未明の雨は朝までには上がり、日中はそこそこ暖かな陽気となりました。今日は1年生の子どもたちと外でドングリ拾いをしましたが、みんな競うようにドングリ探しに没頭していて、かなりの収穫をあげていました。
ところで今日10月26日は、イタリアバロックを代表する作曲家のひとりドメニコ・スカルラッティの誕生日です。
ジュゼッペ・ドメニコ・スカルラッティ(1685〜1757)はイタリアのナポリ出身の作曲家で、民族色豊かな鍵盤語法による多数のチェンバロのためのソナタや練習曲集によって今日でも知られています。
ドメニコ・スカルラッティはバッハ家やクープラン家と同様の音楽家の一族だったスカルラッティ家に、これまた有名な作曲家であったアレッサンドロ・スカルラッティ(1660〜1725)の10人兄弟の6番目の子として誕生しました。1701年、15歳の時にナポリの教会付き作曲家兼オルガン奏者に就任し、1709年からはローマに住んで、同地に当時亡命していたポーランド王妃マリー・カジミールの音楽監督の職を得ました。
スカルラッティは同い年のゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685〜1759)と存命中から著名な存在になったために、1709年のローマでヘンデルとチェンバロおよびオルガンの腕前を競い合ったという逸話が残されています。因みにチェンバロの勝負は両者引き分けだったものの、オルガンの勝負ではスカルラッティが先にヘンデルの演奏を聴いただけで自分の負けを認めた…といわれていますが、現在ではこの勝負の逸話は作り話であるとされています。
1719年にポルトガル王ジョアン5世から王室礼拝堂の音楽監督に任命されたスカルラッティはリスボンに赴き、王の兄弟であるドン・アフォンソおよびマリア・マグダレーナ・バルバラ王女に音楽を教えました。1729年にはマリア・バルバラがスペイン王家の王妃となるべく王太子フェルナンドに嫁いだためマドリードへ同行し、1757年にマドリードで没しました。
ドメニコ・スカルラッティは500曲以上という夥しい数のチェンバロのためのソナタを作曲しました。その中でも特にユニークなのが、俗に《猫のフーガ》と呼ばれて有名な曲です。
1738年、ポルトガル王ジョアン5世はスカルラッティをサンティアゴ騎士団の騎士に叙しました。それに応えるようにスカルラッティは最初のソナタ集である《チェンバロ練習曲集》を出版し、ジョアン5世に献呈しました。スカルラッティの名声はこの曲集によってヨーロッパ中に広がりましたが、その曲集の最後に収録されている曲が《猫のフーガ》です。
《猫のフーガ》という通称は、スカルラッティの飼っていた猫がチェンバロの鍵盤の上を横切る癖があって、この猫の『即興演奏(笑)』の中から1つのフレーズをスカルラッティが書き出してフーガの主要モチーフとして使用した…という伝説に基づいています。この伝説が実話かどうかは定かでは無いようですが、
ソ・シ♭・ミ♭・ファ♯・シ♭・ド♯という若干不自然な飛び方をする音形が、如何にも猫が鍵盤上を歩いて音を出している光景を微笑ましく想起させるものとなっています。
そんなわけでドメニコ・スカルラッティの誕生日である今日は、彼の名曲(?)のひとつである《猫のフーガ》をお楽しみください。