パオと高床

あこがれの移動と定住

司馬遼太郎「英雄児」(新潮文庫『馬上少年過ぐ』から)

2006-04-30 13:33:13 | 国内・小説
前回書いたものと同書の中の短編である。昭和38年発表とある。その後の長編『峠』の構想中に書かれた短編か。執筆途中で溢れ出した短編か。長編への予感に満ちていると同時にプロモのような小説。もちろん十分面白い。
河井継之助への興味を書きたてる。

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司馬遼太郎「馬上少年過ぐ」(新潮文庫『馬上少年過ぐ』から)

2006-04-29 10:19:21 | 国内・小説
司馬遼太郎というと長編という印象があったが、あるエピソードだけを切り取り、その人となりや作家の歴史観や時代の雰囲気をにおわせるという点では短編もなかなかいい。その短編の結構削られたような文章にも、一種司馬節のようなものがあって、これもこれで心地良い。確かに、最近、司馬遼太郎短編全集が完結したのもわかるような気がする。

この小説、題名がカッコイイ。「故郷忘じがたく候」も格好良かったが、伊達政宗の詩から採られたこの題名は、政宗の詩のよさと同時に書名センスが光る。あとがきにもあるように、詩から想起しながら、政宗の人となり、東北の地域性、そして政宗が抗わなければならなかった個人の生活環境や時代の価値観、父性と母性といったものが、さらりとしかし、きりりと表現されている。文章自体が簡潔でありながらなぜか詩的な情感が感じられる。それは、政宗の詩的才筆から伝染されたものだろうか。

父や母や旧体制との確執に、特に父を見殺しにする場面の描写に、1968年当時の空気への司馬良太郎のまなざしが感じられるような気がする。

数年前の五月に宇和島に行った。その時、宇和島城や天赦園を見た。海が入り込んでいて、一方には小高い丘(山)があり、町自体がこじんまりと落ち着いていた。あの時はむしろ村田蔵六がらみだったかな。そういえば、『街道をゆく』にさっと目を通して行った記憶がある。

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さだまさしコンサート

2006-04-18 23:32:01 | 雑感
初めて、さだまさしのコンサートに行った。コンサートってすごいなと思った。
3時間30分近くを、さだとその仲間で満たしきってしまう。すごいな。
曲も相当歌う。話も相当する。話は、ちょっと変な言い方だが、きちんとした「寄席」を聞いたという感じかも。
そして、メッセージをいれる。
自分の立ち場所を考えさせてくれる点でも充実した時間だった。
それにしても「風に立つライオン」は好きだな。
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森鴎外『雁』(文春文庫『森鴎外』から)

2006-04-17 14:58:53 | 国内・小説
1911年に発表されたこの作品を世界基準で見たときに新鮮だったのかどうか。20世紀として考えたときに、作品は20世紀の小説なのである。
ただ、この小説がヨーロッパ小説の十分な受容の中で日本文学として新鮮に屹立していることは確かなのだろう。
まず、当時の東京の町の情緒が、固有名詞と共に満ちている。それが、時代の価値観とも一体となって哀感のようなものを漂わせている。また、各人の心理を語っていく手際は、心理小説の系譜にも繋がっている。僅かな嫉妬や気持ちの行き違いを分析含めて語り出していく様はお見事である。
その中で、語り手=作者である「僕」も、書き足された最終章できちんと位置が記述されて、何故、「僕」がここまで小説を書くことができたのかという問いに解答を付けている。この最終3章がない終わり方も十分情緒があっていいのかもしれないが。そして、岡田とお玉のすれ違いの中に、哀切が、若さの哀切と時代の宿命的な哀切の両方として沁みだしている。
お玉の気持ちの動きにある自我の移り変わりは、明治の精神の変遷として読めなるのかもしれない。
江戸の下町風情のような感じと近代明治の都市の一端が描写され、その描写も口語体、漢語由来、英語や仏語などの外国語が挿入されて、町の空間、時代の空気と一体化していた。
多分、大昔にこの小説は読んだはずだが、今回、中盤以降で、面白く読めた。もう少しして、再読したらさらに味わい深いのかもしれない。


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莫言「至福のとき」吉田富夫訳(平凡社『至福のときー莫言中短編集』)

2006-04-06 13:43:25 | 海外・小説
映画「赤いコーリャン」の原作小説作家の短編だ。
何とも奇妙な小説で、始まりから終わりに向かう展開が予期できない筋運びになっている。妙にリアルな描写を追ううちに、すっとその「妙」な空間の方に引きずり込まれてしまうような、心地良い肩すかしの感じがある。そして、この肩すかしの感覚と不気味さは
とても都市の姿を反映していると思えるのだ。
この人の小説は初めて読んだが、案外気になる作家だった。

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