千束(せんぞく)稲荷、「千束」という地名は稲が千束も取れる田んぼがあったからとか、
平安期には既にこの名があったようで江戸の世になってここに吉原遊郭が移されました。
樋口一葉はこの近くに十ヶ月ばかり住んだことがあって
生活とか町の様子を書いたのが「たけくらべ」ですね。
ここのお稲荷さんは派手ですねぇ。
なぜ二の午の日にお祭りをやるのかというと、江戸時代には節分の前に初午の日がくることがあった、
いくらなんでもそれはまずいだろう、二回目の午の日にすれば節分の後になると決めたようです。
また、江戸時代の暦では正月の前に節分ということもあったようですね。
ここは若き日の樋口一葉がよく遊びに来ていた場所、
境内に胸像、ここから100mちょっとのところに一葉記念館があります。
今日みたいにお天気のいい日は目に痛いです、派手な幟。
ちょっとこわもてな感じ、樋口 夏(本名)さん。
碑に刻まれているのは「塵中日記」の一節、
「明日ハ鎮守なる千束神社の大祭なり 今妹は殊ににぎはしく
山車などをも出ると人々さわぐ 樋口 夏」 (自筆)
横顔はいかにも明治の女性みたい、見たところ気が強かったのかな?なんて思ったり。
境内には神輿庫がありました、5月には大きなお祭りをやるらしい。
ただひたすら派手!。
キツネさん、目がチカチカしてきた・・・。
白梅、紅梅がちょうどいいくらいに咲いていて、いいねえ。
地口行灯を代表して一個だけ、分かりやすいやつをね。
「狐の豆いり」、、、元の文句は分かりますよね。♪
夜になって行灯に灯りがともるころ行ってみたかったんだけど
どうにも時間が取れない、こう見えてもいろいろ忙しいんですよ。
まあそのうちヒマになることもあるでしょう、
でも、そうなったら体が動かなくなっていた、、、。
2月19日 千束稲荷神社
平安期には既にこの名があったようで江戸の世になってここに吉原遊郭が移されました。
樋口一葉はこの近くに十ヶ月ばかり住んだことがあって
生活とか町の様子を書いたのが「たけくらべ」ですね。
ここのお稲荷さんは派手ですねぇ。
なぜ二の午の日にお祭りをやるのかというと、江戸時代には節分の前に初午の日がくることがあった、
いくらなんでもそれはまずいだろう、二回目の午の日にすれば節分の後になると決めたようです。
また、江戸時代の暦では正月の前に節分ということもあったようですね。
ここは若き日の樋口一葉がよく遊びに来ていた場所、
境内に胸像、ここから100mちょっとのところに一葉記念館があります。
今日みたいにお天気のいい日は目に痛いです、派手な幟。
ちょっとこわもてな感じ、樋口 夏(本名)さん。
碑に刻まれているのは「塵中日記」の一節、
「明日ハ鎮守なる千束神社の大祭なり 今妹は殊ににぎはしく
山車などをも出ると人々さわぐ 樋口 夏」 (自筆)
横顔はいかにも明治の女性みたい、見たところ気が強かったのかな?なんて思ったり。
境内には神輿庫がありました、5月には大きなお祭りをやるらしい。
ただひたすら派手!。
キツネさん、目がチカチカしてきた・・・。
白梅、紅梅がちょうどいいくらいに咲いていて、いいねえ。
地口行灯を代表して一個だけ、分かりやすいやつをね。
「狐の豆いり」、、、元の文句は分かりますよね。♪
夜になって行灯に灯りがともるころ行ってみたかったんだけど
どうにも時間が取れない、こう見えてもいろいろ忙しいんですよ。
まあそのうちヒマになることもあるでしょう、
でも、そうなったら体が動かなくなっていた、、、。
2月19日 千束稲荷神社