今日も暑い一日でした。さすがに湿気た30℃超えはしんどいですね…。
さて、今日は自宅で生徒とオンラインレッスンをしていました。最近手掛けているのは、ヴァイオリンを習っている人なら一度は通る道であるヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集《調和の霊感』作品3から第6番イ短調です。
ヴェネツィアの教会で司祭として奉職していたヴィヴァルディが、教会に併設されていたピエタという捨子養育院の子供たちに演奏を教え、運営資金を得るための慈善演奏会を開催させることを目的として作られたのが全12曲から成るヴァイオリン協奏曲集《調和の霊感》で、教本に掲載されているのはその中の6曲目です。元来が子供たちの教育を目的として作曲されていることもあって、12曲全てが中級程度の技術で演奏できるように書かれています。これは、実は凄いことなのです。
聴き映えのするヴァイオリンの曲を作ろうと思えば、よりハイポジションのパッセージを散りばめてキラキラした音楽にすればいいわけです。ところがこの《調和の霊感》や、以前紹介したモーツァルトの《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》といった今やクラシック音楽の超メジャー曲はそうしたハイポジションはなりを潜め、どんなに高い音でも加線三本上のミまでしか使っていないのです。しかしそれがかえって人間の耳に心地良い音域の作品となり、結果的に長く愛聴される名作として今日まで残ったと言えるのかも知れません。
クラシック音楽好きの中にはヴィヴァルディが嫌いだという方がいらっしゃいます。彼等の言い分をきいていると
「ヴィヴァルディの音楽はどれを聞いても同じようなものばかり。」
とか、中には
「ヴィヴァルディは一つのメロディを1000通りに書き分けただけだ。」
という皮肉を仰る方までおられます。
確かにヴィヴァルディの音楽には一定のパターンのようなものがあり、たとえ知らない曲でも
「なんかこの曲ヴィヴァルディっぽい。」
と思わされることがあります。でも聴いただけで聴き手に『ヴィヴァルディ節』のようなものを思い起こさせてしまうということは、考えようによっては物凄いことではないでしょうか。
「一つのメロディを1000通りに書き分けただけ。」
と言われている皮肉についても
「一つのメロディを1000通りに書き分ける技量とセンスを持ち合わせていた。」
と考えれば、それはそれで驚異的なこととも言えると思うのです。
この作品3の6は、軽いバスの上にハキハキとしたメロディが紡がれる第1楽章、まるでヴェネツィアの美しい月夜のような第2楽章、限られた音域の中で遺憾なく演奏技巧を聴かせる第3楽章と、大変優れたつくりとなっています。できることならば、もっと多くの方に聴いて知って頂きたい名作です。
そういうことで、今日はその《調和の霊感》を全楽章お聴き頂きたいと思います。これを聴いて、ヴィヴァルディは《四季》だけじゃない!ということを実感して頂ければ幸いです。
因みに動画に付けられている眉目秀麗なヴィヴァルディの肖像画は、本当に本人を描いたものかどうかは不明なようです。より本人に近いのは
晩年に描かれたというこのカリカチュアの方のようです。蛇足ながら…。