今日も日中は真夏日となりました。本格的な夏を迎える前にこんな暑さになってしまったら、7月や8月はどうなってしまうのでしょうか…?
ところで、今日6月17日はストラヴィンスキーの誕生日です。
イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(1882〜1971)は、ロシアの作曲家です。
ストラヴィンスキーについては4月の祥月命日の時にいろいろと書いてしまいましたが、ごく簡単にあらためて。
父親がマリインスキー劇場のバス歌手だったストラヴィンスキーは法律を学ぶために大学に入学しますが、路線変更してリムスキー=コルサコフに作曲を師事しました。そしてロシアバレエ団(バレエ・リュス)のセルゲイ・ディアギレフに認められて1910年に初演したのがバレエ《火の鳥》でした。これが大成功し、続く1911年に初演したバレエ《ペトルーシュカ》も好評を博しました。
ところが、1913年に初演されたバレエ三部作最後の作品である《春の祭典》では、バレエ・リュスの花形ダンサーで振付師のヴァーツラフ・ニジンスキー(1890〜1950)の振付も相俟ってスキャンダルともいえる大論争を巻き起こし、それとともにストラヴィンスキーは一躍時代の寵児となったのでした。因みにニジンスキーは、ドビュッシーのバレエ版《牧神の午後への前奏曲》の振付でも論争を巻き起こすこととなります。
さて、そんなストラヴィンスキーの誕生日である今日は《ダンバートン・オークス》をご紹介しようと思います。《室内オーケストラのための協奏曲 変ホ長調『ダンバートン・オークス』》は、ストラヴィンスキーが作曲した室内楽編成の協奏曲です。
1937年にバレエ《カルタ遊び》の初演のためにアメリカ合衆国を訪れていたストラヴィンスキーは、ワシントンD.C.在住の政治家ロバート・ウッズ・ブリス夫妻から、自身の結婚30年の祝賀音楽として依嘱されました。ブリス夫妻は有名な芸術家のパトロンで、ワシントンD.C.のジョージタウン地区にあるハーバード大学所属の研究機関で研究図書館および博物館と庭園から構成されるダンバートン・オークスの住居は、
ブリス夫妻の邸宅と優れた庭園によっても知られていました。
《ダンバートン・オークス》は1937年から1938年にかけて、スイス・ジュネーヴ近郊のアンヌマスで作曲されました。この曲は、ストラヴィンスキーがアメリカに移住する前のヨーロッパ時代に完成させた最後の作品でもあります。
《ダンバートン・オークス》は1938年に、ストラヴィンスキーの崇拝者を自認していた高名な音楽教師で指揮者のナディア・ブーランジェが、作曲者自身の招請により、5月8日にワシントンDCにおいて初演を指揮しました(ただ、当時ストラヴィンスキーは結核のため療養中で、世界初演に立ち会うことはできませんでした)。ストラヴィンスキー自身による演奏は、ワシントンDCでの初演の10年後の1947年に、ダンバートン・オークスで行われました。
《ダンバートン・オークス》は1972年6月23日にはニューヨーク・シティ・バレエ団によってバレエとして初演され、ストラヴィンスキー本人が2台ピアノ版を作成したほか、レイフ・ティボが1952年にオルガン用の編曲を行いました。ストラヴィンスキーによる自筆譜は、ワシントンDCのダンバートン・オークス研究所附属図書館の稀書コレクションに収蔵されています。
《ダンバートン・オークス》は『擬似バロック様式の合奏協奏曲』という発想で作曲されています。編成はフルート1、クラリネット1、ファゴット1、ホルン2、ヴァイオリン3、ヴィオラ3、チェロ2、コントラバス2という変則的な室内オーケストラです。
作曲にあたってストラヴィンスキーはバッハの《ブランデンブルク協奏曲》に触発されていました。上声を担当するヴァイオリンとヴィオラが3台ずつという編成も《ブランデンブルク協奏曲第3番》に由来していますし、とりわけ第3楽章の多声的な書法にバッハからの影響が顕著に表れています。
かつて私もこの曲を演奏したことがありますが、その時に思ったのはかなりの比率でヴィオラが活躍する作品だということです。第1楽章や第2楽章の冒頭部はヴィオラから始まりますし、それ以外の部分でもヴィオラがいい味を出していて
『ストラヴィンスキー、分かってるねぇ!』
と、ひとりでニヤニヤしていたことを覚えています(気持ち悪いわ…)。
そんなわけで、ストラヴィンスキーの誕生日である今日は《ダンバートン・オークス》をお聴きいただきたいと思います。作曲家自身の指揮による1954年の演奏で、ストラヴィンスキーの快活で愛らしい室内楽作品をお楽しみください。