もの凄い本が出版された。
2003年ごろ、ウェブで出会った『千夜千冊』が全集になるとは。
この質と量は圧倒的だ。その別冊が本書『書物たちの記譜』で、解説や索引、年表が一冊になっている。そして、ここに、松岡正剛が自身の書いた読書を巡る記述をアンソロジーにした、読書術を書いているのだ。これだけでも面白い。そして立体的なのだ。
彼は「読書というもの、すでに書いてきたように、その行為があまりにも複雑なため、いまだにその実態があきらかになっていない総合的編集行為なのである。」と言う。その言葉通り、この「知の巨人」は頭の中に壮大な図書館を持っている。それはバベルの図書館であり、アレクサンドリアの図書館であり、ボルヘスの世界であり、夢見られた図書都市なのだ。実際、彼はウェブ上に壮大な知の伽藍を建てようと企てているらしい。内容、作者、項目さまざまな角度から検索移動が可能な、架空の図書都市をヴィジュアル含めて構築しようとしているとテレビで語っていた。
松岡正剛の読書自体がそうなのだ。ある断面からするりと別の地平へジャンプする。そこに読書当時に生きた作者の時代が浮かび上がる。と同時に、読んだ作品それぞれの著者の思考が別の流れに合流するのだ。背後には、あるいは前方には、広大な大海が想像される。一冊の書物は、数行のフレーズは、一つの単語は、さまざまな連関と断絶に出会い、あとがきの題名のように「まるで世界を編集しているようでした」になっていくのだ。
『千夜千冊』に僕自身が読んだ本が書かれると何とも言えずうれしい。そして、どこともしれない旅に連れて行かれるような楽しさが感じられた。
2003年ごろ、ウェブで出会った『千夜千冊』が全集になるとは。
この質と量は圧倒的だ。その別冊が本書『書物たちの記譜』で、解説や索引、年表が一冊になっている。そして、ここに、松岡正剛が自身の書いた読書を巡る記述をアンソロジーにした、読書術を書いているのだ。これだけでも面白い。そして立体的なのだ。
彼は「読書というもの、すでに書いてきたように、その行為があまりにも複雑なため、いまだにその実態があきらかになっていない総合的編集行為なのである。」と言う。その言葉通り、この「知の巨人」は頭の中に壮大な図書館を持っている。それはバベルの図書館であり、アレクサンドリアの図書館であり、ボルヘスの世界であり、夢見られた図書都市なのだ。実際、彼はウェブ上に壮大な知の伽藍を建てようと企てているらしい。内容、作者、項目さまざまな角度から検索移動が可能な、架空の図書都市をヴィジュアル含めて構築しようとしているとテレビで語っていた。
松岡正剛の読書自体がそうなのだ。ある断面からするりと別の地平へジャンプする。そこに読書当時に生きた作者の時代が浮かび上がる。と同時に、読んだ作品それぞれの著者の思考が別の流れに合流するのだ。背後には、あるいは前方には、広大な大海が想像される。一冊の書物は、数行のフレーズは、一つの単語は、さまざまな連関と断絶に出会い、あとがきの題名のように「まるで世界を編集しているようでした」になっていくのだ。
『千夜千冊』に僕自身が読んだ本が書かれると何とも言えずうれしい。そして、どこともしれない旅に連れて行かれるような楽しさが感じられた。