クラシック案内本は、ホント、楽しくなっていると思う。クラシック・ファンは、ゼッタイ、増えている、と思う、ような、そんな、気がする。
アニメの影響?
もちろん、ある。ただ、つかんでも、それだけなら、手放すはずで、もちろん、つかまれても、すり抜けている人も多いわけで、そんなこんなでも、やはり「疾風怒濤のクラシック」なのだ。
宮本文昭といえば、何年前になるのだろう、NHKの朝ドラ「あすか」のテーマ曲を演奏していたオーボエ奏者だった。でも、今は、指揮者でもあり仕掛け人でもある。
仕掛けは、この本の章立てにも出ている。「モーツァルトだって重いときがあるさ」で始まり、「ベートーヴェンは〈空気が読めないヤツ〉だった?」とか「ひねくれマーラーの時代が来た」や「ブラームスは炭火のようにひそかに燃える」などなど、うまいこと見出しを付けて、演奏する側、聴く側の双方を行き来するように、作曲家とその音楽との聴き所=愉しさに迫る。
例えば、モーツァルト。
「まだ若いのに、まわりの大人がついてこられないくらい、いろんなことがわかってしまっていた。だからきっと、誰とも話があわなかったはずです。」なんて書きながら、だから「モーツァルトを演奏するには、空想力がものすごく必要とされます」と演奏家の立場で語り、「演奏家にとっては、モーツァルトをやると実力のほどが知れる」、「こわ~い作曲家なんです。」と告白する。そうでしょう、そうでしょう、と思いつつ、よし、なんかCD聴こうかなという気にさせる。
さらに、例えば、ベートーヴェン。
「変人で、ほとんど偏執狂ですね。こだわりが尋常じゃない。」そう、そう。でも、だからあそこまで、と思うと、きちんと、その後で、
「ここまでさんざんこき下ろしておいてなんですが、そうは言っても、やっぱりすごいんですよ~、ベートーヴェンは、聴き込んでいくと、人間の生の声みたいなものが、腹の底のど真ん中にビンビン響いて、訴えかけてくるんです。」と書く。ああ、そう「人間の生の声」なんだよな、だから、なんだよな、どっちにしても、と思えてくる。で、あの名曲、交響曲7番の「本気」に、さらりと触れる。このリズムの魔神のような曲を「しつこすぎてランナーズ・ハイ」と、またまたうまいことをいう。
そんな、演奏家ならではの、「疾風怒濤」が感じられる一冊だった。
そうだ、宮本文昭お薦めの、マーラーの9番、ブルックナーの8番、聴いてみよう。
アニメの影響?
もちろん、ある。ただ、つかんでも、それだけなら、手放すはずで、もちろん、つかまれても、すり抜けている人も多いわけで、そんなこんなでも、やはり「疾風怒濤のクラシック」なのだ。
宮本文昭といえば、何年前になるのだろう、NHKの朝ドラ「あすか」のテーマ曲を演奏していたオーボエ奏者だった。でも、今は、指揮者でもあり仕掛け人でもある。
仕掛けは、この本の章立てにも出ている。「モーツァルトだって重いときがあるさ」で始まり、「ベートーヴェンは〈空気が読めないヤツ〉だった?」とか「ひねくれマーラーの時代が来た」や「ブラームスは炭火のようにひそかに燃える」などなど、うまいこと見出しを付けて、演奏する側、聴く側の双方を行き来するように、作曲家とその音楽との聴き所=愉しさに迫る。
例えば、モーツァルト。
「まだ若いのに、まわりの大人がついてこられないくらい、いろんなことがわかってしまっていた。だからきっと、誰とも話があわなかったはずです。」なんて書きながら、だから「モーツァルトを演奏するには、空想力がものすごく必要とされます」と演奏家の立場で語り、「演奏家にとっては、モーツァルトをやると実力のほどが知れる」、「こわ~い作曲家なんです。」と告白する。そうでしょう、そうでしょう、と思いつつ、よし、なんかCD聴こうかなという気にさせる。
さらに、例えば、ベートーヴェン。
「変人で、ほとんど偏執狂ですね。こだわりが尋常じゃない。」そう、そう。でも、だからあそこまで、と思うと、きちんと、その後で、
「ここまでさんざんこき下ろしておいてなんですが、そうは言っても、やっぱりすごいんですよ~、ベートーヴェンは、聴き込んでいくと、人間の生の声みたいなものが、腹の底のど真ん中にビンビン響いて、訴えかけてくるんです。」と書く。ああ、そう「人間の生の声」なんだよな、だから、なんだよな、どっちにしても、と思えてくる。で、あの名曲、交響曲7番の「本気」に、さらりと触れる。このリズムの魔神のような曲を「しつこすぎてランナーズ・ハイ」と、またまたうまいことをいう。
そんな、演奏家ならではの、「疾風怒濤」が感じられる一冊だった。
そうだ、宮本文昭お薦めの、マーラーの9番、ブルックナーの8番、聴いてみよう。