パオと高床

あこがれの移動と定住

俵万智『牧水の恋』(文藝春秋2018年8月30日刊)

2021-02-24 08:26:40 | 国内・エッセイ・評論

面白くて怖い評伝。
歌人若山牧水と小枝子の関係を追った一冊。
証言などを交えた資料と牧水の短歌から、二人の恋の顛末を描きだしていく。
スリリングでミステリーのようだ。

短歌を読み、そこから何が読みだせるかを俵万智が語っていく。
有名なあの歌の背景にはこんな日々が、こんな思いがあったのかと知ることができる。
引かれた短歌について書かれた鑑賞は楽しいし、ああ、そうかと納得させられながらも、
うわっ、こわっ、と思える心理分析も入ってくる。恋愛心理への洞察力にも驚かされる。
牧水自身が、驚きながら、そうか、確かになぁと呟きそうだし、
ええっ!そこまで語ってくれるなよ、
おれの気持ちってこんなだったのかと自身の無意識に気づかされそう。
で、あの時小枝子はそんなことまで思っていたのかと、むしろ牧水の純情(?)が、
果てなむ国へ行くかも。

さらに、すごいのは、俵万智が『サラダ記念日』当時の自らの短歌と牧水の短歌との関係を
客観的に描きだしているところだ。
ああ、こんなふうに自身を見つめる自分の目があるのだと感心させられる。
これがこの歌人の作品を支えているのだと思った。

牧水と小枝子との関係、牧水と俵万智自身との関係を描きながら、
それを通して俵万智そのひとの思いまでもが筆致の中に潜んでいるようだ。
語り口は、古典の素養を背景に口語短歌を牽引している歌人らしく、書き言葉と話体が折り合い、
関西人の突っ込みも交えながら、評論口調とエッセイが仲むつまじく手を携えていて読みやすい。
随所の決めフレーズの余韻も愉しめる。

で、やっぱり、恋愛心理は怖い。

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須賀しのぶ『また、桜の国で』(祥伝社文庫 2019年12月20日)

2021-02-07 09:54:02 | 国内・小説

2016年に単行本化されている作品。直木賞候補になっている。
前年に発表した小説が『革命前夜』だ。
『革命前夜』がベルリンの壁崩壊の時期を東ドイツの側から描いたのに対して、
この小説は1939年ドイツ軍のポーランド侵攻に始まる第二次世界大戦をポーランド側から描いた作品だ。
主人公は外務書記生としてポーランド日本大使館に赴任する棚倉慎。彼は父がロシア人である。
この主人公だけではなく、登場人物たちはそれぞれの暮らす国と自身の民族性の間で、
自らの祖国とはという問題を抱えている。
その彼ら、彼女らが、ナチス・ドイツそしてソ連と抗う。
自由を、人間の尊厳を、そして押しつけられた愛国心ではない祖国への思いを手にするために。
とにかく面白い。東ヨーロッパからの視点に引き込まれた。
ショパンの国ポーランド、平原の国ポーランド、そして平原であるがゆえに常に国境線が脅かされ、
歴史的に地図から国が消える国。ドイツの蹂躙のあと、ソ連の占領下で戦後が訪れなかった国。
その中で、「信頼」「義」「憎悪や復讐ではない戦い」「国家とは」
「武器の戦いと武器を使わない戦い」「戦争と暴力」などなどが描かれていく。

「ロシアとドイツ、オーストリア、周囲の強国に食い荒らされ、地図から消えたことのある国。
そうした国から見える世界は、今まで我々が見てきたものとはまるでちがうことだろう。
そしておそらくは、それこそが、最も正直な世界の姿なのだと思う」
そう、強国や覇権国家から語られるグローバル化や国際社会に対して、
世界の多様性はそんなくくり方をされるものでない。

「濫用される時は必ず、言葉は正しい使い方をされていない」
これは「武士道」や「大和魂」が歪められていることへの棚倉のことばだ。
このことばで日本では愛国心が搾取されていった。それはさまざま国でもそうであり、
現在も、濫用される言葉がいくつもいくつもあるのだ。
どこぞの首相と元首相が「多様性」を使ってとんでもない暴言、暴挙をやってしまっているが。

歴史は現在との対話であり、歴史はすべからく現代史であるとすれば、
小説で描かれる歴史は、今、この現在を問う力を持っている。
須賀しのぶのこの小説も、そんな小説だった。

『また、桜の国で』という書名もよかった。
そして、ソメイヨシノではない桜という、桜の種類へのさりげない言葉もよかった。
確か、小林秀雄は山桜が桜だと言っていたと思う。

この小説読んでいる間に、ショパンのエチュード、ポロネーズ、スケルツォをよく流した。

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