黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 三島村(硫黄島)への出発と不安材料

2013年05月28日 | 旅行



 鹿児島の道の駅「喜入」では宵の口から寝ていたので夜明け前に目が覚めた。昨日に寝袋に入る頃、沢山駐車していた車が1台も居らず此の場所で夜を過ごしたのは私の車だけだった様子、まだ辺りが暗い内に鹿児島市内の南埠頭に向かう事にした。市内には産業道路を使うと1時間以内に到着する予定で在ったが途中で24H営業のスーパーに立寄り「弁当」3食分を確保する為に時間待ちをした後に三島村へのフェリーの発着場に向かった。


 フェリー発着場には5時頃に到着したが三島村への出港時刻は9時30分の予定、待合所も開いて居らず駐車場にも入れない状態で仕方なく道路に車を停めて待つことに成ったが基本的には駐車違反の場所、仕方が無いので車に乗車した状態で3時間ほどを待つ事と成った。


 この段階で私には今回の移動中の2つ目の問題が頭を過ぎった。この日は5月2日で金融機関が開いている最後の日、次の日からはゴールデン・ウィークで金融機関がストップする為に、昨日郵便局で引出しておけば良かったのだが時間的な余裕が無かった。其の段階では財布の中身が十分に有ると思い込んでいた。乗船手続きをする前に財布を確認すると5万円少々くらい所持金は有ったが三島村の運用が終わり引き返し鹿児島港に入港するのが5月6日の18:30分頃なのだが其の時間では既に郵便局は閉まっている。


 何せ不測の事態が発生したら見知らぬ土地で現金を持たない事程、不安なものは無い。しかしこの段階でも三島村の硫黄島へ行けば郵便局も在るだろうし当然ATMが在るだろう?在れば其処で引出す事が出来るだろうと?楽観的に考えていた。やがて乗船手続きが始まり、今回のフェリーは三島村の村営事業なので係りの人に念の為に郵便局のATMの存在を聞いてみたら「見た事が無い」「多分無いと思う」との返事、おまけに村に帰る乗船手続き中の中年の奥さんが「無いよ!」と確定的な話、「此れは拙いな」と感じた。今回はキャッシュ・カードは持って来たが通帳は持って来ていない。余程の事が無い限り三島村の運用は問題なく出来るが三島村から帰る(18:30分鹿児島港着)其の日の23:00JSTに更に便利の悪い十島村にとんぼ帰りで行かなければならないので場合によっては金銭的な問題で其のフェリーに乗れない事が起こり得る状態と成った。


 乗船前に不測の時用にバラ銭を別に持っていたのを取出し数えて見ると3万位は有ったが乗船券などを買うには不向きな多種類の硬貨の集団、使い勝手が悪る過ぎるし金額的に少し足らない。三島と十島へのフェリーの往復料金だけでも10万近く掛かる事は解っていたのでこの不安は私の頭の中でどんどん膨らんでしまった。最終的に料金をVISAカード払いで申し入れたが係りの人は「現金払いのみです」と言いながらも先程からの情況を見ていたので気の毒そうに上司に確認を取っていたが上司は首を左右に振って駄目と言う態度、「如何されますか?」と聞かれた段階で駄目元でも三島村だけでも運用しなければの気持ちに成り乗船切符を購入した。


 30分前にフェリーに車を乗入れ客室に向かったが頭の中は其の対応策の事ばかりが頭を過ぎり気分は落ち込むばかり「まさかATM装置が無い!」など夢にも思わなかったが現実は受け止めるしかない。船が硫黄島に到着するまで客室で彼是考えたが最悪の場合には「九州の懇意な方に鹿児島まで走って貰う様に御願いするしか無いのかな?」とまで考えた。船は12時過ぎに竹島に寄航した後、40分位で硫黄島に到着したが下船して最初に郵便局に飛び込んだが局内には何処の郵便局の一角にも設営されているATMの設備は見当たらない「すみません 旅をしている者ですが この局にはATM装置が無い様子ですがキャッシュ・カードで預金を引出す事は出来ないのでしょうか?」と不安そうに聞いたら「局用の設備が有りますので問題無く出来ます。」と嬉しい答えが帰って来た。キャッシュ・カードを渡すと暗証番号を入れる端末機を渡され番号を入れると「幾ら引出されますか?」と聞かれ金額を言うと貯金を降ろす事が出来た。今朝から彼是考えた事が馬鹿らしく成る様な結末と成ったが此れで憂い無く移動運用が出来る様に成った事は私には一番嬉しい結果と成った。


 
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鹿児島までは遠かった!

2013年05月28日 | 旅行


        

  

 山口県の下松SAでの目覚めは遅く既に太陽は可也上がっていた。私の車には遮光する為のカーテン設備が無くSAでの車の駐車は小型車用のスペースでなく限りなく大型車の駐車場所近くに行く事にしている。理由は簡単で小型車用の駐車場は殆どSAの建物前に集中しており其の近辺には照明装置のナトリュウム灯が在り明る過ぎて睡眠の邪魔に成るからで在る。勿論、遮光フィルムも窓ガラスに貼り付けているが光源が強く余り用を足さない。其の光源も座席に座って居る時は直接目に入る事は無いのだが後のフラット・シートに寝転がると如何様に車を置いても不思議と光源が目の中に入り眠り難いので大型車の間に入り其の車の陰を利用している。しかし此れにも問題が有り陸送用の大型車は保々エンジンを駆けた状態で休むのでディーゼル・エンジン特有の大きい音と排気ガスに悩まされる事と成るが私の場合は音拠りも明るさの方がどちらかと言えば苦手なので この様な方法を取っている。


 下松SAを出て山陽自動車道を西に向かい関門海峡を渡ると「遥々来たぜ~北九州~」と2年前と同じ様に替え歌を歌いながら九州自動車道へと入った。歌いながら2年も経過しているのに何ら変わって居ない自分に苦笑しながらも其れでも愈々九州路に入った実感を憶えた。門司から福岡市までは以前に来た時よりも通過するのに時間的に長く感じたが佐賀県の基山ICで小休憩の後、鳥栖ジャンクションを通過したら後は迷う事無く終着の鹿児島市まで只管走るのみ、西南の役の激戦地の田原坂を越えながら「雨は降る降る~人馬は濡れる越すに越されぬ田原坂」の一説を思い出しながら明治時代なら大変な行程を現代は意図も簡単に越せる高速道路の有用性と有難さを実感した。


 熊本ICを通過した後に山江のSAで少し昼寝の休憩を取った後、鹿児島市へと向かったが我がピョンピョンⅡ世号には山口県の下関の手前の坂道に続いて2回目の厳しい峠道、アクセルをベタ踏みでも60Km/H程度しかスピードが出ず登坂車線をノロノロと走る事と成った。2年前は人吉から県道267号線でさつま町に入り326号線の山越えで鹿児島市内に入ったが、この時も326号線は可也の厳しい坂道で在ったが短い区間での上り下りで何とか越せたが高速道路は極端な上り下がりは無いものの連続した登り勾配の為、パワーの無い軽四だと段々と走らなく成り本当に苦労して車が可哀相な状態に成った。そしてその結果から帰り道は鹿児島市~熊本市間は高速道路を使わず地道を利用する事と成った。


 如何にか青息吐息で鹿児島のICを降りたのは16時前だったと思うが三島村へのフェリーの出港は明日の9時30分頃なので先ず最初に三島村へのフェリーターミナルの場所の確認と其の後に非常食や水の購入や発電機用のガソリンの調達に向かった。移動運用も最長に運用すると4日間の運用と成る為(大体1日の発電機のガソリンの使用量は7L前後)、従来の20Lの携行タンクでは不足の可能性を感じ更に20Lの携行タンクを購入した。何せ三島村の硫黄島にはガソリン・スタンドが存在しない状態の為、万全の方法を取った。其の後に2日程、風呂に入れて居なかったので指宿の手前の道の駅「喜入」に向かい温泉に入った 入浴料は安くサウナ付きで300円と格安な値段、この場所やガソリンスタンド、24Hオープンのスーパーも2年前に利用しておりナビにも登録済みで在ったので迷う事無く無事到着、全ての物資の調達が完了した。車を停めてトリップ・メーターの走行距離を確認したら家を出てから1200Kmを越えていた。24H以内にガソリン・スタンドに3回も入ったのも初めての経験で有ったが兎に角、回り道をしたとは言え徳島~鹿児島間は流石に遠かった。21時頃に道の駅の駐車場で3回目の車中泊と成ったが寝袋に入った途端に疲れの性か直ぐに爆睡状態に落ちた。


鹿児島市の南埠頭からは屋久島フェリー、三島フェリー、十島フェリー、高速船等の発着場所と成って折、重いリュックサックを背負った若人が沢山居たが大半は屋久島ツアーの参加者、三島村への訪問者は少なく車の乗込みは少ない状態と成っていた。



 


 

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