私は夏休み前に就職先が決まったので夏休みは此の世の天国だった。工業高校では就職が決定すれば落第は無いと言われていたので長い夏休み、無線三昧だった。する事が無くなると友人とクロスバンドQSOで将棋をやった。当時の機械はトランシーバーなど無くセパレートタイプ(送信機、受信機が独立していた為)3.5MHzと7 Mhzを使い私が3.5MHzで送信し7MHzを受信、相手側は7MHzで送信して3.5MHz受信するとクロスバンド交信で同時通話が可能に成る芸当が出来た(当然両者の送信機は送信しっぱなし状態アンテナも受信用に独立した物が必要)この準備が出来ると双方、将棋盤に駒を配置、私が「1-3歩」と言えば相手側が自分側の将棋盤の私側の駒を進める 次に相手側が「2-3歩」と言えば私側の将棋盤の相手側の駒を進める この事により双方の将棋盤に勝負が展開出来る時間は掛るが暇潰しにはもってこいの遊びだった。
とにかく2学期以降は中間試験や期末テストが有っても事前勉強など殆んどしなかった様に思う。唯、新設校だったので卒業レポートとして(大学での卒論の様な物)1年間、課題に取組み3学期にまとめ、同級生全員の前で発表する大変な作業が有った。これさえ出せば卒業は可能だった。入学時90人の定員だった電気科だったが卒業時は80人を割っていたように思う。強電が主体の学科で有った為、「K 無線3馬鹿トリオ」は其の意味で電気科では異端児だった。
樫福君は就職先から課題を与えられマルチ・バイブレーターの実験をしていた。栗本君は船舶関係の無線機器の会社に決まっていたので屋上を走り回ってアンテナを作って実験をしていた様な気がする。私は、テレビの回路動作解析をしていた。下の倉庫には白黒テレビの残骸が50台位有ったので バラバラに分解、再度アルミの平板に組立て直し各回路別の波形観測し回路部品でどのような変化をし最終的な波形になるのか調べることが課題だった。私は学業成績は常時、低空飛行だったが他の2人は優秀だった様に思う。唯、弱電の回路関係、真空管の動作説明や回路を組む様な芸当が出来る者は同学年で無線3馬鹿以外には2~3人しか居なかったように思う。表面に出なかったのかも知れないが、此れが遣りたいので電気科に来たとの意欲を感じる同級生は少なかった。自慢には出来ないが私が電気科に進んだ動機はやはりアマチュア無線に有ったし十分楽しむ事が出来たし卒業したら其の分野の技術で飯が食える自信は有った。
後で解った事だが或るメーカー会で出会った13回生卒の後輩から彼が3年生の時、模範研究レポートの中に日下さんのレポートが有り参考にさせて貰ったと聞いた時は3年生の時の苦労が報われ、何がしかの足跡が残せた事が非常に嬉しかった。彼も又テレビの回路に取組み私と同じ様に家電メーカーのサービス・センターに勤務する同業者に成って居た。
私がアマチュア無線局を開局した時代は国試を受けて合格してから無線局の免許状が届くまで約6ヶ月を要した。申請も複雑で自作機が多かった事も有り メーカー製で有っても送信機のブロックダイヤグラムは必須で たしか最寄りの駅から自宅までの地図も書いた記憶が有る。戦後のアマチュア無線再開当時寄りは遥かに開局申請書類が簡単に成ったとはいえ初心者には大変な作業であった。その意味ではまったくの初心者は少なく、私の先輩や同期の人達を見回しても全数と言って良いほど受験前に電波が発射出来る すなわちアンカバーの経験者だった。国試も全問記述式で教科書は有ったが現在の様に問題集も出回っていなかった。即ちズブの素人は殆んど居なかった様に思う 逆に素人では国試は受からなかった。試験会場も高校生が9割以上で工業高校の電気の専門課程の生徒が大半で有った 当時の国試の合格率も40%の前半だったと記憶している。
私の場合は当然、設備は有るのだから電波を出したくてウズウズしている所に免許状が届かない。免許状の届く日を千秋の思いで待っているのだが・・・・・アンカバーでの運用の方法も有ったが当時はアマチュア無線の局は少なかったので試験電波を発射する程度なら解らないが長時間の運用をしていると近所のOMに直ぐに見付かって仕舞うし、其れより何より当局に挙げられ折角のアマチュア無線局開局がパアーに成るのが一番怖かった。
当時は電監の免許課に電話すれば免許状の発給状況を教えてくれるとの情報を得て私は待ち切れず電話を掛けた確か免許状が届く10日位前だったと記憶しているが、其の時の遣り取りは詳しくは覚えていないが要約すると『免許状は10日程度で御届け出来る コールサインはJA5CBAと聞いた。』其れが解れば此方のもんと勝手に解釈し 其の日から其のコールサインでどんどんQSO,約30局程度交信した。
後日、免許状が郵送されワクワクしながら開封、免許状を確認すると「なな、何と呼出符号がJA5CBBと刻印されていた」ワクワクどころか膝や体全体に震えが来た 血の気が無くなるとはこの事で60年の人生経験の中でベスト3に入る出来事だった。
其の頃は真面目だったので2日ほど色々考えたが電話では恐ろしくて上手く説明出来ないと思い長文の手紙を書いて電監に送った 内容の要約は 「電話で確認はしたが前者の呼び出し符号で免許状の到着前に全国の30局程のアマチュア無線局と交信した 之は電波法違反で有り、この件に関しては如何なる裁定にも異議は申し立て無いので判断を御願いする。御迷惑を掛けた免許人には当方から謝罪したいので免許人の住所と名前を御教え戴けないでしょうか?」だった。
後日、封書で返信が有り恐る恐る開封し内容を確認すると「当局は罰則は考えていない ただ相手の免許人には迷惑が掛かっているので当事者間で御相談下さい」との事、2枚目の便箋には相手の住所と名前が書き込まれていた 其の相手の局とは・・・・・・・・・何と同級生の栗本君の住所と名前が書き込まれていた。今風に言えば「ラッキー」の一言だが親しい友達だからこそ気を使う面も有った。取敢えずQSOリストを渡しこの件に関しては責任を持った対応をするので許して欲しい申し訳なかったと謝罪した。すると彼は気持良く了解してくれた。
後日、交信した局には事情を説明QSLを発行し了解して戴いた。私の知る限り現在この時交信して御迷惑をお掛けしたOMが1局だけ現在も御元気に活躍されている。もう45年も昔の話だが其の人の御元気な声を聞く度、学生時代の大失敗を毎回思い出す。