シンプルだがしゃれた詩誌「GAGA」。白のやや厚手の紙に黒の文字の印字が鮮明。今号は、書き出し1行が鮮やかな冒頭の詩、前野りりえさんの「薔薇の弾丸」に引かれる。薔薇が巣喰う、あるいは薔薇に巣喰うという寄生関係がCGのような手法で綴られる。もちろん、そこは言葉を使う詩であるので、思念が介入するが、その思念のすべり込みがしなやかだ。
薔薇の弾丸で撃たれた
以来 微熱が続く
呼吸をすると 肋骨の間が痛い
肋骨の隙間から貫通した弾丸は
からだの中で粉砕して
血管の中を漂っている
あれから
ペン先に黒いインクをつけて手紙を書くと
文字が途中で薔薇色に変わり始める
大理石の棚の上に置いている地球儀からは
夕暮れの薔薇色の海のしずくがしたたり落ちる
床にこぼれたしずくに指先をつけると
指先は黄緑に そして緑に変容し
蔓のように長く伸びていく
鎖骨のくぼみに溜まっていく薔薇の香り
蔓になった指先で 鎖骨をなでる
崩れていく夕暮れの薔薇色の空
もう 関心は光と水にしか向かない
白い光の中にからだを沈め
水を求めて蔓となった指先を伸ばす
わたしの中に薔薇がいる
いえ 薔薇の中にわたしがいる
かつても 一本の薔薇だった
その記憶がよみがえる
有翼の薔薇となって
夕暮れの街を飛翔する
わたしの中に薔薇がいなくなるとき
そんな日は もう生きられない
前野りりえ「薔薇の弾丸」(全編)
「からだ」や「わたし」といったひらがなの流れがやわらかく、作者の語彙の選び方と一致しているようだ。一方で「薔薇」は漢字表記で、拡散より集中といった印象を与える。それが「有翼の薔薇」となって、「飛翔」へのイメージを獲得しようとする。音のやわらかさは、「かつても」の「も」にもあって、この音がクッションになっている。5連「の」を重ねたあとの「しずくがしたたり落ちる」は、縦書きになったときに高低差が表れる。そして、大理石の硬質な冷たい固体と、液体の対照性が感じられる。
「わたしの中に薔薇がいる」という心的状況が、身的状況に置き換わっていく移行の自然さに連れていかれた。
ちなみに、薔薇の詩人というと誰を連想するかな。
薔薇の弾丸で撃たれた
以来 微熱が続く
呼吸をすると 肋骨の間が痛い
肋骨の隙間から貫通した弾丸は
からだの中で粉砕して
血管の中を漂っている
あれから
ペン先に黒いインクをつけて手紙を書くと
文字が途中で薔薇色に変わり始める
大理石の棚の上に置いている地球儀からは
夕暮れの薔薇色の海のしずくがしたたり落ちる
床にこぼれたしずくに指先をつけると
指先は黄緑に そして緑に変容し
蔓のように長く伸びていく
鎖骨のくぼみに溜まっていく薔薇の香り
蔓になった指先で 鎖骨をなでる
崩れていく夕暮れの薔薇色の空
もう 関心は光と水にしか向かない
白い光の中にからだを沈め
水を求めて蔓となった指先を伸ばす
わたしの中に薔薇がいる
いえ 薔薇の中にわたしがいる
かつても 一本の薔薇だった
その記憶がよみがえる
有翼の薔薇となって
夕暮れの街を飛翔する
わたしの中に薔薇がいなくなるとき
そんな日は もう生きられない
前野りりえ「薔薇の弾丸」(全編)
「からだ」や「わたし」といったひらがなの流れがやわらかく、作者の語彙の選び方と一致しているようだ。一方で「薔薇」は漢字表記で、拡散より集中といった印象を与える。それが「有翼の薔薇」となって、「飛翔」へのイメージを獲得しようとする。音のやわらかさは、「かつても」の「も」にもあって、この音がクッションになっている。5連「の」を重ねたあとの「しずくがしたたり落ちる」は、縦書きになったときに高低差が表れる。そして、大理石の硬質な冷たい固体と、液体の対照性が感じられる。
「わたしの中に薔薇がいる」という心的状況が、身的状況に置き換わっていく移行の自然さに連れていかれた。
ちなみに、薔薇の詩人というと誰を連想するかな。