今日は勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室の日てした。今月はそこで《おさるのかごや》を歌わせていますが、その絡みで今回は小田原の名産品について子どもたちに話をすることになりました。
先ずは何を置いても
《おさるのかごや》にも登場する小田原提灯です。この提灯はコンパクトに畳めることで旅行の携帯用として重宝されていただけでなく、木部に大雄山最乗寺の霊験あらたかな木を使っていることで、これを使えば旅の道中で狐や狸に化かされないというふれこみでも有名になりました。
また、小田原の名産品といえば
蒲鉾です。小田原には鈴廣や籠清という老舗がありますが、鈴廣では最近
こんなパンダ柄の蒲鉾や
プラレールやトミカのミニカーをモチーフにしたユニークな柄の蒲鉾も販売されています。
蒲鉾です。小田原には鈴廣や籠清という老舗がありますが、鈴廣では最近
こんなパンダ柄の蒲鉾や
プラレールやトミカのミニカーをモチーフにしたユニークな柄の蒲鉾も販売されています。
そして、
干物も忘れてはいけません。アジやカマス、ホッケに金目鯛といった様々な干物が製造販売されていて、私も時々買って帰っています。
干物も忘れてはいけません。アジやカマス、ホッケに金目鯛といった様々な干物が製造販売されていて、私も時々買って帰っています。
また曽我梅林の梅が有名で、その梅から採れた実を使った
梅干しも名産品です。昨今は蜂蜜漬けにした甘い梅干しが幅を利かせていますが、小田原ちん里うの梅干しは昔ながらの酸っぱい梅干しです。
梅干しも名産品です。昨今は蜂蜜漬けにした甘い梅干しが幅を利かせていますが、小田原ちん里うの梅干しは昔ながらの酸っぱい梅干しです。
また、あまり知られていないものとして『小田原漆器』があります。通常漆器というと会津塗や輪島塗のように
朱漆や黒漆を塗布して木地を見せないものですが、小田原漆器は
かなりの薄付きで、木目が透けて見えるのが特徴です。
そして、忘れてならないのが『小田原鋳物』です。
小田原鋳物の起源は
【天文3年(1534年)に河内国(現大阪府)から来住した山田治郎左衛門が鋳物業を開いたことが始まりである】
と、幕末に編集された『新編相模国風土記稿』に記されています。現在小田原で製作されている小田原鋳物は、貞享3年(1686年)に大久保氏に従属し、国替により大久保氏とともに小田原鍋町(現小田原市浜町付近)へ移り住んで鋳物業を営んだ柏木家がただ一件だけ伝統を引き継ぎ、
『柏木美術鋳物研究所』という工房で製作を続けています。
現在は風鈴や振鈴などの鳴物や仏壇のおりん、花瓶など花を飾る花器などの製造販売が主流となっています。その中でも「鳴り物」としての評判は高く、一つ一つ音にこだわり作られています。
小田原風鈴には大きく分けて、真鍮製と砂張製の二種類があります。
銅と亜鉛との合金である真鍮を使った風鈴には、
鈴虫風鈴(写真)や松虫風鈴といったものがあります。これらの風鈴は甲高い音がするのが特徴で、リンリンというよりキンキンという感じの音色がします。
そしてもう一つが、『砂張(さはり)』という銅と錫の合金を使った
『小田原御殿風鈴』です。この風鈴は雑音が少なく純度の高い美しい音色と、圧倒的な余韻の長さが特徴です。
かつて黒澤明監督が映画《赤ひげ》を撮影中に、
「日本一の音のする風鈴を探してこい」
と命ぜられた助監督が日本全国の風鈴を片っ端から集めて検討した結果、黒澤監督からGOサインが出たのがこの小田原御殿風鈴でした。そして、
映画の縁日のシーンでおびただしい数の小田原御殿風鈴が使われ、大変印象的な場面となっています。
そんな話をしながら、自宅から持参した一般的な鉄製風鈴と小田原鈴虫風鈴と小田原御殿風鈴を子どもたちの前で鳴らして聴き比べをさせました。子どもたちはそれらの音色の違いに耳を傾けていましたが、やはり御殿風鈴の音色の美しさと余韻の長さへの反応はなかなかのものでした。
この小田原御殿風鈴、砂張という合金で作られているが故に大変美しい音がするのですが、一方で砂張という合金を使っているが故に衝撃に弱いという一面があります。硬い床に落としたりしてしまうと金属にもかかわらず割れてしまって二度と音がしなくなってしまうため、運搬には細心の注意を要します。
いやらしい話、そんな壊れやすい小田原御殿風鈴は一個10000円ちょっとするものなので、無事に自宅に持ち帰るということが今日の私の最大ミッションとなっていました。子どもたちにも音色は聴かせましたが、落とされたら大変なので絶対に触らせませんでした(汗)。
小学校から決して遠くないところに研究所があるにもかかわらず、子どもたちは誰もそんな場所があるということを知りませんでした。地元民にしたらそんなものなのかも知れませんが、これを機に小田原の子どもたちがこうした地元の希少な伝統工芸に興味をもってくれたら幸いです。