パオと高床

あこがれの移動と定住

ヨン・フォッセ『三部作』岡本健志 安藤佳子訳(早川書房2024年9月15日)

2024-10-26 10:31:08 | Weblog

2023年ノーベル文学賞受賞のノルウェーの作家ヨン・フォッセの小説『三部作』。
1959年生まれだ。

彼は、ニーノシュクという「新ノルウェー語」とも訳されるノルウェーの二つの公用語の内の一つを使って
創作活動を行っていると解説に書かれている。
邦訳の『だれか、来る』の解説も懇切だったが、
この本の解説もそうで、この言語のことが書かれている。
それによると、もうひとつがブークモールといって
デンマーク語の書き言葉をノルウェー語の発音に合わせて変えていこうとしたもので、
ノルウェー人の9割程度はこちらを使用し、
残りが中世以来日常的に使用されていた言葉を基に創造されたニーノシェクを使っている
ということだ。

戯曲『だれか、来る』も、面白かったけど、この連作短編三つは、すごすぎる。
第一部「眠れない」では、十七歳のアスレとアリーダが、
部屋を借りようとビョルグヴィンの街をさまよう場面から始まる。
すでに演劇的な緊張感が漂い、なぜ2人がここにいるのかが語られていく。
第二部「オーラブの夢」では、第一部の謎の部分が解き明かされながら、過去が仮借なく2人を追ってくる。
そして第三部「疲れ果てて」は一部と二部が織りなした時間がさらに重層的に重なりながら、
一部と二部の先の時間が描かれる。

織りなされるストーリーの重なり、生者、死者の交感。時間の交錯。
そして、執拗に繰り返される自問と自答。そのモノローグによって起こった事態が読者に伝わってくる手法の見事さ。
モノローグでありながら繰り返される相手とのダイアローグ。
不思議なポリフォニーも聞こえる。
訳者は原文を考えながら、意図的に句点を排していく。
この自問自答の詩的な繰り返しは、流れを生むと同時に、
不思議な間、呼吸を生みだす。
そこにイメージが立ち現われ、演劇空間が築かれていく。
人物の移動や心理が観客に伝わるように文字で再現されていく、
で、文字の持つ想像力を喚起しながら余韻を残すのだ。
例えば、こんな

  アスレは二人の所有物のすべてである荷物を肩にかけ、フィドルケースを手に持つと、さあ出発しようと言い、
  ブローテを下って行くが、どちらもひと言も発せず黙々と進む、煌めく星と輝く月の出ている澄んだ夜気の中、
  二人はブローテの坂を下るとそこには船小屋があり、船の準備ができている
   船に乗ればいいのね
   そうだよ
   でも……
   安心して乗ればいい
   船に乗って、ビョルグヴィンまで行けるんだ
   心配しないでいいんだよ

と流れる。それから自問自答とダイアローグの心の中での交錯は、こんな感じだ。

  ありがとう、本当に心からありがとうと彼女は言う、あなたはとても優しい、私の素敵な人、アスレは答えて言う、
  これからは何もかもうまくいくよ、そして彼女は言う、もう横になったので眠るわね、寝る場所もできたし、しかも
  ここは暖かいの、私も小さなシグヴァルドもみんなうまくいっている、すべてがこの上なく順調だからとアリーダは
  言う、そしてアスレはさあもう寝ないとだよと言う、アリーダはではまた明日話しましょうと言うと、

これが、その場でではなく、時間と場所を越えて交わされている対話なのだ。しかもアリーダの心の中で。

北欧フィヨルドの空気が横溢し、その複雑な海岸線が人の心の襞や運命を表しているようで。
演劇的ダイナミズムと小説ならではの内面描写と飛躍を持ったお見事な小説でした。
是非ものの一冊です。
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クリスマスの約束 小田和正

2021-12-25 01:46:35 | Weblog
あっ、いきなり。
小田和正の「クリスマスの約束」2021が放送された。2年ぶりだ。
で、ラストの前に井上陽水の「最後のニュース」が合唱された。
わっ、すごっ。筑紫哲也の「NEWS23」で流れたのが確か1989年?平成元年?
番組の初代エンディングテーマだった。30年以上前になるのか。
それは、長いのか? 短いのか? どうなんだろう。
ただ、
今聴いても、すごい。
中島みゆきの「最後の女神」もよかったな。
あっ、買っている金平茂紀の本読もうっと。
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須賀しのぶ『革命前夜』(文春文庫 2018年3月10日)

2021-01-16 13:05:24 | Weblog

国内のエンタメ小説を読んだのは久しぶりかも。
面白かった。一気読み必至。
昭和が終わったとき、東ドイツ(DDR)に音楽留学したピアニストの眞山柊史。
昭和の終わりは1989年。それはベルリンの壁崩壊の年であり、一気に東ヨーロッパが開放(解放)
されていく年だった。
バッハに憧れてドレスデンに渡った主人公が、革命前夜の街で成長していく様子が、
東ドイツの歴史(現代史)と重ねて描き出される。音を求める柊史と、音と共に自由を求める東ドイツの人々。
そこに介入する監視の目、政治の強制。その中で彼は、音に、そして音を奏でる思いに出会っていく。
終盤は特に感情が入り込んでいった。

「君たちが自由な言葉を封じても、音楽をこの国から消すことはできなかった。
そして本物の音楽は必ず、人々の中に眠る言葉をよみがえらせる」

ストーリー展開も面白いが、音を、演奏を、言葉にしていく描写が楽しかった。
バッハ、ラフマニノフ、ショパン、リスト、ラインベルガー、メンデルスゾーン。フォーレ、
そして小説でのオリジナルの曲が演奏されるときの音の描写がいい。以前読んだ中山七里もよかったけれど。
小説の登場人物たちの演奏を聴きたくなった。

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『平成音楽史』片山杜秀・山崎浩太郎(ARTES 2019年4月30日)

2019-06-15 09:17:51 | Weblog

音楽評論、社会思想史、社会批評を展開する片山杜秀と「演奏史譚」を専門とする音楽評論家山崎浩太郎が、
平成クラシックを語りつくす。

語る、とにかく、語る。音楽の話から社会評、時代相まで話は面白く転がる。

この本のもとは、衛星デジタル音楽放送「ミュージックバード」の「ザ・クラシック」で2018年に放送された
4時間番組「夏休み自由研究〜平成音楽史」であると書かれている。なるほど、このライブ感は当然のことだ。
書かれているように、平成はCDの圧倒的な普及とバブル景気による音楽ホールの充実、それから音楽関係本の
増加などがあった。
そして、あとがき「おわりに—群雄割拠の音楽史を振り返って」で、山崎が書くように、
「堅苦しい〈教養〉の重しがはずれ、マニアックに面白がることが当たり前になった時代」で、
平成前半はまだ、SNSなどの経由ではなくレコード店の在庫が増え、店での出会いがあった時代だった。そして、
「カラヤンという〈帝王〉なきあと、古今東西さまざまな音楽と演奏家が群雄割拠していく時代だった」と書き、
彼はそんな音楽状況を「分裂しているほうが面白いと思っている」として、片山と縦横に語る。

音楽についての話ももちろん面白いが、佐村河内問題などを語りながら、むしろ「ハッタリ・キッチュ・まがい
もの」が市民権を持ち、価値観を獲得しているという文化社会状況に話が及ぶなどの広がりも楽しい。さらに、
現在の表現はキッチュさとは切り離せないことを、マーラーの登場当時の状況も絡めて語られると、なるほどと
思う。

アメリカグローバリズムに対抗するようにヨーロッパから古楽、ピリオド楽器のムーブメントが起こってきたと
いう分析もそうかそうかと合点がいく。

1989年という平成の始まりのエポックに始まり、そうだ、カラヤンの死はその年の7月なのだ、
東京オリンピックへの言及で終わる平成音楽史。
オリンピックへの時代の空気の中に漂う、ポピュリズムと繰り返される歴史への危惧で結ばれる。

小澤征爾に対する、片山の、小澤は「戦後日本の最高傑作」ということばは、そうかもと思えた。彼は、小澤は
「バーンスタイン先生、カラヤン先生、ミュンシュ先生、齋藤先生とか言いますが、ふつうありえな
いでしょう。水と油の人たちですよ、凡人からすれば。この組み合わせが矛盾しないところに、小澤の超越性が
ある。(略)良いとこどりというのではなく、みんな融合させられちゃう。」と語る。
そして、話は「ある種、日本人のなんでもありみたいなところを、ラディカルに突き詰めた人。なんでもありの
アヴァンギャルドみたいな—それが小澤征爾なんじゃないですかね」となり、さらに、
「私は小澤征爾を五族協和になぞらえて論じたのですが、(略)もしかすると、父の小澤開作が満州で実現でき
なかったことを息子が音楽で実現しているのかもしれません」と展開する。
音楽は国境を越えるというけれど、小澤の平和への願いを込めた活動などを考えるとこの話の広がり方は妙に納
得する。

平成というくくりに対する山崎のあとがきの記述も面白かった。西暦では10年刻み、長いスパンだと50年刻みに
なりがちだが、30年という刻みが長めのくくりで考えるのにいいものだと書いている。
「平成は全体で考えたとき、バブル崩壊後、冷戦終結後の〈現代〉を、30年間という流れでみるのに適している。
10年というスパンだと、変化を断絶ととらえてしまいやすくなる。30年のスパンは、天秤がゆれながら、行きつ
戻りつしながら、私たち人間が生き続けていることを考えるのに便利だと、私は思っている。」
令和という新元号になって、去年から4月までのおびただしい平成話が、何だか、もうすでに今さらみたいな感じ
になってきているが、そんなときこそ、その連続と断絶に思いがいく。

でも、それにしても、音楽評論は財力がないと難しいのかなと思った。
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『おとなの釜山 歴史の迷宮へ」(書肆侃侃房)

2016-08-15 12:38:49 | Weblog


妻との共著で、
『おとなの釜山 歴史の迷宮へ』という旅行本を出版しました。
釜山とその周辺を旅して書いた旅行ガイドです。
韓国のソウル本はたくさんありますが、釜山や韓国南部での一冊本というのはほとんどありません。
豊富な写真に文章も満載。食事と観光と韓国寺院を中心にした内容です。
内容は2章立て。
「第1章 釜山へ度々」では、甘川文化村や釜山の坂めぐりなどから、金井山城、東莱邑城、などなどを巡ります。
エステや買い物とは違った釜山観光の楽しみが溢れています。
「第2章 釜山から旅々」は慶尚南道、全羅北道、慶尚北道、全羅南道を訪ね歩きます。案外行きやすい韓国の地方都市。
そして、その地方都市が持っている様々な顔に触れてみてください。
お寺もいろいろ訪れました。
梵魚寺、龍宮寺、海印寺、通度寺、松広寺、仙巌寺、華厳寺、仏国寺など、韓国寺院はそれぞれが魅力的。
その魅力が伝わればうれしいのです。
はずせないのが、食事。赤一色、辛いだけではない韓国料理のおいしさを味わっています。
特に食の宝庫と言われる全羅道の食事は考えただけもゴクリとのどが鳴ります。

眺めても読んでも面白いものになっているのではと思っています。
そして、行ってみたい、また行きたいと思ってもらえれば、大満足です。ぜひぜひ手に取ってください。

大手書店や下記URLでご注文ください。アマゾンでも買えます。
http://www.kankanbou.com/kankan/index.php?itemid=735
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