パオと高床

あこがれの移動と定住

浅川巧『朝鮮民芸論集』(岩波文庫)から「朝鮮の膳」

2015-04-26 13:53:00 | Weblog
ブックカバー、そでに書かれた紹介文は、こうである。
「植民地化の朝鮮に渡り、李朝・高麗陶磁の窯跡の調査や朝鮮の民芸品の収集・研究に勢力を傾けた浅川巧(1891~1931)。
その一連の仕事は、柳宗悦の民芸運動にも多大な影響を与えた。」
「朝鮮の膳」は、12編収録されている論文の中の冒頭の一篇。3分の2ほどは「挿絵解説」となっていて、実際の膳の写真に
解説が添えられている。論文部分は30ページほど。この論文中の膳についての鑑賞部分も面白いのだが、民芸・工芸品の置
かれている現況や社会状況についての浅川の見解がすばらしい。
書き出し。

  正しき工芸品は親切な使用者の手によって次第にその特質の美を発揮するもので、使用者は
 或意味での仕上工とも言い得る。器物からいうと自身働くことによって次第にその品格を増す
 ことになる。然(しか)るに如斯(かくのごとき)工芸品は世に段々少なくなる傾向がある。
 即ちこの頃の流行は器物が製作者の手から離れる時が仕上がったときで、その後は使用と共に
 破壊に近づく運命きり持っていない。(略)製作者は使用者に渡す納入までの責任のみを感 
 じ、興味は代金の領収にかかっている。(略)それからさきは使用と共に次第に醜くなるのみ
 で美しさを増す余裕を与えられていないのである。

この明快さに引き込まれる。工芸品は使用されることによってより美しくなる。それが風雪を越えてきたものの中で、真に
本物であることの証だといっている。同時に、当時の商売だけでの工芸品を嘆いている。

  一方は使用する日数に比例してその品位を増し、使用者から愛されて行くのに、一方は使わ
 れる月日の経つと共に廃頽に近づいて行くべき哀れな運命を持って生れて来ている。

これは、現在の消費しつくす文化全体についても言えないだろうか。もちろん、残ることだけを目的に創作は行われるもので
はないだろうが、消費的な価値だけに偏重したものは残らない。
そして、浅川は朝鮮の民芸品の中に、その本物の存在を見いだすのだ。 

  然るに朝鮮の膳は淳美端正の姿を有(も)ちながらよく吾人の日常生活に親しく仕え、年
 と共に雅味を増すのだから正しき工芸の代表とも称すべきものである。

植民地時代の朝鮮に暮らし、その人々の暮らしの中に入り、共に日々を過ごしながら、浅川は朝鮮工芸品の美しさに惹かれ、そ
の研究と保存のために収集する。

  筆者はしばしば老練な匠人らの仕事場を訪れその熟練した手先の働きを飽かずに見守って
 時の移るを知らないことがある。

そして、機械工業の社会を批判する。

  現在の機械工業において職工は年寄れば廃人同様になる。これは職工ばかりでなく現社会の
 あらゆる階級において見る現象であって、人は仕事の興味を終生つづけることが出来ない約束
 が出来ている。然るに従来の匠人らは幸福に仕事をしたように思える。こんなことを考えなが
 ら年寄った匠人らの働く手さきを眺めていると、吾々の生活を浄化し奮起を促す不思議な力を
 感ずる。

で、この文章を読むと「不思議な力」を感じるのだ。朝鮮の膳のすぐれているところを解説し、その装飾の必要性を見極めながら、
浅川は卓見する。

  凡ての場合正しき使命を有つものの存在は飾りになっても邪魔にならない。邪魔になるもの
 は無用のものに限る。

効率主義を語っているのではない。飾りがあるべきところにあれば邪魔にならないといっているのだ。美しさを見極めているのだ。
ただ、単に美しいだけの無用性とは別のことを語っている。そして、さらに面白いのが、これを風刺に使うのだ。

  世の中も重き任務を有つものがその能力を内に秘して常に微笑していたとしたら天下は泰平
 である。必要な部分の模様化された相はその微笑にも等しい。世の中に無用のやくざ者が力み
 出すほど有害で不快なものはあるまい。その結果は傲慢と不安のために世を喧擾に導くのみで
 ある。

当時の世相を揶揄している。この文章は1928年に書かれ、29年に出版されている。また、これは今のこの国の政治にも十分当て
はまらないか。

浅川は、その優れた工芸品を生み出した朝鮮への思いをきちんと書いている。言葉自体に抵抗を感じる人もいるかもしれないが、
彼の思いは真摯で愛情に満ちている。

  また或人はいう「我が朝鮮の文化は遅れた。遅れたからこそ今頃首都鐘路の真中に旧式の
 膳屋が店を張って居れるのだ」と、しかもそれらの人達は他国の物質文明を謳歌し機械工業を
 礼讃して盛にその真似を企てている。その心持には大いに同情出来るが、しかしブレイクはい
 った「馬鹿者もその痴行を固持すれば賢者になれる」と。疲れた朝鮮よ、他の人の真似をする
 より、持っている大事なものを失わなかったなら、やがて自信のつく日が来るであろう。この
 ことはまた工芸の道ばかりではない。

時代はさらに悲惨の度合いを高めていく。浅川の死は1931年。満州事変の勃発した年である。日本でも多くの職人技が消えていっ
ている。ずっと続く、その現状とも重なってくる。また、真のナショナリズムとは何かが問われている現在にあって、浅川の言葉
は強度を持っている。
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ピーター・へスラー『北京の胡同』栗原泉訳(白水社)

2015-04-13 13:27:59 | Weblog
激変中国。人々はその渦中で生きる。暮らしていく。
訳者あとがきによると「2000年から10年あまりにわたって主に『ニューヨーカー』誌に掲載された記事を収めた作品集」が本書である。

「野生の味」という、この本、冒頭の一篇。

  「ネズミは大きいのにしますか、小さいのにしますか」ウェイトレスに訊かれた。
  ここ蘿崗で、私は難しい選択をするのにちょうど慣れてきたところだった。

と書きだされる。有名なネズミ料理店に来た時の話だ。

  「大きいのと小さいの、どう違うの?」と私。
  「大きいネズミは草の茎を、小さいのは果実を食べます」
  そう言われても、どちらがいいかわからない。そこで今度はずばりと訊いた。
  「おいしいのはどっち?」
  「どちらもおいしいです」
  「お勧めはどっち?」
  「どちらもお勧めです」

まったく、その通りなのだろう。でも、ここには違和感がある。作者は、この違和感を大切にする。それを変だと決めつけるわけではない。
そこに生活と暮らしがあることを書き表すのだ。名前を持った人がいるのだ。
作者は、関わりを持った愛すべき人物の名を、克明に書き記す。そして、交わした会話、交流を描く。
振興開発された地域に店舗を移し、ライバルのレストランと競い合いながら、自分の店をアピールしていく野生料理店2店の姿に、
奇妙な、そしてとても中国らしい場面がかいま見える。
そんな違和を茶化したり、可笑しがったりする本もある。だが、違和を違和として興味深くするのは、真摯さなのだ。

表題作「北京の胡同」は、変わりゆく中国への思いが強い。それは、中国の人々の変わりゆく自国への思いを通して語られる。
消えていく胡同。観光地へと変わって存続する、もはや生活空間の胡同でない胡同。
「拆(チャイ)」という文字が一字書かれるだけで取り壊される胡同の家屋。作者は思う。

  胡同の神髄はその構造よりも精神にあった。胡同の胡同らしさは、れんがやタイル
 や材木にあるのではなく、住民が周囲の状況にいかに向き合ってきたかにあるのだ。

そこに暮らす王(ワン)さんや老楊。人々は生きていく。不便や困難を引き受けながら。
実際に、この文章に出てくる南鑼鼓巷を訪れたことがあるが、今はガイドブックにも載っているおしゃれなでレトロな観光地になっている。
この人々の暮らしは三峡ダム建設で移転させられた人々についても書かれていく。上がる水位が家を覆うぎりぎりまで家を整理し続け、
小舟も作っておいて。溢れる水の上にこぎ出していく家族の話として。他にも、
万里の長城を徹底的にフィールドワークするスピンドラーの話。
要人の避暑地で、政治変革の密約が交わされる場所だった北戴河で、監視にあった逸話。
などなど、奇妙といえば奇妙でありながら、実際に生きている人々が持つリアルな日常が描き出されていく。

確かに僕らは国のシステムの中で生きている。だが、だからといって全身が何国人として括られてしまうものではないのだ。
個別の生があり、したたかな日常がある。それへの深い思いが伝わってくるルポルタージュである。

むかし、石川淳が、まだ中国が人民服を着ていた時代に、この人たちは画一的な人民服の中に自身のしたたかさを抱えている
といったようなことを文章で書いていたように記憶しているが、そんなことも思い出した。

僕が最初に中国を旅行したのは1988年。89年の天安門事件の前年だった。
その後93年以降、毎年のように中国を旅行したが、この20年ほどは本当に変貌中国だったように思う。
確かに以前も北京の空気は埃っぽかったが、今、あの空気の汚れた北京の映像を見ると何か、悲しい気分になる。
ただ、便利さと豊かさを求めるのは当然といえば当然のことで、豊かになれば消費に快楽を求めるのも当然のことで。
だが、その先の陥穽が怖いよね。

もちろん中国への旅行は、当時も、今も、魅力的だ。



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ロベルト・ボラーニョ『通話』松本健二訳(白水社)

2015-04-11 09:29:53 | 海外・小説
三部構成の短編集。
最初の一篇「センシニ」の不思議な味わいに、やられる。
あっ、なんだ、これ。人との関わりの糸から漂い出るような、それぞれの人が持つ世界の感触。
「センシニ」は、スペインに亡命しているアルゼンチンの作家と僕との交流を描く短編だ。
懸賞小説を狙う僕は、懸賞を取り続ける作家センシニに手紙を出す。
そのことから二人の間に奇妙な友情が生まれる。連帯感への通路が築かれるというのかもしれない。だが、それは作家のアルゼンチンへの帰国によって途絶える。
そこにある、彼の息子グレゴリオの死の不可解。また、書かれなかった亡命の内実。それらが、小説に奥行きをもたらしている。
グレゴリオはカフカの『変身』の主人公にちなんでつけられた名前であり、そうすると作家が、自身の好きなカフカの登場人物の名をつけたというだけではなく、
この状況の書かれなかった部分を暗示することにもなっている。
主人公の僕が、かすかに興味を寄せた作家の娘ミランダと会うラスト部分の会話文体がいい。

  ふいに僕は、二人とも穏やかな気持ちになっていることに気がついた。何か不思議な
 理由で、僕たちはこうしてここにいる、そしてこれから先、いろいろなことが、かすか
 にではあるが変わろうとしているのだ。世界が本当に動いている気がした。(略)
  そして、その声さえも自分のものとは思えなかった。

会話は地の文と同じようにカギ括弧なしで書かれている(訳されている)。二人は互いに相手の声を聞いているのだ。

短編集の表題になっている「通話」は、8ページほどの短い小説。主人公はB。ボラーニョのBとも考えられる、彼がよく使う登場人物。そしてBが恋したX。

  BはXに恋をしている。もちろん不幸な恋だ。

こう書き始められる。すべて削がれた小説。
BはXに電話をかける。何故か。Bを好きだから。そして、ある日警官が来る。Xが殺されたのだ。Bは事情を聴取され犯人と疑われる。
釈放されたBはXの兄を訪ね、犯人が誰なのかの可能性を探る。一週間後警察が犯人を捕まえたということを兄はBに電話してくる。という、小説だ。
物語は物語られる一切を封じて8ページだけで終わる。Bは犯人ではないのか。読者は、ここから想像、空想へ向かう。
ただ、人が人と関わる繋がりの痕跡だけは残るのだ。それが生きていることの証となるのかもしれない。「通話」の不可能性も含めて。
そして、死が、明確な死が訪れない不意打ち感が心に宿る。
死とは、それを起こした原因と、犯罪であった場合はその加害者と、そして死の実体といったものが必要なはずなのだ。それが消されている。
外された梯子、通路。そこに滲むように存在する不安。
あっ、この短編の抜群の比喩をひとつ。

  蓋の開いた便器は、まるで歯が一本もない歯茎が自分を笑っているように見える。

短編集は、それぞれに趣向を凝らした作品からなっている。この人の長編を読んでみたいと思った。
50歳で死んでしまったボラーニョ。気になる作家になった。
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