作者は略歴によると、トルコ生まれで、65年の18歳の時にベルリンで2年働き、その後トルコに戻り、
75年、軍政を逃れて再びドイツへ。東西ドイツやフランスで舞台監督助手などをしながらドイツ語で作家活動を始めたとある。
1946年生まれだから、今年78歳なのかもしれない。
「わたしの言葉で、舌は『言葉』の意味」と書き出される小説「母の舌」は、
どこで母は舌を無くしたのかと問いながら母語に向かうためにアラビア語を学ぼうとする。
また、その短編の次にくる小説「祖父の舌」では、そのアラビア語の師によって溢れるような文字に出会い、
アラビア語とトルコ語の類似と違いを見つめながら、師との愛情関係も描かれていく。
言葉と共に愛に出会い、その出会いは主人公の内面も目覚めさせていく。
師の持つアラビア語とイスラム教、アッラーの戒律、言葉と、主人公の持つ愛や内面との葛藤が、
詩語やダイアローグを含みながらイメージ豊かに描かれる。
文章はわざとのように辿々しいドイツ語で書かれているのだろう。
これを訳すのは、大変だっただろうと思いながらも、訳文のインパクトは強い。
わたしはカーテンをわきに寄せて、文字たちと一緒にこのモスクの中に座った、文字たちは絨毯の上で寝そべってた、
わたしは彼らのとなりに横になる、文字たちは休みなしにいろんな声でおしゃべりしあって、わたしの身体の中で眠り
こんだ獣たちを目覚めさせた、わたしは目閉じる、愛の声がわたしを盲目にするだろう、彼らしゃべりつづける、
わたしの身体がまるで真ん中で切られた柘榴みたいに開く、地と穢れの中、一匹の獣が出てきた。
と、こんな感じ。すごいでしょ。助詞をわざと省いたり、誤って使ったりしながら、訳しだす。
随所に思わずうなるような表現がある。
愛は軽やかな鳥、いずこへもたやすく舞い降りる、されど飛びたつ翼のいかに重き。
とか。
あっという間に読める短編二つ。
読後感が印象深く残る。