「こんなに豊かな詩歌にとりかこまれて過すことのできた青春は、やはり恵まれていたと思う。」と書く哲学者、木田元が若い日々に読んだ詩の中から選び抜いた愛唱詩アンソロジー。
詩と哲学とは、実は折り合いがいいものなのかもしれない。といいながら、そもそも哲学は、詩に限らず、絵画や音楽とも、さらに建築や彫刻にも、またまた芸術に限らず政治や風俗とも折り合いをつけていくものなのかもしれない。もちろん、折り合いという言葉は、あえて折り合いの悪さを追求する姿勢も含んでいるわけで、妥協し合うということではない。
で、遍歴する詩歌は、芥川龍之介、伊東静雄、斎藤茂吉、王漁洋、芭蕉、萩原朔太郎、室生犀星、中原中也、宮澤賢治、吉田一穂、蕪村や天明期の俳人、西行、源実朝、ボードレール、プレヴェール、リルケ、ランボーなどなど。
しかも、そこから広がる知的な遍歴の一端もかいま見えるのだ。
例えば、「一本の道」という斎藤茂吉を扱った章では、書きだしがこう来る。
「茂吉の短歌のすばらしさを教えてくれたのは芥川龍之介である。」と。
そして、芥川の評論での茂吉に触れながら、芥川から詩歌に対する目を開けてもらったような気がすると語り、茂吉の歌と芥川の文章の一部を交差させて逍遙するのだ。ついには、「いったいにプロのあいだでは、作家としての芥川の評価はあまり高くないらしい。私も特に異を立てるつもりはない。だが、彼の評論やエッセイはもっと高く評価され、もっと読まれていいと思う。」と書いてみせる。あっ、芥川のエッセイ、読んでみたいなという気になってくる。さらに、この芥川、「文人俳句」の章では、その俳句が久保田万太郎と比較されて登場するし、芭蕉や蕪村の章でも萩原朔太郎や正岡子規の文章と共に引かれている。
そう、比較して交差させながら語っているところが面白いのだ。
伊東静雄と中原中也を合わせて語って、「中也のこの『臨終』を伊東静雄の『曠野の歌』に比肩する傑作だと評した、北川透さんの評論を読んだ覚えがある。」と引き、「私には、この二つの詩、詩風にかなり隔たりがあるように思われるが、どちらも傑作であることに間違いはない。」と自分の中を通して語る。
詩を、それにまつわる様々な文章と一緒に自らの体験にしている。木田元が過ごしただろう時間の体験と同時に彼の知的な営為が体験化されているのだ。それはおそらく対話のような形をとっているのではないだろうか。詩と詩人、そして、その詩を体験化した作家たちの文章と木田元との間に対話があったのではないだろうか。だから、この『詩歌遍歴』は今度は読者であるボクに語りかけてくるものがあるのだ。平易に、深入りしすぎずに、距離を保って、それだからこそ、あなたもこんな詩と語ってみないかいといっているような趣がある。感じて、考える楽しさを伝えてくれるのだ。そこに身をまかせて連鎖しながら、連続して広がっていくことの楽しさへと誘ってくれるのだ。
それは、自分の感じ方に対して闊達に向き合える場でもあるのだろう。「異色の歌人たち」という西行と実朝を扱った章では、こう書き始められる。
「西行と実朝は、私にとって結局のところよくわからない歌人である。」と。そして、彼らの傑作を認めつつも、小林秀雄や後鳥羽院、芭蕉の、西行と実朝への賞賛に疑問を呈して、「後鳥羽院と芭蕉と、いずれも詩歌の達人がこんなにほめるのだから、私の方が間違っているにちがいないのだろうが、私には数首の傑作を除けば、この二人、そんなに〈不可説の上手〉とは思われない。心情を率直に吐露していると言えばそうなのだろうが、二人ともどこか理屈っぽかったり観念的だったりするのだ。」と書き、定家のほめ言葉や小林秀雄、萩原朔太郎の推称歌に納得いかず、結局、こう書き終える。
「西行と実朝は、技巧の粋を極めた新古今の歌人のあいだにあって、そうした技巧を無視し、真摯に自分の想念を歌い出したため、かえって珍重されたのだろうと思うのだが、それにしては、後鳥羽院や芭蕉、小林秀雄や太宰治のほめ方が大仰にすぎる。私にはどうにも分からない歌人ということになりそうだ。」
読むというのは、読みの自由さを楽しむことなのかもしれない。その楽しみが体験を生むのだ。
詩と哲学とは、実は折り合いがいいものなのかもしれない。といいながら、そもそも哲学は、詩に限らず、絵画や音楽とも、さらに建築や彫刻にも、またまた芸術に限らず政治や風俗とも折り合いをつけていくものなのかもしれない。もちろん、折り合いという言葉は、あえて折り合いの悪さを追求する姿勢も含んでいるわけで、妥協し合うということではない。
で、遍歴する詩歌は、芥川龍之介、伊東静雄、斎藤茂吉、王漁洋、芭蕉、萩原朔太郎、室生犀星、中原中也、宮澤賢治、吉田一穂、蕪村や天明期の俳人、西行、源実朝、ボードレール、プレヴェール、リルケ、ランボーなどなど。
しかも、そこから広がる知的な遍歴の一端もかいま見えるのだ。
例えば、「一本の道」という斎藤茂吉を扱った章では、書きだしがこう来る。
「茂吉の短歌のすばらしさを教えてくれたのは芥川龍之介である。」と。
そして、芥川の評論での茂吉に触れながら、芥川から詩歌に対する目を開けてもらったような気がすると語り、茂吉の歌と芥川の文章の一部を交差させて逍遙するのだ。ついには、「いったいにプロのあいだでは、作家としての芥川の評価はあまり高くないらしい。私も特に異を立てるつもりはない。だが、彼の評論やエッセイはもっと高く評価され、もっと読まれていいと思う。」と書いてみせる。あっ、芥川のエッセイ、読んでみたいなという気になってくる。さらに、この芥川、「文人俳句」の章では、その俳句が久保田万太郎と比較されて登場するし、芭蕉や蕪村の章でも萩原朔太郎や正岡子規の文章と共に引かれている。
そう、比較して交差させながら語っているところが面白いのだ。
伊東静雄と中原中也を合わせて語って、「中也のこの『臨終』を伊東静雄の『曠野の歌』に比肩する傑作だと評した、北川透さんの評論を読んだ覚えがある。」と引き、「私には、この二つの詩、詩風にかなり隔たりがあるように思われるが、どちらも傑作であることに間違いはない。」と自分の中を通して語る。
詩を、それにまつわる様々な文章と一緒に自らの体験にしている。木田元が過ごしただろう時間の体験と同時に彼の知的な営為が体験化されているのだ。それはおそらく対話のような形をとっているのではないだろうか。詩と詩人、そして、その詩を体験化した作家たちの文章と木田元との間に対話があったのではないだろうか。だから、この『詩歌遍歴』は今度は読者であるボクに語りかけてくるものがあるのだ。平易に、深入りしすぎずに、距離を保って、それだからこそ、あなたもこんな詩と語ってみないかいといっているような趣がある。感じて、考える楽しさを伝えてくれるのだ。そこに身をまかせて連鎖しながら、連続して広がっていくことの楽しさへと誘ってくれるのだ。
それは、自分の感じ方に対して闊達に向き合える場でもあるのだろう。「異色の歌人たち」という西行と実朝を扱った章では、こう書き始められる。
「西行と実朝は、私にとって結局のところよくわからない歌人である。」と。そして、彼らの傑作を認めつつも、小林秀雄や後鳥羽院、芭蕉の、西行と実朝への賞賛に疑問を呈して、「後鳥羽院と芭蕉と、いずれも詩歌の達人がこんなにほめるのだから、私の方が間違っているにちがいないのだろうが、私には数首の傑作を除けば、この二人、そんなに〈不可説の上手〉とは思われない。心情を率直に吐露していると言えばそうなのだろうが、二人ともどこか理屈っぽかったり観念的だったりするのだ。」と書き、定家のほめ言葉や小林秀雄、萩原朔太郎の推称歌に納得いかず、結局、こう書き終える。
「西行と実朝は、技巧の粋を極めた新古今の歌人のあいだにあって、そうした技巧を無視し、真摯に自分の想念を歌い出したため、かえって珍重されたのだろうと思うのだが、それにしては、後鳥羽院や芭蕉、小林秀雄や太宰治のほめ方が大仰にすぎる。私にはどうにも分からない歌人ということになりそうだ。」
読むというのは、読みの自由さを楽しむことなのかもしれない。その楽しみが体験を生むのだ。