2023年ノーベル文学賞受賞のノルウェーの作家ヨン・フォッセの小説『三部作』。
1959年生まれだ。
彼は、ニーノシュクという「新ノルウェー語」とも訳されるノルウェーの二つの公用語の内の一つを使って
創作活動を行っていると解説に書かれている。
邦訳の『だれか、来る』の解説も懇切だったが、
この本の解説もそうで、この言語のことが書かれている。
それによると、もうひとつがブークモールといって
デンマーク語の書き言葉をノルウェー語の発音に合わせて変えていこうとしたもので、
ノルウェー人の9割程度はこちらを使用し、
残りが中世以来日常的に使用されていた言葉を基に創造されたニーノシェクを使っている
ということだ。
戯曲『だれか、来る』も、面白かったけど、この連作短編三つは、すごすぎる。
第一部「眠れない」では、十七歳のアスレとアリーダが、
部屋を借りようとビョルグヴィンの街をさまよう場面から始まる。
すでに演劇的な緊張感が漂い、なぜ2人がここにいるのかが語られていく。
第二部「オーラブの夢」では、第一部の謎の部分が解き明かされながら、過去が仮借なく2人を追ってくる。
そして第三部「疲れ果てて」は一部と二部が織りなした時間がさらに重層的に重なりながら、
一部と二部の先の時間が描かれる。
織りなされるストーリーの重なり、生者、死者の交感。時間の交錯。
そして、執拗に繰り返される自問と自答。そのモノローグによって起こった事態が読者に伝わってくる手法の見事さ。
モノローグでありながら繰り返される相手とのダイアローグ。
不思議なポリフォニーも聞こえる。
訳者は原文を考えながら、意図的に句点を排していく。
この自問自答の詩的な繰り返しは、流れを生むと同時に、
不思議な間、呼吸を生みだす。
そこにイメージが立ち現われ、演劇空間が築かれていく。
人物の移動や心理が観客に伝わるように文字で再現されていく、
で、文字の持つ想像力を喚起しながら余韻を残すのだ。
例えば、こんな
アスレは二人の所有物のすべてである荷物を肩にかけ、フィドルケースを手に持つと、さあ出発しようと言い、
ブローテを下って行くが、どちらもひと言も発せず黙々と進む、煌めく星と輝く月の出ている澄んだ夜気の中、
二人はブローテの坂を下るとそこには船小屋があり、船の準備ができている
船に乗ればいいのね
そうだよ
でも……
安心して乗ればいい
船に乗って、ビョルグヴィンまで行けるんだ
心配しないでいいんだよ
と流れる。それから自問自答とダイアローグの心の中での交錯は、こんな感じだ。
ありがとう、本当に心からありがとうと彼女は言う、あなたはとても優しい、私の素敵な人、アスレは答えて言う、
これからは何もかもうまくいくよ、そして彼女は言う、もう横になったので眠るわね、寝る場所もできたし、しかも
ここは暖かいの、私も小さなシグヴァルドもみんなうまくいっている、すべてがこの上なく順調だからとアリーダは
言う、そしてアスレはさあもう寝ないとだよと言う、アリーダはではまた明日話しましょうと言うと、
これが、その場でではなく、時間と場所を越えて交わされている対話なのだ。しかもアリーダの心の中で。
北欧フィヨルドの空気が横溢し、その複雑な海岸線が人の心の襞や運命を表しているようで。
演劇的ダイナミズムと小説ならではの内面描写と飛躍を持ったお見事な小説でした。
是非ものの一冊です。