パオと高床

あこがれの移動と定住

山本哲也「桃」(『山本哲也詩集』思潮社2006年2月15日発行) 一首一献 外伝2

2017-09-23 13:48:47 | 詩・戯曲その他

「桃」つながりで。
惜しみながらも「白桃(しろもも)」を食べた斎藤茂吉。彼の歌は、塚本邦雄の『茂吉秀歌百首』にあるように、
「味覚と視覚が至妙に交錯」し、「一種の法悦に近い満足感を伝」え、「ふくよかなヴォリュームと、甘美な味を」
想像させるものかもしれない。さらにまた、中学校の教科書に掲載されている馬場あき子の鑑賞文にあるように、
食べてしまうことでの哀惜感が漂っている歌ともいえるだろう。
そして、岡部隆介の詩「白桃」では、その甘美な味を想像させながらも、皮にナイフをあてるところで詩は終わっ
ていた。そこには桃を食べることへの期待と同時に来し方へのかすかな悔いの痛みがよぎっていた。
山本哲也の詩になると、そもそも桃は「白桃」ではない。その甘さとみずみずしさがある桃ではなく、単に「桃」である。
詩「桃」は1985年発刊の詩集『静かな家』に収録されている。
ちなみに山本哲也は1936年福岡市生まれ。49歳の時の詩集である。彼は2008年に死去している。
「桃」はこう書き始められる。第一連。

 男がビールを飲んでいる
 くだらない仕事でも
 心をこめてやるしかなかった
 男はビールを飲んでいる
 遠くで鉄橋が鳴っている
 枝豆のたよりない色をみている
 電車が通過しているあいだ
 鉄橋が鳴る
 そんな暗いちからが必要だった

「ている」という現在進行形が繰り返されることで、当然のように今、その現在が描写される。それは今という時間が澱(おり)
のように堆積していく状況を描きだす。そこにたまる鬱屈。日常の頼りなさは「枝豆」の色のように、そこにある。
しかし、その日常は頼りなくも抜き差し難く折り重なっていく。それは暗い情念のような、暴力衝動のようなものも抱え込む。
そして、男は想像する。第二連。

 ビールを飲みながら男は想像する
 果物屋で桃を買う
 指でおさえないでくださいねと女がいう
 腐敗は いつだって
 デリケートな指先からはじまるからね
 家族の数だけの桃を包んだ袋をかかえて
 小さな橋をわたる
 角をまがる もうひとつ角をまがる
 子どもらの声のかがやき
 妻がガラス皿を戸棚からとり出す
 ナイフのにぶい光
 うすい皮と透明なうぶ毛につつまれて
 テーブルのうえに桃がのっかっている
 それだって幸福のひとつのありかただ
 テーブルのしたは暗闇
 いきなりそいつを抱きしめたい衝動にかられるが
 男にはわかっている
 幸福も不幸も表面的なものにすぎないってこと

「桃」は想像の世界でだけ存在している。そこにはないのだ。想像しながら桃を買って帰る日々の暮らしの中を生きる。
食べる前から「腐敗」が忍び寄る。だが、それさえも日常の「幸福」のありかたのひとつではあるのだ。日常性を拒絶している
わけではない。むしろ、そこからの逸脱や日常性のもたらす可能性を拒絶しているのかも知れない。だがボクらの幸せは、
そして不幸は共に表面的なものにすぎないのだとわかってしまうことの限界を生きている。その表面を「指でおさえないでくだ
さいね」なのだ。壊すことは腐敗を顕わにすることでもある。だが、一方で壊されないまま進行している腐敗も認識されている。
そして、最終連の第三連。

 男はたちあがる
 枝豆のたよりない色がのこる
 排水溝をながれる銭湯の水のにおい
 ながいながい塀にそって歩き
 それからバスに乗る
 男は目をつぶる
 すこしずつ腐敗していく桃を
 胸のあたりにかかえてー

ここで、男は帰路に入ったのだろうか。彼は桃を買ってバスに乗ったのだろうか。買わなかったとしても彼は胸のあたりに桃を抱えている。
腐敗していく桃を。桃は見事な暗喩になっている。そして、彼の歩む道には、バスに乗る前に沿って歩いた「ながいながい塀」があるのだ。
抱え込み腐敗していくのは何だろう。夢なのだろうか。いや、そもそも過ぎていく時間そのものかも知れない。
80年代のバブルをまだ迎えていない直前の時期の空気がある。そして、ある断念が時を経て風化していく状況がある。

山本哲也は桃を想像する。そして、それにナイフをあてることはない。その不可能を生きている。削ぐべき自己の不在、不能性、そして、
ナイフをあてる対称性の喪失を生きている。腐敗を感じながら。しかし、そこには紛れもない日々の営みがあるのだ。

山本哲也の詩、いいな。
前にも書いたけれど、何だか野呂邦暢の「白桃」の兄弟が大人になった姿のような気がする。


岡部隆介  詩「白桃」 一首一献 外伝

2017-09-20 13:11:08 | 詩・戯曲その他
斎藤茂吉の「白桃」からのつながり。
以下、別の場所で以前触れた山本哲也、岡部隆介という二人の詩人の詩と詩についての文章に手をいれたものだ。

まずひとつは福岡にあって、削るようにして厳しい詩句を書き、いつか自在を醸すようになった詩人岡部隆介の
「白桃」という詩。
1993年に発行された、ハガキ大30ページほどの小ぶりで洒落た詩集の一冊「火守」に収録された詩である。

  白桃

 わが誕生日に ゆくりなく
 スイス土産のナイフをもらった

 おお 〈尖端が拡がっている双刃(もろは)の短刀〉だ
 古いふらんす語ではボードレール

 このナイフの刃はアイガーやユングフラウの
 峨々たる雪の稜線を写した瞬間があるか知らん

 また レマン湖の朝霧に
 うっすら曇った瞬間があったか知らん

 わたしは冷たい白桃をひとつ
 冷蔵庫からとり出して柔らかな皮を削ぐ

 いくたびか 数知れず
 ひととおのれの心を同時に刺した

 この大詩人ゆかりの双刃(もろは)の尖端を うごく
 濡れた果肉の凹みに危くすべらせながら

第一連の「ゆくりなく」が効いている。「不意に」や「思いがけず」の意味を表す言葉だが、ここで「不意に」や
「思いがけず」にしてしまうと、この駘蕩としていながら、孕みこんだような緊張感は生まれない。もちろん、いきなり、
「わたしの誕生日に/スイス土産のナイフをもらった」と書き始めてしまうやりかたもあるのかもしれない。これで不意な感じはでる。
だが、この「ゆくりなく」は、それこそ「不意に」出現するのだ。「ゆくりなく」は「ゆくりなく」ナイフを差し出すのだ。
詩は、第二連でボードレールを呼び出す。詩の注釈に「〈 〉の中のことばは、河盛好蔵『パリの憂愁』に拠る」とある。
この本を開くと、

  ボードレールという名前は古いフランス語のバドレールbadelaireもしくは
 ボードレールbaudelaireから来ていて、この名詞は、「尖端が拡がっている双
 刃の短刀」を意味する。ラブレーの『第三之書』の巻頭のフランソワ・ラブレ
 ー師の序詞にもこの言葉が出てくるが、渡辺一夫訳では「幅廣新月刀」となっ
 ている。 
           (河盛好蔵『パリの憂鬱 ボードレールとその時代』)

と、書かれている。ナイフからボードレールへの跳躍が面白い。河盛は、さらにボードレールが自分の名前にこだわったと記述する。

  ボードレールは自分の名がまちがって書かれることを非常に厭がり、例え
 ば一八五三年にプーレ・マラシのところで『室内装飾の哲学』という小冊子を
 二十五部刷らせたとき、自分の名がBeaudelaireとなっているのを見て激怒し
 てその全部を破棄させたという話が残っている。彼の「履歴ノート」の4にも、
 「ボードレールという字は最初の綴りをeなしで書く」と記されている。美の
 使徒であった彼が、自分の名をbeau(美しい)と書きまちがえられることを
 拒否したのは面白い。

確かにbeauとの区別は面白い話である。ボードレールは自らの名前の表すものを気に入っていたのかもしれない。岡部はそこを
「いくたびか 数知れず/ひととおのれの心を同時に刺した」と詩語にする。
「双刃の短刀」だったボードレールと同様に、詩を書くことで「ひととおのれの心を同時に」刺してきた自らを重ねている。
このナイフは岡部隆介が知人からスイス土産にもらったナイフらしい。日本ではあまり見かけない、先が諸刃で尖ったもので、
岡部はナイフの輝きにスイスを思い浮かべる。これはナイフをくれた相手の旅への返礼であり、敬意である。旅行者が見てきたであろう風景を
ナイフ越しに柔らかくまなざす。「あるか知らん」と「あったか知らん」が音調を和らげているように思う。
「あるだろうか」ではない。脚の「ん」は押さえ口調ではなく、はねるような「ん」ではないのか。フランス語の語尾の上がりに似ているの
かもしれない。微妙なことだが、最初、「あるか知らん」なのが次の連では「あったか知らん」と促音便を引き出す形になっている。
これは「うっすら」と「曇った」の音便からのつながりだ。
そして桃をむく。桃の皮を削ぐ。傷つきやすい桃の皮は「柔らかな皮」でもある。ここで、詩は深みに転ずる。自省が宿る。さらりと。

岡部隆介は、1912年6月30日福岡県筑紫郡筑紫村(現・筑紫野市永岡)生まれ。教員をするかたわら、詩作を続けた。
「母音」「九州文學」などさまざまな詩誌に関わりながら、1958年46歳のときに「匈奴」創刊。1977年「木守」創刊。
詩集に『雉の眼』(1975年第一詩集)、『ナムビクワラのたき火』(1980年)、『冬木立』(1987年)、
『魔笛』(1995年)、『木の葉叢書』シリーズ5冊がある。福岡県直方市に暮らし、2001年5月14日没。

と岡部の詩についてあれこれ書きながら、斎藤茂吉の短歌からの連想。
つまり、斎藤茂吉は、

 ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり

と、惜しみながらも最後(?)の桃を食べたのだ。そして、食べ終わった愉悦を表現している。
彼は白桃の「ゆたけき」を食べ終わっている。何か桃自体が甘美ななにものかを象徴しているようでもある。それは恋か?
それに対して、岡部の詩は「白桃」にナイフを滑らせているところで終わる。その時に、わずかの悔恨のような
過ぎた時間への悔いや痛みのようなものがよぎる。それはナイフの出自へのあこがれも伴っている。

桃をめぐる詩の表れ方が、何か面白い。これに山本哲也の「白桃」の詩を置いてみる。それは次で。
山本哲也の「白桃」には野呂邦暢の小説「白桃」のその後のような雰囲気があるのだが…。

斎藤茂吉「白桃」 一首一献(3)

2017-09-15 09:54:01 | 詩・戯曲その他


 ただひとつ惜(を)しみて置きし白桃(しろもも)のゆたけきを吾は食ひをはりけり

有名な歌。
斎藤茂吉。「〜界の巨人」という言い方を許される人の一人だと思う。
この短歌は第10歌集『白桃』の標題歌である。収録短歌は昭和8年から9年まで、刊行は17年である。ちょっと歴史記述をする。
昭和8年が1933年。茂吉51歳。前年が5・15事件で、この年に日本は国際連盟脱退。昭和17年は太平洋戦争を始めた翌年になる。茂吉60歳の時か。
茂吉の短歌で、中学校などでよく目にするのは、母の死を前にした『赤光』の短歌で、

 みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる
 死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天(そら)に聞こゆる
 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳ねの母は死にたまふなり
 星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり

「其の一」から「其の四」までの構成の「死にたまふ母」連作である。引用は「其の三」までからだが、時系列にそって歌が並び、
茂吉の心と状況が呼応するように流れていく。松岡正剛は驚嘆すべき読書ブログ『千夜千冊』の中で、茂吉の『赤光』のこの連作に関して、

  挽歌「死にたまふ母」はなかでも大作で、一種の歌詠型ナレーションになっ
 ている。いわば“短歌による心象映画”でもある。

と書いている。「短歌による心象映画」。「こういう構成感覚は茂吉の師の伊藤左千夫にはなかったもので、すでに茂吉が徹底して新風を意識
していることが伝わってくる」と松岡正剛は続けている。茂吉の独創性の一端なのだろう。
それにしても何だか「アララギ」派という文学史的な臆断で斎藤茂吉のことを考えていたのだが、彼の歌をぱらぱらと読んでいると、なんのな
んので多様な姿に驚かされる。授業でならった「実相観入」といわれれば、例えば、

 沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ

戦後の茂吉批判の少し前にあたる歌である。この歌などに触れると、「写生」を、心や生命を対象と共に写し、客観性の枠から逸脱する「写生」
へと推し進めたといった教科書的な薄い理解をすいと越えてくれる。理論評論、美学的な視線も大切だが、実作がそれを追い越していく姿を見る
ような気がする。それこそ小林秀雄が「当麻」で書いた、美しい花がある。花の美しさというようなものはないといったような言葉を思い出す。

「白桃」に戻るが、この歌については、塚本邦雄が『茂吉秀歌「白桃」「暁紅」「寒雲」「のぼり路」百首』で書いている。彼は、

  味覚と視覚が至妙に交錯しつつ、結句で一種の法悦に近い満足感を伝へ、
 読者にも、その心理を体験させるほどの、特徴ある佳品と言ひ得る。

としたあと、果物の白桃の出自に触れていく。岡山で19世紀末に偶発的に生まれたこと。そして、この品種が当時まだ新しい品種で、「固くて酸
つぱい在来種に馴れてゐた日本人には、まさに味覚の驚異であつた」、「まことに鮮麗、純白の果肉は独特の香気を含み、くどからぬ程度の甘み
を保つ」と説明していく。この塚本の筆致がいい。
そして、茂吉は「最盛期に到来した数箇を、一つまた一つと賞味し、最後の一つを眺めて楽しんでゐたのだらう」と推察する。
で、これでこの歌への評は終わるのかと思わせておいて、塚本は茂吉が「白桃」を「しろもも」と読ませたことに触れていく。
「白桃」は「はくとう」という品種であり、銘柄だから「大和言葉にくだいて」見るのは違うだろうというのだ。茂吉が「岡山あたりの名産白桃」
と記したことから、むしろ「作者は名産白桃(はくたう)を一応考慮の外にして、外皮の白色に近い桃を白桃(しろもも)と称し、かつ歌つてゐ
た方が無難であつた」と苦言(?)を呈している。さらに「白」は「しら」と読む方が好みだとして、この歌への歌評の最後の一文を「私自身の
好みから言へば、白桃(しらもも)を採るだらう」と結んでいる。
言葉へのこだわり、話の展開、面白い。

「白桃」といえば、野呂邦暢に傑作短編があった。また、桃は様々な詩でも書かれていて、その比較もなかなか楽しい。