕪
20日前に植付けた辣韭は、花茎を伸ばしだしていました。
野菜栽培も、年々世話が面倒になり・・、今年から、空豆の植付を止める事にしました。
そして、苗の植付も・・、収穫後の扱いが楽と感じている白菜だけにしようと思っています。
と言う事で、早生・中生3種✕2個の植付をしました。
(24/09/27撮影)
その後、虫よけのネットを掛け、イノシシ避けのオマジナイの支柱を立てました。
1週間前に播種した種物も、今の所順調です。
大根
小松菜
蕪
20日前に植付けた辣韭は、花茎を伸ばしだしていました。
曇天・無風、野焼日和になりました。
点火直後は解体納屋周りの片付けゴミを燃やしましたが、その後は、無理をしない範囲で倒壊小屋の残材を運び燃やします。
30分後(ほぼ倒壊残材になっています。)
(24/09/25撮影)
更に30分後
4時間後、ほぼ燃え尽きました。
以降は、本日のテーマ。
点火に現場に行った時、足元で戸惑っていた若いカナヘビ。
点火後、恐れを知らず近寄って来たトンボ(老熟したシオカラトンボ・メス?)
オンブバッタ、
山際の枝の下にいた芋虫、チャイロキリガ?
この畑に初進出のサフランモドキ・・、朝来た時は蕾だったのが、やがて開花して、
少し経つと、アブだかハエだか・・。
《いつかの記憶の扉が開く 東京、大阪、上高地3つの帝国ホテルを舞台に織りなす42の物語。》
《帝国ホテル発行の会報誌「IMPERIAL」で11年間にわたって連載した、42編のショートショートを一冊にまとめました。
幻想的な夢の世界を描くものもあれば、現実の夫婦を描いたものもあり、また過去と現在を行き来して語るものも。42編すべて趣向の違う、角田光代さんの幅の広さを思い知る短編集です。
1話5ページで読める短い文章量ながら、じんわりと心が温まり、時には泣け、時には笑えるストーリーが詰まっています。》
「ラグジュアリーなホテル」とは縁のない人生なので・・、理解出来てないと思います。
場面設定が限定されている為か、同類の話が繰り返されるように感じましたが・・、多くの登場人物の名前が全て異なる事に変に感心しました。
(画像借りました。)
畑付近を群れて飛ぶ黄褐色のトンボをよく見かける様になりましたが・・、アキアカネでしょうか。
納屋解体前の片付けで出るゴミを焼却場に運んでいた時、一輪車の取っ手に人懐っこいトンボがやって来ました。
リスアカネでしょうか。
(24/09/24撮影)
工事業者から、「急な工事が入ったので、2週間程先にさせて欲しい」との連絡がありました。
もう少し、ゴゾゴゾと片付けておきましょう。
前日の雨も上がって、過ごしやすい気温になった朝・・、月はだいぶん欠けて来ていました。
(24/09/23撮影)
納屋解体前に周りの片付けをする中で、そばのタツタナデシコの移植をする事にしました。
庭に咲いていた元々の経緯は記憶から飛んでしまっていますが・・、10年位前にナデシコと雑草が混在していた所からナデシコだけを野菜用コンテナに取り出して、納屋横に置きました。
花は毎年きれいに咲いてくれ、年々日当たりの良い方に根を伸ばし(宿根草)広がって来ました。
今回、工事の邪魔になると思われるので、コンテナ2個分を少し離れた場所に移し、
残りを畑の不耕作地に移しました。
丁寧な作業が面倒なので、並べて上に土を掛けただけですが・・、生命力は強そうなので、楽しみに待ちましょう。
(少し前の記事)
能登地方を始めとする各地では大雨災害が報道されていて心が痛みますが・・、当地では、明日、待ち望んだ雨が降る予報です。
と言う事で、昨年の残り種の大根・蕪と試供品の小松菜を蒔いてみる事にしました。
畑に向かおうとすると、ハンミョウ(斑猫)がいました。
(24/09/21撮影)
作業をしていると、セスジスズメ(背筋雀)がやって来ました。
結局、乾燥した土が嫌になったのか・・、草地に引き返していきました。
少し播種して本日終了。
そばのナスとピーマンは、まだまだ頑張ってくれそうです。
部屋に戻って寛いでいると、玄関網戸の先にイソヒヨドリ(磯鵯)がやって来たのでカメラを用意していると飛び去って・・、窓からそっと探すと、納屋の屋根にいました。
夜半から降り出した雨、翌朝の畑は良い色になっていました。
(24/09/22撮影)
秋植え野菜の準備に畑に行くと、スベリヒユが咲いていました。
(24/09/18撮影)
結局、急用が入ってこの日の畑作業は出来ず・・、その後も、墓参等で作業延期中。
先祖墓参りに行った時、そばでツルボが咲いていました。
(24/09/20撮影)
参道横のマルバルコウ。
庭に戻ると、ツユクサ。
先祖墓までの草刈もしました・・、と言っても、通り道周りだけ。
(24/09/17撮影)
道横の葛
マルバルコウ(丸葉縷紅)
家に戻ると、納屋の壁に大蟷螂。
夜、月を見ました。
(9/17 21時00分)
(9/18 4時26分)
昨日の雨で建物も冷えたのか、今朝の室温は外気とほぼ同じ23℃・・、やっと秋。
この日の朝、野菜畑に行くと・・、茄子に蟷螂。
(24/09/16撮影)
ピーマンには雨蛙・・、目の前に獲物がいるようだが、お休み中かなぁ。
もう後延ばしが出来ないので、墓参道の草刈に行きました。
余力の範囲で、ミカン畑の草刈もしました。
極早生温州の出荷開始が報道されていたけど、放置状態の早生温州の様子を見ると、
細身の女郎蜘蛛、
摘果をしてないので、それなりだけど・・、自家消費は確保できるか・・。
家そばまで戻ると、子供のトカゲが珍しく逃げ込まない・・、と思ったら、芋虫を捕まえていました。
良い写真をと思ってカメラを近付けたら・・、流石に、穴に逃げ込まれてしまって・・。
朝、物干し竿の中から雨蛙が出て来ました。
(24/09/12撮影)
追いかけたけど・・。
この日は、棟瓦下の土流出の補修工事1日目。
陰になるし、詰めた土が黒色なので、分かり難いが・・。
翌日は、漆喰の上塗り。
なので、脚立等は屋根の上。
翌日、工事終了。
(24/09/13撮影)
連日、焼ける屋根瓦の上で汗まみれの作業・・、ありがとうございました。
「これで、屋根はもう大丈夫」との事でした。
《ロシア軍の侵攻から10年が過ぎたー北海道東北部は、反乱軍と化したロシア軍や指揮を逸脱した自衛隊の部隊、民兵などが群雄割拠している。陸自「支援飛行隊」のイリキは、ヘリ墜落から九死に一生を得る。救ってくれたヤマガタ、アンナと共に、血なまぐさい「無法地帯」を奥へ奥へと進んだイリキの前に、ついに究極の兵器が現れる!ロシアの侵攻により「無政府状態」と化した北海道。自衛官出身、『小隊』の砂川文次が圧倒的なリアリティーで描くノンストップ・ミリタリーアクション巨編!》
最初から最後まで、北海道各地での戦闘場面の連続で、いとも簡単に命が奪われて・・、世界各地での戦争が報道される中で、日本がそういう状況になったとしたら・・、とも思ったりしました。
併せて、理屈っぽい所も多く・・、理解出来ない所も多々ありました。
「本当は強者でもなんでもない体制なり制度なりに身を寄せることに汲々とし、それが自分にどういう結果をもたらすかも考えず、自ら進んで破滅を受け入れるゴミのような生き物。それが今の大半の日本人なのだ。」
「危地にある時、具体的な指示ほど恐ろしいものはない。どういう結果になるかより、まず指示に従って、そして自分の思考を放棄してしまいたくなるからだ。」
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(画像借りました。)
(つづき)
この日の宿「ルスツ高原」に向かって北上します。
車窓から、北海道駒ケ岳
(24/09/10撮影)
事故があったとの事で、再び八雲PAで休憩・・、曇り空。
並んだバスのナンバー(左奥は888)
ホテルは広く、大浴場まで着けるか心配しました。
修学旅行時期で小~高生も多く来ていました。
翌朝、雨でした。
(24/09/11撮影)
支笏湖
恵庭岳は雲の中
風不死岳(フップシダケ)、樽前山(後ろの雲の中)
山線鉄橋(やませんてっきょう)
「現在は歩道橋として観光客に開放されている山線鉄橋ですが、かつては王子製紙の専用軽便鉄道として活躍していたもの。」
「道の駅サーモンパーク千歳」横の千歳川にサケが上り出したとの事で、見に行きました。
インディアン水車「年間およそ20万尾のサケを捕獲するこの捕魚車は、さけ・ます人工ふ化放流事業に用いるサケの親魚を捕獲するため、秋の一時期だけ設置されます。」
「千歳川(ちとせがわ)は、北海道の支笏湖を源として石狩低地帯を流れる石狩川水系石狩川支流の一級河川である。」
何匹か泳いでいるのが見えたけど・・、画像では・・?
道の駅でトイレを借りると・・
その後、出発遅れや夕立がありましたが・・、帰宅出来ました。
(おしまい)
(つづき)
函館元町には、多くの教会がありました。
八幡坂・・、正面に摩周丸、山向こうの雲の中には北海道駒ケ岳(?)
(24/09/10撮影)
旧函館公会堂
元町公園には、箱館奉行所跡(五稜郭内に移転する前)
ペリーも居ました。(後ろは函館山)
北海道東照宮・・、ツアー訪問先としては違和感があったが、コナンの映画絡み?
「THE DANSHAKU LOUNGE」(ザ・男爵ラウンジ)
「男爵いも」のモニュメント
「男爵いもの生みの親・川田男爵の功績を数多くの展示物を通してかいま見ることができます。」
「展示物のなかでも特に目を引くのは、天井から吊り下げられた数多くの紙。実はこれ、川田男爵の死後に鍵のかかった金庫から発見された90通にも上るラブレターの複製。すべて、男爵がイギリス留学時代に知り合ったジェニーという女性から送られたものです。男爵は当時ジェニーと結婚の約束までしますが、父親の大反対に遭って泣く泣くあきらめざるを得ませんでした。」
(つづく)
(つづき)
前夜からの宿は、オーバーブッキング的事態が発生し・・、出発数日前に、変更の連絡がありました。
旅行会社基準ではSランクホテル、「展望風呂付のスイートルーム」が用意されたとの事でした。
部屋に用意されていたので、数十年振りにミルでコーヒー豆を挽きました。
(24/09/10撮影)
中庭
食事は会席料理・・、裏交渉を抜きにすれば、宿泊+食事代金で、今回のツアー代金に相当しそう・・。
函館朝市・・、早々に抜け出して、そばの摩周丸(青函連絡船廃止後、博物館船として保存)の見学に行きました。
操舵室(船橋)
無線通信室にブラタモリ
連絡船模型一覧
甲板から函館山
埠頭で寛ぐカモメ
(つづく)
(つづき)
岸壁には、カモメ。
(24/09/09撮影)
遠望する中央の尖った山は、北海道駒ヶ岳(?)
金森赤レンガ倉庫(建物内を歩くと、素敵なショップがいっぱいでした。)
函館山ロープウェイ(中間支柱無し)
函館山に上りました。
観光バスの駐車時間は30分、時間を見計らっての登頂です。
下北半島が目の前です。
バス到着は1番でしたが、既に公共バスやロープウェイで上ったのであろう多くの人が集まっていました。(自家用車禁止)
人の壁の後ろから、カメラを持つ手を上に伸ばして撮影。
人の少ない所からも。
(つづく)