村田譲さんのの詩集『円環、あるいは12日の約束のために』は誠実な詩集である。誠実という言葉は、すでに手垢のついた言葉であるか。いや、多くの使われてきた状況から抜けだして、敢えて、この詩集から受けた最初の言葉は誠実さという言葉であった。それは、自身の距離への誠実さであり、切実と誠実のひらがな一文字分の差異に直面することを忘れない誠実さである。自らが直面している事態と、直面してはいないが直面した者がいるという事態への誠実さであり、それを言葉にするときの言葉との距離に対する切実さである。言葉との距離とは、摩擦し離反し、なお、吸引し、重力に引かれていくことによって刻まれる切実な関係の軌跡なのかもしれない。そして、その距離に対しても誠実であろうとして、詩集は一冊の構成の中にもくろみを持つ。そのもくろみが、作者を表現者にする。また、誠実さは表現に対しての誠実さに置いて、表現されたものの深度と説得力を獲得している。
この詩集には詩集名の詩はない。それは、Ⅰ~Ⅵのローマ数字の詩の表題とも考えられるし、詩集全体の題名つまり詩集が、この表題の元の一冊の詩であるとも考えられる。
ローマ数字の詩は、ⅠとⅡが続けて掲載され、次に「3月12日の約束」という全体につながる詩を配置して、Ⅲ。その後「12日」をモチーフにした13篇の詩が置かれて、Ⅳ。そして5篇続いて、Ⅴ。次に「3月11日のトマソン」という詩がきて、Ⅵ。以下、4篇の詩で、詩集は閉じられている。ローマ数字の詩は、それ自体で続けて読むことができる。これは、いわば外の構造を取る。
Ⅰはこう書き始められる。
明日への約束を
断ち切ったざわめき
体感した大きな揺れの震源地
覗きこむテレビに流れる速報のテロップ
そして、このローマ数字の詩群は報道としての「震災」を、報道する側、それを受け取る側の心の動きで描きだす。事態との距離と距離があることを取り込もうとする表現の動きが作りだした詩群である。
この外部を、外部にある立ち位置を、設定することで、詩は内部へ至ろうとする。そこにあったはずの多くの「12日の約束」へ、と。
作者は、時に物語に寄り添っていく。抽象ではない生活の具体に近づこうとするように。
詩「3月12日の約束」は、姉弟の「取り違えた」傘で、かなえられなかった約束を象徴している。
今更違うといわれても
取り違えたのはあなたたち姉弟だ
銀の留め具に飾られた
淡いピンクが最初からの私なのー
木曜日の夜にどんなサヨナラ交したか
覚えてない?
切符を買いに券売機へと向かう
お姉さんがあなたに荷物を預けて
そのとき一緒にぶら下がったの
改札機でポケットの定期を確認してたでしょ
最終列車まで四分だったから小走りで
改札に入ってからは東と西
お酒を一緒にした今日のお別れと
明後日の約束
それぞれの腕に入れ替わった私達の悲鳴に
列車が動く直前に気付いたみたいだけど
ピンクとグリーンを間違えるようじゃ
飲み過ぎの携帯コールも
お互いがお互いに人混みのなかのマナーモード
それ以上の呼び出しは諦めて
どうせまた、明後日土曜日に会うのだから、と
と、取り違えられた傘が語る。だが、取り違えられた傘には持ち主に戻るというきっとある約束が信じられていたのだ。物が見ている。ジュネの戯曲にそんなセリフがあったな。物や場所には、そこにいたはずの、いた者の存在が残っている。存在の思いが残っている。霊とかの話じゃない。その場それ自体や、その場にある物が、なくなった者がいたという痕跡を宿すのだ。だから、場や物の欠落は、意識がただ意識としてしかいられなくなるという次の欠落を生む。
第二連の最終行は、次の三連の直な言葉につながる。
次の日金曜日の地震のときの天候は
私と間違えられたグリーンは
あなたちのお父さんの形見の一本
お姉さんにも繋がっている緑地の傘
取り違えられたことでピンクの私は
今ここにいるのだろう
お姉さんの代わりに
もし、列車に乗る前に気付いていた、ら?
第二連最終行の「と」と、第四連最終行の「ら」が置き去りにされた言葉のように残る。果たされない約束の無念を宿して、文字一文字が置き去りにされる。そして、最終連、
今更違うといわれても
あれから携帯が繋がらないのだから仕方がない
約束したのだから待っている
夕方の土曜日の弟が
持て余している
黒い縁取りのある
あまい色の傘
(「3月12日の約束」全篇)
「銀の留め具」が「黒い縁取り」に変わっている。そして、「淡い」は「あまい」にすり替えられる。一日の距離の遠さが示される。「夕方の土曜日の弟」という表現が、遥かな距離を感じさせる。
このあと、詩篇は物の思いを刻んで展開されていく。事態を表現するときに村田さんが選んだ表現の枷は、物の思いを聞きとるという営為だった。それが、言葉を発する力になったのだと思う。
そして、そこに、作者は、作者自身の身の回りの死を重ねていく。「円環」させるように。
詩集最後に置かれた詩「千尋の森へ」は、鎮魂と無念を包み込む祈りのような気配が、何かを願うという思考の道筋となって描きだされている。
この詩は、「抱きしめようとして広げるひとりの人間の大きさ」である「ひと尋」の距離の由来と、左手に「叫ぶ呪具」を持ち、右手に祝詞を入れた器を持って舞う「尋」という文字の字源に迫る白川静の『常用字解』を参照にした書き始めの連をもっている。
そのあと、第二連は次のように続く。
呼び寄せようと
伸ばしていく
左の腕
かなえられますように、と
願いを託す
右の腕
二本の枝のうえに
重なる想いの色が
やわらかな陽射しに溶け込む樹々の下で
花びらのひとひら
届けようとの目の前を
ひるがえり
舞い上がる雲のむこうまで
遠く見上げるほどに
天の近くほど
透き通ってしまい色失せる花のささやき
戻れない、ここでは
虚ろが響くこの場所では
空に捕えられてしまうから、早く
早く去らなくてはならないと
「3月12日の約束」の「ピンク」と「グリーン」の色がこの最後の詩の中で「樹々」と「花びら」として共存しようとする。しかし、第二連と第三連は連を作ることで連続を断たれている。「花びら」が「花びら」になる場所と、「ひるがえる」場所が1行あけによって、別の場所、別の語る主体になっているのだ。作者の声が、ひるがえる「花びら」の声に変わる。断たれた世界と交感しようとしているのだ。書かれた文字に、発声される声が宿っている。朗読で使い分けられるだろう多声の気配がある。「虚ろが響くこの場所」で捕らえられないように、ひるがえろうとする「花びら」。第四連では、再び出会いたいという最終的な思いが沁みる。
ここでも、前の連の「早く去らなくてならないと」は、次の連の「何度」につながりながら、連構成で1行離されている。作者の声に戻るように。断たれた世界から、「こちら側」への移行がある。
何度
約束しただろう
何故
約束したのだろうー
さよならが来る日まで
死の羽根が触れるまで
聖霊が降りて来るまでは、と
唯ひとりで
向き合いながら
その時が静寂のなかに眠る
約束を果たして終わることができなかった時がうずくまっていく。作者は、自身の声を発しながら、自分自身の願いの声を聞きとろうとする。「さよなら」ができる地点までの、すごすごとした、厳かな時間。その時間に包まれながら、どうしても受け入れるしかない諦念と向き合いながら対峙する言葉を書き記す。最終二連は、放たれる言葉と舞い戻る言葉がゆるやかに交感しあう。そして、言葉が世界にやさしく積もる。
追いすがる
あえぎの羽根の音を
凍土の風が吹き消してしまう
走り抜ける震動はすでに
埋もれていこうとする時間のきざはしに
天と対置する私が
ひと尋の
十字架となる
こんなところに居たことを
覚えて、捨ててあげるから、
もとの光の世界へと
焼けて灰となって
風に巻かれて
還ると
いい
ひとひら
ひとひらごとに
重ねて
、
桜
(「千尋の森へ」第一連のみ省略)
この詩集には詩集名の詩はない。それは、Ⅰ~Ⅵのローマ数字の詩の表題とも考えられるし、詩集全体の題名つまり詩集が、この表題の元の一冊の詩であるとも考えられる。
ローマ数字の詩は、ⅠとⅡが続けて掲載され、次に「3月12日の約束」という全体につながる詩を配置して、Ⅲ。その後「12日」をモチーフにした13篇の詩が置かれて、Ⅳ。そして5篇続いて、Ⅴ。次に「3月11日のトマソン」という詩がきて、Ⅵ。以下、4篇の詩で、詩集は閉じられている。ローマ数字の詩は、それ自体で続けて読むことができる。これは、いわば外の構造を取る。
Ⅰはこう書き始められる。
明日への約束を
断ち切ったざわめき
体感した大きな揺れの震源地
覗きこむテレビに流れる速報のテロップ
そして、このローマ数字の詩群は報道としての「震災」を、報道する側、それを受け取る側の心の動きで描きだす。事態との距離と距離があることを取り込もうとする表現の動きが作りだした詩群である。
この外部を、外部にある立ち位置を、設定することで、詩は内部へ至ろうとする。そこにあったはずの多くの「12日の約束」へ、と。
作者は、時に物語に寄り添っていく。抽象ではない生活の具体に近づこうとするように。
詩「3月12日の約束」は、姉弟の「取り違えた」傘で、かなえられなかった約束を象徴している。
今更違うといわれても
取り違えたのはあなたたち姉弟だ
銀の留め具に飾られた
淡いピンクが最初からの私なのー
木曜日の夜にどんなサヨナラ交したか
覚えてない?
切符を買いに券売機へと向かう
お姉さんがあなたに荷物を預けて
そのとき一緒にぶら下がったの
改札機でポケットの定期を確認してたでしょ
最終列車まで四分だったから小走りで
改札に入ってからは東と西
お酒を一緒にした今日のお別れと
明後日の約束
それぞれの腕に入れ替わった私達の悲鳴に
列車が動く直前に気付いたみたいだけど
ピンクとグリーンを間違えるようじゃ
飲み過ぎの携帯コールも
お互いがお互いに人混みのなかのマナーモード
それ以上の呼び出しは諦めて
どうせまた、明後日土曜日に会うのだから、と
と、取り違えられた傘が語る。だが、取り違えられた傘には持ち主に戻るというきっとある約束が信じられていたのだ。物が見ている。ジュネの戯曲にそんなセリフがあったな。物や場所には、そこにいたはずの、いた者の存在が残っている。存在の思いが残っている。霊とかの話じゃない。その場それ自体や、その場にある物が、なくなった者がいたという痕跡を宿すのだ。だから、場や物の欠落は、意識がただ意識としてしかいられなくなるという次の欠落を生む。
第二連の最終行は、次の三連の直な言葉につながる。
次の日金曜日の地震のときの天候は
私と間違えられたグリーンは
あなたちのお父さんの形見の一本
お姉さんにも繋がっている緑地の傘
取り違えられたことでピンクの私は
今ここにいるのだろう
お姉さんの代わりに
もし、列車に乗る前に気付いていた、ら?
第二連最終行の「と」と、第四連最終行の「ら」が置き去りにされた言葉のように残る。果たされない約束の無念を宿して、文字一文字が置き去りにされる。そして、最終連、
今更違うといわれても
あれから携帯が繋がらないのだから仕方がない
約束したのだから待っている
夕方の土曜日の弟が
持て余している
黒い縁取りのある
あまい色の傘
(「3月12日の約束」全篇)
「銀の留め具」が「黒い縁取り」に変わっている。そして、「淡い」は「あまい」にすり替えられる。一日の距離の遠さが示される。「夕方の土曜日の弟」という表現が、遥かな距離を感じさせる。
このあと、詩篇は物の思いを刻んで展開されていく。事態を表現するときに村田さんが選んだ表現の枷は、物の思いを聞きとるという営為だった。それが、言葉を発する力になったのだと思う。
そして、そこに、作者は、作者自身の身の回りの死を重ねていく。「円環」させるように。
詩集最後に置かれた詩「千尋の森へ」は、鎮魂と無念を包み込む祈りのような気配が、何かを願うという思考の道筋となって描きだされている。
この詩は、「抱きしめようとして広げるひとりの人間の大きさ」である「ひと尋」の距離の由来と、左手に「叫ぶ呪具」を持ち、右手に祝詞を入れた器を持って舞う「尋」という文字の字源に迫る白川静の『常用字解』を参照にした書き始めの連をもっている。
そのあと、第二連は次のように続く。
呼び寄せようと
伸ばしていく
左の腕
かなえられますように、と
願いを託す
右の腕
二本の枝のうえに
重なる想いの色が
やわらかな陽射しに溶け込む樹々の下で
花びらのひとひら
届けようとの目の前を
ひるがえり
舞い上がる雲のむこうまで
遠く見上げるほどに
天の近くほど
透き通ってしまい色失せる花のささやき
戻れない、ここでは
虚ろが響くこの場所では
空に捕えられてしまうから、早く
早く去らなくてはならないと
「3月12日の約束」の「ピンク」と「グリーン」の色がこの最後の詩の中で「樹々」と「花びら」として共存しようとする。しかし、第二連と第三連は連を作ることで連続を断たれている。「花びら」が「花びら」になる場所と、「ひるがえる」場所が1行あけによって、別の場所、別の語る主体になっているのだ。作者の声が、ひるがえる「花びら」の声に変わる。断たれた世界と交感しようとしているのだ。書かれた文字に、発声される声が宿っている。朗読で使い分けられるだろう多声の気配がある。「虚ろが響くこの場所」で捕らえられないように、ひるがえろうとする「花びら」。第四連では、再び出会いたいという最終的な思いが沁みる。
ここでも、前の連の「早く去らなくてならないと」は、次の連の「何度」につながりながら、連構成で1行離されている。作者の声に戻るように。断たれた世界から、「こちら側」への移行がある。
何度
約束しただろう
何故
約束したのだろうー
さよならが来る日まで
死の羽根が触れるまで
聖霊が降りて来るまでは、と
唯ひとりで
向き合いながら
その時が静寂のなかに眠る
約束を果たして終わることができなかった時がうずくまっていく。作者は、自身の声を発しながら、自分自身の願いの声を聞きとろうとする。「さよなら」ができる地点までの、すごすごとした、厳かな時間。その時間に包まれながら、どうしても受け入れるしかない諦念と向き合いながら対峙する言葉を書き記す。最終二連は、放たれる言葉と舞い戻る言葉がゆるやかに交感しあう。そして、言葉が世界にやさしく積もる。
追いすがる
あえぎの羽根の音を
凍土の風が吹き消してしまう
走り抜ける震動はすでに
埋もれていこうとする時間のきざはしに
天と対置する私が
ひと尋の
十字架となる
こんなところに居たことを
覚えて、捨ててあげるから、
もとの光の世界へと
焼けて灰となって
風に巻かれて
還ると
いい
ひとひら
ひとひらごとに
重ねて
、
桜
(「千尋の森へ」第一連のみ省略)