パオと高床

あこがれの移動と定住

木田元『詩歌遍歴』(平凡社新書)

2011-03-19 09:20:01 | 国内・エッセイ・評論
「こんなに豊かな詩歌にとりかこまれて過すことのできた青春は、やはり恵まれていたと思う。」と書く哲学者、木田元が若い日々に読んだ詩の中から選び抜いた愛唱詩アンソロジー。
詩と哲学とは、実は折り合いがいいものなのかもしれない。といいながら、そもそも哲学は、詩に限らず、絵画や音楽とも、さらに建築や彫刻にも、またまた芸術に限らず政治や風俗とも折り合いをつけていくものなのかもしれない。もちろん、折り合いという言葉は、あえて折り合いの悪さを追求する姿勢も含んでいるわけで、妥協し合うということではない。

で、遍歴する詩歌は、芥川龍之介、伊東静雄、斎藤茂吉、王漁洋、芭蕉、萩原朔太郎、室生犀星、中原中也、宮澤賢治、吉田一穂、蕪村や天明期の俳人、西行、源実朝、ボードレール、プレヴェール、リルケ、ランボーなどなど。
しかも、そこから広がる知的な遍歴の一端もかいま見えるのだ。
例えば、「一本の道」という斎藤茂吉を扱った章では、書きだしがこう来る。
「茂吉の短歌のすばらしさを教えてくれたのは芥川龍之介である。」と。
そして、芥川の評論での茂吉に触れながら、芥川から詩歌に対する目を開けてもらったような気がすると語り、茂吉の歌と芥川の文章の一部を交差させて逍遙するのだ。ついには、「いったいにプロのあいだでは、作家としての芥川の評価はあまり高くないらしい。私も特に異を立てるつもりはない。だが、彼の評論やエッセイはもっと高く評価され、もっと読まれていいと思う。」と書いてみせる。あっ、芥川のエッセイ、読んでみたいなという気になってくる。さらに、この芥川、「文人俳句」の章では、その俳句が久保田万太郎と比較されて登場するし、芭蕉や蕪村の章でも萩原朔太郎や正岡子規の文章と共に引かれている。
そう、比較して交差させながら語っているところが面白いのだ。
伊東静雄と中原中也を合わせて語って、「中也のこの『臨終』を伊東静雄の『曠野の歌』に比肩する傑作だと評した、北川透さんの評論を読んだ覚えがある。」と引き、「私には、この二つの詩、詩風にかなり隔たりがあるように思われるが、どちらも傑作であることに間違いはない。」と自分の中を通して語る。
詩を、それにまつわる様々な文章と一緒に自らの体験にしている。木田元が過ごしただろう時間の体験と同時に彼の知的な営為が体験化されているのだ。それはおそらく対話のような形をとっているのではないだろうか。詩と詩人、そして、その詩を体験化した作家たちの文章と木田元との間に対話があったのではないだろうか。だから、この『詩歌遍歴』は今度は読者であるボクに語りかけてくるものがあるのだ。平易に、深入りしすぎずに、距離を保って、それだからこそ、あなたもこんな詩と語ってみないかいといっているような趣がある。感じて、考える楽しさを伝えてくれるのだ。そこに身をまかせて連鎖しながら、連続して広がっていくことの楽しさへと誘ってくれるのだ。
それは、自分の感じ方に対して闊達に向き合える場でもあるのだろう。「異色の歌人たち」という西行と実朝を扱った章では、こう書き始められる。
「西行と実朝は、私にとって結局のところよくわからない歌人である。」と。そして、彼らの傑作を認めつつも、小林秀雄や後鳥羽院、芭蕉の、西行と実朝への賞賛に疑問を呈して、「後鳥羽院と芭蕉と、いずれも詩歌の達人がこんなにほめるのだから、私の方が間違っているにちがいないのだろうが、私には数首の傑作を除けば、この二人、そんなに〈不可説の上手〉とは思われない。心情を率直に吐露していると言えばそうなのだろうが、二人ともどこか理屈っぽかったり観念的だったりするのだ。」と書き、定家のほめ言葉や小林秀雄、萩原朔太郎の推称歌に納得いかず、結局、こう書き終える。
「西行と実朝は、技巧の粋を極めた新古今の歌人のあいだにあって、そうした技巧を無視し、真摯に自分の想念を歌い出したため、かえって珍重されたのだろうと思うのだが、それにしては、後鳥羽院や芭蕉、小林秀雄や太宰治のほめ方が大仰にすぎる。私にはどうにも分からない歌人ということになりそうだ。」
読むというのは、読みの自由さを楽しむことなのかもしれない。その楽しみが体験を生むのだ。
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詩誌「饗宴 VOL60」

2011-03-09 02:24:16 | 雑誌・詩誌・同人誌から
以前、この詩誌を紹介した時にも思ったが、誌名通りの饗宴。
今号には海外詩特集として、ルイーズ・グリック、サンドロ・ペンナ、リン・リーブスという人の詩と俳句が訳されている。
紹介するのは、巻頭の一編。木村淳子さんの「この飢え」。

北に向かって歩く
初冬の残照

この一連で、日射しが背後からと予想できる。後方左側からの残照か。前方に日だまりを作っているのか。が、同時に影も前方に伸びているのだろう。もちろん、北側に月はない。そこで、第二連、

信号の角を曲がると
かなたの中空に
白い まるい 月が
ピンクに染まった羊雲の陰から
ゆっくりと現れるー

ここで位置関係が動く。曲がると「中空」に月が現れるということは、右折して、月をとらえるということになるのだろうか。この位置関係の動きが気になるのは、これが同時に、広がりを感じさせる根拠になっているような気がするからだ。柿本人麻呂の有名な歌を思う。あの逆。また、蕪村の句のように「菜の花」はない。
時間は、「残照」から「ピンクに染まった」で徐々に流れている。そして、現れた月に向かって、

私は 思わず手をさしのべて
つかもうとした

中空にかかる
せんべいのような月まで
とって喰らおうとする
この飢えー

いまも私のうちで口を大きく開けて
満たしてくれるものを待ち受けている

「飢え」は存在している、が、明確な対象を持った「飢え」ではない。飢えというものがあり続ける。その飢えは対象を求める。ここでは、それは「月」である。だが、白い月。形は全なる姿を示すように「まるく」ないといけない。日射しが「残照」であってみれば、この月は薄い白から、強い光の白になっていくはずなのだろう。ところが、その明確になろうとする対象は隠れる。

やがて
紫を滲ませた雲は
マントを広げ
白い月を隠してしまった

「ピンク」から「紫」への時間の経過。夜になっていく。夜になれば、むしろ月の光は増す。それを隠すには「紫」の滲みた「雲」が必要となる。暗がりの気配がある。そこで、隠れた月を見つめて一連が一行で立ち尽くす。

私は立ち止まる

欲してしるのは
あの白い月なのだろうか
                    (木村淳子「この飢え」全)
飢えの対象が隠れるように、言葉で示された「月」も隠れてしまう。言葉が求めようとしたものへの「飢え」だけが残されるように。隠れた白い月を言葉は読者の頭のなかに残し続ける。
移動の足を止められるような感じがよかった。

村田譲さんの詩「太陽の花びら」は、前作の「はやぶさ」から「イカロス」へと宇宙を巡る詩が動いている。折り紙の技術を駆使した「宇宙ヨット」の「イカロス」はその構想といい、造形といい、想像力を刺激する。

それは一枚の薄い賭けだった
一辺が14Mの四角い風車
髪の毛よりもはるかに細い糸で
編みあげたイカロス
                  (村田譲「太陽の花びら」第一連)

「髪の毛よりも細い」想像力の糸をたぐるように、イメージで認識の極に向かおうとする。像を結ぶ方へと言葉を傾けていく姿勢なのかもしれない。

遠い物語を抱きしめて
宇宙ヨットが滑りだす
                 (最終行)
この詩誌では、他に「方舟―もりへ」「魚篇・鰊(にしん)」「転身譚」「花の国」「オホーツク」などの連作にも目がいく。
あっ、瀬戸正昭さんの「日録」にもだ。
コメント (1)
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吉田秀和『永遠の故郷 真昼』(集英社)

2011-03-02 11:57:53 | 国内・エッセイ・評論
そこにあったであろう熱い思いや切なさ、あるいは騒けだつ心や痛み。そして、もちろん喜び。そんなものを穏やかに見つめるまなざしがある。時代の中で、ぞれぞれの時間のなかで過ごしてきた「私」の時間に、「私たち」の時間が重なるように、そこにあった音楽と吉田秀和の思いが重なっていくようでありながら、それをまなざす吉田秀和がいる。ずっと批評家であった吉田秀和だからこそ生まれた、批評家である自分さえも抱えこんでしまったような姿がここにはある。その姿勢に、その姿の自然さに引かれる。

「こういうピアノの扱いはすでにシューベルトで始まり、彼はその手法を充分に意識して発展させてゆくのだが、シューマンはそれに啓発されつつ、ピアノの声部をより心理化し、内面化する傾向がある。それに、いうまでもなく、シューマンは歌曲の創作に手を染める前は専らピアノのための曲ばかり書いていて、ピアノに通暁していた音楽家だった。」
シューマンの人生のある場面を描きながら、こういう批評的文章がくる。「心理化」「内面化」という言葉がふくらむ。そして、続けて、
「この《初めての緑》の場合、シューマンは曲を開始するに当って歌より先に、まずト短調の主三和音を、囲碁の石でもおくように、そっと静かに、鳴らす。」
と、書かれるのだ。「囲碁の石でもおくように」が、ある静謐さの中に鳴る音を感じさせる。さらに「鳴らす」という結びで、一瞬、音が聞こえたような気がするのだ。

また、このような批評家の文章だけではなく、「時代」の中の自分を表すような表現が織りなされる。
「戦争に入って間もなくきいたモーツァルトの《レクイエム》など、きき終わって、日比谷の公会堂から新橋の駅まで暗い夜道を辿りながら、夢の国にいるのか、今まで通りのところにいるのか、よくわからない気がしたものだ。」
この部分は、ユダヤ人狩りを逃れて日本に来た指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトックの演奏が「暗さを増してゆく社会」の中で楽しみ、慰め、夢のようだったという記述の後に来るのだが、この文章から、その頃の定期演奏会のプログラムだったマーラーの歌曲に話が進む。そして、ユダヤ人マーラーの曲を演奏することの時代的な緊張感に触れながら、マーラーの曲への批評に読者を導いていくのだ。

この『真昼』に収められている11編のエッセイの7編はマーラーの曲についてのエッセイである。
マーラーについてこんな記述がある。
「そこにマーラーが生涯を通じて持ち続けていたらしい〈ここにないもの、あったけれど、いつか失われてしまったもの〉をもう一度とり戻そうとする熱い望み、それから終生彼を脅かし続けたのではないかと思われる、どこからかやって来て彼を死に追いやろうとする力を前にしての恐怖などが、すでにこの曲の底に流れていたのがわかってくる。しかも、彼の場合、恐れと憧れの両方が一体になって、〈甘い歌〉に昇華していることさえ感じられるのである。」
ふー、なるほどと思う。もちろん、これだけではなく、マーラーの笑いの要素についても、
「そのまま流れにのって流されてゆくうちに、全身がかゆくなるような感じになったり、くすくす笑いを抑えられないようなことになったり、そのうち自分が本当の笑いの中にいるのに気がついたりする。」そして、「けれども、(略)マーラーでは、笑い、ユーモアといったものには、実はその裏に毒が含まれていて、時には悪意の影が見えてくることが少なくない。」と、他の曲の中からたぐり出している。確かに19世紀末から20世紀を生きた作曲家だと思わせる。

この本の中では、最終章の《告別》が、圧巻だと思う。マーラーの《大地の歌》の中のこの曲に触れながら、書名の『永遠の故郷』へと重いが繋がっていく。
「深刻な打撃」を受けながらも創造していくマーラーについて彼は書く。
「未曾有の新しさと間然するところのない成熟度の共存。芸術の歴史で、こういう例を求めても、これは一握りにも満たない名しか、私には、思い当たらない。モーツァルト、ピカソ……。」
そして、1908年から11年のマーラーの曲に則して、
「これらの音楽は眩しいくらい美しい。そうして、無意味だ。私はこれらの曲をきいていると、時々、耳を塞ぎ、目を手で覆いたくなる。そこには、きくものを酔わせずにはおかない強い、魔法のような牽引力がある。特に、中でも一番あとで知られるようになった第十交響曲には強い薬と毒があるのではないかと感じることがよくある。」
と、バルトの「快楽の読書」を想起できるような音楽の快楽が記述されている。さらに、すごいのは、ここまで書きながら、なお、
「だが、この曲(十番)について書くことは、まだ、私には、できない。ここでは《大地の歌》の中の《告別》について話をしたい。」と書くのだ。
「まだ、私には、できない」。
音楽の先にはその陶酔と寂寞のさらにその先の死があるのかも知れない。そして、その死は、〈永遠〉につながれていくのだろうか。
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