パオと高床

あこがれの移動と定住

川上未映子『ヘヴン』(群像2009年8月号)

2009-12-12 11:09:14 | 国内・小説
このざわざわと残る読後感は何だろう。心にしっかりと手渡された小説の質感と量感。小説は圧倒的な力でボクの中へ飛び込んできた。

いじめを題材に、その暴力をふるう側とふるわれる側の非論理と論理、合理と不合理が思索の枠を破って、溢れ出してくる。小説家は思想家ではなく、小説家として思想的なのであるということが、登場人物の身体的な存在感によって証明される。
特に、川上未映子の会話文は、登場人物を紙面から立ち上がらせ、読者に対して直接語りかけてくるような凄みがある。また、独特の詩的な直感力がとらえたとでもいえそうな描写が新鮮である。

この小説が捉えようとしている深度は深い。
暴力を受ける側のコジマと「僕」はいじめられる側としてのシンパシーで自分たちへの、自分という存在への意味を見出そうとしていく。そのことによって、暴力の乗り越えが企図される。しかし、彼らの中での差異が、その困難を顕わにする。

また、この小説のピークのひとつである、暴力の行為者でありながら暴力の傍観者でもある百瀬と「僕」の対決場面は意味と無意味をめぐる、どこかドストエフスキー的対話になっている。それは、作者にとって、かなり意識されたものだと思う。暴力に意味を見出さない、ただ、やりたいかやりたくないかだと語る百瀬に、暴力を受ける側の「僕」はその暴力の意味を問う。相手の欲望だけで他人に暴力をふるう権利はないと主張する。また、善悪を語る。さらに、自分自身がいつか暴力を受ける側になっても同じことがいえるのかと迫る。それに対して、百瀬は、「僕」が暴力をふるわれることに特別な意味はないのだと告げる。そして、その原因もないのだと相手の存在の特殊性つまり存在の意味を剥奪する。その上で暴力をふるう側の特権性を語っていく。そこにはむなしさの情感を欠いた空虚が存在している。暴力と欲望の本質的な関係が示されているともいえるだろう。他人の顔を奪い、見つめることをなくし、ただ暴力の向かう相手として対象に出会っている。ここには暴力の自覚自体も消えているのかもしれない。そして、百瀬はその状況を無化させるには「僕」がやりたいことをやるしかないのだと説く。そう、暴力の行使者の側に立つことによってしか出口はないと説く。百瀬は、しかし、こう語ることで、暴力の行使を傍観している。他の暴力をふるう者と違って、彼は暴力について考えている。価値を相対化する相対主義の中にいて、世界が立場によって解釈されるものなのだと突き放している。この人物の持つニヒリズムは19世紀末と現代をつなぐ。

これに対して、「僕」は「僕」のいじめられる原因を取り除くことを考えるのだが、コジマはむしろ、そのいじめられる自分の中に刻まれた「しるし」を抱え込む。暴力を受け入れることで、何も考えない彼らと対峙しようとする。泣き叫び、懇願し、許しを請い、告げ口をし、救いを求めるといった行為をせずに、ただ彼らの暴力を受け入れることで、彼らの無意味に私という意味を突きつけ、彼らを破綻させようとする。あるいはガンディーの、あるいは竹内好の論ずる魯迅の、あるいは大げさにいえばヴェーユの、姿勢にも連想がいくような意志を実践する。彼女も世界が立場によって解釈されるものだとわかっている。ただ、彼女はそこに、意味を見出し、みずからの意味の中に相手を引きずり込まなければ、事実に対峙することはできないと考える。意味を見出せない者に、世界が意味を持っているということを露呈させ、その意味の存在で相手を恐怖させる。そのことによっての乗り越えを図るのだ。
小説のもっとも高いピークは、こうしてコジマと百瀬の同一性と差異をめぐる交錯になる。

ボクらの生きている暴力の時代を川上未映子は「いじめ」という暴力の状況から問うている。ここには、国家の暴力やテロリズムが、「いじめ」という別の言葉に置き換えられている暴力と地続きであることが示されている。つまり、その根底には人間の抱え込む人間に意味を見出せない非人間性と人間の尊厳をめぐる戦いがあるのだ。存在するとは別の形の存在。存在する者として存在する人間が抱え込んでいるものを認識することが、異形の自分自身を映し出すということに直面させられる小説である。

それにしても、ラストをどう読むか。これはある水準以上の小説には常につきまとう問題なのかもしれない。
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井上ひさし・小森陽一編集『座談会昭和文学史一』(集英社)

2009-12-03 02:41:03 | 国内・エッセイ・評論
井上ひさしと小森陽一がゲストを迎えて語る「昭和文学史」である。読んだのは、その一巻の最初の100ページほどにあたる「大正から昭和へ」という第一章。ゲストは加藤周一。

ちょうど、自然主義から私小説への流れを概観したいと思っていて、読んだのだが、やはり座談名手の加藤周一と井上ひさし、なかなか面白かった。
第一次世界大戦から米騒動、関東大震災、世界恐慌という時代の流れ、そこに、円本ブームやラジオ放送、それにともなう、「標準語」作成の動き。さらにその背景となる価値統括の気配などを語りながら、文学の動向を関連づけていく。その手際と考察の広がりに、何だか、流れがわかった気になってしまう。ただ、そこは、座談会の中で、加藤周一が語っているように、「解説書をいくら研究しても、それは自分の評価とはいえない」、「自分の眼で勝負しろ。見たら勝負できるんだから、ということです」なのである。この話の展開をきっかけにして、読んでみる本を探す作業が楽しいのかも。

明治後期ぐらいから始まるのだろうか、国家、公の枠組みに対して「私」が台頭してくる。座談では「自」を遣う言葉、「自分」「自覚」「自立」「自我」さらに「自活」という言葉が流行った時期だと語られている。そう、そして、それが「みずから」なのか「おのずから」なのかという「微妙な二重性」をもっていると指摘される。そこには、漱石や鴎外のように社会の中の個を扱うのではない、「社会化してない個」の問題が出てきてしまったのだと語られる。
加藤は「白樺派」の「社会化していない個」と個を確立したのではない「個の非社会化」の段階、さらに失業や労働問題で社会意識にめざめながらも個ではなくなってしまう「個のない社会化」という三つの段階を措定して、個の確立の前に焦点が移り変わって行ってしまったと論じている。その例外に有島武郎を置く。もう、この辺だけで、十分大変な問題に触れている。それが、さらに小林多喜二の可能性の問題や漢文素養の問題、翻訳の問題や「文学的言葉」とは何かにまで及んでいく。
なかなかどうしてなのである。

それにしても、加藤周一の手にかかると、「デノテーション」「コノテーションズ」といったことが、古典文学の「月」という言葉や、宮沢賢治の詩の言葉や中原中也を例にだして、すっきりと語られてしまう。たいしたもんだ。今、加藤周一の著作が読まれているという記事が新聞に載っていたが、頷ける。
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