パオと高床

あこがれの移動と定住

俵万智『未来のサイズ』(角川書店 2020年9月30日刊)

2021-01-17 20:00:43 | 詩・戯曲その他

昨日、バッハのオルガン曲選集を聴きながら、俵万智『未来のサイズ』を読む。
1章は2020年現在の歌。Ⅱ章は2013年から2016年沖縄石垣島時代、
Ⅲ章が2016年から2019年宮崎時代と分けられるよう。

読んでいるとこんなに戦わなきゃ(抗わなきゃ)いけない時代になったのかと思う。
もともと俵万智は口語を遣って、いま、まさに現在を生きる姿を描きだしてきた。
口語が定型と摩擦を起こしてもいいのに、見事に折り合って、旧来と現在を分けたり橋渡し
したりする距離感がありながら、それをスイッと乗りこえる。
そうして、価値観を今のわたしたちに持ってくることで共感性を得てきたのだと思う。
「わたくし」はとても「わたし」でありながら、「わたくしたち」であった。
それが、いま、やはり、より一層の摩擦と、摩擦自体を共有化する共感性の中にいる。
『サラダ記念日』のたいへんさとはまた違う、生きていることのあたりまえさとあたりまえの困難さ、
それをもたらすさまざまを歌にしていく。

それにしてもうまいな。
この人の短歌を読むと、難しさと解体を描きださなければいけない労苦が宿命が、
なんだか息苦しく感じてしまう。
そこまで、創作までの痕跡を消せる歌のうまさか。

Ⅰ章「今日は火曜日」から
 トランプの絵札のように集まって我ら画面に密を楽しむ
 人生のどこにもコロナというように開花日の雪降らす東京
 コンビニの店員さんの友だちの上司の息子の塾の先生

Ⅱ章セウォル号事件への歌をまとめた「未来を汚す」から
 つくりだしちゃってしでかしちゃって人間が海に命を奪わせている
 殺人の婉曲表現「人災」は自然のせいにできないときの

Ⅲ章「未来のサイズ」から
 制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている

未来はドラえもんに聞きたいよ。

Ⅰ章の「コンビニ」の歌、ドキッとするように突いている。
他にもいい歌がたくさんあるけれど、つい選んだ歌がこうなってしまった。
これもきついな、今。

あっ、あと一首。Ⅲ章「新品の夏」から

 不条理とは何かと問われ子に渡す石牟礼道子『苦界浄土』を

日常を生きることで、日常化することで未来は訪れるのかもしれない。
たいへんな非日常であっても、日常が未来への通路なのだ。
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須賀しのぶ『革命前夜』(文春文庫 2018年3月10日)

2021-01-16 13:05:24 | Weblog

国内のエンタメ小説を読んだのは久しぶりかも。
面白かった。一気読み必至。
昭和が終わったとき、東ドイツ(DDR)に音楽留学したピアニストの眞山柊史。
昭和の終わりは1989年。それはベルリンの壁崩壊の年であり、一気に東ヨーロッパが開放(解放)
されていく年だった。
バッハに憧れてドレスデンに渡った主人公が、革命前夜の街で成長していく様子が、
東ドイツの歴史(現代史)と重ねて描き出される。音を求める柊史と、音と共に自由を求める東ドイツの人々。
そこに介入する監視の目、政治の強制。その中で彼は、音に、そして音を奏でる思いに出会っていく。
終盤は特に感情が入り込んでいった。

「君たちが自由な言葉を封じても、音楽をこの国から消すことはできなかった。
そして本物の音楽は必ず、人々の中に眠る言葉をよみがえらせる」

ストーリー展開も面白いが、音を、演奏を、言葉にしていく描写が楽しかった。
バッハ、ラフマニノフ、ショパン、リスト、ラインベルガー、メンデルスゾーン。フォーレ、
そして小説でのオリジナルの曲が演奏されるときの音の描写がいい。以前読んだ中山七里もよかったけれど。
小説の登場人物たちの演奏を聴きたくなった。

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