パオと高床

あこがれの移動と定住

岡田暁生『音楽の危機 《第9》が歌えなくなった日』(中公新書 2020年9月25日発行)

2020-11-28 09:03:00 | 国内・エッセイ・評論

コンサートがことごとく中止になる現況の中で書かれた一冊。
コンサート会場は「空気」が流れ、「気配」を感じ、共有化する空間であると語る著者は、
今の危機的状況の中で音楽を巡る思考を展開する。
バッハから現代音楽まで、音楽がどのようにコンサート形式を確立してきたか、それによって
築かれた現在の音楽の価値観と形態がどのようなもので、どんな意味を持っているかを岡田は
自身の熱量を抑制するようにして綴っていく。
教会や宮廷で演奏される職人として扱われた作曲家が、近代の中で職人から芸術家へと変わる。
発表の場がコンサートへと移り変わる中で、広がっていく聴衆と商業性に支えられながら、
コンサートはさらにイベント、興業としての性格を強固としていく。
その中で今、ボクたちが常識と考えていた音楽の享受の仕方が確立されていた、
確立されたはずであった、のが、今、危機にある。
はたして、何もかもネット配信リモートで済ませられるものなのか? 
録音された音楽「録楽」と生の「音楽」には違いがあるのではないか? 
と問いながら、岡田は、では、その「音楽」を享受するためにどのような方法、
どのような未来があるのかを探索する。
音楽が受けた、第一次世界大戦下などの歴史的な危機なども引きながら、今、この状況との違いにも言及する。
この状況は異常であって、以前に戻れるのだろうか。この状況が常態化することはないのだろうか。
それはわからない。ただ、この、今は、これまでの形態への問いを発するときであることに間違いはないのだろう。
その時に、あつらえられていく流れがあるとすれば、それをどう疑い、問うていくか。
そんなことを考えさせられた一冊だった。
そのジャンルが持つ歴史的な径路を見つめ、自分たちには何がもたらされ、そこに何を感じ、
そこからどんな楽しみを得てきたかを考える。
それが思考の原点であり、試行の出発点だということを、岡田暁生が現在の中で書きあげた、この一冊は、
実践している。

交響曲のフィナーレを巡る箇所は面白かった。
最後を盛り上げる終わり方には、沈黙恐怖つまり死への恐怖があるとする言及や、
逆に静かに終わる「未完成交響曲」や「悲愴」、マーラー9番などは諦念型であり、
バッハなどの静かな終わりの帰依型とは違うという指摘。
そこには神への信頼の有無があるという見識は、あっ、そうか、なるほど、うんうんと肯いてしまった。
進化史観、右肩あがりという近代の物語が終焉したあとも、なお《第9》は魅力的である。
その魅力とあやうさへの記述も、第9の辿った歴史ともども面白かった。

本書にも書かれているが、曲が終わった後に「ブラヴォー」と声をかけられる時はいつ来るのか、来るだろうか。
もし、発せられるときが来たとしてその時、聴く曲は何なのだろう。
どこぞの「元」大統領のような思考なら、勝利の凱歌なのだろうな。
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野呂邦暢『野呂邦暢ミステリ集成』(中公文庫 2020年10月25日)から

2020-11-21 09:03:21 | 国内・小説

うまいな。それに文章いいな。と思ってしまう。
中短編8編とエッセイが収録されている一冊。長崎生まれ諫早で育ち、作家活動を続け、
42歳の若さで死去した芥川賞作家のミステリ作品を集めている。
「失踪者」は長めの作品。
カメラマンの知人が島の祭礼を撮影に行って失踪する。その彼が残した写真を手にして、
島を訪れる主人公。そこから、失踪者となってしまう主人公のサバイバルが始まる。
地理的判断や生き残るための食生活などが、裏表紙にも書かれているように「端正な文体」で
書き込まれていく。話の転がし方や構成、さりげない伏線に上手いなと思いながら、その文体、
表現に惹きつけられる。

例えば、
  犬が吠えた。
  逃亡者はぎくりと体をこわばらせた。石にでも化したかのようにその場を動かなかった。しかし、
 犬はずっと下方、墓地のはずれで吠えたらしかった。隆一は我しらず身震いした。
とか、
  森には夜があった。
  水の音と枝々をゆるがす風の気配がすべてだった。遠くでかすかに犬の吠える声がした。隆一は
 唇を歪めた。

描写する筆致が、登場人物の外部と内面をきちんと描いていく。
削がれた文体が詩的な雰囲気を帯びながらも散文としてそこにある。

そういえば以前読んだ短編「白桃」はよかった。
それから丸山豊の詩集『愛についてのデッサン』に触発されるようにして書かれた
連作小説「愛についてのデッサン」も面白かった。
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