パオと高床

あこがれの移動と定住

吉田秀和『永遠の故郷 夜』(集英社 2008年2月5日)

2021-11-21 19:54:01 | 国内・エッセイ・評論

再読する。
というのも、リヒャルト・シュトラウスの歌曲「最後の四つの歌」のCDを図書館で借りたからで、
その時に、あっ、そうだと思い出したのだ、この本を。時間を越えてやってくる思い。
『永遠の故郷』シリーズは、音楽が共にあって、これからも音楽が流れつづける時間の中にいるはずなのだが、
いつか訪れてしまう時間の終焉に、でもそれでも、時間が流れつづけるように音楽はそこにあり、あるはずで、
という、そんな音楽への思いを滲ませている。
あのときボクはこの曲を聴いていたなとか、口ずさんでいたなとか、それは、これまでの膨大に積み重なった時間なのだけれど、
一瞬でもあって、そこにはたくさんの思いが漂っていて、でも、いつか音は止まるのだろうか、
いやそれでも、死が訪れても、音は実はあたりまえに流れ続けていって。
だが、やはり、そこでは音楽は消えていき、消えていきながら、その音楽の流れた時間は、記憶は、
それも薄れながらも消えていくようで、なくしそうで、そんな心のふるえが、旋律のように、音のように
空気のふるえに、ゆれになるのだろうな。

吉田秀和の『永遠の故郷』シリーズは、文章自体が音楽のようだ。
自在さや愉しさ、なんだか切ない感じとか、強靱さとか、そんなものがある。

大井浩一『大岡信—架橋する詩人』(岩波新書 2021年7月20日)

2021-10-03 10:36:14 | 国内・エッセイ・評論
何人も何人も、誰でも彼でも、この人を知らずにいたら残念だ、この人の本を読まずにいたら大きな欠落だ
と思える人がいるもので、大岡信もそんな人の一人だ、と思わせてくれた一冊。
大岡没後1年の2018年から21年まで毎日新聞文化面で月1回計33回連載された「大岡信と戦後日本」を
大幅に加筆修正した一冊であると「はしがき」に記されている。 
「架橋する詩人」という副題にそった、明確な角度を持った大岡信入門書であり、現代詩や現代社会、
現在の文化状況への問いかけを持っている。

大岡の著書『うたげと孤心』に代表される、彼の、個の創造力とその個が他者を受けいれることで生まれる
開かれた創造の場を求める活動を、大井浩一は追っていく。著作の「あとがき」などで表された大岡の心を記述し、
一方ではより多くの彼の詩を紹介しようとしている。 
詩の一節を抜くのは、詩の全体から考えれば難しいことである。だが、逆に抜き出された数行が、
詩人が使おうとした言葉への敬意と畏れを伝えてくる。
また、彼が詩人としてどのように言葉を歌わせたかったかが感じられるようだった。
この本を読みながら、パラパラと大岡信の詩を読み、『折々のうた』のいくつかを読んでみようという気持になった。
ちょうど『折々のうた 選』も出ているし。

また、大井浩一は、現在のネット社会の中で、異論や意見を排除し、聞き易いもの、同調性の高いものだけを
受けいれていく社会行動に大きな危惧を抱いていることがわかる。
支持不支持が発熱するかのように起こる現状へのあやうさに対して、バランサーをどう取るか、感受性や知性は
どうあったらいいのかを探っている。大岡信を論じたいと彼が思った強い動機が、そこに感じられる。
「架橋する」「合わす」「唱和」といったことばの中で、その言葉にこめた希望が語られている。

大岡信の活動を知りながら、現代詩入門にもなり、現代詩の問題点もあぶり出そうとする。
と同時に文学が、文化が、時代が、どう動いてきたか、今どのような状況かへもアプローチしようとしながら、
しかもよく整理され、読みやすい本だった。

俵万智『牧水の恋』(文藝春秋2018年8月30日刊)

2021-02-24 08:26:40 | 国内・エッセイ・評論

面白くて怖い評伝。
歌人若山牧水と小枝子の関係を追った一冊。
証言などを交えた資料と牧水の短歌から、二人の恋の顛末を描きだしていく。
スリリングでミステリーのようだ。

短歌を読み、そこから何が読みだせるかを俵万智が語っていく。
有名なあの歌の背景にはこんな日々が、こんな思いがあったのかと知ることができる。
引かれた短歌について書かれた鑑賞は楽しいし、ああ、そうかと納得させられながらも、
うわっ、こわっ、と思える心理分析も入ってくる。恋愛心理への洞察力にも驚かされる。
牧水自身が、驚きながら、そうか、確かになぁと呟きそうだし、
ええっ!そこまで語ってくれるなよ、
おれの気持ちってこんなだったのかと自身の無意識に気づかされそう。
で、あの時小枝子はそんなことまで思っていたのかと、むしろ牧水の純情(?)が、
果てなむ国へ行くかも。

さらに、すごいのは、俵万智が『サラダ記念日』当時の自らの短歌と牧水の短歌との関係を
客観的に描きだしているところだ。
ああ、こんなふうに自身を見つめる自分の目があるのだと感心させられる。
これがこの歌人の作品を支えているのだと思った。

牧水と小枝子との関係、牧水と俵万智自身との関係を描きながら、
それを通して俵万智そのひとの思いまでもが筆致の中に潜んでいるようだ。
語り口は、古典の素養を背景に口語短歌を牽引している歌人らしく、書き言葉と話体が折り合い、
関西人の突っ込みも交えながら、評論口調とエッセイが仲むつまじく手を携えていて読みやすい。
随所の決めフレーズの余韻も愉しめる。

で、やっぱり、恋愛心理は怖い。


岡田暁生『音楽の危機 《第9》が歌えなくなった日』(中公新書 2020年9月25日発行)

2020-11-28 09:03:00 | 国内・エッセイ・評論

コンサートがことごとく中止になる現況の中で書かれた一冊。
コンサート会場は「空気」が流れ、「気配」を感じ、共有化する空間であると語る著者は、
今の危機的状況の中で音楽を巡る思考を展開する。
バッハから現代音楽まで、音楽がどのようにコンサート形式を確立してきたか、それによって
築かれた現在の音楽の価値観と形態がどのようなもので、どんな意味を持っているかを岡田は
自身の熱量を抑制するようにして綴っていく。
教会や宮廷で演奏される職人として扱われた作曲家が、近代の中で職人から芸術家へと変わる。
発表の場がコンサートへと移り変わる中で、広がっていく聴衆と商業性に支えられながら、
コンサートはさらにイベント、興業としての性格を強固としていく。
その中で今、ボクたちが常識と考えていた音楽の享受の仕方が確立されていた、
確立されたはずであった、のが、今、危機にある。
はたして、何もかもネット配信リモートで済ませられるものなのか? 
録音された音楽「録楽」と生の「音楽」には違いがあるのではないか? 
と問いながら、岡田は、では、その「音楽」を享受するためにどのような方法、
どのような未来があるのかを探索する。
音楽が受けた、第一次世界大戦下などの歴史的な危機なども引きながら、今、この状況との違いにも言及する。
この状況は異常であって、以前に戻れるのだろうか。この状況が常態化することはないのだろうか。
それはわからない。ただ、この、今は、これまでの形態への問いを発するときであることに間違いはないのだろう。
その時に、あつらえられていく流れがあるとすれば、それをどう疑い、問うていくか。
そんなことを考えさせられた一冊だった。
そのジャンルが持つ歴史的な径路を見つめ、自分たちには何がもたらされ、そこに何を感じ、
そこからどんな楽しみを得てきたかを考える。
それが思考の原点であり、試行の出発点だということを、岡田暁生が現在の中で書きあげた、この一冊は、
実践している。

交響曲のフィナーレを巡る箇所は面白かった。
最後を盛り上げる終わり方には、沈黙恐怖つまり死への恐怖があるとする言及や、
逆に静かに終わる「未完成交響曲」や「悲愴」、マーラー9番などは諦念型であり、
バッハなどの静かな終わりの帰依型とは違うという指摘。
そこには神への信頼の有無があるという見識は、あっ、そうか、なるほど、うんうんと肯いてしまった。
進化史観、右肩あがりという近代の物語が終焉したあとも、なお《第9》は魅力的である。
その魅力とあやうさへの記述も、第9の辿った歴史ともども面白かった。

本書にも書かれているが、曲が終わった後に「ブラヴォー」と声をかけられる時はいつ来るのか、来るだろうか。
もし、発せられるときが来たとしてその時、聴く曲は何なのだろう。
どこぞの「元」大統領のような思考なら、勝利の凱歌なのだろうな。

松尾亮太『考えるナメクジ』(さくら舎2020年5月24日)

2020-09-26 01:04:17 | 国内・エッセイ・評論

副題は「人間をしのぐ驚異の脳機能」という。
ナメクジの学習能力や脳の再生力、繁殖力や五感、DNAの増殖力などが語られている一冊。
いやいや、生きものというものは生きるための知恵を備えているものだと改めて感じた。

ナメクジ、唐突に現れて、いつのまにかそこにいて、はっきり言って苦手な存在だが、その生態を語られると面白い。
そもそも、その研究者がいることがやはり、研究家とはすごいものだ。
読み終わって、もう一度中表紙のナメクジの振り向きに至る三枚の写真を見ると、何だか一瞬かわいく見えてしまう。
もちろん、一瞬だけれど。

そういえば、「ウルトラQ」ではナメゴンという巨大ナメクジが現れた回があった。
パトリシア・ハイ・スミスの小説はカタツムリだった。ナメクジとは違うし、この本の著者もカタツムリとナメクジの
一般的な人気の違いから語り始めている。ただ、各章の扉のナメクジの絵や柱に描かれているナメクジはユーモラスで
思わず笑える。
そう、この本の「はじめに」に書かれているように、
「ヒトとはまったく違うロジックで働き、それでいて非常にすぐれた彼らの脳機能」に触れるのは、楽しく、
「万物の霊長たるヒトの脳は、なにもすべての動物が目指すべき頂点ではなく、この世界を生き抜くための
単なるひとつの形にすぎない、ということも同時に感じていただければうれしく思います」を感じることができて、
うれしく思えた一冊だった。