共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

最強の護符!岩手平泉・達谷窟毘沙門堂牛玉寳印

2020年03月31日 23時56分00秒 | 神社仏閣
昨日のことですが、かつての教え子のお宅から御招待を受けて出かけました。中学2年生まで続けて、高校受験のために退会した子も既に高校2年生、そして、かつて小ちゃかったその子の弟クンが何とこの春から高校生になるということで、お祝いも兼ねての食事会をすることになったのです。

互いの生存無事を確認しながら積もる話に花を咲かせていた時に、この御札を頂きました。これは岩手県平泉にある《達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂》というところで下賜される『牛玉寳印(ごおうほういん)』という護符、つまり御札です。

世界遺産としても有名な平泉中尊寺から約6km程離れたところに、この毘沙門堂があります。

かつて平安初期頃まで、東北地方における中央政権の統治は白河関(現在の福島県白河市)辺りまでに留まっており、そこから先の奥州は中央政権から蝦夷(えぞ)と呼ばれていた地方豪族達の支配下にありました。そこで延暦20(801)年、桓武天皇の勅命を受けた坂上田村麻呂が奥州征伐に出兵して当時この辺りを統治していた阿弖流為(アテルイ)等と戦って勝利し、遂に奥州一帯を平定することとなりました。

田村麻呂はその戦勝に感謝して、この地の岩屋に



自身が京の都に建立した清水寺を模した九間四面の毘沙門堂を建て、108体の毘沙門天像を納めました。また、翌年の延暦21(802)年には天台宗・奥眞所上人を住職とする別當寺(神社に付属する寺)の達谷西光寺も建立されました。

現地に行くと、目にも鮮やかな丹色(にいろ)の建物が並びます。実は、こちらは完成してから幾時代かの間に、戦火や火災での堂宇の焼失と源頼朝や伊達政宗等の時の有力者からの寄進による再建とを繰り返しています。そして、現在の鮮やかな丹塗りの建物は昭和36(1961)年に再建された五代目のものです。

因みに、中に祀られている御本尊は高僧慈覚大師作と伝わる秘仏で、33年に一度だけ御開帳となります。因みに、次回の御開帳は何と2042年のことだそうです。

その達谷窟毘沙門堂で頂けるのが、先程の『牛玉寳印』です。これは毘沙門堂で新年元日から八日にかけて行われる修正会(しゅしょうえ)で一日に三度ずつ二十一座の加持祈祷を行った特製の護符で、蝦夷を平定し最初の征夷大将軍となった坂上田村麻呂の武運にあやかる『最強の御札』として有名になっています。

上の袋の中に



こうした護符が入っていて、これを神棚長押、または玄関に貼ることによって悪鬼を払い、福を招く御利益が得られると伝えられています。

ということで、我が家では



神棚長押に貼ってみました。

新型コロナウィルス騒動でいろいろと翻弄されがちな昨今ですが、これで我が家は最強の護符に護られることになりました。これからも疫病に罹患しないよう留意しながら、この護符の御神徳を有り難く享受させて頂こうと思います。

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