パオと高床

あこがれの移動と定住

井上靖「異域の人」「狼災記」(新潮文庫『楼蘭』)

2006-09-26 14:41:30 | 国内・小説
井上靖の続きである。
「異域の人」は匈奴と闘った班超の話である。三十年に渡る班超の西域での活躍が綴られる。この地域での興亡が出来事を記述するように語られていく。都に戻った班超はかつて自分とまみえて去った趙ではないかと思う人物に会う。2人とも、長い西域での暮らしから漢人ではなく胡人と見間違われるような風貌になっている。その時間の経過の中での人の存在が悲しい。また、西域は多くの戦いのあともなお、西域としてあるという大きな時間が胸に迫る。この小説の文章は砂漠の砂を表しているように、興亡を綴っている。
「狼災記」は狼になる人の話である。業からというのだろうか。いや、むしろ虚無の中にあって生きようとする本来的な部分が狼への変化の通路になっているのかもしれない。解説にもあるように、これは虎になる中島敦の「山月記」を比較したくなる作品である。かつての友を狼の本性で殺してしまうところに井上靖の物語作家ぶりと人の捉え方の苛烈さを見る。


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井上靖「楼蘭」(新潮文庫『楼蘭』)

2006-09-24 20:35:33 | 国内・小説
NHKの番組、旧「シルクロード」の「楼蘭王国を掘る」がなつかしい。
井上靖の筆力は、贅肉を削ぎおとしてなお、詩情が溢れる。この人の歴史小説は一種厳しさが溢れる文体のような気がする。山本健吉の新潮文庫解説では史実小説とも呼んでいたらしいが、1958年に発表されたこの小説は、それこそ史料から作者が想像力を駆使して描き出した夢の造型である。よく、「まるで見てきたように」というが、小説家はまさに「見てきたように」語る。1979年が番組「シルクロード」の取材時期、放送は80年4月からということを考えてもなかなかどうしてたいしたものだ。西域の興亡が短い小説からも伝わってくるような気がする。丘のタマリスクが見えるのだ。
「往古、西域に楼蘭と呼ぶ小さい国があった」という書き出しの簡潔さに、実は深い思いが凝縮している。


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姜尚中『姜尚中の政治学入門』(集英社新書)

2006-09-13 02:09:56 | 国内・エッセイ・評論
この人の語り口の穏やかさと論理の構築力に驚いたのは「朝まで生テレビ」を見たときだった。口調が相手を黙らせる力を秘めている。がやがやわやわやの騒乱状態を鎮めてしまう風格のようなものがあった。
その姜尚中(カンサンジュン)による政治学入門だ。七つのキーワードで現在の日本とその世界との関係を読み解いていく。読み解くための糸口を見せてくれる。
「アメリカ」「暴力」「主権」「憲法」「戦後民主主義」「歴史認識」「東北アジア」という七つのキーワードは確かに今、この国の国家と政治、世界を問うときに重要な突破口かもしれない。と同時に、それぞれの言葉の定義立て、思考されてきた歴史についての概要を語ってくれる。
政治学そして政治思想史が、現在においていかに現在を見通す意志の基盤になるかが、納得できる。その一端にわずかだが触れ得たような気がする。
「今、私たちは、歴史の重大な分岐点に立たされているのです」という、その今にあって、あえてあとがきで語られる「百見は第六感にしかず」という、その第六感を磨くことと、その第六感と単なる思いつきやひらめきとの峻別にかけた不断の闘いの必要性がひしと感じられる。



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マイケル・グレゴリオ『純粋理性批判殺人事件』羽田詩津子訳(角川文庫)

2006-09-09 07:22:16 | 海外・小説
19世紀初頭のケーニヒスベルクで起こる連続殺人事件の謎を解く本格推理小説だ。謎に挑むのは心に闇を持つ若き判事。そして、哲学者カントだ。
ケーニヒスベルクというのは今のカリーニングラードで、旧ソ連の領地だったものがリトアニア独立でロシアの飛び地になっている。現在もかなり課題の多い場所らしい。この物語の時はプロイセン王国の誕生の地である。バルト海に面した貿易都市で、その冬の風景が当時の都市の風景と同時にかなり沈鬱に描写されている。
時代はナポレオン侵攻を怖れている時代。捜査自体がまだ科学的手法を取り入れてない状態となっている。そこにカントが科学的捜査の手法を示唆、実践していくという推理小説の骨組みが築かれる。時代設定がホームズやデュパン以前なのである。作者はその時代をフルに活用していく。また、カントの哲学的思考を歴史の流れの中に配置してフィクションを創り上げている。理性と闇や悪魔的なものと科学性などが混在しながら、冬の霧の寒い要塞都市が全体を染め上げていく。なかなかの一冊だったと思う。楽しめた。
笠井潔の『群衆の悪魔』が19世紀パリの都市風景や牢獄を描いていたが、それを思い出した。個人的な趣味からいけば、もう少し哲学臭が強くてもいいと思ったりもした。


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