東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

芭蕉、奥州への旅立ちの地

2020-05-16 | 散歩
  芭蕉が奥の細道へと旅立ったのは元禄2年3月27日、
  今の暦に直すと5月16日とされています
  「行春や鳥啼魚の目は泪(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)」、
  初めての奥州行、不安と期待の旅立ちだったのでしょうね。


  

     毎日通っているところ日光街道の千住大橋、
     芭蕉は深川から舟でここまで来てここから陸路を奥州へ向かいました。
     ここに小さな小さな公園があって旅立ちの地を知らせています。




  

     滑り台があるので公園と分かる小さな公園「大橋公園」、
     職場への道のりの半分くらいなのでトイレ休憩とか一息ついたりしていますが。




  

     磨かれた御影石なので鏡みたい、
     己の姿が写らないように横からね。




  

     全行程約600里(2400キロメートル)、
     日数約150日間で東北・北陸を巡って元禄4年(1691年)に江戸に帰ったとあります。
     本州の半分くらいを廻ったんですね。




  

     私は「奥の細道」と書いているけど教科書では「おくのほそ道」と表記しているらしい。
     ここ千住とのかかわりがいろいろ書かれているけど
     右端が千住大橋、広重の「名所江戸百景 千住乃大はし」です。




  

     隅田川の護岸を超えてテラスへ降りてみましょう、
     船宿があって釣り船が係留されていました。
     芭蕉もこうしてここまで舟でやってきたのですね。




  

     護岸いっぱいに大書された記念の書、
     絵には与謝蕪村筆とありますね、これから2,400キロの旅に出ます。




  

     隅田川テラスもこの辺までくると見るべきものもなくただの水辺の散歩道、
     見てるとそこそこの人たちが散歩などしていました。
     ここで遊ぶのならまず大丈夫でしょうね。




  

     公園に帰ったらお母さんと来ていた子供が遊んでくれました。
     この滑り台かわいくて好きです、
     いろいろな公園にいろいろな滑り台があるけどこれは一番小さいのではないのかしらん。

     大橋を渡った向こう側の素戔嗚神社にも芭蕉旅立ちのコーナーがあります、
     境内にジオラマなどもあり記念碑も見られます、
     ちょっと戻った足立市場の近くにもやっぱり記念のコーナーなどがあって
     この近くは奥の細道の聖地となっています。
     江戸のころは今みたいに暑くはなかった、
     それこそ風薫る初夏、45歳の芭蕉はここから第一歩を踏み出したんですね。
     1988年、日本ペンクラブは5月16日を「旅の日」と決めました。

     いろいろ調べていたら芭蕉は私よりちょうど300年前に生まれたことが分かりました、
     昔なのか、つい先ごろなのかどっちなんでしょうね。

          data: EOS5DmarkⅡ/EF17-40 1:4。 撮影 5月10日 南千住・大橋公園
          
コメント (2)
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