黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 季節の移り変わりの速さ

2014年04月15日 | 日記


 今日は7時頃に起きたら朝から雲一つ無い快晴の天気、風も全く無かったので絶好の工事日和と思い 月曜日に風が吹き出来なかった。21MHz帯の5エレのアンテナを降ろす作業を考えていたら珍しく早朝に我家の電話が鳴った。1~2回呼び出しが鳴って直ぐに切れたが、電話を取りに行って正面のカレンダーを見た所で 誰からで何の用件か?直ぐに解った。今日は15日、「那賀奥のダム湖の水取りの日」であった。



 リタイヤ後の日々は毎日が休日なので「今日が何日で何曜日か?」の感覚は薄れてしまう。カレンダーの15日の所に丸印と用件が書き込まれて居るのが見えたのでハット気付いたのだ。数秒後に再度電話が掛かり甥から予想道理の用件の電話が入った。予定は忘れて居た訳では無いが私の中で日の感覚が少し曖昧に成っていたので電話が無ければ気付かなかったかも知れない此れは信用問題で朝一番から思わぬ冷や汗ものであった。



 集合は8時30分なので時間的には十分余裕が有ったので問題は無かったが最高の工事日和に所用でアンテナ工事が出来ないのは一寸残念であったが頼まれて居た事を優先するのは当然の事、身支度を整えて我家を出発した。集合場所の「わじきの道の駅」には8時20分頃に到着したが外に出ると山の木々の間に雲一つ無い青空が広がり年に数日有るか無いかの?素晴らしい天気で有った。

 

 作業は那賀川に降りてボートで移動しながら所定の場所でサンプルの採取や測定器を川底に下ろして各種測定のお手伝いだが(実際は余り御役には立って居ないが)メインの仕事は作業後にサンプルを集めた物を高松の分析センターまで送り届ける事で全工程は約300Km位有るので殆どが自動車の運転である。此れも毎日だと多分嫌に成ると思うが10日に一回のペースで徳島から高松間は高速道路を使うので半分ドライブ気分で楽しく務めている。元々、私は現役時代は徳島県下の御客様の家まで出張修理に出向いていたので一日に100~200Km程度の走行距離は日常茶飯事の事で余り苦に成る方では無かったので其の意味では此の仕事は私向きなのかも知れない。



 先月の初め辺りまでは川をボートで走ると風が冷たく厚着に雨具を重ね着した上にライフ・ジャケット姿でも寒くて震える日も有ったが今日は打って変わって川面で21℃も気温が有り暖かいを通り過ぎて熱い感じ、天気は良いし新緑の中に桜もまだ花弁が残って居る季節の中での作業で大変気持ちが良かった。 今日帰って風呂に入って顔を洗ったら少し日焼けしたのか?少しヒリヒリ感があった。日中は外に居たので今日は無線機のお守りをする事も無く一日を終えた。明日以降は予定が無いので天候に恵まれれば順次、アンテナ交換作業を進め様と思っている。

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 まだまだ続く花見シーズン

2014年04月07日 | 日記


 今日は2週間振りくらいに長安口(那賀町)まで行った。阿南市内は土、日曜日の雨と風で桜の花も可也散ってしまい 場所に寄っても違いが在る物の2~4割位が葉桜状態に成った木々が目立ったが長安口迄山に入ると桜は満開状態で路面にも花びらが余り落ちておらず丁度「花の見どころ」気温の方も昨日とは打って変わって20℃も有り正に最高の花見日和と成っていた。今日は仕事で出向いたのでデジカメはもって行かなかったので写真に撮ることが出来ず残念な思いをした。

 

 此のコースは2~3月に何回も往復したが前回までは植林された杉林と那賀川の川沿いを走る道筋で何時もは緑一色の杉林の単調な景色の中を走るのだが今日は彼方此方に白や薄いピンク色の満開の桜が其の景色の中に強力な存在感を表していた。此の場所は阿南市の平地と比較すると海抜で400mH程高いので桜の開花状況が大分違う様子、此の様子では先日に行こうと思っていた神山町の川井峠へ近日中に訪れようと思っている此の場所は海抜771mHで今回の場所より300mH高いので良いコンディションの桜を見ることが出来ると思う。万一状況が悪い時は土須峠(1042mH)に向かえば途中で良い状態の花見が出来そうである。






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 風邪いまだ治らず・・・・

2014年04月06日 | 日記


 風邪をこじらせて今日で2日目、然程熱は無いのだが頭が鈍痛で朝から痛い状況、其れと何より体の節々が痛くて困った。月曜日には仕事の予定が入っているので如何にかして風邪を治さねばの思いから無線も自粛して終日大人しく過ごした。VK9MTも嵐の関係か?完全撤収になった感じ 今回も160mバンドで交信する事が出来なかったのは残念であったが3.5MHzと7MHz帯のSSBを除く其れ以外で合計13交信出来たので良しとしなければ成らないだろう。とにかく体調が悪いと何も手に付かない。

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可憐な花

2014年04月03日 | 日記





 



 我家の近郊の桜の写真を撮りに回った時に途中で見かけた可憐な花を撮ってみた。

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 無線より花見

2014年04月01日 | 日記

 



 暫く各周波数帯を賑わしていたTX6G(フランス領ポリネシア)からのDxペディションも終った様子で今日からはVK9MT(メリッシュ・リーフ)に集中する事が出来る状況に成って来た。双方共に海上伝搬の信号なので信号も強力で安定して入感して居たので特別な苦労は無かったが相手のNA,SA,EUの指定が有り待ち時間が長かったのには閉口した。先週の週末には親父の7回忌の法事が火曜日、水曜日は一気に花開いた桜を見に阿南市近郊の桜の名所で花見のはしごをした為に無線の方は少し集中力に欠けTX6Gと多くは交信できず失敗の巻・・・・



 矢張り此の時期は何と言っても「桜が一番」ぱっと咲いてぱっと散る花の命の短さと日頃は目立たない木だが開花時の其の存在感の大きさで日本人に最も愛されている花ではないだろうか?数ある花の中でも「花見」と称されて此の時期に全国共通で繰り広げられる花に纏わる行事等は他に有るだろうか?私は退職して平日に何処にでも出掛けられる身分に成り此れからの人生での先細りの状態を感じた2~3年前から「来年は此の桜が見れないかも知れない?」と思う様に成ってから家内と近郊の桜の綺麗な所を見て歩く様に成った。日曜日は地区の「花見会」に出席、此の時は寒くて花も漸く開き始めた頃であったが火曜日辺りから一気に花が咲き揃い見頃となったので昼から一人で勝浦町の道の駅「雛の里」、岩脇公園、明見山、西部公園、水際公園と花見のはしごをして回った。木々の多さや規模では矢張り「雛の里」が近在では一番、続いて岩脇公園の桜の馬場、此の場所は幼少の頃から花見弁当を持ち良く訪れて居たので思い出深い場所、大野町の西の端にある西部公園の「枝垂れ桜」も見逃せない。



 水曜日(昨日)は「名も無い桜シリーズ」と称し加茂谷の「猫神さん」ど有名な「お松大権現」や吉井町、鷲敷町まで足を延ばし遠征して写真を撮りまくって帰って来た。沢山の人が行き交う花見も良いが昨日辺りから花が散り始め花吹雪の中での一人での花見も乙な物で結構楽しんでいる。今の状況だと結構、桜に嵌っているので此れから少しずつ高い所に上がりながら桜の追っかけをしようか?と考えている。

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 父親の7回忌の法要に思う

2014年04月01日 | 日記

 今日3月29日は父親の7回忌の法事が行われ久し振りに兄弟夫婦が集結した。今回は父親の母(私の祖母)33回忌も兼ねたもので有ったが出席者は甥や姪が出席したので其の子供達も来て日頃会わない者や初対面の子供も居た。親父も祖母も90歳を越すまでの長生きをしたし兎に角 元気な人で有った。



 初代の分家した曾祖父は質素倹約を旨とした其れなりの財を築いたらしいが(私は顔も知らない)世間良くある話で2代目は仕事もよくしたらしいが結構な遊び人で女姉妹の中で最後に出来た男児で大事にされ過ぎたのか?好き放題をしたらしい。当時の遊びと言えば今と違い「酒と、・・・・、・・・、」が定番、今もそうなのかな?私には縁が無かったので解らないが・・・聞く所に寄ると貧農の二代目が当時ポマードを使って綺麗どころを連れて遊んで居たらしいから驚きである。

 

 しかし孫の私から見ると酒はよく飲んでいたが余り怒らない気の良い爺さんだった。しかし私が小さい頃から既に仕事はせずに朝は日向で新聞を二部を隅から隅まで読み特に貧農の家に似つかわぬ産業経済新聞をとっていた。(株を遣っていた様子は無いので今思うと不思議なのだが)昼からは小説を読んだり昼寝をして3時が来ると銭湯の一番風呂に入りに行き、帰り掛けに近所の一杯飲み屋へ立ち寄りキューと一杯遣る日課を「羽ノ浦町の庄助さん」を地で行く生活を忠実に実行していた。

 

 此の爺さんは今思うと結構な道具マニアで有ったので我家には子供の時から工作をする為の道具が色々有ったので私は結構自由に使わせて貰い色んな物を作って楽しんでいたので同級生と比較したら其れ等は得意な方で私が工業高校へ進む大きな要因に成ったし農家の爺さんの割りには博識で特に世界の情勢等が詳しく小さい頃に外国の話を聞いたりしていたので私の海外に向けての興味は其の頃の影響があったのかも知れない。



 よく聞く世間の話の「家の浮沈」は3代目に有ると言われるが貧乏くじを引いたのは私の親父で農家の長男に生まれたが為に(当時の農業は現在の様に機械化されておらず人力を頼りの農繁期は1~2ヶ月を要していた。)現在の兼業農家の様に会社勤めをする事も出来ずに専業農家の状態であった。そして3男2女の子沢山、今、私も2人の子育てが終わり此の歳に成ると其の大変さを理解する事が出来るが定期収入の無い父親にとっては可也、厳しいもので有ったろう事は容易に推測する事が出来る。

 

 兎に角若い頃は近所の子供達に「原爆親父」と恐れられる存在で可也厳しく育てられた。当時の我家は隣近所と比べれば経済的には少し落ち込んでいた様に思え、父親は私には一言も言わなかったが子供心に「近所の何処の子供にも負けるな」と期待して子育てをしていた様に思う。只残念な事に上の4人の子供は近所の誰にも負けないずば抜けて優秀だったが最後の私だけは私の人生が全てそうだが「今一の感」賢明な親父は其の事を察知していたのだろう私にはプレッシャーを与えなかったが私は上の兄を見ながら其れ等を肌で感じていた。



 三男坊と言う事も有って何時か家を出て行く身、長男の兄と比較すると親父からの制約も無く自由気侭な生活を送っていたが結婚問題で「花の三男坊」で婿養子の話が有ると私は余り拘りは無かったので母親に冗談に「屋敷の4隅にアンテナ・タワーを建てれる広さとアマチュア無線を思い切り遣らして貰える所なら何処でも良いよ」と言っていたら『お前は何を考えとるじゃ!』と親父に怒られた。其の時にしみじみと此の家も4代目に入ろうとしているのに幹が一枝も出ていない。親爺の自身弟は高知へ婿養子に行き、自身息子の私の兄は私が見ても婿養子に行くタイプには見えなかったが相手に請われて婿養子に入ったので残ったのは私だけ、折角、男子を3人も作ったのに枝葉が無いのは情けない婿養子に行く事は駄目だと釘を刺されてしまった。実家の兄と比べたら制約無く自由に遣らせて貰ったので親父の唯一の頼みを無視する事も出来ずに名も無い日下の家を分家する事を決心をした。



 今思うと一人の人生、然程大した事は無い様に思われるが名も無い一組の夫婦から5人の子供が生まれ、其々に伴侶が付いて10人に成り、其々に孫が生まれて12人、其の孫が其々に結婚して20人に成りひ孫が現時点で20人に成っている。現在は未婚の孫も居るのでひ孫の数は最終的に25人近くになる予定で玄孫の代になると100人近くに成るに違いない。私は輪廻転生は信じないが古いと言われそうだが薄く成りながらも血筋は今後も脈々と繋がる事を考えると人として生まれて来た意義を感じるし、そして其の中でも苗字が伴う流れを思う親父の気持ちも此の歳に成ると十分理解する事が出来る。親父の墓を大勢で参りながら其の様な事を感じる今日一日であった。

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 質より量の我等 似た者夫婦

2014年03月23日 | 日記


 今日は青空の広がる春らしい天気、何時ものように無線三昧も如何な物かと?家内と外出する事にした。今日のメイン・イベントは甥の入院先に見舞いをする事で有ったが、普段は徳島市内に出向く事は稀なので序でに前々から行こうと思っていた北島町の電子パーツ屋にも足を伸ばす事にした。徳島にも他にパーツ屋さんは有ると思うのだが私は以前の勤務先の近くの此の店しか知らないので何かを作ったり修理用の抵抗やコンデンサー、半導体等は調達の為に此の店まで行く事に成る。



 先週の高松への飛脚便の帰りに立ち寄ったが偶々其の日は水曜日で定休日で店が閉まって居た為、ガックリした事で有ったが今日は日曜日なので多分開いているだろう。見舞いの後吉野川を渡り北島町に向かっていたら家内が「何処へ行くの?」と聞いたので「ちょっと・・・」と口籠ってしまった。パーツ屋さんの前に車を駐車したら「やっぱし・・そうだと思った」と家内の台詞、日頃出不精な私が「何処かへ昼御飯を食べに行こうか?」と珍しく切り出したので何か企んで居るなと思ったらしい。私としても一人で1時間以上掛けて行くのは退屈なので誘ったのだが只のドライブだったら「家で寝ている」と言われるのは重々察しがついて居たので昼御飯で誘いを掛けた訳で敵は敵で何か有るな?有るとすれば無線絡みとの察しが付いて居た様で有った。

 店には照明が点いて居なかったので家内が「残念様、今日は定休日の様子よ」と意味有りげに言ったので「残念でした照明は点いて居ないけど営業はしています」と言い返して店に入ると奥さまが開口一番「閑古鳥が鳴く位 暇でお客さんが来ないので照明は点けていません」と笑いながら話掛けてきた。「最近は物を作る人が少なく成りましたからね」と言うと「そうよ本当に少なく成りました」と毎回訪れると同じ様な会話が始まる。家内を待たすと機嫌が悪いので予めメモしていたパーツを取出して購入した。今回はダイオードとコンデンサーとプリント基板と12Vの小型のリレーを3個買って2500円近くを支払った。



 車に戻ると正午に成ったので御約束の昼食に行く事に此処まで来ると藍住の「夢タウン」(徳島随一のショッピングモール)が近いので行こうと言う事に成り少し足を伸ばした。此の地区は大型店舗の制約が無いのでヤマダ・デンキ、Ksデンキ、エディオン、DIYのコウナンなどの大型店舗が犇き合う一角に在る。中に入ると買い物に便利な近くの駐車場は満杯状態で遠くの駐車場しか空いていなかった。1階の食堂が立並ぶ一郭の「とんかつ屋さん」に入ろうとしたら家内から家で食べれる以外の店へ入ろうと言われて和食の大きい店に入ろうとしたら40分位の時間待ちと成り店舗の前の椅子に座り時間待ちの体制に入った。

 

 今日は3連休の最後の日、通路は若い家族連れが大半、35歳以下の家族連れが殆ど、する事が無いので行き交う人の様子を色々観察していたら結構面白かった。順番が来てテーブルに着くと私は「鯛ずくし定食」を家内は何を思ったのか「五穀米定食」を其々に注文した。店舗の雰囲気や接客サービスは良かったが味の方は今一の感じで家内は やや不満気味、正午過ぎに40分近く待たされておなかが空いた状態で物足らなかったのだろう帰り道で「マクドナルドへ寄ろう」と言い出したので「行こう」と私も直ぐに返事したら「お父さんも物足らんかったのね?即座に返事が返って来るとは思わなかった」と大笑い。息子の分も含めてハンバーガーと照り焼きバーガーを計6個買って帰り(合計1380円)家でユックリと寛いで食べたらそちらの方が安くて美味しかった。家内と二人で「貧乏人の口には質より量やな・・・」と言って大笑いをした。

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 尽いて居ない昨日と今日

2014年03月18日 | 日記


 今日も定刻に実家に集合し7時過ぎに那賀奥に向かう。途中の阿南市と鷲敷町の境の道の駅辺りでフロントガラスにポツポツと水滴が当たる程度の雨が降り出した。更に奥の旧、木沢村に入ったら心許無い太陽が見え隠れする天気、昨日からの現地の天気予報は「昼から雨」の情報、9時過ぎから背負子に道具を入れて九十九折の山道を400mくらい登ると早くも薄っすらと汗が出て息使いは「はぁ~はぁ~」と苦しい状態に歳が行くと本当に情けない状態になってしまう。


 作業を始めて40分程で本降りの雨に成って来た。上の方で作業をしていた兄が「雨が降ってきたので今日の作業は止め」の一言で本日の作業は終わって帰る事に成った。私も外での作業の中で雨具を着ての作業は大嫌い。ヘルメットと首の間から入った雨が背中を流れて下着を濡らした時の感覚は大嫌いだ。其れが終日続くと自分の体温で乾かしていく感覚は幼少の頃に誰もが経験した誠に嫌な感覚である。


 外での作業は春夏秋冬、其々の大変さが有るが、色んな場所に行く事により其々の景色や季節感を味わう事が出来て楽しい事も多い。其れでも其れ等は天気が良ければの事で一度連続の雨が降ると憂鬱で鬱陶しいものだ。最近の天気予報は確実に当たるので今朝から予想はしていた事だが約束事なので其の時点で雨が降っていなければ予定通りに現地に行かねば成らない。今回は現地まで車で1時間強掛かるので非常勿体無い状態・・・・結果的に30~40分の作業の為に往復2時間半をついやする結果と成ってしまった。


 会社で昼飯を御馳走に成り1時過ぎに我家に帰ったら玄関の鍵を家内が会社に行く時に施錠していて家に入る事が出来ない。私の場合は何時も何処か1箇所、他人が解らない所を施錠せずに置くのだが用心深い家内の事、完全に施錠していた。それでは最後の奥の手の小太郎(昨年亡くなったペットの猫)の非常脱出口の洗濯乾燥機の上の小窓があったと向かったら小太郎が居なくなったので脱出窓の外一面に網戸を打付けてあり、奥の戸は開くのは解っているが網戸を小太郎が遣った逆に大太郎が外から中に向かって蹴破らなければ成らない事に・・・其のことは簡単だが後の張替えが大変なので家に入る事は諦めた。


 鍵束を前回何処かで落として見付かっていないので「早く終わったのでユックリ無線でも楽しもうか?」の思いは無残にも打ち砕かれた。家内が帰って来るのは4時前後、可也時間がある。自分の車で昼寝も考えたが玄関先の車内で昼寝も世間体が悪いし、仕方なくピョンピョン二世号の洗車とワックス掛けをして時間稼ぎをする事にした。実家周辺は木沢村とは違い曇り空では有ったが雨は降って居なかったので無事終了した頃に家内の車が帰って来て開口一番「あれ 帰りが遅いと言って居たのにどうしたん?」と言われ「なんで施錠やしたんじゃ お前が施錠したから家に入れんかたんじゃ」と言い掛けたがぐっと堪えた。

 

 外出する時に施錠するのは道理の叶った事、迂闊に言えば「鍵を掛けるのは当たり前の事、鍵を無くしたのは貴方の落ち度、そんな事言われても知らんわ・・・」と返り討ちに合うのは必至、言うだけ損な事は解り切っている。そして家内と一緒に家に入ったら雨音がして小雨が降り出した 折角車にワックス掛けしたのにマンの悪い事は続く様で昨日の足を踏み外して横転から悪い事が続いている。今日は三隣亡の日、明日はこれ等を振り払らわぬばと思う。

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 思わぬアクシデント

2014年03月17日 | 日記


 今日から那賀奥の作業の後半線が始まった。作業用具の積替えがあったので7時前に実家に行き車内の荷物の積み替え中にわからない事が在ったので甥に携帯電話を掛けながら(確認しながら)歩いていたら(下をよく見ていなかったので)左足を出した所に地面が無く 約80cm位の高低差を踏み外し隣のセメント舗装の土地へ左手の肘先から横倒しに下の地面に落ち、体の左側面を中心に強打した。周りの人に見られていたら恰好が悪いので直ぐに起き上がったが暫くは「うぅ~ん」と唸っていた。暫くは痛みがあったが現場に向かい作業が終わる1時頃には少し痛みは残っていたが気に成らない程度、処が何時の飛脚便の高松市内からの帰り道の運転中に肘の折り曲げをすると異常な感覚で最後まで肘が折り曲がらず肘の先端の外側を擦ってみると変な違和感がした。運転中なので其の場で確認する事も出来ずに自宅に帰って下着を脱いで鏡に映してビックリ 左手の肘の先端部が右の其れよりも1.5倍以上に晴れ上がっていた。



 腕も肘も違和感は有るものの(肘曲げの時に腫れを引っ張るのでゴムか何かで反対側から引っ張る動きにブレーキを掛けている感じ)十分動くので骨折の心配は無いのだが今までに経験した事の無い腫れ様、打ち身は暖めると駄目な様なので今日のお風呂は止めて大人しく寝る事にした。明日起きて腫れが引いていれば良いのだが少し心配、されど「生来の病院嫌い」なので此の程度で医者にかかる気持は更々無い。だが其の強がりが今週最後まで続けば良いのだが??

 
 

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大きな地震に驚いた

2014年03月14日 | 日記


 本日の真夜中に可也大きい地震があった。人間の潜在的な感知能力なのか?不思議と大きい地震の前は目が覚めた状態で迎える事が多い、神戸の大震災もそうであったが今回も4~5分前に何故か目が覚めて確りした意識の中で地震を感じた。最初のぐらぐらと家が揺れた後に家がある方向に向いて移動する様な感じで限界まで揺れて其の後、反対方向に揺れ戻しが来る感じで「がしゃがしゃ」と大きく揺れた。言葉では上手く言い表せないが風呂の水がある方向に移動して浴槽の壁に当たって返ってくる感じの揺れ方で後半の揺れは30秒間以上揺れた様に思った。

 私の感じでは体感的に淡路神戸の大震災並に感じたので直ぐにテレビの電源を入れたら徳島で震度4との事で地震による津波の心配は無いとのアナウンスで一安心した。幸い棚の上の物や食器類が落ちたり壊れたりする事は無かったが久し振りの大きい揺れを感じた。最近ニュース等で30年以内に南海地震に匹敵する大地震が発生する可能性などが報道去れているが意外と四国は地震の少ない所の様に思える。地層の加減か神戸の大震災も震源地が近くで在りながら大きい被害も無く事無きを得た。

 しかし天災は何時、何処で発生するか解らない 其れ等に対する心構えは日頃から確りと心掛けなければ成らないと思う。今日は其の様な事を強く感じた一日であった。

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