国土安穏寺から数分、栗原氷川神社へ着きました。
何年か前、しばらく前に行ったときはピッカピカだったけど
久しぶりに行ったらそれなりに古びてきて風格が出たのかな。
鳥居のある辺りは広いけど神社そのものは村の鎮守様と言ったところですか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/f5/20a180ef1f244fa5362519526295665d.jpg)
栗原氷川神社。
御祭神:須佐之男命・誉田別命・天照大御神。
平安時代に源頼義が奥州東征の折にここで休憩したとの伝承がある。
すぐ近くには旧奥州街道が通っていたみたいで
奥州征伐の折り誰が立ち寄った、誰が休んだ、
誰が通ったなどとの伝承がいっぱいあるところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/5a/6962087e388040212c52103167e84c9b.jpg)
拝殿と狛犬。
まあ村の鎮守様という感じの拝殿ですね、
前を守るは一時代前の鄙びた狛犬、。
ほんの数十年前前まではこの地にお似合いだったのでしょうね、
今はすっかり開けてしまったけど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/30/8904da3075a538a8e22cee545320794b.jpg)
境内神社は稲荷神社。
拝殿の隣にはさらに鄙びた祠、
狛犬の代わりにコマ狐?の姿があるので説明はないけどお稲荷さんだね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/b3/e8c8361d653718b25b786e2aa9b00d0a.jpg)
拝殿などと比べると似つかわしくない大きさの神楽殿があった、
お祭りでは神楽など奉納されたのだろう。
江戸時代には「栗原村」の名称が定着している、
村人の楽しみだったに違いない。
この神社は近くの島根鷲神社が管理しているということなので
これも2,3分のところにあるそこへ行ってみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/0e/10b1717e860f3f1268c396d9b3ddf546.jpg)
島根鷲神社、祭神は日本武尊。
往古、入江の中で島の根の様に出た景勝地であったここは、
いろいろな神が船で上陸した場所とされ、
日本武尊が神々を尊び祀ったと伝えられる。
近くには数千年前の海岸の跡が残るとされているけど
素人が探しても分からない、誰かあり場所教えて。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/ec/a7be38be7386da1c28775c122f23c1e8.jpg)
ここにも富士があり島根富士と、
かわいい浅間神社の祠も祀られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/89/e268ff6f7fd10f5abab1ba263d5f1605.jpg)
先代の鳥居が残っていて享和二年の文字が見える。
材質は花崗岩、関東大震災で壊れたが
各部品は完全に残ったみたい。
享和二年(1802)、千住の石工が携わったとか。
年代、石工の明らかな遺構として貴重な鳥居だね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/bc/993c3589322fb4e565fdcdc915ae8d99.jpg)
島根鷲神社は"おおとり神社"、小規模ながらも酉の市も開かれ
その日は神楽殿で地元の高校生が島根囃子などを演奏したりも。
まあ今日は氷川神社が主役なのであまり触れないけど
田舎の神社の趣があっていいところです。
さて、その氷川神社まだまだあって折をみて訪ねたいですね。
舎人公園の近くにもあるのでこれから姿を見せるチョウトンボ、
きっと撮りに行くことだろうからその時にでも訪ねてみたいと思います。
data: EOS70D/EF17-40mm 1:4。 撮影 6月27日 栗原氷川神社と島根鷲神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/fe/d311615aab97358b39ecfae64c6acf25.png)
何年か前、しばらく前に行ったときはピッカピカだったけど
久しぶりに行ったらそれなりに古びてきて風格が出たのかな。
鳥居のある辺りは広いけど神社そのものは村の鎮守様と言ったところですか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/f5/20a180ef1f244fa5362519526295665d.jpg)
栗原氷川神社。
御祭神:須佐之男命・誉田別命・天照大御神。
平安時代に源頼義が奥州東征の折にここで休憩したとの伝承がある。
すぐ近くには旧奥州街道が通っていたみたいで
奥州征伐の折り誰が立ち寄った、誰が休んだ、
誰が通ったなどとの伝承がいっぱいあるところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/5a/6962087e388040212c52103167e84c9b.jpg)
拝殿と狛犬。
まあ村の鎮守様という感じの拝殿ですね、
前を守るは一時代前の鄙びた狛犬、。
ほんの数十年前前まではこの地にお似合いだったのでしょうね、
今はすっかり開けてしまったけど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/30/8904da3075a538a8e22cee545320794b.jpg)
境内神社は稲荷神社。
拝殿の隣にはさらに鄙びた祠、
狛犬の代わりにコマ狐?の姿があるので説明はないけどお稲荷さんだね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/b3/e8c8361d653718b25b786e2aa9b00d0a.jpg)
拝殿などと比べると似つかわしくない大きさの神楽殿があった、
お祭りでは神楽など奉納されたのだろう。
江戸時代には「栗原村」の名称が定着している、
村人の楽しみだったに違いない。
この神社は近くの島根鷲神社が管理しているということなので
これも2,3分のところにあるそこへ行ってみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/0e/10b1717e860f3f1268c396d9b3ddf546.jpg)
島根鷲神社、祭神は日本武尊。
往古、入江の中で島の根の様に出た景勝地であったここは、
いろいろな神が船で上陸した場所とされ、
日本武尊が神々を尊び祀ったと伝えられる。
近くには数千年前の海岸の跡が残るとされているけど
素人が探しても分からない、誰かあり場所教えて。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/ec/a7be38be7386da1c28775c122f23c1e8.jpg)
ここにも富士があり島根富士と、
かわいい浅間神社の祠も祀られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/89/e268ff6f7fd10f5abab1ba263d5f1605.jpg)
先代の鳥居が残っていて享和二年の文字が見える。
材質は花崗岩、関東大震災で壊れたが
各部品は完全に残ったみたい。
享和二年(1802)、千住の石工が携わったとか。
年代、石工の明らかな遺構として貴重な鳥居だね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/bc/993c3589322fb4e565fdcdc915ae8d99.jpg)
島根鷲神社は"おおとり神社"、小規模ながらも酉の市も開かれ
その日は神楽殿で地元の高校生が島根囃子などを演奏したりも。
まあ今日は氷川神社が主役なのであまり触れないけど
田舎の神社の趣があっていいところです。
さて、その氷川神社まだまだあって折をみて訪ねたいですね。
舎人公園の近くにもあるのでこれから姿を見せるチョウトンボ、
きっと撮りに行くことだろうからその時にでも訪ねてみたいと思います。
data: EOS70D/EF17-40mm 1:4。 撮影 6月27日 栗原氷川神社と島根鷲神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/fe/d311615aab97358b39ecfae64c6acf25.png)
江戸の頃の人は信心深かったんだね。
無信心なわたしなぞ、異端かもね。
猫も杓子も富士山へ、
猫や杓子は行けるかもしれないけど
一般庶民はなかなかそうもいかない。
行けないのなら作っちまえ、
江戸っ子は気が早い、あちこちに富士山を作ってしまいました。
足立区だけでも両手の指が必要なほどの富士があります、
このごろ病みつきになった氷川神社には無いみたいだけど
これは川に由来する神社なので無いのかしらと思ったり。
一番近いお稲荷さんにある富士山は1mくらいの高さ、
でもちゃんと一合目から合目石が頂上?まで並んでいます。
お稲荷さんも履いて捨てるほどあるしお富士さんも同じ、
信心深いといえばそうだけど江戸っ子は乗り易い性格だったのかも。
それだけ人口が多く何かをやるエネルギーも強かったのかな
クマさん八つあん的な人が下支えとなったのでしょうね。
おかげで後世のヒマ人は走り回る目的が出来てありがたいことです。
jugemuさんとは違うタイプだね。
すぐその気になるわたしもクマさん八つあんタイプ
東京にはゴロゴロしてるみたいよ。
街を歩いていてもそうだけどお祭りなんかでは
そこら中がクマさん八っつあんみたい、
頭の中はともかく腹の中は空っぽ、威勢だけはいい。
江戸の街はあんな人たちが作っていったんだね、
いろいろな所からいろいろな職業の人たちが住み着いた、
ガラガラポンでクマさん八っつあんが出来上がった。
まあ私もおっちょこちょいなのでその仲間かも、
腹の中も頭の中も空っぽというのも似ているかも。
でもだんだんそんな人たちがいなくなってお利口さんだけに、
お江戸は遠くなりにけり、、、ですね。(^^;