井上靖の続きである。
「異域の人」は匈奴と闘った班超の話である。三十年に渡る班超の西域での活躍が綴られる。この地域での興亡が出来事を記述するように語られていく。都に戻った班超はかつて自分とまみえて去った趙ではないかと思う人物に会う。2人とも、長い西域での暮らしから漢人ではなく胡人と見間違われるような風貌になっている。その時間の経過の中での人の存在が悲しい。また、西域は多くの戦いのあともなお、西域としてあるという大きな時間が胸に迫る。この小説の文章は砂漠の砂を表しているように、興亡を綴っている。
「狼災記」は狼になる人の話である。業からというのだろうか。いや、むしろ虚無の中にあって生きようとする本来的な部分が狼への変化の通路になっているのかもしれない。解説にもあるように、これは虎になる中島敦の「山月記」を比較したくなる作品である。かつての友を狼の本性で殺してしまうところに井上靖の物語作家ぶりと人の捉え方の苛烈さを見る。
「異域の人」は匈奴と闘った班超の話である。三十年に渡る班超の西域での活躍が綴られる。この地域での興亡が出来事を記述するように語られていく。都に戻った班超はかつて自分とまみえて去った趙ではないかと思う人物に会う。2人とも、長い西域での暮らしから漢人ではなく胡人と見間違われるような風貌になっている。その時間の経過の中での人の存在が悲しい。また、西域は多くの戦いのあともなお、西域としてあるという大きな時間が胸に迫る。この小説の文章は砂漠の砂を表しているように、興亡を綴っている。
「狼災記」は狼になる人の話である。業からというのだろうか。いや、むしろ虚無の中にあって生きようとする本来的な部分が狼への変化の通路になっているのかもしれない。解説にもあるように、これは虎になる中島敦の「山月記」を比較したくなる作品である。かつての友を狼の本性で殺してしまうところに井上靖の物語作家ぶりと人の捉え方の苛烈さを見る。