私とアマチュア無線との出会いは約50年前に遡る。本格的にアマチュア無線を意識したのは確か中学2年生位いだったように思う。私の生家はあまり裕福では無かったが小学生の頃からラジオの製作記事が載った雑誌が有った。此れは八歳年上の長兄が(JA5CHQ)すでに社会人に成っており当時には珍しいトランジスターラジオの組立て等を趣味でやっており小学生の頃には組み立てたラジオ用の竹竿アンテナを持って田んぼの中を走りまわっていた。
私の兄はかなり新しい物好きで欲しい物は必ず手に入れる特別な才能を持っていた。生家はラジオもテレビの購入も近所より遅れていたが何故か?カメラや空気銃や剣道の防具など我家にそぐわない物が有ったが其の全てが兄の手腕により手に入れた物だった。
兄は仕事も遊びも思い立つと寝食を忘れ没頭し手に入れるまでは諦め無いタイプで当時、学生アルバイトをして欲しい物を手に入れていた 父親も兄には特別な対応をしていた様に思う。其の恩恵で私には其れ等に触れる環境が出来上がっていた。
私が中学生の頃、兄が何処で知ったのか解らなかったが5球スーパーで短波(7MHzのAM)のアマチュア無線の交信を聞きだし其の横で聞いたのが私とアマチュア無線との初めての出会いであった。当時は電話も一般家庭には無く個人が無線設備を使い全国と話が出来る等、考えられない状況で有ったし自分が無線局を開く等、想像もしなかったが強力なインパクトが有り其の光景は今でもハッキリと覚えている。まさに運命的な出会であった。
最近感じる事なのですが 昔、子供の頃は台風が通過すると翌日は青空が広がり晴天に成ったものですが最近は台風が過ぎ去っても曇天だったり翌日、雨天だったりする事が有ります 今回の台風はこの時期の台風としては珍しくコースも複雑な動きをしました。
今年は沖縄、九州の移動中も与論島で台風1号と遭遇、離島の為にフェリーが2日、運休で足止めを喰らい島に缶詰状態と成りました。仕方なく島内を観光しましたが百合が浜で、みやげ物店の おばさんと出会いました.。この時も台風が通過した翌日で浜を散策時は雨は降っていなかったのですが浜から駐車場に行く途中でスコールの様な雨が降り出し走っていたら「兄ちゃん、兄ちゃん」と声が掛かり その方向を見るとおばさんが手招きをしていました。最近、兄ちゃん等と声を掛けられたことが無いので(当方62歳)気を良くしたのか足が止まると「お茶でも飲んで行き」と再度声が掛かりました。
招かれる侭にテントに入ると貝殻を使ったみやげ物が展示されていて「此れは仕舞ったな!」と思ったのですが、お茶を御馳走に成る事にしました。定石通り「どちらから?」、「仕事で?」から始まり子供の事、家内の事など世間話をする内に意気投合し御菓子や、ジュース 最後にはラーメンまで御馳走に成ってしまいました。
2時間位、滞在したのですが最後まで「何か買って」の言葉は無く「此の雨では今日は商売に成らない私はそれより人との出会いを大切にしている。」との事、10歳位年上のおばさん、いや お姉さんは最後に記念にどれでも良いから一個、貴方にあげるとの事、私はお金を払うつもりだったので10cm位のピンク色の貝を選んで代金を聞いたのですが教えて貰えず戴く事と成りました。その貝殻は現在、無線機の並ぶ棚の特等席に鎮座しています。今朝起きて無線機のスイッチを入れる時、目に入った貝殻と台風通過後の雨空を見上げて1ヶ月前のお姉さんの健康そうな日焼けした顔を思い出しました。元気にしているのかなぁ~?
無線の世界も人と人の出会いの場、ましてや顔も知らない者同士の出会いの場、生涯で最初で最後の出会いかも知れないし?今後、生涯継続するかもしれない出会いの所、其れ故に心して対応しなければと思う。アマチュア無線を志す者、潜在的に何かそんな出会いを期待している気がするのは私だけだろうか?