今日、私の祖母が他界しました。天寿108歳の大往生でした。
今年の年頭に茨城県磯原市にある老人介護施設まで行って見舞った時から…いや、正確には数年前から、いつかこの日が来ることを薄々感じながら過ごしていました。しかし、いざそのXデーが来てみると、ショックなどという言葉では表せない、自分をえぐり取られるような喪失感に苛まれています。
何しろ、自分がこの世に生を受けてから40年以上もの間、当たり前のように存在していたものが、忽然と自分の前から姿を消したのです。この喪失感は並大抵ではありません。祖母は私だけでなく、恐らくは一族にとっても精神的支柱でした。祖母がいるから繋がれる、祖母がいるから安心できる…そんな《大黒柱》的な存在でした。
それ故に、祖母には申し訳ありませんでしたが、その存在がいつか無くなることに対して、言いようのない不安感を抱いていました。そして正に今日、その日を迎えてしまったのであります。
もう、何も手に着きません。本来なら孫として何かしなければならないのですが、茨城在住の一族郎党に全てを任せて、止まらぬ涙の中で呆然としています。
そんな中、今の私にできること、それは、いい音楽を祖母に贈ることくらいです。せめてもの野辺送りに、ブラームスの交響曲第3番第3楽章を送ろうと思います。
そんなわけで、現在ブログをまめに更新できるような精神状態でもないため、暫くは更新が滞りがちになるかと思います。ご容赦下さい。
合掌。
3rd Movement of Symphony No. 3 (Live) — Brahms
今年の年頭に茨城県磯原市にある老人介護施設まで行って見舞った時から…いや、正確には数年前から、いつかこの日が来ることを薄々感じながら過ごしていました。しかし、いざそのXデーが来てみると、ショックなどという言葉では表せない、自分をえぐり取られるような喪失感に苛まれています。
何しろ、自分がこの世に生を受けてから40年以上もの間、当たり前のように存在していたものが、忽然と自分の前から姿を消したのです。この喪失感は並大抵ではありません。祖母は私だけでなく、恐らくは一族にとっても精神的支柱でした。祖母がいるから繋がれる、祖母がいるから安心できる…そんな《大黒柱》的な存在でした。
それ故に、祖母には申し訳ありませんでしたが、その存在がいつか無くなることに対して、言いようのない不安感を抱いていました。そして正に今日、その日を迎えてしまったのであります。
もう、何も手に着きません。本来なら孫として何かしなければならないのですが、茨城在住の一族郎党に全てを任せて、止まらぬ涙の中で呆然としています。
そんな中、今の私にできること、それは、いい音楽を祖母に贈ることくらいです。せめてもの野辺送りに、ブラームスの交響曲第3番第3楽章を送ろうと思います。
そんなわけで、現在ブログをまめに更新できるような精神状態でもないため、暫くは更新が滞りがちになるかと思います。ご容赦下さい。
合掌。
3rd Movement of Symphony No. 3 (Live) — Brahms