パオと高床

あこがれの移動と定住

北村薫『慶應本科と折口信夫 いとま申して2』(文藝春秋 2014年11月25日)

2024-10-09 02:13:20 | 国内・小説

北村薫の『いとま申して』3部作の2作目。
北村薫の父が残した日記から掘り起こした、
1920年代後半から30年代への時代のある一場面。
一場面と書いたけれど、それもちろん一場ではなくて、いくつもの場面が織りなされながら、
どんな時代でも
そこに生きている自分自身の生活があって、それが時代の中での
実感を伴った「私」の生活であって。
それを評伝のように、日録のように記述していく。
時は世界恐慌から満洲事変、日中戦争へと流れていく。
不景気と不穏な空気。
それはそうなんだ。
けれども、
紛れもなく、こんな青春が、そこにあった、ということが、ふくよかに伝わる。
小説の魅力だ。
小説の主人公である作者の父が慶應でであった折口信夫、
すごかったんだろうな。
でも、そこに多様な価値はからまり。
うん、それに出会えたかけがえのなさもあって。
作者北村薫が何を慈しもうと思ったかが、直截に伝わる。

父の日記と作者が対話するように進む筆致が
いいな。
そして、日記の記述の背景を探る面白さは、著者の「私」シリーズをたどっている。
さあ、第3部に行こう。

北村薫『いとま申して 『童話』の人びと』(文藝春秋 2011年2月25日)

2024-09-05 11:00:37 | 国内・小説

北村薫が膨大な父の日記を資料として描きだした若き日の父。
雑誌『童話』に出会い、童話にあこがれ、戯曲や他ジャンルの小説へと広がり、進んでいく父の青春の日々が綴られる。
加賀山直三との出会いが父宮本演彦(のぶひこ)を歌舞伎へと連れだし、
通い続けるうちに父自体も歌舞伎と歌舞伎役者に対して一家言もつようになっていく姿など、とてもとても共感できてしまう。
おずおずと何もしらずに興味で読みはじめた小説から、いつのまにか考えの言い方や人の作品への批判の仕方を覚えていき、
自身への矜恃と他者への無力感を感じながらも、
こんなものじゃない、こんなはずじゃないと思って先へ進もうとする。
そんな姿が、作者北村薫のコメントを差し挟みながらも書かれていく。
日記と対話するような絶妙の距離感がさすが。
この距離感が評伝風の味わいと小説的な空気感を醸しだしているのかも。

歌舞伎、落語、文学様々、多様多彩な蘊蓄を持つ作者北村薫のルーツを探っていくようだ。

旧制神奈川中学(現希望ヶ丘高校)から慶応予科へ、単位を気にしながらも、学校へは行かず、電車に乗っては歌舞伎座へ行くというそんな青春。
小説、戯曲を練り、仲間の作品への感想を持ち、日記に記していく日々。かかわりあう人びととの交流が群像劇のように記されていく。
金子みすゞ、北村寿夫、奥野信太郎とかも現れて、横光利一や芥川龍之介などへの言動も入ってくる。そして、次作へと続くようによぎる折口信夫。
天皇崩御と即位の式典の描写も含めて大正から昭和へ移る時代の様相が浮かびあがる。
うん、時代の中の青春が書かれている小説なのだ。

北村薫は『太宰治の辞書』も面白かったな。

阿津川辰海『黄土館の殺人』(講談社タイガ文庫2024年2月15日)

2024-07-06 02:03:53 | 国内・小説

この人の小説、面白い。って言っちゃえば。それで終わるのだが。
〈館四重奏〉シリーズと名づけられた3作目。
『紅蓮館の殺人』『蒼海館の殺人』に続く作品だ。
山火事、水害と限界状況を設定しながらのクローズド・ミステリイの3作目は
地震。
かなりの配慮があっての刊行だったのだろうと思わせるし、実際「あとがき」にも
書かれている。

とにかく王道を歩く探偵小説。
だから、歩きながら、これまでの探偵小説へのオマージュになりパロディーになる。
でありながら、新奇な何かがあるのだ。

「名探偵」を自称し、名探偵の宿命をも引き受けようとするかつての高校生探偵、葛城。
同じく、かつて高校生探偵と言われながら、苛酷な状況から、
探偵であることの一切から逃れようとしながら逃れられない飛鳥井光流。
そして、語り手である助手の田所とその友人三谷。
探偵とは何か、真相を暴くことと事件の解決との違いは何か。
登場人物は悩み、戸惑う。自負、自信とそれへの不安を語っていく。
明確に見えている事件の真相。だが、それに自分たちはどう対処するか。
それが、青春小説のテイストや成長物語の趣を生みだしていく。
地震による土砂崩れで閉ざされた—あちらとこちら—。
土砂越しに提案される交換殺人から事件は始まる。
名探偵は、その土砂崩れによって事件が起こる現場には行かれない。
だが、起こり続ける連続殺人。
並行して流れる時間の中で
推理は推理を誘いだす。

この作家の小説では、『星詠師の記憶』がすごいなと思ったけど、
〈館四重奏〉、3作目まで十分満足。
4作目、期待。

中山七里『いまこそガーシュウィン』(宝島社 2023年9月29日)

2024-06-05 01:42:13 | 国内・小説

そうか、ガーシュウィンか。
で、一気読みできる本を読みたいなと思って読んだ一冊。

舞台はアメリカ、ニューヨーク。大統領選のあと、よもやの共和党大統領がヘイトスピーチをガンガンやりまくって当選。
アメリカ国内では白人至上主義者が移民への差別を助長させる。
分断化の加速。
そんな中、ピアニスト、エドワードは、
ショパン・コンクールで平和をめぐる「五分間の奇跡」を行った岬洋介とピアノの二台連弾による「ラプソディー・イン・ブルー」のコンサートを企画する。
そのカーネギーホールでのコンサートへの流れがストーリの中心線である。
そこに大統領を暗殺しようとする〈愛国者〉という人物が絡んでくる。

  「音楽で暴力に立ち向かおうというのかい。それはファンタジーだよ」
  「音楽には暴力に比肩する力があります」
   岬の言葉は静かだが自信に満ち溢れている。聞いていると、知らず知らずのうちに胸の底へするすると入り込んでくる。
 「音楽に力があるのは古今東西の為政者が認めています。慰撫するメロディ。鼓舞するリズム。だからこそプロバガンダに利用されたり、
   逆にミュージシャンが利用されるのを怖れたりしているんです。コンサートを中止させようとしている人たちも同じなのですよ」

こんなコンサートをめぐるやり取りがある。

そういえば、村上龍の『五分後の世界』にもミュージシャンが出てきた。
あの小説では、ボクは、勝手に、ミュージシャンを坂本龍一ってイメージしていたけど。
坂本自身は「音楽の力」という言い方は確か、嫌っていたような。
「力」じゃないんだよな。それ自体を別のことばにすることがたぶん、あるんだよな。
しなければならにという「ねばならない」じゃなくって、べつの、ことばが要請されるっていうか、
そんな、ことばにされることを、求めているっていうか。

あっ、中山七里の、この小説、ガーシュウィンを聴きたくなりました。
確かに、「いまこそ」、ガーシュウィンかも。

平谷美樹『賢治と妖精琥珀』(集英社文庫 2023年8月30日)

2023-12-03 09:42:27 | 国内・小説

大正12年7月31日から8月12日までの宮沢賢治の樺太への旅を取り入れたファンタジー。
なんとなんと、宮沢賢治とラスプーチンが対決するというお話だ。
しかも妖精を封じ込めた琥珀をめぐる争奪戦。
石への蘊蓄も高い宮沢賢治を持ってきて、しかも前年の妹トシの死からの賢治の心の動きを織り込んでいく。
しかもしかも、その心の変化が賢治の宗教観、宇宙観と繋がっていく。
あの絶唱「永訣の朝」から「青森挽歌」や「宗谷挽歌」「鈴谷平原」「噴火湾(ノクターン)」などの詩とも絡ませながら物語は展開する。
で、その物語は幻視や呪法も駆使した活劇なのだ。
二つに割れた妖精琥珀。一つは賢治のもとにあり、もう一つはロシアの怪僧ラスプーチンが持っている。
この二つを出会わせ絶対的な力を持とうとするラスプーチン。奪われまいとする日本の特殊グループ。
そして、妖精琥珀はお互いを求め合う。
花巻から青森を経て北海道を縦断し、稚内から樺太へ。
一気読みの一冊。

読後、宮沢賢治の詩を読みたくなった。