ことばに拘らない詩は、おそらくないはずなのだ、けれど…。
ほんとうは切り離されるものではないはずなのだ、けれど、内容とことば自体と分けてしまったときに、
伝えたい内容が溢れすぎて何だかことばが置き去りにされているような感じを持ち、それでもそこにある
のはことばで、だから意味だけが先に走ってやってきて、置き去りにされたようなことばの集まりの中に
投げだされてしまうときがある。そんな溢れるような伝達系の流布流通消費されることばに対して、やは
り詩のことばは棹さすものであり、少なくとも一緒になって溢れるような流れの中に身を任せるものでは
ないと思う。溺れる者の藁にすらならなくても。
もちろん逆もあるだろう。ことばがただことばを再生産し続けてどこか中身を喪失させてしまうという、
単にことば遊びだ言って批判されるような。
だが、ことばに拘るとはその遊びも引き受けながら、ことばが帯びる意味や形や色を表現していくことなのだ。
俊成や定家、安西均なら、いずれかならば「実」を採りたいというのだろうが、彼らがもとめたものは、やはり、
「花」も「実」もだ。
村永さんの詩は、ことばに拘るという当然を忘れてしまいそうな「瞬間」に、ことばに拘るという当然を思い出
させてくれる、当然に出会わせてくれる。
たとえば表題詩「爪のカクシツ」。たくみにことばを駆使した「故藤富保男氏を偲びつつ」と記されている。
引用の詩の括弧の中はルビ。
生爪 剝がした
こっちの 爪
ケガした か
あっち の爪
「の」の位置が変わるだけで、爪の「こっち」と「あっち」の距離感がでる。第2連と3連は一字さげ。状況説明がされる。
もちろん、説明なんてものではなく、生爪が剝がれてでてくる「血」とそこにある「皿」との三角関係。
これは状況としてそこに「皿」があるだけではなく文字面としても三角関係を示している。
身の内外 の血めぐり
で バランスみだし
の 血まみれには
爪 血 皿 は肩寄せ 止血
平時 の滋養の血配りこそ
精確 に
天(そら)と地の おだやかな日
血管(ちくだ) の銘々皿へ 注ぐ
「爪」という字と「血」という文字は似ている。で、爪がはがれると「皿」になる。文節は切られているのに、ことばが流れる。
リズムを作りだしている。なにか「の血めぐり」が「後(のち)めぐり」のように音として自在性を持つ。
すると「バランスみだし」てしまうと、「の 血まみれ」は、「後(のち)まみれ」が崩れた形のようにも思えてしまう。
で、3連は省略するが第4連で、「爪」と「血」の文字の類似が語られる。
どのみち爪たち が血塗られるのは
爪や血 の文字頭に突き刺さる
一画目 のノ(トゲ) と見まがう
爪牙(そうが) の確執(カクシツ) の仕業
「確執」「仕業」の前の「の」が裏拍子を打っているようで、休符から入るようでもあって。ことばを微妙に軽くしているようでもあって。
そして、最終連。
グサリ と きそうな
〈牙(ガ)〉のノ(キバ) の跳ね反りに
爪
血
皿
の 文字の見せぬ角質や薄皮
を 横にらみ 形 影も照らし合わせ
脳頭(とう) へ駆けのぼらせ
適切 に対(むか)い
的確 に処す
「牙」は跳ね反るのか。確かにそうかも。「爪」「血」「皿」の文字の形や影、文字の持つ形や影、そして文字自体が発話をきっかけに
音化する瞬間。そこにある佇まいと動こうとする契機。村永さんはそれを捉えようとし、捉えたときにはそこから思考を動かそうとする。
それが詩を形づくる。「適切」と「的確」。ことばが持っていて発するものを追う運動が、ここにはある。
冒頭の詩「魚と塩」の第2連も引いてみる。調理されていく魚を描いている。
死んでる?
生きてはいないよう
粉 になった
塩 に火が点き
白 白と総身(み)くねり
煙 に巻かれ
“荒塩!”
“手塩!”
の 太声遠のき
人の唇(くち)
が獣の気色で
近寄り
食卓ごと
かつての海浜の かたむき
で なだれかかり
記憶の塩田 の大パノラマ
と 一八〇度の魚眼レンズ
とがカチカチッ と焦点合わせ
重ね塩 で強張った死
を新しい死が おおい
魚眼の陰画紙に 焼き付いたか塩の 辛さ
横書きにするとかえってわかりやすいかも。漢字一文字が「粉煙白煙」になっている。
塩をまぶされる魚から海と塩田へと広がり死へと詩は向かう。そして、味覚の「辛さ」で着地させる、おもしろさ。
詩集は2部構成で、「あとがき」にもあるように1部がことばへの拘りが強い詩群かもしれない。
2部は、1部の詩にも流れているのだが、死者がいる時空の感覚が表されている詩群になっている。時間とは過去が現在に混在していて、
過去だけではなく、訪れていない未来も貫入してきていて、だから死者の時間も気配を持ちえていて、作者はそれを感じ続けている。
第2部の詩から「水仙月」の冒頭から一部。「水仙月」は宮沢賢治の童話に由来か。
高鳴る 潮騒
居並ぶ寝床の子らを急に起こし
まかなう母の掌の 豆腐が
包丁の切っ先のブレに ふるえ
まだぬくとい死をぎゅっと抱いてあげたくて
冷たくならないうちに
息つめた生者たちあつまり
身内の胸ぐら深く 引き寄せ
はずみがついて手放す 沖への装束
潮の満ち干をねがいどおりにしてくれる
神話にでてくる〈珠(たま)〉をさがしに
砂地に立つ はらから
「ぬくとい」はあたたかいの方言。背後に死を持つ神話的な空気が流れているように感じた詩だった。2部の詩は心の襞に沁みる。