パオと高床

あこがれの移動と定住

千々和久幸『蜜月』(砂子屋書房 2012年7月27日)

2021-10-24 08:13:01 | 詩・戯曲その他

ニヒリズムにニヒリズムで返す。諦観には諦観を返す。表現することは自身の身体を通過させるものかもしれないが、
だからといって外部に立つことが選択されないわけではない。時代の中にあることは、その時代を見つめる地点では
時代の外部者であることも求められるのかもしれない。そのときに、諦観やニヒリズムが生まれたとしても、それが
言葉を生みだすときには、言葉は諦観やニヒリズムの先に行く。いや、行ってしまおうとする。そこに表現が現れる。
詩集『蜜月』の序詩としておかれた「埋草について」は、こう書き始められる。

 埋草には
 出来るだけ無意味なことを記そう

だが、同時に詩はこう結ばれる。

 消し忘れた無意味が
 意味を孕むことがあるから
 埋草には心して無意味なことを記そう

表現が発せられて進みいく、あるいはさまよいいくことが引き受けられる。それは、現代と対峙することも引き受けて
いるようだ。ただ、その対峙はそれこそ、ただ対峙するのではない、警句であったり逆説であったり喩であったり、
言葉が作りだす世界が同様に作りだされた世界と挌闘する。そのさまが詩になっていく。
詩「真っ白い紙」は、こう始まる。

 真っ白い紙が眼の前にある
 紙の上は荒涼たる冬の原野だ
 あなたにだけは真実を伝えたいと
 もう長いことここに座っている

そして、三連ではこんな詩句が続く。

 鼠の消えた街では
 顔を無くした者同士が命の軽さを論い
 風が運んでくる妖しげな呪文に
 聞き入っていた

比喩と直接性のある第一連から現代へとすいと飛躍する。格好いいなと思う。そして、着地は、

 気が付くと負け残りの夕焼けが
 真っ白い紙をいつまでも染めていた

となる。赤く染めあがる真っ白い紙。白と赤のどちらものイメージが残る。
例えば、こんな詩句もいい。「海への手紙」。

 溢れる時間の海で
 溺れかかったことがある
 空は底抜けに青く
 庭には蟬時雨が降っていた

4行のなかに感覚が埋めこまれ、海、空、時間のただ中にあって音に包まれる存在を感じる。

コロナ禍での日々を描いた7章からなる「長い休暇—一週間の処方箋」のまなざしも詩が詩であることを引き受けようとしている。
自在でありながら、詩が他の表現ジャンルと抗っている。
その抗いが詩の中に書き込まれているところがすでに詩の徳俵なのかもしれない。

 「詩が、追い越されていく」と
 二十年も昔にきみは書いた
 それなのに今では詩を抱えると沈んでいく
 相変わらずわたしは
 〈私小説的神話〉の囲いの中にいる

 高圧線の上のしょんぼりした雲
 などというメールをいつまで待つ気か

「詩が、追い越されていく」と書いた詩人は山本哲也だった。この「長い休暇」は、あっ、と思える詩句がふんだんにある。
それをみんな、書きしるすわけにもいかない。ボクの中でとっておこう。
ボクたちは、かつて詩人が書いた世界のあとを、「わたし」では凍りつかない世界を生きている。

 わたしが倒れても
 世界が凍りつくようなことはない
 屋根の上のぺんぺん草が戦ぐだけだ
                    (「弔歌」冒頭)

だが、その中でも、自我の皮を剝き続けながら、自分自身を探し続ける。自身と影、自分自身と自分の中の他者、
いずれもがいずれかがわからなくなる影と実体。剝き続ける辣韮。その芯のなさ。詩「揺らぐ影」はこう書く。

 辣韮の皮を剝いたことはないが
 辣韮を剝く猿の気持はよく解る
 剝いても叩いても
 果実の芯に行き着くことはない
 草臥れ果てた挙げ句に
 今日も数匹の猿が発狂した

詩は、画家がかつて描いたような、そんな鏡に映り続ける自分自身を、それ自体が影なんだと見なそうとする。

 猿の真似をして世渡りする気は無いが
 一つ向こうの道筋には
 今も憧れが棲んでいる
 だから追い越して行った影が
 いつも後ろから追いかけてくる気がする
 本当はおれたちが影だったと
 猿に教えてやろうか

「憧れ」は、いつも「一つ向こう」にある。追いかけながら追いかけられるのは、時間がそうであるように、連続の夢を見続けるからだろう。
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石川敬大『ねむらないバスにゆられて』(モノクローム・プロジェクト 2021年7月10日)

2021-10-16 13:57:41 | 詩・戯曲その他
34篇の詩を5つの章(部)にわけて編集している。収録詩篇は決して少なくはない。だが、各詩篇は見開きで収まる20数行の詩篇。
削ぎ落とされている。「あとがき」にはこう書かれている。

「四冊目の本詩集で初めて書法の転換を試みた。コロナ自粛で始めたツィッターに断続的に詩をアップして一年が経過したが、
文字数制限でコンパクトにせざるを得ず作品成立の極限まで削った言葉で生成するしかなかった。それをベースにして制限を
解除し加筆訂正したものを最終稿とした」

削ったものをもういちど加筆する。しかしその行数自体にも20数行ほどの制約を加えている。
自由詩をどこまでも追い求めていくのが「現代詩」と仮に考えたときに制約を加えることを石川敬大さんは選び取った。
「書法の転換」である。

そういえば、削ぎ落とすとは、テレビのインタビュー(10月15日「ニュース23」)で谷川俊太郎も語っていた。
あるいは歌人は短歌の制約が短歌表現の自由を生みだすというようなことを語る。「定型」の問題は常に語りつづけられてきたし、
「削ぎ落とす」ということも表現に向き合うベーシックな態度として語られている。
加えて、この「あとがき」を読むと、引き続く「コロナ禍」の状況が重ね合わされる。「制限」を「せざるを得ず」、
「制限」を「解除し」て「訂正」したものを表し、歩きだす。「書法の転換」が、行動制限の要請と解除を繰り返す状況と重なる。
ここにも今がある。

そういえば、詩の短さについては、大岡信が『萩原朔太郎』という著書で、
「詩は短きを以て良しとす。およそ三十行内外を以て適度とす」というポウのことばから始まる朔太郎の文章について、考察していた。
「真の意味での詩—即ち純粋なる抒情詩—は、今日長きも二十行を越えてはいけない。即ち十五行内外が最も適度である」と続く朔太郎の文章。
これについて、大岡は、「今日のいわゆる現代詩の実情は萩原の予測とはむしろ逆の方向へむかって、
はてしなく詩形の横ひろがりが続いているといってよい。(略)現代詩の散文化傾向という事実は蔽いがたい上に、
今日の詩には〈純粋なる抒情詩〉とはいえない要素で成り立っている部分が多いからである。しかし、むしろそれゆえに、
萩原朔太郎のいう〈純粋なる抒情詩〉の魅力が輝きを増すという逆説的事態も生じている」と書いている。
確かに、現在、「純粋なる抒情詩」かどうかはともかくとして、短歌俳句は現代詩に比べれば広い読者層を獲得している。
大岡自身も詩が閉じている世界になることを苦慮していた。

ただ、この石川敬大詩集が引き受けている困難は、仮に「純粋なる抒情詩」ならば「十五行内外」が「適度」であるとしても、
その「純粋なる抒情詩」から逸脱し、むしろ叙事的要素を持ちながら、20数行に収めていることである。
だが、その困難に表現が耐えられた場合は、表現の持つ困難は表現の強度を支える。
第Ⅰ部冒頭の詩「家史」の書き出し。

 あの家の生涯ならおおよそ知っている
 表紙をひらいたのは父
 仕舞ったのは、ぼくだ

第Ⅰ部は「父」をめぐる詩篇が配置される。この父はバーセルミの小説の題名を借りれば「死父」である。昭和のある時期の父、
父的なものがイメージされている。家父長的な父の残滓となった原像であり、幻像となったもの。そこには抑圧と思慕があり、
それから解放されたい暴力衝動と解放への思いがある。9篇の詩は場面をむしろ点描する。その点描がはらむものが物語のありかだ。
そして、実はそれが日常とつながっている。だからこそ、その日常は消えてしまう恐れとも共生する。詩「父がいた」はこんな最終連を持つ。

 どこにもない
 あの家の
 黄ばんだ居間の澱んだ空間に
 いまでもタバコの匂いと笑い声が漂っている
 その寒々とした宇宙空間の 
 テレビの前で
 父は
 白く発光する
 ブラウン管をみていた

月面着陸の中継を見ている父なのかもしれない。
宇宙空間はテレビの中にあるのか。ところが居間の空間が寒々とした宇宙空間ともとれる。すると、ここには、
その宇宙空間の中に居間が浮かびながら消えていくイメージがある。いや、むしろ解消されない時間の中を漂っているような。
そして、発光するのはブラウン管なのだろうが、この発光は父にもかかっている。父も白く発光してようなのだ。
父が「いる」から父が「いた」になるとはこのようなことなのかもしれない。そこにある居間が宇宙空間の中に不意に置かれる。
死が存在と地続きでありながら、生存とは違う存在の形(?)を見せる瞬間がここにはある。

第Ⅱ部は、少年性から大人への移行が綴られているような詩篇が並ぶ。
Ⅲ部、Ⅳ部での生きものとの関わりや先達の詩句や人との繋がり、関係性からこぼれてくる詩句たち。
東日本大震災によって滲みだされてきた詩篇がならぶ第Ⅴ部。
石川さんの以前の詩にもあったが、詩はここでは「挽歌」である。失われていくからこそ、ことばは綴られるのかもしれない。
そこに形を変える存在があるから、ことばはそこにあろうとするのかもしれない。生存とことなる存在に向かうものがあるときに、
ことばはその生存を留めると同時にことなる存在も書きしるそうとする。たとえ残るものがことばだけだとしても。あるいは、
そのことば自体も消えてしまうものだとしても。
「挽歌」が抒情詩であるとすれば、石川さんの詩篇は抒情詩なのかもしれない。
であれば、萩原朔太郎が引いた言葉のように「短きを以て良し」とする詩法の実践がここにはあると思う。20行は少し越えているけれども。
困難に耐えていく表現の持つ強度を感じた。
ことばは、耐えていく、こんな状況に。詩「耳のなかの声」第3連と4連。

    —文字は
     声の末裔です
 
 風につぶやくと
 だれかの海も
 だれかの空も
 だれかのかなしみすらも
 たちまち文字に置き換わってしまった

だとしても、そう、4連に続く最終連のように。

 すると
 かすかに
 耳のなかから
 なつかしい声がきこえた

つぶやきが文字となり、ふたたび声を届ける。
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大井浩一『大岡信—架橋する詩人』(岩波新書 2021年7月20日)

2021-10-03 10:36:14 | 国内・エッセイ・評論
何人も何人も、誰でも彼でも、この人を知らずにいたら残念だ、この人の本を読まずにいたら大きな欠落だ
と思える人がいるもので、大岡信もそんな人の一人だ、と思わせてくれた一冊。
大岡没後1年の2018年から21年まで毎日新聞文化面で月1回計33回連載された「大岡信と戦後日本」を
大幅に加筆修正した一冊であると「はしがき」に記されている。 
「架橋する詩人」という副題にそった、明確な角度を持った大岡信入門書であり、現代詩や現代社会、
現在の文化状況への問いかけを持っている。

大岡の著書『うたげと孤心』に代表される、彼の、個の創造力とその個が他者を受けいれることで生まれる
開かれた創造の場を求める活動を、大井浩一は追っていく。著作の「あとがき」などで表された大岡の心を記述し、
一方ではより多くの彼の詩を紹介しようとしている。 
詩の一節を抜くのは、詩の全体から考えれば難しいことである。だが、逆に抜き出された数行が、
詩人が使おうとした言葉への敬意と畏れを伝えてくる。
また、彼が詩人としてどのように言葉を歌わせたかったかが感じられるようだった。
この本を読みながら、パラパラと大岡信の詩を読み、『折々のうた』のいくつかを読んでみようという気持になった。
ちょうど『折々のうた 選』も出ているし。

また、大井浩一は、現在のネット社会の中で、異論や意見を排除し、聞き易いもの、同調性の高いものだけを
受けいれていく社会行動に大きな危惧を抱いていることがわかる。
支持不支持が発熱するかのように起こる現状へのあやうさに対して、バランサーをどう取るか、感受性や知性は
どうあったらいいのかを探っている。大岡信を論じたいと彼が思った強い動機が、そこに感じられる。
「架橋する」「合わす」「唱和」といったことばの中で、その言葉にこめた希望が語られている。

大岡信の活動を知りながら、現代詩入門にもなり、現代詩の問題点もあぶり出そうとする。
と同時に文学が、文化が、時代が、どう動いてきたか、今どのような状況かへもアプローチしようとしながら、
しかもよく整理され、読みやすい本だった。
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