今日も日中は夏のような暑さに見舞われました。なかなか長袖を出すきっかけが掴めませんが、そもそも今月中に長袖に袖を通す日が来るのでしょうか…。
ところで、今日10月9日はサン=サーンスの誕生日です。
シャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835〜1921)は、フランスの作曲家、ピアニスト、オルガニストです。幼少期は神童と呼ばれていたようで、なんと2歳でピアノを弾き、3歳で作曲をし、10歳でバッハ・モーツァルト・ベートーヴェンといった巨匠たちの作品のピアノ作品の演奏会を開き、16歳で最初の交響曲を書きあげたといいますから驚きです。
1848年に13歳でパリ音楽院に入学して作曲とオルガンを学びました。特にオルガンの即興演奏に素晴らしい腕を見せ、1857年から1877年にかけ、当時のパリのオルガニストの最高峰といわれたパリ・マドレーヌ教会のオルガニストを務めました。
サン=サーンスは作曲家、ピアニスト、オルガニスト、指揮者として国際的に活躍しましたが、パリでは長い間その作品に反対する意見が多かったようです。その状況がはっきりと変わるのは、1881年にアカデミー会員に選出され、1883年作曲の歌劇《ヘンリー八世》の初演が大成功を収めるころのことでした。
1892年にはイギリスのケンブリッジ大学から名誉博士号を贈られ、1913年の時はレジオン・ドヌール勲章の最高位であるグラン・クロワを贈呈されています。1921年、アルジェリアを旅行中に86歳の生涯を閉じ、葬儀は国葬で執り行われました。
サン=サーンスの作品には交響曲やピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲や《序奏とロンド・カプリチオーソ》、チェロの名曲『白鳥』を含む晩年の傑作《動物の謝肉祭》といった様々な作品がありますが、今日は歌劇《サムソンとデリラ》を採り上げてみようと思います。
《サムソンとデリラ》は、1877年に初演されたオペラです。
旧約聖書「士師記」の第13章から第16章にあるサムソンの物語をリブレットにしていることもあってかサン=サーンスのオペラのなかでも特に受け入れられるまでの障壁が大きいものでしたが、結果的にはもっとも長期にわたる成功をおさめ、13曲あるサン=サーンスのオペラの中で今日でも頻繁に上演される唯一の作品となっています。
このオペラの中で私が好きなのが第3幕第2場で、ヘブライの民を制圧したペリシテ人たちが勝利を祝うダゴンの寺院で踊られるバレエ音楽『バッカナール』で、いかにも東洋的なメロディの音楽が享楽的に熱狂していく様子が魅力です。ただ、オペラではこの華やかな場面の後、ペリシテ人たちの前に引き据えられたサムソンが
神殿の柱に手をかけて神殿を破壊し、ペリシテ人の大祭司やデリラもろとも下敷きになって終わってしまうのですが…。
この『バッカナール』は管楽器が活躍することもあって吹奏楽アレンジで演奏される機会も多く、吹奏楽コンクールの強豪校が自由曲に採り上げることもある人気の曲です。特に終盤の最高潮に達する場面では
ホルンがベルを大きく掲げるベルアップという技でメロディを奏でて熱狂的に音楽を締めくくるので、その見た目のカッコよさからも人気となっています。
そんなわけで、今日はニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で上演された歌劇《サムソンとデリラ》の中でのバレエ『バッカナール』の動画を転載してみました。エキゾチックに熱狂するオーケストラサウンドと、神殿内で踊るにはちょっと不道徳にも思えるくらいに官能的なバレエを御堪能ください。