今日は朝から曇りがちな、日差しの殆どない天候となりました。その分放射冷却がおきなかったためか、そこまで寒くはなりませんでした。
さて、今日11月28日は
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番変ホ長調《皇帝》が初演された日です。
ピアノ協奏曲第5番《皇帝》は、交響曲第5番《運命》や第6番《田園》などが発表された、いわゆる『傑作の森』といわれている時期に生み出された作品の一つです。ナポレオン率いるフランス軍によってウィーンが占領される前後に手がけられ、ベートーヴェンが生涯に完成させたオリジナルのピアノ協奏曲全5曲の中では最後となる作品です。
ベートーヴェンが《皇帝》のスケッチに着手1808年12月末頃のことでした。折しもスケッチに取り組んでいる最中にあった1809年にナポレオン率いるフランス軍がウィーンを完全包囲し、オーストリア皇帝の居城シェーンブルン宮殿を占拠しました。
これに対してカール大公率いるオーストリア軍は奮戦しましたがフランス軍の勢いを止める事は出来ず、遂にウィーン中心部を砲撃された挙げ句にフランス軍によるウィーン入城を許してしまいました。その後フランスとオーストリア両軍の間で休戦協定が結ばれましたが、当時のオーストリア皇帝フランツを初め、ベートーヴェンを支援してきたルドルフ大公を初めとする貴族たちもこぞって国外へ疎開してしまい、ウィーンに於けるベートーヴェンの音楽活動は半年近く絶たれ、収入も途絶えてしまうこととなりました。
その後《皇帝》は、総譜のスケッチを終えてから1年余りを経た1810年の11月に先ずロンドンのクレメンティ社から、更に翌年1811年の3月から4月にかけてはドイツのブライトコプフ・ウント・ヘルテル社からも出版されました。
初演については、先ず1811年1月13日に行われたロプコヴィツ侯爵宮殿での定期演奏会の中で、ベートーヴェンの弟子の一人で彼のパトロンの一人でもあるルドルフ大公の独奏により非公開で実施され、大公に献呈されました。その後、同年の今日11月28日にライプツィヒでのゲヴァントハウス演奏会に於いてヨハン・クリスティアン・フリードリヒ・シュナイダーの独奏による初めての公開初演が行われ、更に翌1812年2月12日にはウィーンのケルントナートーア劇場で、同じくベートーヴェンの弟子の一人であるカール・チェルニーの独奏によるウィーン初演が行われました。
1802年に自らの聴覚障害(難聴)を憂いていわゆる『ハイリゲンシュタットの遺書』を書いて以後もベートーヴェンが抱える難聴は悪化の一途を辿ってきていましたが、それでも前作の《ピアノ協奏曲第4番ト長調》までは何とか初演に際してベートーヴェン自らが独奏ピアノを務めていました。しかし、《皇帝》の作曲の途上にもたらされたフランス軍による爆撃音はただでさえ進行中だったベートーヴェンの難聴をより重症化させてしまったようで、遂にはこの曲の初演に自身がピアノ独奏者として関わることを諦め、初めて他のピアニストに委ねることになりました。
因みに《皇帝》という通称はベートーヴェンがつけたものではありません。ベートーヴェンとほぼ同世代の作曲家兼ピアニストであり、楽譜出版などの事業も手がけていたヨハン・バプティスト・クラーマーがこの曲から抱いた雄渾壮大とか威風堂々といった印象から付けたものといわれていて、ベートーヴェンの死後に英語圏を中心として定着したものです。
ただ、この壮大な《皇帝》の初演は不評に終わってしまい、その影響からかベートーヴェンの存命中に二度と演奏されることはなく、その後にベートーヴェンが新たにピアノ協奏曲を書き上げることもありませんでした。この曲がベートーヴェンの名曲の一つに数えられるに至ったのは、後年フランツ・リストが好んで演奏したところからといわれています。
そんなわけで、今日はベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番《皇帝》をお聴きいただきたいと思います。ベートーヴェンならではの壮大な世界観を、20世紀の巨匠のひとりであるアルテュール・ルービンシュタインによるライブ画像でお楽しみください。