長田弘のこの本は詩集である。ただ、エッセイとしてもすぐれている。詩としてもエッセイとしてもすぐれているものが、どうやら存在するらしい。あとがきもいい。「記憶は過去のものではない。それはすでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ」その通りです。ただ、この筆致がいい。
「じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の底にそだってゆくものが、人生と呼ばれるものだと思う」と書かれているように、記憶の中にきらめきが宿り、人生の謎が、そしてその秘密が輝く。例えば、「夜の火」のラスト。「そうなのだ。ひとは身を灼かれるまで、火のうえを歩いている」というフレーズには人の生が宿っていると感じられるのだ。あるいは、「鳥」の中の「しかし、不必要なゆたかさによっては、どこへも飛べなかった鳥だった」とか。抜き出したらきりがない。?のところが、特に好きかな。で、「自分の時間へ」は読みながら浸ってしまった。「人生とよばれるものは、わたしには、過ぎていった時間が無数の欠落のうえにうつしている、或る状景の集積だ」となると、こういうふうに書けるのっていいなと思ってしまう。造形的に笑える「雨」という詩もあります。
「じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の底にそだってゆくものが、人生と呼ばれるものだと思う」と書かれているように、記憶の中にきらめきが宿り、人生の謎が、そしてその秘密が輝く。例えば、「夜の火」のラスト。「そうなのだ。ひとは身を灼かれるまで、火のうえを歩いている」というフレーズには人の生が宿っていると感じられるのだ。あるいは、「鳥」の中の「しかし、不必要なゆたかさによっては、どこへも飛べなかった鳥だった」とか。抜き出したらきりがない。?のところが、特に好きかな。で、「自分の時間へ」は読みながら浸ってしまった。「人生とよばれるものは、わたしには、過ぎていった時間が無数の欠落のうえにうつしている、或る状景の集積だ」となると、こういうふうに書けるのっていいなと思ってしまう。造形的に笑える「雨」という詩もあります。