長かった夏休みを終えて、今日から小田原市内の小中学校がスタートしました。今日の全校朝会で、今日は関東大震災があった日であることが話され、子どもたちに自然災害の恐ろしさと心構えの大切さが伝えられました。
今からちょうど100年前の1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東大震災が発生しました。震源は
●相模湾中部
●伊豆大島付近
●山梨県河口湖付近
●神奈川県北西部内陸
と見解が分かれているものの、地震の規模を表すマグニチュードは7.9、小田原でも震度6を観測しました。
写真は当時の小田原駅付近のものですが、建物の一階部分がほぼ倒壊してしまっていることが分かります。『神奈川県震災誌』によると、小田原町では総人口約2万4千人のうち、実に1万1千余人が死傷したとあります。
相模湾では、海底に顕著な陥没と隆起を生じました。小田原海岸は地震によって約6尺(1.8m)もの高さが海底から隆起し、堤防の外に約30間(54.5m)もの砂浜が生じたといいます。
根府川では山津波(土砂崩れ)が起きて部落が埋没し、付近の海岸で遊泳していた児童数十人が海へ押し出されて行方不明となりました。熱海線の小田原発真鶴行きの列車が根府川駅構内にさしかかった時に地滑りがおきて、列車が停車場の地盤ごと海へ落ちたりもしました。
また当時、小田原町小峰(城山)の小田原城址内にあった閑院宮(かんいんのみや)邸には、閑院宮戴仁親王、同智恵子妃殿下、同寛子女王、同華子女王が滞在しておられましたが、寛子女王が倒れた建物の下敷きになって死亡しました(享年21)。今でも
小田原城址公園南側の石垣は崩れたままになっていて、当時の震災被害の凄まじさを物語っています。
未曾有の震災からちょうど100年後に生きているというのも、なかなかレアなことではあります。いつか起こるとされている南海トラフ巨大地震への警戒が呼びかけられている昨今、現在に生きる我々が100年前の災害から学ぶべきことは少なくありません。