パオと高床

あこがれの移動と定住

嶋稟太郎『羽と風鈴』(書肆侃侃房 2022年1月18日)

2022-01-29 19:46:29 | 詩・戯曲その他

迷路の中を彷徨ってしまう。そんなときに突然、いや、突然というほど強くはなく、
でも確かに、すいと現れる一本道があって。

曲線のかたまりのなかに曲線を横断(?)あるいは縦断(?)するような
まっすぐな線が現れて。

どんなに不穏な空気が流れていても、ここにはきっと直線があるのだと思わせてくれて、思い出させてくれて、
と、そんなことを感じた、考えた歌たちがいた。
大辻隆弘は跋文でチェーホフを想起していた。そうか、チェーホフか、確かに。

 しばらくは地上を走る電車から桜並木のある街を見た
 午(ひる)すぎの静かな雨を通り抜け東急ストアでみかんを選ぶ
 透明なボックスティッシュの膜を裂く余震のあとの騒ぐ心で
 開かれて窓の格子に吊り下がるビニール傘が通路に光る

歌集最初の「大きな窓のある部屋に」冒頭四首。
僕は、私は、ここに今いるんだ、で、これって、この一瞬だけれど、ここまでがあって、
これからがあるんだよって感じさせる。
歌が現在形なのだ。一首目が「見た」と終えられていても、この「た」は過去形ではなく
「しばらくは」と呼応して、次の瞬間に移動していくのだ。これが迷路の日常を、迷路の表現を
凜と動かす。
だって、現在は、いまこのときまでを、きっとそのときへ、たぶんそのときへとつなげる、そんな「いま」、だろうから。
それが、裏切られたとしても、いま、このときは、僕が、私がいるいまこそ、そのときなのだ、
と、やさしく感じさせてくれる。
いいよな。それって。

表紙裏にある一首。歌集表題を表す歌だろうか。

 それぞれの羽を揺らして風鈴はひとつの風に音を合わせる

何か、はじまりをやさしく差しだしてくるようだ。もう一首だけ引く。

 乗り過ごして何駅目だろう菱形のひかりの中につま先を置く

歌集の装幀もいい。
歌人は2020年笹井宏之賞の個人賞(染野太朗賞)を受賞。
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ケン・リュウ「紙の動物園」

2022-01-15 07:57:58 | 海外・小説
『Arc ベスト・オブ・ケン・リュウ』に収録の短編「紙の動物園」。2011年発表の出世作。

母が、クリスマスギフトの包装紙を折って作った動物に息を吹き込むと、動物は動きだす。

 母さんの折り紙は特別だった。母さんが折り紙に息を吹きこむと、
 折り紙は母さんの息をわかちあい、母さんの命をもらって動くのだ。
 母さんの魔法だった。

中国人の母とアメリカ人の父の間に生まれた「ぼく」。幼い頃の世界は、大人になるにつれて齟齬を生みだす。
作者のケン・リュウは、1976年中国蘭州の生まれ。街の中央を黄河が流れる都市だ。蘭州ラーメンが美味しかった。
で、11歳の時に家族とともにアメリカに移住したと、略歴に書かれている。

小説には、英語を話せない母とアメリカ社会の中で生きていく「ぼく」とのズレが書き込まれていく。
それが紙の動物たちとの交流と離反を通して描かれる。
小さな世界と大きな世界の違和。何がささやかな生活に亀裂を入れ、そのわずかな亀裂がかなしみをもたらすのか。
読み終えてそんなことを考えた。ヒューゴ—賞、ネビュラ賞、世界幻想文学大賞の3冠受賞作と紹介されている。
じわりかなしい小説だった。
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ケン・リュウ『Arcアーク』古沢嘉通編・訳(早川書房2021年5月20日)

2022-01-03 18:43:27 | 海外・小説

「ベスト・オブ・ケン・リュウ」という、ケン・リュウのベスト版。
映画化もされた冒頭「Arcアーク」、面白い。
折り返しのストーリー紹介を抜く。
「つらい別れを経て心身ともに疲弊した」わたしは、「ボディ=ワークス社」に就職する。
ここは、「防腐処理を施した死体にポーズを取らせ、肉体に永続性を与える仕事」をする会社で、
才能を見いだされたわたしは「創業者の息子ジョンと恋に落ちる」。彼は「老齢と死を克服したいと考えており……」と書かれている。

生きものの宿命である老化と死。いったい人類は不死を、永遠の若さの獲得を出来るのだろうか。
「アーク」はもとは「円弧」という文字が記されていたらしい。大いなる円弧として繋がっていく生命と私の生の永続性。
ボクらの感情は価値観は、どのような方向を選び取るのだろう。

不死や永遠の若さというとどうしても萩尾望都の『ポーの一族』を思い出してしまう。
あの情感と思索がどうしても中心になってしまう。
人が自らの生を選べる時代は来るのだろうか。NHKでは、確か若さの永続性を描いた科学番組(?)があったな。
また、ボディ=ワークス社の仕事は、死者と死体の境界をなぞるようでスリリングだった。
どこまでが死者でどこからが死体なのだろう。死体となったものをまた、死者に戻し、呼び戻す行為とは何だろう。

ケン・リュウの小説は描写もいい。訳も含めて。
例えば、
「爪先で踏みしめる砂は冷たく、濡れており、ときたま貝殻の破片が裸足の足裏に刺さった。
 だけどわたしは汀を裸足で歩き続けた。」とか。
で、呼応するように、
「美しい午後だ。綺麗な貝殻を取り合い、砂に残していくわたしたちの足跡で模様を描くのにはうってつけだ」
という表現があったりする。
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