パオと高床

あこがれの移動と定住

長田弘『記憶のつくり方』(晶文社)

2007-10-29 14:19:57 | 国内・エッセイ・評論
長田弘のこの本は詩集である。ただ、エッセイとしてもすぐれている。詩としてもエッセイとしてもすぐれているものが、どうやら存在するらしい。あとがきもいい。「記憶は過去のものではない。それはすでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ」その通りです。ただ、この筆致がいい。
「じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の底にそだってゆくものが、人生と呼ばれるものだと思う」と書かれているように、記憶の中にきらめきが宿り、人生の謎が、そしてその秘密が輝く。例えば、「夜の火」のラスト。「そうなのだ。ひとは身を灼かれるまで、火のうえを歩いている」というフレーズには人の生が宿っていると感じられるのだ。あるいは、「鳥」の中の「しかし、不必要なゆたかさによっては、どこへも飛べなかった鳥だった」とか。抜き出したらきりがない。?のところが、特に好きかな。で、「自分の時間へ」は読みながら浸ってしまった。「人生とよばれるものは、わたしには、過ぎていった時間が無数の欠落のうえにうつしている、或る状景の集積だ」となると、こういうふうに書けるのっていいなと思ってしまう。造形的に笑える「雨」という詩もあります。


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ハウゼおいしかった

2007-10-21 01:57:41 | 雑感
久しぶりにスイス料理店のハウゼに行った。おいしくて満腹。
チーズフォンデュのコースを食べたのだが、オードブル盛り合わせ二皿に、大きなソーセージ、スープ、そして、フランスパンに肉や野菜がついたチーズフォンデュ、人参とガーリックの一口ライス、サラダ、シャーベットにチーズケーキとコーヒー。満足。自宅で食べるチーズフォンデュもおいしいけど、お店のはひと味違う。スイスビールとグラスワインを飲んだが、グラスワインは、デカンタに入ってきて250ccぐらいあった。大変お得。
ヨーデルのBGM聞きながら、ランチョンマットがわりに敷かれたスイスのワイン農家がプリントされた地図も楽しく、ゆっくりと食事が出来た。
チーズフォンデュが何種類かあったので、次は違う味のフォンデュを食べてみよう。
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岡井隆、小池光、永田和宏『斎藤茂吉 その迷宮に遊ぶ』(砂子屋書房)

2007-10-16 23:07:59 | 国内・エッセイ・評論
1996年から97年にかけて京都大学で行われた、ジャムセッション・イン・京都という三人の座談会(?)である。ただ、ジャズの演奏形態の名前がついているだけに、かなりくだけた、自由な雰囲気がある。お互いが、論の完成を目指すのではなく、斎藤茂吉の面白さや妙な点を提示し合いながら、場を楽しんでいるようでもある。もちろん、見方の違いなどでは妥協のなさがあり、納得しているかのような口調の割に言っている内容は別の観点だったり、あからさまに、違うと言うことを述べたりして、緊張感があったりはする。岡井隆が、結構、わざとのように空気や流れを崩すような発言をしているような気もした。
それにしても、斎藤茂吉は写生の歌人と勝手に思いこんでいたが、その写生自体の定義、論点のあいまいさからが斎藤茂吉その人で、彼自身が枠からはみ出しているということが、引用されている多くの歌や三人の語りから伝わってきた。漱石や鴎外もそうだが、近代を一身に受けとめたかのような各ジャンルの人物は、やはり巨大である。
斎藤茂吉の歌と随筆、そして人物に興味を喚起された一冊だった。わかりにくさをめぐる読者との関係や、わかりにくさを怖れることでのジャンルの疲弊への問題や、短歌のレトリックへのこだわりの執拗さなど、読んでいて楽しかった。


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